第67話 湯煙の語らい

 かつて……プリシラが生まれる前のダニアの都で起きた大きな戦争。

 その敵方にジャスティーナはいた。

 その話を聞いてプリシラは思わず湯から立ち上がり、言葉を失う。


(ジャスティーナが……敵だった? でもそうだとしたら放浪生活をしているのは……)


 そこでプリシラは思い出した。


「ジャスティーナ。ダニアの都には行ったことがないって言ってたよね?」

「ああ。行ったことはないよ。私は途中で抜けたからね」

「え? 途中で……抜けた?」


 思わず呆気あっけに取られるプリシラにジャスティーナは嘆息たんそくした。


「言ったろ。師匠ししょう仲違なかたがいしたって。私はくそったれの黒き魔女の下で戦うつもりは毛頭なかった。だから途中で軍を抜けたんだよ」


 その話にプリシラはハッとした。

 その時には生まれていない彼女だが当然、史実を事細かに学び、先の大戦のことは記録にある限りのことを覚えている。

 南ダニア軍は統一ダニア軍との戦いに勝利すべく、本拠地であった砂漠島からさらなる増援を呼び寄せたのだ。

 その者たちは砂漠島で黒き魔女アメーリアに敵対して収監された囚人しゅうじんたちだった。


「ジャスティーナ。もしかしてあなたが所属していたのって……南ダニア軍の本隊じゃなくて、砂漠島から追加招集された元囚人しゅうじんの部隊?」

「ああ。よく知っているね。さすがに女王の娘だから勉強しているか」

「先の大戦のことは統一ダニアの女なら誰もが教わることよ。そう……そういうことだったのね」


 元々その囚人しゅうじん部隊はアメーリアに敵対していたこともあって忠誠心は低い。

 そんな者たちを増援にするために、勝利のあかつきには恩赦おんしゃによる無罪放免と、各種の報償をえさにしたのだ。

 結果、この判断が南ダニア軍の敗北を招くこととなった。

 その囚人しゅうじん部隊を寝返らせて統一ダニア軍に引き入れるために、クローディアの腹心の部下であるアーシュラが南ダニア軍に潜入していたからだ。


 そしてアーシュラは旧知の友であるデイジーと共謀して南ダニア軍の監視役であった黒刃エッジを排除し、囚人しゅうじんらを味方に引き入れた。

 元々、黒き魔女への不満を抱えていた彼女たちが反旗はんきひるがえすのはそう難しいことではなかった。

 ただその際、戦いに参加しない者はその場を去れという話も出たのだ。


「黒き魔女のために戦うなんて絶対にお断りだったからね。だが、かと言って見も知らぬ金や銀の女王のために戦う気にもならなかった。だから私はその時点で軍を抜けて戦列を離れたんだ。それが今も続く放浪生活の始まりってわけさ」


 ジャスティーナの話を聞き終えて、プリシラは大きく息を吐いた。


「そう……よかった。あなたが母様たちの敵になっていたらきっと統一ダニアはもっと苦戦したかもしれないわね」

「フン。買いかぶるんじゃないよ。私1人がいようがいまいが大して変わらないさ」

「そんなことないわよ。グラディス将軍と一緒にあなたがいたら、きっと……私の尊敬する人たちは殺されていた」


 そう言うとプリシラはホッと胸をで下ろし、再び湯につかる。


「……あと、あなたが敵じゃなくてアタシとしても良かったわ」

「あんたのさっきの口ぶりだと、師匠ししょうを殺したのはブリジットでもクローディアでもないんだな? もしその2人が相手なら、私が加勢したくらいでは勝てないだろう。なあ。どんな奴が師匠ししょうを倒したんだ?」


 そうたずねるジャスティーナにプリシラは少し表情を曇らせた。


「尊敬する師匠ししょうだったんでしょう? 聞いて悲しくならないの?」


 そう言うプリシラにジャスティーナはひたいに手を当て、ため息をついた。


「はぁ。あんたはちっとも分かっていないね。ダニアの女は戦場で死ぬのが最高の名誉めいよだって知っているだろ? それとも何か? 師匠ししょう不名誉ふめいよな死を迎えたのか? 戦う前に転んで頭でも打って死んだのか?」


 小馬鹿にするような口ぶりのジャスティーナにプリシラはくちびるとがらせた。


「分かってるわよ。グラディス将軍の死に様は壮絶だったそうよ」


 南ダニア軍の先頭に立ってダニアの都深くに攻め込んだグラディス。

 彼女の相手をしたのは統一ダニア軍でも屈指くっしの使い手であり、女王ブリジットの右腕と左腕であるベラとソニアだった。

 今や統一ダニアの生きた伝説的存在であり、プリシラも幼い頃から尊敬しあこがれている2人の戦士だ。

 その2人がかりでもグラディスを相手に不利な戦いを強いられ、その戦いの中で2人は一生残る傷をその身に負ったのだ。

 ソニアは傷付き倒れ、残されたベラが決死の覚悟でグラディスに1人立ち向かう中、決着を付けたのは意外な伏兵ふくへいだった。

 

「なるほどな……それが師匠ししょうの最後か」

「ええ。信じられないくらいに強かったって。実際にグラディスと戦った人たちは今でもそう言うわ」


 プリシラの話を聞き終えると、ジャスティーナは立ち上る湯煙ゆけむりを見上げながらポツリとそうつぶやいた。


「何となく……分かった気がするよ」

「え?」

「あの頃は私も若かったからな。あの師匠ししょうが黒き魔女の下につくことがどうしても納得出来なかったんだ。だから私は師匠ししょうの元から去った。だが師匠ししょうは……自分が命をかけられる戦場を求めていたのかもな。それを与えてくれるのが、黒き魔女アメーリアだったのかもしれない」

「ジャスティーナ……」

「ま、今さら気にしても仕方の無いことだけどね」


 ジャスティーナがそう言ったきり、浴室には沈黙ちんもくが降りる。

 何となくそれ以上、言葉が続かなくなったプリシラは湯の飛沫しぶきを飛ばさぬよう静かに立ち上がった。


「……そろそろのぼせてきちゃたわ。アタシはもう出るけど、ジャスティーナは?」

「何だ。もうのぼせたのか。だらしないねぇ。私はもう少し温まっていくから、先に出な」


 そう言うジャスティーナにうなづき、プリシラは立ち上がった。

 そして浴室から出る前に、ジャスティーナを振り返る。


「ジャスティーナ。色々と話してくれて……ありがと。少しでもあなたのことを知ることが出来て良かったわ」


 それだけ言うとプリシラは浴室を後にした。

 その姿を見送りながらはジャスティーナは1人になった浴槽でポツリとつぶやく。


「あの子も生きていれば……あのくらいか」


 そう言うジャスティーナの目に浮かぶのは誰にも見せることの無い悲しみの色だった。

 深く息をつくと彼女は湯船の湯を自分の顔に引っかけた。


「やれやれ……少ししゃべり過ぎちまったかね」


 彼女の言葉は立ち上る湯煙ゆけむりの中へと消えていくのだった。

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