井の中の蛙

「どうだ? 見事な細工だろう。手に取って見て良いぞ、キューネル」

「この指輪は彼が?」

「そうだ」


 キューネルは指輪を手に取るとごくりと唾を飲む。


(なんだこれは、見たことが無い)


 フレムが作ったのは木目の様な模様をした指輪だ。銅と銀の板を重ねて溶かし一つの塊にし、それを板状に伸ばすと板に木目の様な模様が出てくる。「杢目金もくめがね」という技法だが、まだこの世界には存在しない技法だ。


「お、面白い模様ですな」


 見たことが無い金属にキューネルは動揺した。


「面白いだろう。フレムが考え出した細工なのだ。まだどこにも出していない。今日の夜会で披露するつもりだ」

「……それは素晴らしい……若いのに素晴らしい技術をお持ちなんですね」


(こんな若造が、私が知らない技術を持っている……だと?)


 キューネルにとって見たことが無い模様に驚いたというよりも、目の前の若造がキューネルの知識にない業を持っていたという事が屈辱的だった。

 キューネルは完全にフレムの事を舐めていた。見た所ラグナーはと同じ位の子供で、フレムが雇っているのもお遊びか何かだろうと思っていたのだ。


 曲がりなりにも服飾品や最新の流行に知見があるキューネルは、エイラムのファッション界に自分の知らない物は無いと自負していた。

 こんな子供が、自分が知らない技法を繰り出して、あまつさえそれをフレムが評価し、召し抱えている。指輪を目にした瞬間それを悟り、何とも言えない屈辱感を味わったのだ。


「どこの工房で修行をなさったのですか?」


 キューネルは指輪をラグナーに返すとフレムに問いかけた。


「ドグラムの工房だよ」

「ドグラム? 聞いた事がありませんな……。生まれはどちらで?」

「成人するまでは神殿にいた」

「神殿……」


 「神殿」という言葉を聞いたキューネルの顔が曇る。


(なんだ、こいつは孤児か。なんでそんなに卑しい身分の人間が我が御子のお側に居るのか。まぁ、孤児の感性は我々には分からんからな。この指輪も偶然思いついたものだろう)


「キューネルはワボリを知っているか?」


 キューネルの心を見透かしたのか、ラグナーが冷たい声で尋ねた。


「ワボリ? 勿論ですとも! 最近御子が良く身に着けられている美しい宝飾品に施された彫りの事でしょう? 皆あの大胆な彫りと煌めきに惚れ惚れしておりますよ!」

「その皆が惚れ惚れしているという彫りを考案したのがフレムだ」

「えっ」


 ラグナーから出た思いがけない言葉にキューネルは硬直する。


「本当だぜ。ちなみに、それは元々庶民の間で流行ってた細工なんだ」

「庶民の……?」

「下町ではフレム彫りと呼ばれているそうだ。気に入ったから職人ごと買い上げた」

「なっ、な……!」


 キューネルは絶句して鯉のように口をパクパクとさせている。自分が「庶民の流行」を持て囃していたという事実にショックを受けたようだ。


「貴公はもう少し広い視野を持った方が良い。狭い世界の流行だけを追っていても本当に良いものは見つからない」

「……御子っ!」

「どうした? 顔が赤いが風邪でも引いたか? ノーラン、キューネルは体調が悪いようだ」

「キューネル様、大丈夫ですか? 今日はお引き取り頂いた方が宜しいかと~」


 ノーランは顔を真っ赤にしているキューネルを立たせると外に待たせていた馬車へ追い立てた。

 玄関が閉まる音が聞こえるとラグナーは大きなため息を吐いて忌々しそうにキューネルの置き土産を見つめる。対面のソファーには彼が置いて行った箱が山積みになっていた。


「おい、フレム、その邪魔な箱をどうにかしろ」

「どうって……いつもどうしてるんだ?」

「知らん」

「一応聞くけど、着た事ある?」

「分からん」

「そうだった。服の管理はノーランがしてるんだったな。後で聞いてみるか」

「そうしてくれ」


 疲れ切った顔をしたラグナーはソファーに横になると「一時間だけ寝る」と言って目を閉じた。フレムは寝室から毛布を取って来るとラグナーにそっとかけてやる。


(ラグナーの客にはキューネルみたいなやつが一杯いるって事だよな……? 社交パーティーに行ってもこんな感じだとしたら……)


 一日中仕事をして誘いを受ければ連日客先のパーティーへ参加する。毎回熱狂的な客にもてなしを受け帰って来てから倒れこむように寝る。常人ではこなせないような途轍もない激務だ。


「お客様、お帰りになりましたよ~」


 キューネルを無事に送り出したノーランが戻って来た。


「大丈夫だったか?」

「はい~。口をパクパクさせていらっしゃいましたけど、頭に血が上りすぎて何も考えられないという感じだったので助かりました。ご主人様もお休みなった事ですし、ボク達も休憩しましょうか。お茶とお菓子、用意しちゃったので」

「そうだな」


 ラグナーを起こさないように部屋の灯りを落とし、お茶とお菓子を持ってノーランの部屋へ移動する。フレムの作業部屋ほど広くはないが、ゆったりとした一人部屋だ。


「なんかあいつも大変だな。今日もこれから夜会なんだろ?」

「まぁ、いつものことですから~」

「いつも……か。そりゃあれだけ忙しくしてたら身の回りの事に気を回す余裕なんてないよな」


 休暇を取ることも無く仕事をし、会食や夜会に出て帰って来るのは深夜。そんな生活を続けていたら仕事以外に気が回らなくなるのも仕方ない。

 最初は「だらしがないやつだ」と思っていたフレムも、ラグナーの生活を観察するうちに極度の疲労で気力や余裕がないだけなのでは無いかと思うようになった。


「ご主人様は仕事一辺倒ですからね~。仕事に集中出来るよう、その他の事はボクが全てやるようにしているのですが……」

「仕事の量、どうにかならないのか?」

「難しいでしょうね~。店に出す宝石の鑑別もご主人様が全て行っている状態ですから」

「そうなのか!?」

「はい~。うちは原石から宝石への加工も自社で行っているのですが、その原石の選り分けもご主人様が自ら行っているんです」

「もしかして、あの袋のなかの石はそれなのか?」

「そうですよ~。お客様からお預かりしている宝石は別にあって……」


(どうかしてる!)


 ソファーの横に積んである、今までフレムが「顧客から預かった物と思っていた石の袋」の正体は、一階の店舗で販売する宝石の原石だったらしい。

 ラグナーが設けた基準に沿って選り分け、客の要望や用途に合わせて加工場で加工する。客から依頼された鑑別の宝石は加工済みの裸石が多く、いつもやっている作業が終わった後――フレムやノーランが就寝した後に行っているそうだ。


(一体どれだけ働いているんだ……?)


 本人は「寝れているだけマシだ」と言っていたが、袋の山以外にも仕事があるとすると一体どれだけ睡眠時間を取れているのか分からない。一族代々「早死にする」というのも納得だ。


「鑑別する人間を増やすとか、仕事を別の人間に任すとか、そういうのは難しいんだよな?」

「『竜眼』での鑑別に価値がありますからね~。他にも竜眼を持っている方がいらっしゃれば、攫ってでも連れて来たい位です」


 物騒な事を言うノーランだが、それだけラグナーの事が心配なのだろう。「竜眼」という縛りがある故、人手を増やしたくても増やせない。知名度が増えれば増える程仕事も増える。

 ラグナーの父が過労死しているのを知っているからこそ、ラグナーに何もしてやれないのが歯がゆいのだ。

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