第68話 山越えへ

 公国領アリアド。

 夜明けと共に多くの兵士たちが街に到着した。

 それは王国軍のチェルシー将軍が攻め落としたこのアリアドを占領し管理するために派遣された部隊だ。


 チェルシーらは少数精鋭でこの街を陥落かんらくさせた。

 しかし攻め落とすことは少数でも可能だったが、今後の管理を考えると大人数の駐留部隊が必要だった。

 せっかく占領した街を、住人の蜂起ほうきなどで取り返されてはたまらないからだ。

 占領状態を維持するのにも人手がいる。


 今、このアリアドの領主の館に陣取るチェルシーの元には、到着したばかりの部隊の長が訪れていた。

 領主の執務しつむ室の椅子いすに腰をかけるチェルシーのとなりには白い髪の若い女が控えている。

 チェルシーの副官であるシジマの妹であるオニユリだ。

 シジマがチェルシーの命令で出動しているため、オニユリが代わりにチェルシーの補佐役を務めている。


「将軍閣下かっか。アリアド統治部隊。これより着任いたします」


 そう言ってうやうやしく頭を下げるのは中年の部隊長だ。

 チェルシーは彼に告げた。


「遠路ご苦労様。ワタシはこれより王の勅命ちょくめいを果たすべくここをちます。後のことは任せたわ」


 そう言うとチェルシーは立ち上がった。

 この部隊長にはまだプリシラたちのことは告げていない。

 だがチェルシーの内心は決まっていた。


 まず、プリシラとエミルを捕らえる。

 それから共和国内に潜入し、本来の任務も果たす。

 誰にも文句を言わせない戦果を挙げてみせるつもりだった。


「オニユリ。行くわよ。先行するシジマたちに追いつかないと」

「はい。参りましょう」


 オニユリはすずやかな顔でそう言うと、チェルシーの背後について館を後にした。

 ダニアの女王の子女を捕らえるための追跡が始まろうとしていた。


 ☆☆☆☆☆☆


 セグ村を出発した馬車は快調に土の道を走っていく。

 村を救ったプリシラたちには朝から豪華な食事が振る舞われたが、急ぎ出発したい4人は歓待もそこそこに切り上げて村をった。

 せめてもの礼として村長が用意してくれたのは、食べ切れなかった朝食の残りやその他の保存食を詰めたふくろ、旅に必要なあれこれの品、そして一台の馬車とそれを操る御者役の男だ。

 昼が近くなろうかという今、プリシラとエミル、ジャスティーナとジュードはほろ付きの馬車に揺られている。

 昨日は太陽の下を歩き通しだったため疲労がたまったが、こうして直射日光をさえぎほろ付きの馬車で移動できるのは実に楽で快適だった。


「このまま馬車で山越えが出来れば楽なんだが、ふもとからはまた歩きだな」


 前方に見えて来た山の尾根を見つめながらジュードはそう言った。

 そのとなりでは同じようにプリシラが山に目を凝らしている。

 

「もっと高い山かと思ったけど、それほどでもないわね」

「高さは大してことないんだ。ただ奥深くてね。しばらくは丘陵きゅうりょう地帯が続く。そこを抜けるともう共和国領だ。しかも山を降りてからビバルデまでは半日もかからないだろう」


 共和国。

 その言葉にエミルは内心でホッと安堵あんどしていた。

 故郷のダニアは共和国領ではないが、共和国は同盟相手であり、幼い頃から慣れ親しんだ国でもある。

 そして共和国の大統領であるイライアスはエミルにとって伯父おじに当たる。

 それゆえに共和国にさえ入ればもう安心だという思いがあった。


(やっと帰れる。母様は怒っているかな。父様は心配しているだろうな)


 ほんの数日前まで一緒にいたはずの父と母がひどく恋しく思えて、エミルは早くあの山を越えてしまいたい思いに駆られるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 プリシラたち一行が乗る馬車のはるか後方。

 目視では確認できないほどの距離に、馬にまたがった男女の姿があった。

 栗毛の馬に乗るのは黒い髪の女であり、葦毛あしげの馬に乗るのは白い髪の男だ。


「やれやれ。馬を調達しておいて正解だったな」


 シジマとショーナは先日のアリアドの森近くで傭兵ようへいたちから奪った馬を使い、プリシラたちを静かに追跡していた。

 つい先ほど、2人の元にはアリアドから早馬の伝令が到着したばかりだ。

 アリアドの占領統治軍が到着し、それにともないチェルシーがアリアドを出発したという。

 これから2人はこちらに向かってくるチェルシーと合流し、ダニアの女王ブリジットの子女であるプリシラとエミルを拿捕だほすべく強襲作戦に移る。


「まあチェルシー将軍がいれば、あっという間にカタがつくだろう。あの人とやり合って勝てる奴はいない」


 シジマは副官としてチェルシーの強さを間近で見て来た。

 だからこそその強さには敬服している。

 もちろんシジマとは比べようもないほどチェルシーとは付き合いが長いショーナもそれは分かっている。

 だがショーナの表情は冴えなかった。


(確かプリシラはまだ成人前の13歳。実戦を経験した16歳のチェルシー様が苦戦する相手ではないでしょうね。それよりも問題は……弟のほうだわ)


 ショーナが思い出すのは先日のアリアド近くの平原での悪夢のような出来事だ。

 不気味な黒い髪の女にまとわりつかれ、エミルには近付くなという警告を受ける恐ろしい幻覚を見たのだ。

 黒髪術者ダークネスであるショーナは、それがただの幻覚だったとは思っていない。

 明らかに同じ黒髪術者ダークネスからの力の干渉だった。

 そのことがあってから、ショーナはプリシラよりも弟のエミルの方を不気味な存在だと思うようになっていた。


(もしあの奇妙な女の存在をエミルが自在に操っているのだとしたら、わずか10歳にして恐ろしい才能だわ……)


 王国軍の黒帯隊ダーク・ベルトの教官として多くの黒髪術者ダークネスの卵を見てきたショーナからしても、エミルのような力の持ち主は見たことがない。

 もしエミルがその力を発揮はっきするようなことがあれば、彼の身柄みがらを捕らえることはそう簡単ではないことだろう。


「シジマ……油断は禁物よ。この世の中に絶対はないわ。チェルシー様だって無敵、というわけではないのだから」


 そう言うショーナの表情を見てシジマはまゆを潜める。


「浮かない顔だな。何か気になることがあるなら言え」

「……シジマ。エミルのことをただの子供だと思わないで」

「なに? 黒髪術者ダークネスの卵とは言え、わずか10歳の子供に何が出来る?」


 シジマの言うことはもっともだった。

 だがショーナは自身の中にわだかまる懸念けねんぬぐい去れず、シジマをじっと見つめた。

 そんなふうに力を込めた視線を彼女から向けられたことのないシジマは少々おどろいて口を閉じる。


「……彼がただの黒髪術者ダークネスの卵ならね。だけどその思い込みは油断を招き、油断は死を招くわよ」

「……分かった。おまえがそこまで言うなら気に留めておこう」


 シジマはそう言うと慎重に馬を進め、ショーナも後に続き、追跡を開始するのだった。

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