ニコラスとエフィ

 フレムが目を覚ましたのは日が傾き始めた頃だった。


(あれ? 毛布……)


 誰かが気を利かせてくれたのか、いつの間にか体には毛布が掛けられている。体を起こしてラグナーの様子を見に行くと、まだ眠っているようだった。


(ベルを鳴らすとラグナーを起こしちまうかも)


 随分と長く寝てしまったので状況を確認すべく使用人を探す。ラグナーの睡眠を妨げないようネルソンに言われた「呼び出し用のベル」を使うのは止めた。

 音を立てないよう静かに部屋を出て使用人の姿を探すがなかなか見当たらない。大きな屋敷に見合わず、雇っている使用人の数はかなり少ないようだ。


(仕方ない。厨房を探すか。夕飯の準備で誰か一人くらいはいるだろう)


 もう少しすれば夕飯の時間だ。フレムは厨房で夕飯の支度をしている頃合いだろうと踏んでラグナーの部屋がある二階から厨房がありそうな一階へと移動した。

 玄関へ続く大きな階段を降りる時、ふと見上げると壁にかかった大きな肖像画が目に入った。立派な髭を蓄えた男性と銀髪で紫色の目を持った美しい女性を描いた肖像画だ。


(来た時は気付かなかった……)


 玄関から入ってすぐに目につく場所に飾られていたはずなのに、ラグナーを寝室へ運び入れる事で頭が一杯だったためか肖像画の存在に気付かなかったのだ。


(こんなに目立つ場所に飾られてるってことは特別な肖像画なんだろうな。……もしかして、この女性がエフィ?)


 以前神官から聞いたラグナーの一族に嫁いだ「竜」の話を思い出す。もしも彼女がその「竜」ならば、ラグナーの銀髪や紫色の目は恐らく彼女が由来なのだろう。


「そちらは竜から『竜眼』を賜ったニコラス様と、その奥方エフィ様を描いた肖像画です」


 階段の踊り場でフレムが肖像画を眺めていると、階段の下からそんな声が聞こえた。声がした方を振り返るとエプロンを身に着けた女性が立っている。


「お初にお目にかかります。ネルソンの妻、ハンナと申します」

「……という事は、ノーランのお袋さん?」

「はい。息子がお世話になっております」


 ハンナはにこりと笑うと礼をした。


「この肖像画が気になりますか?」

「気になると言うか……最初に竜眼を持った人ってどんな人だったんだろうって」

「ニコラス様は元々貧しい鉱夫だったと聞いております。国の西方に宝石が採れる鉱山があり、そこで働かれていたそうです」

「それがどうして宝石商に?」

「ある日、竜の思し召しがあり竜眼を賜ったと。その日以降宝石の良し悪しを一目で見抜けるようになり、『宝石を見る目がある鉱夫が居る』という噂を聞きつけた宝石商に鑑別職人として雇われたそうです。

 そこで数年修行した後、独立をして始めたのが今の店だと昔旦那様が仰っておりました」


(竜の思し召し……。エフィと出会ったのはその頃か)


 鉱山で働いていたニコラスと神殿で育ったエフィ。二人は一体どのようにして出会ったのだろうか。


「この二人は何処で出会ったんだ?」

「……確か、ニコラス様を引き抜いた宝石店で働いていたのがエフィ様だったとか。エフィ様は宝飾品のデザイナーをされていたのですが、自ら鉱山に足を運び原石を見て回るほど活力的な方だったそうで……。

 なんでも、ニコラス様の『噂』を聞いたエフィ様が店主に雇うよう進言したとか」

「……なるほど」


 肖像画から感じたおしとやかな淑女という印象とは裏腹に、エフィは活動的な女性だったらしい。「女が一人で鉱山に行くなんて危ないから止めろ」という店主の忠告もなんのその、宝飾品に使う宝石を自ら仕入れに回り、そこでニコラスと出会ったのだ。

 エフィを心配していた宝石商に「自分の代わりに仕入れを任せられる『良い目の男』がいる」と持ち掛け、鉱夫だったニコラスを拾い上げた。

 勿論その頃にはニコラスは「竜眼」を目に宿していた訳で、彼の鑑別は宝石商も驚くほどの正確さだったそうだ。


(エフィがニコラスの何を気に入って『従』にしたのか分からない。ただの男女の情だったのか、それともニコラスに才能があると見抜いたのか。

 ただ、エフィの判断は正解だった。ニコラスは得た異能を決して無駄にはせず、真面目に働いて店を持ち、ここまで一族を繁栄させたんだ。そういう意味ではエフィも見る目が合ったのだろう)


 妻として、夫として、そしてデザイナーと宝石商として。二人の関係は夫婦としても「竜」と「従」としても良きものであった。


「そして、それ以降代々お子様に『竜眼』が発現するようになったそうです」

「まさに一族の祖だな」

「はい。竜とニコラス様は一族の皆様にとって大切な存在です。だからこそこうして、いつまでも敬う気持ちを忘れないよう肖像画を飾っているのです」


(『竜とニコラス』……やっぱりエフィが『竜』だとは認識されていないんだな)


 ニコラスはエフィが竜であると誰にも話さずに逝ったのだ。エフィもまた、「竜眼」が遺伝しない事を誰にも明かさずに墓まで持って行った。


(子が出来て『竜眼が発現した』時、神殿にはっきりと『有り得ない事だ』と否定されたはずなのに、どうしてエフィはそれをニコラスに伝えなかったのだろう)


 我が子可愛さか、それとも「竜眼が遺伝しない」事が明るみに出たら何か不味い事でもあったのか。不思議な事に、彼女が吐いた嘘はラグナーの代まで暴かれる事無く作用し続けている。それが何とも不可解だった。


「ニコラス様について知りたいのなら、別棟の資料室へ行ってみては如何ですか?」

「資料室?」

「はい。歴代の当主様が収集された宝石に関する資料や、竜に関する書物などが収蔵されている場所です。そちらの窓からも見えますよ。一棟丸ごと収蔵庫になっているんです」


 ハンナに手招きされて二階の窓から見て見ると、母屋の左側に別の建物が建っているのが見えた。「収蔵庫」とは思えない大きくて立派な建物だ。


「あれが全部収蔵庫なのか?」

「ええ。ふふ、坊ちゃんも小さい頃は良くあそこに籠っていた物ですよ。ご飯を食べるのも忘れて、一日中……」

「あいつが?」

「小さい頃から石が大好きなお方でしたから。将来の為の勉強になると旦那様も嬉しそうにされていましたよ。……それなのに、何故こんなことに……」


 ハンナは懐かしそうにそう語ったが、ラグナーが目を患って戻ってきたことを思い出したのかハッと我に返って目に涙を浮かべた。


「……医者にはもう診せたのか?」

「……いえ、目を覚まされてからの方が良いだろうと主人が。今は坊ちゃんが着ていらした服を持ってお医者様のお宅へ行っています」

「どんな毒が盛られたのか分かれば良いけど……」

「本当に、何故こんな事に! 坊ちゃんが可哀想です」


 ラグナーを幼い頃から見て来たのだ。ハンナもショックを隠し切れない様子だ。


「今は待つしかないよ。ラグナーもじきに目を覚ますかもしれない。何か胃に優しいものでも作ってやってくれないかな?」

「ええ、ええ。そうしましょう」


 ハンナは涙を拭うと大きく頷いて厨房の方へ駆けて行った。

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