11.暴力的呪い合い①

 ルリたち二人とタクシーが交錯する瞬間、黒子がこちらを見たような気がした。


「っ……運転手さん、止めて!」


 絶え間なく車の行き交う駅前でそうすぐに止まれるわけもなく、少し進んだところでタクシーは停車した。


 私は一万円札を投げつけるように置いてタクシーを降り、走って二人の行く道を追いかけた。

 わずかにルリの背中が見えたが、大通りから逸れて横道に入っていった。


 ここらは通りこそ栄えているが、一本入れば住宅やオフィスの並ぶ地味な通りだ。二人になにか用事があるとも思えないが──今は走るのみ。


 二人が曲がった方に私も曲がり、まっすぐに進んだ。コインパーキングや雑居ビルの並ぶ色彩の薄い通りがまっすぐ広がっている。


 その中にあって、紫メッシュのツインテをなびかせて走る女子高生の背中は目立っていた。


 私はルリの名前を叫ぼうと息を吸い込んだ。


 が、その瞬間にルリは二階の高さまで大跳躍を決める。そして、雑居ビル二階の窓を蹴破って屋内へ吸い込まれていった。


 信じられない光景に足を止めてしまう。呼吸を整えられない。間に合わなかった。なにが起きているのかはわからないが、確実に手遅れだった。


 だとしても、ここで止まっていられない。


 雑居ビル目掛けて一直線に走る。周囲に黒子の姿はなかった。絶対にどこかで見ている筈だ──そう仮定して、懐からM66を抜いた。


 黒子が襲撃して来るようなこともなく、雑居ビルに到着。が、上階からは激しい物音や怒号が響いていた。


 一体ここはなんの建物なのか。困惑したり迷ってる暇はなかった。二階に向かう階段に踏み込み、一段ずつ踏みしめて上がっていく。


 次の瞬間、スーツ姿のドでかい男が部屋に続くドアごと吹っ飛び、私の前に転がった。


 あまりの出来事に面食らったが、倒れたまま動かない男に駆け寄って脈を取る。問題ない。呼吸もしている。気絶しているだけだ。


 建物内に踏み込むと、同じように気絶している男たちが何人も転がっていた。


 鼻血を垂らしていたり、ボコボコにされている者も居たが、命に別状はなさそうだ。頭を強く打っている可能性はあるので、急いで診てもらう必要はあるだろう。


 ただのオフィスに見える簡素な内装だが、ここに詰めていたであろう男たちは妙に剣呑な雰囲気を漂わせている。おまけに、懐に入れた手に銃を握っている者も見えた。


 どうやら話は見えてきた。だが、ここから先に待っている光景のことを考えると、信じたくはなかった。


 果たして、開けた部屋に出る。


 割れた窓から差し込む外の光を受けて、この場に立っているのはただ一人だった。


「……ルリ」


 影は振り向き、返り血の付着する可憐な顔を微笑ませていた。


「先生……どうして、ここに?」


 気がつくと、駆け寄って彼女を抱き締めていた。


「ルリ、ごめん。ごめんね……」

「せ、先生。どうしたの急に」


 こんな状況でも嬉しそうに声を弾ませているのを耳にして、私はもっと強く彼女を抱き締めてしまった。


