不本意な帰還

 朝霧の中を馬車は進む。まだ夜明け前なだけあり、大通りはほとんど人気がない。石畳を馬車の車輪が踏み込むガタガタという音だけが響く、静かな朝だった。


「……」

「……」


 馬車の中は静まり返っていた。ラグナーもフレムも言葉を発しようとはしない。ただ静寂だけがそこにあった。


(思えば、エイラムから出るのは初めてだな)


 商業都市であるエイラムは国の中でも大きな町である。一等地と呼ばれる商品単価の高い上流階級向けの店が立ち並ぶ中心部と、それを囲むようにして広がる下町。


 神殿は中心部に、ドグラムの工房は下町にあったが、共に街から出なくても不自由なく暮らす事が出来た。食料も衣料も生活用品も、全てエイラムの中で調達出来たからである。


 だからフレムはエイラムの外を知らない。工房で作品を作れればそれで幸せだったので、知りたいと思った事も無かったのだ。


 しばらく石畳を走ると少し凸凹した道に変わる。石で舗装はしてあるが、町中の石畳と比べて整っていない為馬車に伝わる振動が大きくなるのだ。


「街から出たな」


 ラグナーが呟く。


「ああ……」


 窓の外を見ると開けた平原が広がっていた。平原の奥には森が見える。森へ続くまっすぐな道をガタンゴトンと馬車は進む。丁度太陽が昇って来て、温かい日差しが窓から差し込んだ。


「エイラムの外ってこんな風になってるんだな」

「そんなに驚くような事か?」

「街から出るのは初めてなもんでね」

「そうか。私も外に出るのは久しぶりだ」


 十三の頃に店を継いでからラグナーは一度たりとも郊外の本宅へ足を運んでいないという。店が多忙なのもあったが、亡き父と母の思い出が詰まった家に居たくないというのが本心だった。

 父が亡き後、ラグナーの母は病に伏せるようになり郊外の本宅で一人療養生活を送っていた。

 郊外の本宅で一人暮らす母が寂しい思いをしているのは分かっていたが、父が残した店と従業員たちの生活を背負い、自分よりもずっと年上の大人たちを相手に商売をしていかなければならないというプレッシャーに押しつぶされ、母を思いやる余裕が無かったのだ。

 結局母はそのまま亡くなり、家を出たラグナーが次に母を見たのは神殿に安置された棺の中だった。


「こんな形で戻る事になるとはな……」


(母を蔑ろにした罰が下ったのかもしれんな)


 思えば父も、家には帰らない人間だった。朝から朝まで仕事をしていたという事はそういう事だ。ラグナーがまだ本宅で暮らしていた頃、いつも一人でいる母に「寂しくないのか」と尋ねた事があった。


『お父様はそれがお仕事なのだから仕方がないのです』


 そう言って寂しそうに遠くを見る母の目を思い出す。「仕方がない」というのがラグナーの母の口癖だった。竜眼の一族に嫁いできたのだ。こうなる事は覚悟の上で嫁いできたのだろう。

ただ、覚悟していても納得しているとは限らない。「仕方がない」という口癖にはそれが如実に表れていた。


 ある日、ふとしたきっかけで母の話を父に伝えた事があった。父は困ったような顔をすると「仕方がない事なんだ」と言ってラグナーの肩を叩き、


『我が一族の使命は竜から授かった力を民の為に使うことだ。母さんもそれを良く分かっているはずだよ』


 と言い聞かせたのだった。


『仕方がない』


 という言葉はラグナーの胸に棘のように突き刺さった。「仕方がない」というのは不本意な時に使う言葉だ。母は自らの生活を不本意な物と感じていて、父もまるで不本意ながら仕事をしているような口ぶりをしている。

 一族の使命とか、竜眼の力とか、そういう特別な力をまるで不幸な物のように――。


 そこまで考えて、幼いラグナーは途端に怖くなった。


『もしかして、私が一族は竜眼のせいで不幸な目に合っているのだろうか』


 そう思い至った時、異能を授けて下さった竜への猜疑心と、心の底の方からふつふつと湧いて来た憎しみにも似た感情に恐怖した。竜は尊いものだ。竜眼のお陰で一族は富を得て、繁栄した。それを「不幸な物」だと考えるなど、愚か者のすることだ。


 父が死に、店を継ぐためにエイラムに移り住んだ時、ラグナーは内心少しほっとした。あの家から離れれば、少しの間忘れられると思ったのだ。

 「仕方がない」という言葉で歪められた歪な家族の形を。母を見ていると忘れようとしても忘れられなくて苦しかった。


「……い、おい! ラグナー、着いたぞ」

「……?」


 フレムの言葉でハッと我に返る。どうやら馬車が本宅に到着したようだ。ギッと扉の開く音と、聞き慣れた声が聞こえた。


「ラグナー様、おかえりなさいませ」

「……すまない。世話をかける」


 声の主からの返答は無い。暫く間隔を開けて「お部屋へ案内致しますので手に触れさせて頂きますね」と声がした。


(ネルソンは今、どんな表情をしているのだろう)


 ラグナーには声の主――ノーランの父であるネルソンの表情を窺い知る事は出来ない。手さぐりに馬車を降りるとネルソンの誘導に従って一歩一歩ゆっくりと屋敷の中へ入って行った。



 大きな窓がある淡い水色の壁紙の部屋。天蓋付きの大きなベッドにラグナーを寝かせると、ネルソンは大きな窓を解き放った。朝の爽やかな風がふわりと部屋の中に吹き込む。ラグナーの銀色の髪がふわりと揺れた。


「では、私は医者の手配をして参りますので。何か御用がございましたらそちらのベルを鳴らして下さい」


 なんでも、屋敷の近くにはラグナーの母が世話になった医者が住んでいるらしい。ラグナーの母が倒れた際に呼び寄せ、彼女が亡くなった後もその場所に小さな診療所を開いて暮らしているそうだ。


「疲れただろ。少し寝たらどうだ?」


 夜会から帰って来てすぐに移動したので睡眠時間が取れていない。寝た方が少しは体が回復するかもしれないとフレムはラグナーを寝かせて布団を被せる。


「……温かい」


 ぽかぽかとした日差しがベッドに降り注ぎ眠気を誘ったのか、ラグナーは目を閉じるとすぐにすやすやと寝息を立て始めた。気持ちが良さそうに眠る寝顔を見てほっとしたフレムは部屋のソファーに腰を掛けると横になる。寝ていないのはフレムも同じだ。


(医者が来るまで……少しだけ……)


 無事に本宅へ送り届けられて緊張感が解けたのか、抗い難い眠気に襲われる。沈んでいく意識に抵抗することなく、フレムは深い眠りに落ちて行った。

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