ニコラスの書
いくつかある鍵の内、本の意匠が付いている鍵を使って収蔵庫の扉の鍵を開ける。鍵を挿してガチャリと捻るとギギ……と鈍い音を立てて扉が開いた。
収蔵庫には代々の当主が集めた資料や本、宝石のサンプルなどが収められている。「収蔵庫」というよりも「博物館」と言った方がふさわしいかもしれない。
本宅までとは行かないが大きくて立派な石造りの建物で、一階は大きな図書館、二階は宝石や鉱物の収蔵・展示室となっている。
「こりゃ凄い」
灯りを点けると壁一面に収納された本が露わになり、フレムは思わず息を呑んだ。入ってすぐの場所に閲覧スペースがあり、その奥には書架がずらりと並んでいる。主に国内や海外で出版された宝石や鉱物、宝飾品に関する本が収蔵されているようだ。
書架を通り抜けて奥に進むとまた別の部屋に繋がる扉がある。鍵がかかっているので宝石の意匠がついた鍵で開けると、応接間の様な部屋に出た。
ゆったりと本を読むことが出来るソファーと大きめのローテーブル、その奥には大きな本棚があり、紙を綴じて作った手作りの本が棚一杯に置かれていた。
「表にあった本とは違うな」
棚から本を一冊取り出して手に取る。紙に穴を開けて紐で綴じただけの簡易的な作りの本だ。ページを捲ると宝石の画と手書きのメモの様なものが延々と綴られていた。
「これは……」
他の本を開いてみても同じような作りをしている。そしてそのほとんどには本の最後に製作した年月日と「ニコラス」の署名があった。
「全部ニコラスが書いた本なのか……!?」
よく観察してみると、本は古い順に並べられているようだ。一番新しい物を手に取り裏表紙を開いて著者を確認すると、そこにはラグナーの父親の名前が記してあった。
「もしかして……」
本の表紙はいくつかの色で色分けされている。古いものから、赤、青、緑、橙、黄色……と続いており、本棚の四分の三は赤、その他を他の色が占めているといった割合だ。
どうやら本の色は著者を表しているらしく、ほとんどを占める「赤」はニコラスが書いた物、一番新しい紫はラグナーの父が書いた物とすぐに判別できるようになっているようだ。
(歴代の当主が書いた宝石鑑別の資料か……)
中身は全て宝石の外見的特徴、産地、内包物等鑑別に必要な知識を纏めた物だ。宝石は例え同じ種類であっても産地によって特色が異なる。色や内包物、変色などの特殊効果に加え、産地によって希少価値が異なり付けられる値段も変わる。
ニコラスの書はそれらを細かく分類付けし、誰が見ても分かりやすいように説明していた。「何故貴重なのか」「どういう面で価値があるのか」「何故価値がそこまで高くないのか」という理由をひとつひとつ図解付きで記し、これを読めば誰でも鑑別が出来るようにという心遣いが見て取れる。
(きっとこれは「竜眼」を通して見た物を、子供にも分かるように記したものなんだ)
「竜眼」を持っているニコラスには必要の無い物、だが、「竜眼」を持たない子孫には必要な物。ニコラスと妻が築いた店を子供達が継ぐ時に困らないように、自らが見て知った知識を全て書き留めて遺そうとした。それがこの膨大な量の「赤い本」なのだとしたら……。
「やっぱりラグナーの竜眼は異能じゃない」
異能は遺伝しない。この「赤い本」の量を見てフレムは確信した。もしも「竜眼」が遺伝するならば、ニコラスはこんなにも大量の「本」を遺す必要は無かったからだ。
やはりニコラスもエフィも「異能は遺伝しない」と知っていたのだ。知っていたからこそ、異能で築いた店を繋いでいくにはどうするべきか考えた。
その結果、異能で得た知識や技能を「収蔵庫」という形で全て子孫に遺そうという考えに至ったのだろう。
『竜眼は人を選ぶ』
『家業に興味が無い者には遺伝しない』
『坊ちゃんも小さい頃は良くあそこに籠っていた物ですよ。ご飯を食べるのも忘れて、一日中……』
フレムの中で全てが繋がった。
「あいつの竜眼は異能なんかじゃない。でも、そうだとしたらとんでもないやつだ……」
もしも竜眼に等しい能力を自力で得たのだとしたら。
収蔵庫に収められている膨大な資料が全て頭の中に入っているとしたら。
そんな事が出来るとすれば、その努力の才こそ異能と呼んでも良いのではないか。そう思えてしまうほど、俄かには信じがたい事だった。
だが、そうだとすれば全てが腑に落ちる。ラグナーが言っていた「竜眼を継承する条件」も、全て。
「……そういえば、何でこんなに本の色に偏りがあるんだ?」
本棚の四分の三を占めるニコラスの書と四分の一を占める歴代当主の書。いくらなんでもニコラスの書が多すぎるとフレムは思った。
歴代当主の書には主に当主の代に発見された新しい宝石や、価値や価格が変動した宝石について記されている。その他にも新しく発見された鉱山や閉山した鉱山、こことの取引には気を付けた方が良い等、後世に伝えておくべき注意点なども記載されていた。
(確か、ラグナーの一族は皆短命だと言っていたな)
膨大な仕事に忙殺されて過重労働になり、最後は過労で命を落とす。代々そんな宿命を背負っているという。そんな膨大な仕事をこなしながらも本を書く。決して簡単な事ではないだろう。
では、何故ニコラスはこんなにも大量に本を遺す事が出来たのだろうか。
ニコラスの次代――ニコラスの息子と思われる人物が書いた本も二冊で終わっている所を見ると、仕事が少なくて暇だった訳ではなさそうだ。
(そもそもラグナーの父の代までは朝から朝まで働いていたって言ってたよな。もしもそれがニコラスの時代からの伝統だとしたら……そんな仕事量をこなしながらこんなに沢山の本を書いたって事か!? 一体いつ、いや、体力どうなってるんだ?)