 苦しいよと言われるまで抱き締め続けていたし、言われても緩く抱きとめ続けていた。

 どうしてこんなことを。自分がなにをしてるかわかってるの。反射で吐き出してしまいそうな言葉たちを飲み込んだ。


 この子が、こんなことをしたくてしているわけがないのだ。


 わかっているはずだ。


 わかっていて、この子は。


「誰かに、指示されたの?」

「自分で決めて、やった」

「こうするといいって、誰かにアドバイスされた?」

「黒子さんに」


 私はM66をきつく握り締めた。


 殺す。ブチ殺す。


 不良をやめて抱かなくなった、激烈な感情が呼び起こされる。

 自分が酷い顔をしているのはわかっていた。こんな顔をルリに見せるわけにはいかない。だから、抱き締め続けていた。


 私は呼吸を整え、ルリを離した。そして腰を落とし、ちゃんと彼女の顔を見つめた。


「先生、体大丈夫なんだね。よかった」


 笑う彼女の拳は、今も震えていた。


「……ルリ。あなたは正しいことをした」

「本当?」

「でもね、正しいことをするにもルールがあるの。それを学ばなくちゃいけない」


 そう告げると、ルリの顔がみるみる内に曇っていく。


 自分がしてはならないことをした自覚はあったのだ。それでも、良いことになると信じて、そそのかされるがままに正義を貫いた。


 この子に下を向いてほしくはなかった。いけないことをしたけれど、それはそれだ。この子が振り絞った勇気をちゃんと讃えてあげなくちゃいけない。


「ルリ、こっち向いて」

「え?」


 呆けてこちらを見上げるルリの頬に、口をつけた。


「ちゃんと相談しなくてごめん」

「…………先生、今のって」

「もう一度、私と一緒に戦って」


 ルリは顔をウソみたいに真っ赤にしていた。私だって恥ずかしくて顔が熱い。あげく、私たちは一度目を逸してしまった。


「……先生。その、不束者ですが」

「ちょっと、それ今言うやつじゃないって」


 私がつい吹き出してしまうと、ルリも釣られて笑ってくれた。

 まるで笑っていていいシチュエーションではないけれど、今はこれが必要な気がした。きっと、私たちはこれでいい。


「ルリ、手短に説明するね。黒子は敵だった。たぶん、悪魔」

「え……それって、わたし」


 案の定、ルリは周囲に目をやりながら困惑し始めた。

 自分の行いが間違いだと突きつけられるのは誰だって辛い。この子の年なら尚の事だろう。


「大丈夫、こいつら全員銃刀法違反でパクられる運命だから。知ってる? 現行犯逮捕って民間人でも出来ちゃうの」

「そうなの? わたしもしかしてお手柄⁉」

「そういうこと! いえ~い!」


 勢いでルリとハイタッチ。よし、いつもの感じに戻って来た。


「先生が持ってるその銃は? 違反にならないの?」

「え? えと、これは~……正義の味方だからヨシ!」

「ヨシ!」


 さっきまで正義にはルールがとか言ってた私は消え去っていた。もうどうしようもないが、どうとでもなれ! 生き残れば勝ちだ!


