カールの心配事
「カール?」
「フレム! 良かった……無事だった!」
扉の外に居たのは弟弟子のカールだった。ドグラムの工房がある下町からわざわざやって来たらしい。カールはフレムに会えたことが余程嬉しかったのか、目に涙を浮かべると嬉しそうに抱き着いた。
「どうしたんだ? こんな所まで」
「どうしたんだじゃないよ! ずっと心配してたんだよ!」
「あー。悪い悪い。手紙でも書けば良かったな」
「師匠だってあの日からずっと後悔してるんだ。自分が引き止められなかったばっかりにって……」
「……そうか、師匠が」
フレムが連れていかれた日以来、ドグラムは仕事に身が入らなくなってしまったらしい。ラグナーに怖気づいてフレムを差し出してしまったと自責の念に駆られているのだそうだ。
「とりあえず、中に入れよ。今丁度誰もいないから」
「……うん」
ラグナーが不在という言葉を聞いて安心したのか、カールは小さく頷く。フレムはカールを自室に案内すると、暖かいお茶とノーランが作り置きしていた茶菓子を用意した。
「なにこれ! 最新式のトーチ、初めて見た! 立派な作業机……わっ! 凄い数のヤスリ! こんなの何に使うの?」
部屋に入ったカールは先ほどまで浮かない顔をしていたのが嘘のように顔を輝かせている。それもそのはずだ。フレムの作業部屋にはラグナーが用意した真新しい工具が大量に置かれているのだ。同業者であるカールとっては何度も夢見た「理想の部屋」に他ならない。
「全部ラグナーが用意してくれたんだ」
「竜眼の御子が?」
「ああ」
「信じられない……」
カールは口をぽかんと開けて部屋を見渡している。
「御子に酷い事とかされてない?」
「酷い事?」
「その……叩いたり、酷い事を言われたり」
「大丈夫だよ。あいつには良くして貰ってる。優しい従者もいるしな」
「そう……だよね。この部屋を見たら分かったよ。良かった。心配だったんだ、フレムが酷い目にあっていたらどうしようって」
「カール、ラグナーってそんなに悪い奴だって思われるのか?」
「うん……。お金があれば何でも出来るって思っている傲慢な奴だって噂でさ。何か問題があるとお金を渡して黙らせようとするとか、お金があるのを見せびらかすために派手に着飾ってるとか。
この店だって元々のあったお店を買い叩いて作ったって噂されてるんだよ」
「ふーん……。随分悪評が流れてるんだな」
「フレムの件だってそうだよ。あの後従者の子供が手切れ金を持って来てさ。『噂は本当だったんだ』『師匠から弟子を取り上げた冷血の御子』って近所ではその話題で持ち切りだよ」
「ノーランが?」
初耳だった。
(まぁ、ラグナーの為ならその位はしそうだな)
依頼を断られ続けた主の為に丁度いい彫金師を用意する。そのための調査と後処理くらいノーランなら平気でやってのけるだろうという気はする。見た目にそぐわない程彼は優秀な従者だ。
「やっぱり、なんか印象が違うな」
「竜眼の御子の?」
「ああ。多分、外から見たラグナーはカールの言う通りに見えるんだと思う。実際、師匠の工房で見た時は俺も『なんて傲慢な奴なんだ』って思ったし。
でも一緒に暮らしてみるとなんか憎めないというか……。巷で言われているような酷い奴って感じじゃないんだよなぁ」
「……信じられないなぁ」
「お前も外ではしっかりしてるけど、家ではダラダラしてるだろ? それと一緒だよ」
フレムの言葉にカールは不可解そうな顔をする。
「それって竜眼の御子が家ではダラダラしてるって事?」
「え? いや、そういう訳じゃないけどさ……。例えばの話だよ、例えば!」
(危ない、部屋が汚くて大変な事になっていたなんて言ったらラグナーに怒られそうだからな。実は家ではダラダラしているって分かった方が取っ付きやすい印象にはなりそうだけど)
あの汚部屋が世間に明るみになったらラグナーがわざわざ着飾ってまで作っているイメージを台無しにしかねない。今の悪いイメージとどちらがいいのかは分からないが、本人が頑なに守ろうとしている物を壊してはいけない。
「とにかくだ、俺は無事だし酷い目にも合ってないから大丈夫だって師匠に伝えてくれ」
「……分かったよ」
まだ腑に落ちない様子のカールを無理矢理納得させて玄関に送り出す。「じゃあまたね」と後ろ髪を引かれる思いで歩きだしたカールは少し進んだ所で何かを思い出したのか小走りに駆け戻って来た。
「そうだ。もう一つ用事があったんだった」
「ん?」
「フレムの事、神殿になんて伝えれば良いのか師匠が悩んでた」
「あー」
そういえば、フレムは神殿の紹介でドグラムの工房へやって来たのだった。神官とはたまに手紙のやり取りをしており、定期的に近況や仕事について報告をしていた。「竜」の記録を取り、身辺に異常がないか見守るのも神殿の役割だからだ。
ドグラムにも同じように報告が義務付けられており、フレムをラグナーに強奪された事をどう報告すればよいのか思い悩んでいるそうだ。
(そうだよな。俺に何かあったら責められるのは師匠だ)
フレム自身も今回の事を神殿に報告するのをすっかり忘れていた。
「神殿には俺から連絡を入れておくよ。悪くはしないから安心してくれって師匠に伝えてくれ」
「分かった」
「じゃあ、元気でな」
「うん」
何か言いたげなカールをわざと何も気付かないふりをして送り出す。
(『一緒に戻ろう』と言いたげな目をしてたな)
恐らく、カールの本当の用事はそっちだったのだろう。しきりに「酷い事はされていないか」と聞いて来たのも、もしもフレムが酷い目にあっていたらそのまま連れて帰るつもりだったに違いない。
それ程カールはフレムを家族として大事に思っていたのだ。フレムを連れて帰れたとしても、罰せられるのはカールだ。それでもフレムを極悪非道な「竜眼の御子」の下から助け出したいと並々ならぬ決意でやって来たのだろう。
(俺が不自由なく暮らしているのを見て少しは納得してくれただろうか)
あの顔だと完全には納得していないように見えた。それでも、フレムの部屋を見れば賢いカールなら分かってくれるだろう。
フレムにとってもカールは本当の弟のように可愛い存在だった。戻ってやりたい気持ちも無いわけでない。
それでもこうしてラグナーの下に留まったのは、新しく得た仕事への情熱と「竜眼の御子」への興味が勝ったからだ。
「神殿への報告ついでにおっさんに『竜眼』について聞いてみるか」
「竜」とされた自らと「竜眼」を持つというラグナー、その不思議な巡り合わせにフレムは自分でも驚く程好奇心が刺激されていた。
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