竜眼のはじまり
社交パーティーの予定が落ち着きラグナーからの依頼もひと段落ついた頃、フレムはかねてから予定していた通り神殿へ向かった。日頃から神官と手紙のやり取りをしていたが、直接足を運ぶのは成人して神殿を出た日以来である。
事前に連絡を入れておいたので神殿の入口には迎えの者が来ており、到着するなりかつてフレムが暮らしていた「奥の間」へ案内された。
神殿には信者が祈る「祈りの間」と孤児を収容する孤児院、儀式を行う「儀式の間」の他に民の目に触れる事のない「奥の間」が存在する。
「奥の間」には竜が産まれ落ちると言われる中庭があり、そこで産まれた「竜」は奥の間に設けられた居住区域で育てられるのだ。
孤児院があるのだからそこで「竜」の子を育てればよいのではと思うかもしれないがそうもいかない。「竜」は異界から転じて生まれ落ちた存在であり、この世界に無い知識を持っている。
「竜」がどのような知識を持ち、何が出来るのか。それが分からないうちに外へ出すと事故が起こるかもしれない。「竜」が成人するまでに竜が持つ技能や能力を見極め、新しい知識や技術が上手く民に伝播する方法を模索する。
それが「奥の間」に「竜」を留める理由であり、そこに所属する神官の勤めであった。
「久しぶりだな、おっさん」
奥の間へ入ると見慣れた顔が見えてフレムは嬉しそうに駆け寄った。
「フレム、元気そうだな」
「ああ。おっさんは少し老けたな」
「六年も経てば年も取るだろう」
少し皺と白髪が増えた育ての親は苦笑する。独身故、フレムを育てるのには苦労した。成人したフレムを市井に送り出して六年、長い間顔を見ていなかったフレムが元気そうにしているのを見て安堵した。
「それで、今日は何の用だ」
「あー、実はさ、ドグラムの工房から別の仕事場に移る事になって……。別に師匠が悪いわけじゃないんだ。こっちの都合で。だから師匠を罰したりしないでくれないかな?」
「うむ。少し前にドグラムから手紙が来ていたな。ひたすら謝罪の言葉が書き連ねてあったが、どういう訳だ?」
「実は今、ラグナーの店で働いてて」
「ラグナー?」
「『竜眼の御子』って呼ばれてるお坊ちゃんだよ」
「ラグナー・ベルンシュタイン……。よりにもよってあの」
「ラグナー」という名前を聞いた神官は苦い顔をして目頭を押さえる。
「知ってるのか?」
「ああ。で、何故フレムがベルンシュタインの店で働いているんだ」
「えーっと、それがさ……いきなり師匠の店にやってきて俺がラグナーの所で働かないと師匠の店を丸ごと買い取るかもしれないぞって脅す物だから……」
「……」
(ひえっ)
フレムの話を聞いた神官は眉間に皺を寄せ鬼のような形相を浮かべる。今まで見たことが無い神官の表情にフレムは縮みあがった。
「で、でも安心しろよ。別に酷い事をされてる訳じゃないんだ! 俺の為に専用の仕事場も用意してくれたし、話してみると案外悪い奴じゃないんだぜ」
「……」
「なぁ、ラグナーの竜眼って本物なのか?」
「……お前はどう思う?」
「おっさん、前に『異能は遺伝しない』って言ってただろ? だから最初、本当は異能じゃないんじゃないかと思ったんだ。
でもあいつの目は本物だ。彫金師の俺から見ても、宝石を見る目は恐ろしいほど正確で、人の技とは思えない。だから分からなくなってさ」
「ふむ」
神官は少し考えた後に、フレムを書庫へ連れて行った。
「まず、結論から言おう。ベルンシュタイン家の竜眼は異能ではない」
「やっぱりそうなのか?」
「異能は遺伝しない。絶対だ。何でか分かるか?」
「理由があるのか?」
竜の異能が遺伝しない理由。「絶対」というからには偶然では無く理由があってそうしているのだろう。
(ということは、異能が遺伝してはいけない理由を探せばいい)
異能が遺伝すると何が起きる? ラグナーの身の回りで起きている事を想像すればいい。
(子孫にも膨大な仕事が引き継がれて大変……な訳ないよな。膨大な仕事……そう言えば、ラグナーが鑑別した石はそれだけで『価値』があるって言ってたっけ。それがそのまま市場に基準になる程の……。
つまり、今、宝石市場はラグナーが握っているような物だ。ラグナーが付けた価値がそのまま市場での宝石の価値となる。ラグナーの鑑別で全てが決まってしまう。
だからこそ皆こぞってラグナーに仕事を依頼し、ラグナーと交友を持ちたがるんだ)
宝石や宝飾品に携わっている者は市場の主となっている「竜眼の御子」との繋がりを持ちたがる。上流階級向けの品を扱っている者は尚更だ。
だからこそ頻繁に社交パーティーを開催し、そこに竜眼の御子を招待する。予定表をびっしりと埋め尽くす夜会や会食はそれが理由だ。
「もしかして、異能が遺伝するとその一族に権力が集中しすぎてしまうから?」
フレムの回答に神官は満足そうに頷いた。