異常だ。
(明らかに人間がこなせる仕事量じゃない。異常だ。……もしかして、これも竜の影響なのか?)
人間離れした異常な体力。仮にそれが竜と契約した影響だとしたら……。神官は「竜は異能を齎す」としか言っていなかったが、もしもそれに付随した副作用の様なものがあるとしたら。
「従」は竜を支え、補佐するための存在。その為に「異能」を与えられるのだとしたら、竜を守れるだけの力の一助として頑丈な身体になっていてもおかしくは無い。
「……なんて、そんな馬鹿な話ある訳ないよな」
そこまで考えてフレムは「妄想が過ぎる」と反省した。そんな都合がいい話がある訳がないと思ったのだ。だが、もしもそうだとしたらラグナーの一族が代々短命だった理由にも説明がついてしまう。
(だが、仮にそうだとしたら……)
ニコラスの息子達は朝から朝まで働く父親の姿を見て育ったのだろう。「竜眼」を継いだ息子は当然父と同じように朝から朝まで働いた。
だが、ニコラスは竜と契約して身体が強化された「従」だ。対して息子は「異能を引き継いだと思っている」ただの人間である。ニコラスが朝から朝まで働けたのは強化された身体のお陰であって、ただの人間である息子が同じように働いて無事でいられるはずがない。結果、過労で早死にしてしまう。
子孫たちは代々そうして「竜眼」と一緒にニコラスの無茶な働き方を受け継いでしまった。「異能」を継いでいると信じているし、「異能」が偽物だとしっている人間はもうこの世にはいないので止める者も居ない。
「嘘」を「真」と勘違いしたままこの「収蔵庫」と早死にの宿命だけが継承され続けている。そう考えると辻褄が合う。
(だとしたら、「竜眼」の真実を隠したまま死んだニコラスとエフィは罪深い)
もしもニコラスやエフィが子供達に本当の事を話していれば、こんな事にはならなかったかもしれない。「竜眼は遺伝しない」、ニコラスが特別なだけだと分かっていれば、短命な一族などにはならずに済んだかもしれない。
ラグナーの代まで「竜眼」が継承されているという事は、異能を抜きにしても鑑別に関する才能がある一族なのだろう。だとしたら、例え「竜眼」という看板が無くても商売は成功したのではなかろうか。
それとも、家の名誉を守るために何が何でも「竜眼」を継承しなければならないというプレッシャーがあったからこそここまで続けて来られたのか。
『竜眼は不幸をもたらす』
仮にニコラス夫妻が子孫の事を思ってした事だとしても、それが「不幸」を呼んでいるのだとしたらそれは最早呪いだ。早死にするという恐怖、そして家族の幸せを全て仕事に捧げなければならない運命。そんなものを背負わされて「お前たちのためだ」と言われて、一体誰が喜べよう。
(この呪縛は、俺が解いてやらないといけない)
フレムは本能的にそう感じた。それが出来るのは自分しかいない。「竜」がかけた呪いは「竜」が解くべきだと。
「確か、当主が集めた竜に関する資料があるって言ってたな」
鍵束についている鍵を確認する。恐らく竜の意匠が施された鍵が竜に関する資料室の鍵だろう。
「まずは『従』についてもっと調べないと」
竜に関する伝承は世界中に存在する。神官に聞いた話以外にも、もっと「竜」と「従」に関する話を知りたい。そこに何か重要な情報が隠れているかもしれないからだ。
一階にはもう別室がないようなので、二階に移動する。二階は宝石鑑別の練習に使うサンプルを収納した部屋と、珍しい鉱物や宝石を集めた展示室、その奥に翼が生えた竜を象ったレリーフがついたひと際立派な部屋があった。
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