「で、これからのことだけど」


 と、言葉を続けようとした。


 なにかが飛んで来る。


 感覚された。知っている。鋭い、刃のようなそれ。彼女が来ている──彼女って誰だ? 認識より速い感覚の最中、私はルリを突き飛ばしていた。


 瞬間、全身に駆け抜けた。


 体中から血を吹き出しながら、私はその場にへたりこんでいた。


「……え?」


 斬られていた。


 一つ一つの傷はさほど深くない気がしたが、最早多すぎる切創と出血で体の感覚がバカになっていた。

 自分がみるみる内に消耗していることだけが感覚され、傷の具合はよくわからない。


「っ……先生。言うたやろ、庇うのはやめろって」


 事務所にふらりと現れたのは、抜き放った日本刀を携えたメガネ少女──羽鳥矢白だった。


 切り刻まれた私と突然の来訪者を前にして、ルリはまたも呆然としていた。その手は、また震えていた。


「ヤシロちゃん?」

「…………」

「ヤシロちゃんが、やったの?」


 顔を逸らす矢白に対して、ルリは滑らかな動作で立ち上がろうとしていた。

 その顔から感情が抜け落ちようとしているのを目にして、私は慌てて手を取って引き寄せた。


「ルリ、待って」

「先生止めないで」

「ルリ、待って。話を聞い──」


 言葉を続けようとして、咳き込んでしまう。私が吐き出した血が、ルリの白い肌とセーラー服を汚してしまった。


 だが、そのおかげでルリが落ち着いてくれた。


「……矢白さん。あなたはあどみに踊らされてる。この子は、あなたの探してる仇じゃない」

「なにを根拠にんなこと」

「そして、私たちも踊らされていた。あなたの姉に化けた、最低の悪魔に」


 矢白がその表情を一層険しくする──が、こんな説明で納得してもらえるわけがない。

 だが、彼女は刀を鞘に収めてくれた。私とルリのことを信用してはくれているのだ。


 糸口は見えた。今は言葉が、会話が必要だった。納得するまで話して、戦える二人の間を取り持つ必要があった。


 それも、私が出血多量で死ぬ前に。


「あーあー、なるほどなぁ。アドミニストレータが悪さしてたっちゅうわけか」


 わざと足音を高く鳴らして、長身の影が事務所に足を踏み入れる。


「ウチは先生と妹ちゃんの殺し合いが見たかったんやけど、これじゃただの殺しやんけ」


 瞬間、私たちの居る空間すべてが反界と化していた。


 倒れていたヤクザたちは消え、窓から見える空は赤褐色に変貌する。

 反界に移動するなんてもんじゃない。そこら一帯を反界に引きずり込んでしまう、途轍もない力の持ち主。


 最悪だ。最悪のタイミングで入って来やがった。


 果たして、二人は──矢白と黒子は、約一メートルの距離を置いて対峙した。


「お姉……ちゃん」

「かわいい妹、ごきげんよう。お姉ちゃんの仇やで」


 矢白が刀を抜き放とうとしたが、黒子は長い脚を伸ばして刀の柄頭を器用に押さえつけた。


「見てたで。抜かせたらやばいもんなぁ」


 矢白はすぐさま後ろに飛び退いて刀を抜き放とうとした。私に放ったのと同じ、飛ぶ斬撃を放とうとしているのだ。


 が、その背を受け止めた。


 私、ルリ、そして矢白の三人ともが目を見張った。矢白の前後に、まったく同じ姿の黒子が立っている。


「秘技、分身の術。ってな」


 矢白のお腹を突き破って、血をまとった細長い指が現れた。


 黒子の手刀が、矢白の体を貫いていた。


 そして、分身二人でもって矢白を囲んで叩き始める。一撃一撃のたびに骨に響くような重い音が立ち、矢白の脚がフラつき始めた。