「一時的な物ならば良い。だが、それが代々となると色々な問題が生じてくる。『竜』が何の技術を持っているかは生まれ落ちてみなければ分からない。フレムのように平穏な技術であればいいが、もしも他国や敵に害を為せるような技術を持っていたら?」
「……例えば、武器の設計者とか?」
「そうだ。そういう物騒な技術を持った竜が従を作れば、おのずと従の異能もそれに引かれた物となる。それが代々遺伝してしまえば、従の一族が悪用する可能性も出てくるだろう。
実際に、古い時代は竜を巡って人々が争い、竜を得た者が従の異能を使って戦争を起こしたこともある。
従とはあくまでも竜を助けるための存在だ。竜が持つ技術をこの世界に広め、世界を豊かにするために作られた仕組みなのだ。人ならざる力に溺れて私欲に走らないようにするため、神は異能が絶対に遺伝しないよう定めたとされている」
「ヤバい異能が生まれても一代限りで処分できるようにってことか」
「言い方は悪いが、その通りだ」
「じゃあ、ラグナーの一族は何なんだよ」
「彼らの先祖に“従”が居たのは間違いない」
代々の竜が記録されている巻物、それをずーっと遡った所を神官は指さす。
「この『エフィ』という女性の従としてラグナーの先祖となる男が記録されている」
「また随分と昔の竜だな」
「エフィは従とした男と結婚し、子を儲けた。ラグナーはその直系だ」
「あいつには“竜”の血が入っているのか。だから遺伝したって事は無いんだよな?」
「無いな。竜と従が婚姻を結ぶのは珍しくは無い。生涯に一度の契りを結ぶのだ。そこに恋愛感情が芽生えてもおかしくは無い。
竜の子孫は多く居るが、ベルンシュタイン以外に『遺伝』の話は聞いたことが無い」
そもそも、自分の祖先が「従」であると知っている人間自体が少ない。竜自体に異能は無く、見た目もそのままただの人間だ。腕の良い職人や技術者同士が結婚し、子を儲けた。異能を大っぴらにしなければ周囲からはそう見えるし、子供からもそう見えるだろう。
「ベルンシュタイン家が稀なのだ。ほとんどの『竜』と『従』は異能や力をひけらかさず、『異能』がある事も伏せたまま人生を終える。新しい技術や発想を提案した『発案者』として名を馳せることはあっても、『竜の恩恵を受ける者』として名を残すことは無い」
例えば、エイラムの郷土料理は「料理人」だった竜が燻製の技術を持ち込んで作った燻製肉のスープだ。道路が綺麗に舗装されているのも石畳の知識を持った竜が町長を説得して施工したお陰だし、国の平均寿命が延びたのも医療と薬学の知識を持った竜が奔走した結果だ。
彼らは皆国の歴史に名を残しているが、それは竜としてではなくあくまでも「職人」として称えられているに過ぎない。
「お前も自分から『竜』だなんて名乗る気は起きないだろう?」
「そうだな。俺が竜だなんて分かったら大変な事になりそうだし、最低限生きて行けるだけの食い扶持が稼げればいいと言うか……平穏に暮らせればそれでいいからな」
「他の『竜』も同じだ。皆竜であると公にする事は望まなかった」
「そう考えると確かに、ラグナーの一族は不思議だ。『竜眼』を売りにしてあんなに派手に商売をして……。それはエフィが望んだ事だったのか?」
「さあな」
やはり神官の話に出てくる「竜」とラグナーが信仰する「竜」とは何かが乖離しているように感じる。
「おっさん的には良いのかよ。異能を持たない人間が『竜眼の御子』なんて呼ばれてて」
「別に構わん。お前にとってもいい隠れ蓑になるだろう」
「それはそうだけど」
「本当に異能がある訳でもないし竜を貶めている訳でもない。かえって竜への信仰心が高まるというのなら、それを利用させてもらうだけだ。寄付金も多く納めているようだし文句は無い」
「うへぇ……」
しれっとえげつないことを言う神官の言葉に乾いた笑いが出る。それと同時にラグナーが神殿で問題視されていないと分かりホッとした。
「じゃあ、そろそろ帰るわ」
「またいつでも帰ってこい」
「なんだ、寂しいのか?」
「……」
「冗談だよ。また帰って来る。そうだ、師匠に一言声かけてやってくれよ。きっと不安で夜も眠れないだろうから」
久しぶりの再会を終え、ラグナーの店へ戻る。
(結局ラグナーの竜眼は異能じゃないって話だったけど、だとしたらあの眼力は何なんだ?)
異能ではないが人ならざる力。もしかしてこの世界には神殿が把握していないようなまた別の力が存在するのだろうか。異界からの転生が有り得るならばあってもおかしくは無いようにも思える。
「ラグナーの竜眼は異能ではない」という事実は分かったが、それが判明した事によってますます謎が深まってしまった。
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