竜眼の御子

 ある日、いつものように客先へ荷物を届けて帰って来ると、工房の前に人だかりが出来ていた。皆なにやら興味深そうに工房の中を覗き込んでいる。

 工房は野次馬が集まるような場所ではない。何かあったのかと思い人だかりをかき分けながら店内に入ると、美しく輝く銀色の髪の毛が目に入った。

 入口から少し入った所に立っているその男をすれ違い様に一瞥すると、ふと目が合った。銀髪の隙間から覗く、紫色の美しい目にドキッとする。この辺りでは珍しい色だ。


「師匠、お客さんか? なんか表に凄い人だかりが出来てたけど……」

「フレム!」


 フレムの顔を見たドグラムは「まずい」という顔をした。明らかにフレムが現れた事に動揺している。ドグラムの様子がおかしい事に気付いたフレムが「どうしたんだ?」と声を掛けようとした時、フレムの背後から男の冷たい声がした。


「ああ、お前が評判の彫金師か」


 客と思わしき男は「フレム」と言う名を聞くと鋭い眼光をフレムに向けた。長い銀髪を後ろで束ね、派手なスーツに大きな宝石を留めたループタイが光る。どちらかと言えば中心部の一等地を歩いていそうな、下町に似つかわしくない服装だ。

 ドグラムは男からフレムを隠すように前へ歩み出ると、フレムに小声で指示を出した。


「フレム、奥の部屋に下がっていろ」

「え?」


 男の発した言葉から察するに、彼はフレムに用がある。だが、師匠であるドグラムはフレムを男から必死に遠ざけようとしていた。これは一体どういう状況なのだろう。

 状況が飲み込めずに困惑するフレムにドグラムは目で合図を送る。「いいから早く」とでも言いたげな目だ。


(ここは黙って従った方が良さそうだ)


 ドグラムは何よりも弟子想いの良い師匠である。この工房に来てから六年経つが、ドグラムがこんなにも取り乱しているのは見たことが無い。きっと何か抜き差しならぬ事情があるのだ。


 一体その事情が何なのかは分からないが、額に冷や汗を浮かべている師匠の心情を汲み取ったフレムは客人に軽い会釈をすると、ドグラムの指示通りに奥の部屋へ引っ込もうとした。


「待て。私はお前に話があるのだ」


 背後から男の声が響く。はっきりとした、強い語気だ。思わず足を止めて振り返ったフレムの目を男の紫水晶のような目が射抜く。


「フレム。私の下で働け」

「……は?」


 思いもよらない言葉に間の抜けたような声が出た。「男の下で働け」、つまり男はフレムを引き抜きに来たらしい。状況を飲み込めずに固まっているフレムに男は「聞こえなかったのか?」と問いかけた。


「いや、聞こえてるけど……。俺はここの仕事が性に合ってるから別の所で働く気はないよ」

「フレムもこう言っているんだ。お引き取り下さい」


 フレムと男の間に割り込んだドグラムは「良いから行け」とフレムを奥の部屋へ押し込もうとするが、男はそんなドグラムの言葉など意に介さない様子でフレムの腕を掴むと自らの下へ引き寄せる。


「私の下で働け。悪いようにはしない。ここよりも良い暮らしをさせてやる」

「知らねえよ。おい、誰だか知らないがちょっと横暴が過ぎないか?」


 フレムは苛立った様子で男の顔を睨みつけた。横柄な態度と華美な服装を見るに、おおよそどこぞの金持ちか貴族か、そんな所だろう。「自分が命じればその通りになる」とでも思って良そうな傲慢な振る舞いにフレムは不快感を覚えたのだ。


「大体いきなり訪ねて来てなんだ? 自分の名も名乗らないで、失礼だろ」

「何?」


 そう言ってフレムの腕を掴んでいる男の手を払いのけると男は驚いたような表情を浮かべた。


を知らないなんて……」

「この工房がどうなっても良いのか? 命知らずな……」


 男の手を振り払った瞬間、野次馬から驚愕の声と共にそんな言葉が漏れる。


(竜眼の御子?)