「……ナメんな、クソ悪魔」


 その脚が、踏ん張った。


 猛攻の最中、それは一瞬の内に放たれた。


 風のごとき速さで光がほとばしると、遅れてそれが刀の閃きだと理解出来た。


 闇祓いのプロフェッショナル、羽鳥矢白。姉の仇を討つために鍛え上げられた一振りの刀──その一閃が、二体の黒子を両断した。


「やるやん」


 しかし、両断された黒子はまだ健在だった。

 斬り飛ばされて空中に浮かんでいた上半身が、斬撃を放ち終えた矢白の刀をがっしりと掴む。


「あっつ。だから呪具なんて触りたないねん」


 刀を掴む黒子の手が、焼けているかのように煙を発している。あれが悪魔を滅する力なのだ。銃で戦っていると目にすることはない光景だった。


 だが、矢白とその刀の力を以てしても、彼女を一撃で葬ることは敵わなかった。


「意外とやわいもんやなぁ」


 黒子が力を込めると──刀はいとも容易く、手折られた。


 おそらく矢白の生命線であろう呪具の日本刀が、半分の長さにまで削られた。刃先は黒子の分身が握っており、その手からは今も煙が立ち上る。


「……やわいから、なんやて?」


 またしても矢白の周囲を光が踊り、周囲に浮かぶ黒子の体が細切れの肉片と化していた。


 折れた刀でも斬ることは出来る。腹を抜かれ、刀を折られようとも、彼女の瞳の仇討ちの意思は変わらず燃えている。


「ちゃうちゃう。柔らかいんは刀ちゃうで」


 宙空を、矢白が振るうのとは違う光が舞っていた。それはくるくる回りながら放物線を描き、矢白の背後で停止する。


 矢白の背後に立つ黒子が、折れた刃先をキャッチしていた。


 三体目の分身──否、アレが本体か。


 折れた刀を振り抜こうとした矢白だが、新たに現れた分身が羽交い締めにする。

 ただその一瞬が、命取りだった。


「君の腕や」


 果たして、刀を把持する矢白の右腕が、地面に転がった。


 刀が床に転がる音が響くまで、目の前でなにが起きているのか飲み込めなかった。

 黒子も長くは呪具を持ってはいられないようで、刃を放り捨てた。


「流石、呪いの刀はよう斬れるわ。どこに出しても爆売れ間違いなしやで」


 切断された矢白の腕から、びちゃびちゃと血が垂れ落ちる。

 貫かれた腹からの出血も、セーラー服の白を赤に染めつつあった。


 養護教諭として様々な負傷を想定した指導は受けて来たが、あまりに規格外の状況が広がる今、私にはなにも出来ない。


 そして、私の命もまた、出血により失われようとしていた。


 それでもなお矢白は戦意を失わず、鋭い目を敵に向け続けていた。

 だが、新たな分身たちに取り囲まれて殴る蹴るの猛攻を受けると、失意の面差しと共に血の海に沈みかける。


 その瞬間を、黒子の蹴りが捉えた。


 倒れ伏そうとしていた矢白の体は蹴り飛ばされ、ビルの外へと投げ出される。


「お姉ちゃんに殺されるんや、本望やろ」


 黒子は分身の腕を引き千切り、槍に見立てて投擲。それは宙空に投げ出された矢白の胸を貫いた。


 外で鈍い音が立つと、重く冷たい静寂が訪れる。その中に、私とルリと黒子の三人が取り残された。


「次はお二人さん……と言いたいとこやけど、もう店じまいや」


 私たちは呆然とする他なかった。矢白さんの流した血と、私の流す血が放つ鉄臭さが否応なく鼻を突く。未だ刀を握ったまま転がる矢白さんの右腕。視界に入れたくはなかったが、どこを見やっても絶望ばかりが転がっていた。


