秘匿の竜は竜眼の御子を所望する

スズシロ

不思議な青年

 竜は天の恵みである。天原より出づる竜は地に降り立ち、人と契りを交わして知恵や力を与える。神は竜を遣わし、人の営みを豊かな物として下さるのだ。

 

 ――それが古よりこの国に伝わる竜と、その竜が民にもたらすと言われている「恩寵」の物語。


「竜眼は不幸をもたらすって言ってたな。お前は今、その不幸を断ち切る事が出来る」

「……どういう意味だ?」

「俺と契約しろ」


 とある邸宅の一室。困惑するラグナーに俺は一言、そう言った。


 ◆


 黒髪の青年が街を駆ける。師匠に言われて客先へ届け物をした帰りだ。貰った駄賃をコツコツ貯めてようやく目標金額に達したので新しい仕事道具を買える。足早に道具屋へ入り、目を付けていたヤスリを購入した。


「フレム。菓子を買うとか本を買うとか、もう少しを買わんか。道具ならワシが買ってやるのに」


 ヤスリを手にして仕事場に戻ると師匠であるドグラムが顔を曇らせた。


「良いんだよ、師匠。フレムは三度の飯より彫金が好きなんだから」

「そんなんじゃ恋人の一人も出来ないぞ」

「フレムの恋人は金属さ。木槌の音でダンスだって出来るよ」


 弟弟子のカールはそう言って木槌で金床を叩いて見せる。


「カールの言う通りかもな。三度の飯より彫金が好きなのは当たってる。作業をしている時が一番楽しいし」


 黒髪の青年――フレムは作業机に戻ると息つく暇もなく作りかけの指輪を手に取った。


 ◆


 ドグラム彫金工房はカラドの商業都市エイラムにある小さな工房である。指輪やペンダント、ブローチなどの装飾品に加え、剣の柄や時計、お気に入りのカラトリーまで何にでも彫金を施してくれる彫金工房として人気があった。

 親方のドグラムと兄弟子のフレム、弟弟子のカールの三人で営む小さな工房だったが地力は確かで、特にフレムの彫金技術は卓越していると評判を呼んだ。


 フレムが工房に来たのは6年ほど前の事である。ドグラムが神殿の仕事をしていた縁で、孤児だったフレムを神殿から紹介されたのだ。

 彫金に覚えがあり腕が良いとの触れ込みだったが、ドグラムは半信半疑だった。相手はまだ成人したばかりの子供だ。いくら神殿のお墨付きとはいえ、絶賛するほどの腕があるとは思えない。


 しかし、試しに腕輪を作らせてみて驚いた。プレートを叩いて曲げたバングルに見たことが無い彫りを入れた美しい腕輪を、僅か半日で作って見せたのだ。

 両親を亡くした孤児だと聞いていたが身なりも良いし腕も立つ。一体どこでそんな技術を会得したのかと聞けば「神殿で習った」と言う。


(神殿で習うのは最低限の読み書き位のはずだが)


 神殿が運営する孤児院では養子や下働きに出るための最低限の教育が施される。教育はあくまでも孤児を自立させるための物であり、ある程度読み書きが出来るようになると養子や商家の下働きに出されるのだ。

 フレムのように物作りの技術を学べるような場所ではない。


(それに、もう成人する歳だ。神殿を出るのには遅すぎる)


 ドグラムが気になったのはもう一つ、フレムの年齢だった。孤児が孤児院を出るのは遅くても十~十二歳頃で、成人済みの十八では遅すぎる。


(着ている服も上等なものだし、訳ありか?)


 真っ白で汚れの内服。それは孤児院から来たというにはあまりにも上等すぎる。もしかしたら貴人の隠し子とか、そういう世に憚られるような事情があるのかもしれない。なんとなく触れてはいけない物のような気がして、ドグラムは二つ返事で神殿の紹介を受け入れた。


 当時、ドグラムの工房は他に従業員のいない一人親方状態だった。ドグラムはフレムを弟子として受け入れ、客の注文を取りながら工房の仕事を教える日々を送っていた。

 教えると言ってもフレムの技量は最早ドグラムが教えられるような段階にはない。特にあの、見たことのない「彫り」に関してはフレムが教師でドグラムが生徒のような関係にあった。


「お前さん、こんな彫りをどこで習ったんだ。ワシはこの街で五十年近く彫金師をやっているが、こんな彫りをする奴を見たことが無いぞ」

「うーん、習ったと言うか、昔から知ってたというか。ワボリは彫金の基本だからな」

「ワボリ?」

「この彫り方の名さ」


 そう言ってフレムは小さな金槌で見たことが無いタガネを叩く。コンコンとタガネが叩かれる度に金属が切り出され、不思議な模様が金属に刻まれていった。


「それは……その、何を彫っているんだ?」

「花だよ。梅とか松とか……あー、分からないか」

「ウメ? マツ? 何じゃそりゃ」


(異国の花か何かか?)


 聞いた事のない花の名前にドグラムは困惑するばかりだ。これだけではなく、フレムの発する単語には時々意味の通じない不思議な言葉が混じっていた。


 どれもこの国にはない言葉で、それをフレムは「故郷の言葉」だという。彼が手にしている見たことが無いタガネも「故郷で使っていたタガネ」を再現した物だと言っていた。


(故郷。彼の故郷とは一体何処を指すのだろう)


 聞いてみたいと何度思ったことか。


 フレムの彫りはドグラムの彫りと比べると線が太いが、独特の模様と大きく取った切削面の煌めきが美しく、瞬く間に評判を呼んだ。

 フレムの名を取り「フレム彫り」という愛称で呼ばれたそれは特にナイフや剣に施すと映えると騎士に人気で、二人では捌ききれないほどの注文が舞い込むようになったので弟弟子としてカールがやってきた。


 彼はドグラムの知人の息子で、彫金職人の家に育ったので呑み込みが早く、フレムに彫りを習うとあっという間に簡単な仕事ならこなせるようになったのだ。

 そうして三人は毎日切磋琢磨しながら忙しい日々を過ごしていた。


(ああ、なんて幸せなんだ。こうして心置きなく彫金が出来るなんて)


 フレムは幸せだった。朝から晩まで彫金仕事をして、夕飯を食べながら真面目な師匠に物覚えの良い弟弟子と「ああしたらいい」「こうしたらいい」と語り合う。


(いつまでもこんな時間が続けば良いのに)


 毎晩布団に入るとそんなことを考えた。そしてそれが叶う物だと思っていたのだ。――あの男がやって来るまでは。

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