 聞いた事のない言葉だ。


「あのー、ご主人様は頑固なので諦めた方が良いと思いますよ~」

「はぁ?」


 一触即発の危機だと察したのか、男の後ろに居た従者の少年がフレムに近づき小声で囁く。


「一度言い出したら聞かないんです~。申し訳ないのですが一緒に来て頂けたら助かります」

「嫌だと言ったら?」

「そうですねぇ。このお店ごと買い上げる事になるかもしれません~」


「そんな馬鹿な」と思ったが、後ろを振り返るとドグラムが青い顔をして震えている。ドグラムや聴衆の反応を見たフレムは少年の言葉が事実だと悟った。



 商業都市エイラムの中心部、一等地であるその場所に竜眼の御子――ラグナー・ベルンシュタイン――の邸宅があった。石造りの立派な邸宅で、一階は宝石店、二階から四階がラグナーと使用人の居住区域になっている。


 自宅へ戻ったラグナーは新しく手に入れた彫金師を小柄な従者に預けるとさっさと自室へと戻ってしまった。


「すみません~。ご主人様はお疲れのようで。ボクはノーランと申します。ご主人様の従者をしています」


 従者の少年――ノーランはフレムを三階にある使用人部屋へ案内した。


「ここがフレムさんのお部屋になります~。一通りの設備は整えておいたので自由に使ってください。足りない材料等があれば購入するので遠慮なくどうぞ~」

「これは……」


 案内された部屋を見てフレムは言葉を失った。ただの使用人部屋ではない。ベッドルームとは別に作業机や火を扱える耐火作りの作業台、立派な金床に工具が沢山納められた工具棚……。

 今すぐにでも彫金師としての仕事を始められる立派な仕事部屋が備え付けられていたのだ。


「ここを使っていいのか?」

「はい! 全てご主人様がフレムさんの為に揃えた物ですので~」


(これを全部俺の為に?)


 金床を見ても打痕一つ無い新品だ。誰かが使っていたのではなくフレムの為に一から揃えられた。それは事実のようだった。


「いきなり連れてこられて分けわからないんだが、お前のご主人様って何者なんだ? ……とか言ったか」


 聴衆の様子やドグラムの異変から見るに、何かしらの有名人であるのには違いない。それもでの。


「あ~。ご主人様……ラグナー様をご存知ない?」

「悪いな。殿だったものでね」

「なるほど~」


 「神殿育ち」という言葉でノーランは察したようだ。


「ご主人様は目利きの宝石商人で、代々『竜眼』という特殊な力を持つ一族の御子息なのですよ」

「その竜眼って一体何なんだ?」

「宝石を見分ける目の事です~。神殿にいらっしゃったなら竜の神話はご存知でしょう? ご主人様は竜と契りを結んだ御方の末裔なのですよ」

「……!」


『竜は天の恵みである。天原より出づる竜は地に降り立ち、人と契りを交わして知恵や力を与える。神は竜を遣わし、人の営みを豊かな物として下さるのだ』


 この国に伝わる竜の伝承である。フレムも神殿に居た頃、嫌と言う程聞かされた。だが、ノーランが語った話はフレムが知るそれとは少し異なる。


(竜と契りを結んだ子孫の末裔? 竜と契りを結んで力を得るのは一代限りで、その子孫に力は継承されないはずだが)


 聞けばラグナーは「竜眼」の力で宝石の良し悪しを見分け、巨万の富を得ているという。また、竜の血を引くという彼は竜の如く光物を好み、寝室は宝飾品で溢れかえっているとか。


(そんな話、聞いたことが無い)


 フレムは困惑した。ノーランから出る話の数々は神殿で聞いた話とは全く異なる物だったからだ。話から推察するに、彼もラグナーも竜が何たるかを知らない。そして、竜がもたらす恵がどのようなものなのかも。


 そうなると、竜から与えられたという「竜眼」がどのようなものなのか興味が湧いて来た。全くの偽物か、それとも神殿も知らないような異能なのか――。


 なにせフレムは正真正銘、なのだから。

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