「ヤクザのお仲間に連絡しといたで。ものすごい鉄砲玉にみんなボコボコにされたってな」


 言いながら、黒子は矢白の腕を踏みにじっていた。ニタニタ笑うその顔は、大人のそれながらガキを思わせる嫌味な笑みだった。


「これでこの街もお~しまい! まあ……そこそこ、楽しめたわ」


 笑みがスッと消える。どうやら飽きたらしいのか、矢白の腕を窓の外へ蹴飛ばして、ビルを後にしていった。


 楽しんでいる。どこまでも。圧倒的な実力差がそれを可能にしている。腹の底からムカついたが、体に熱が灯ることはない。私の体は徐々に死につつあるのだ。


「先生! やばいよ!」


 ルリに呼ばれて振り向くと、黒子と入れ違いに水乱制服をまとった子供たちがぞろぞろとビル内へ侵入を始めていた。


 窓の方へ視線をやれば、壁を這い上ってきた巨大なゴリラ悪魔が今にもビル内に踏み込まんとしている。


 ──囲まれた。


 私は懐のM66を取り出す。流した血で汚れていたが、撃つ分には問題ないだろう。そして、ルリだけでも。


「先生、その銃貸して」


 ルリが、震える手を私に伸ばした。


 目の前で親友を失い、私を失おうとしている今でもまだ、彼女は戦おうとしていた。


「先生は、わたしが守るから」


 悪魔であるルリがこの銃を持てばどうなるか。未知数ではあったが、悪魔を強化する弾がルリには効いたのだ。その逆で、彼女がなにがしかの呪いに曝される可能性が高い。


 それを承知で、この子は手を伸ばしている。


「……それは、できない」

「先生!」

「ルリ、黒子を追いかけて。ここで逃げられたら、もう見つけられないかも」

「え……? だって、先生は」

「やばかったら逃げていい。その辺の判断は……あどみに任せる。どうせ見てるんでしょ。私が死んだらこの子に伝えて」


 すると、どこからともなくあどみが現れ「わかりました」と無感情にこぼした。


「私に考えがある。すぐ追いつくから、信じて」

「先生…………」


 酷なことを強いているのはわかっている。


 この子はわたしを好いてくれている。私だってこの子が好きだ。こんな風に出会っていなければ、もっと平和に良好な関係が築けていたかもしれない。


 でもあの日、ああして出会わなかったら、私たちはただの教師と生徒だった。


「二人で、あいつぶっ飛ばそう」

「信じるよ」


 ルリは作り笑いをこぼして、私に背を向けた。


 瞬間、彼女は風になり──ビル内に踏み入れていたすべての悪魔を殴り飛ばし、叩き潰し、蹴り砕き、終いには引き千切ってこの場を後にした。


「すっご……あの子怒らすとヤバいよ。そう思わない? あどみ」


 ピンク髪の少女へ視線を投げると、変わらぬ風情でその場に突っ立っていた。


「……先生、やはりこうなりましたね」

「私が死ぬって思ってた?」

「はい。もっと早くにこうなるだろうと思っていました」

「あんた最悪ね」


 私はあどみのダボ袖を掴んで引っ張り寄せ、耳元まで顔を寄せた。履いたローファーともう一方の袖が私の血溜まりに浸かっている。


「手違いで私を雇ったかと思えば、それを使わず他所の闇祓いを動かしてあげくこのザマ……あんたの過干渉でこの学区は終わりね」

「なにが言いたいんですか?」

「どうにかした方がいいんじゃないかって言ってんの。どうせ居るでしょ、上司とか」

「あどみを脅すとは、いい度胸ですね」

「こちとら度胸だけは百万馬力よ」

「銃を向けられて泣いていましたが?」

「嫌味言ってる場合じゃねーんだよ……」


 悪魔が迫っている。ルリを無謀な戦いに挑ませている。だがそれ以上に切迫する問題が──命のリミットという問題が、私を焦らせる。


「っ……出来ないって言わないなら、なにかあるんでしょ」


 あどみは答えない。虚無の眼差しを宙空に向け、黙考する。

 だが、この子は虚無に染まったただの管理人じゃない。


 死んだ前任者と一緒に撮ったツーショットを、端末の壁紙に設定しておくような子だったじゃないか。


「お願い。このままじゃ、ルリは私と矢白さんをいっぺんに失うことになる。今日を生き延びても、あの子はきっと壊れちゃう」


 体が冷たくなっていくのをくっきりと感覚している。感呪性もこういう時ばかりは困りものだ。この体はもう、徐々に死んでいる。


 だが、私が居なくなった先の未来を、この先のルリの人生を想うと、心がもっと冷え込んだ。


「あの子のためにも、あなたのためにも、まだ、私死ねないの」


 瞬間、体に入り込む異物を感覚した。

 あどみが、私の胸に手をかざしている。


「ここに赴任する闇祓いはいつもそうです。才能がないくせに、優しすぎるんです」


 感呪性をあどみに授けられた時とまるで違う、異質な気分の悪さに体中がぞわぞわと震える。


「ですが、先生。あなたが来たのは間違いではなかった。あどみも、信じてみることにします」

「なにを、してるの?」

「先生の受けた傷を、

「……大丈夫なの?」

「害があるかといえば――」

「あんたが大丈夫なのかって訊いてんの」


 あどみは手をかざし続けながら、わずかに顔を俯かせた。


「先生を庇って消えるつもりは毛頭ないので安心してください。ただ、あなたという概念を書き換えることで治癒しているため、この世を巡る呪いと祝福の流れにある種のエラーが生じることになります。なので──」

「意味わかんないからシンプルに言って」

「ただの人間をやめることになります」

「上等。ルリの隣に立つなら、それぐらいがちょうどいいってもんよ」


 話している内に、血と共に命を垂れ流しているような感覚が薄れ始める。それどころか、体が動く。確実に、回復を始めている。


「あどみ、あとどれくらいで──」

「手違いというのは、あどみのウソです」


 見当違いの返答が来て、私は首を傾げた。


「ほんのわずかですが、感呪性は備わっていたようです。ただ後天的な上、微弱すぎました。本来なら闇祓いになる手筈ではなかったのですが……この世という呪いは容赦がありません。人手不足の末に黒子が死んだことを受け、水乱に赴任するあなたを次までの繋ぎに起用すると報せが来たのです」


 私が闇払いになるまでの経緯を語っているらしい。

 らしいのだが、あまりに唐突で、あまりに心の入った口調だった。喋っているのがあどみとは思えない。


「え……だって、あの時あどみが私に授けたんじゃ」

「あれは、使い物にならない絞りカスのような感呪性を拡張したにすぎません」

「ちょっと、こんな時までバカにされてるみたいで嫌なんだけど」

「その程度の書き換えであれば呪いと祝福の巡りを害することもありませんから」

「絞りカスとか言う必要なかったよね? てか、あの時なんで殺そうとしたの?」


 あどみは下方を見やる。私が流した大量の血が広がり、矢白さんが流した血溜まりと繋がろうとしている。


「こうなるとわかっていたからです。また、目の前で……それならいっそ、と」


 そこであどみは言葉を切り、私のそばから一歩離れる。


 処置は終わったらしい。体がそれを理解している。血を吸った服が重たくて気持ち悪いだけで、それ以外は快調そのもの。


 闇祓いになってから崩壊した自律神経がすべて前を向いてくれている。私に立て、戦えと言ってくれている。


「先生、これを」


 あどみはバランス栄養食カロリーウェイトを一箱差し出して来た。


「気が利くね」

「これであどみは更迭されるでしょうが、先生が結果を出せば消されることもないでしょう。長生きしてくれればまた会えます」

「は?」


 いつも通りに淡々と語るあどみの姿が、少しずつ薄れ始めていた。


「ちょ、あどみお前……ずるいだろ!」

「人間の言語感覚は時々よくわかりませんね」

「っ……もうわかんないよ、あんたのこと」


 さんざん人のことを振り回しておいて、お別れって時に全部ひっくり返しやがって。こんなのズルい以外の何物でもないし、私は今だってルリを狙おうとしたこいつを許せないのだ。


「わからなくていいので、勝ってきてください。それと……生前、黒子がこんなことを言っていました」


 言いながら、あどみは両手を胸の前に上げる。


「よう働いとる社会人には、ボーナスの一つや二つあってもええんちゃうか、と」


 その手に、突として黒鉄の塊──ガトリングガンが現れた。


「待って、さすがに理解が追いつかない」

「呪いが支えてくれるので重量は気にせず使えます。使い方は──」


 もはや半分消えているあどみにレクチャーしてもらい、どでかいリュックサックみたいなバッテリーパックとやらを背負ってガトリングガンを構える。


 重いが、持てない感じではない。見えない誰かが支えてくれている感じだ。


「──で、ここを押せばハリウッド映画みたいに撃てます」

「わかりやすい解説どうも。だけど、この弾……」

「エネルギーは充填済みです」


 耳を疑いたくなる言葉を発したあどみはもう半透明になっていて、後ろの情景の方がよく見えるような状態だった。


「では先生、また会いましょう」


 出会って四ヶ月──こいつにひたすら振り回されて、感情をかき乱されてきた。

 でも思い返してみれば、こいつとちゃんと言葉を交わせた時間は少なかった。あどみには抱えた事情があり、想いがあり、それを表に出せない理由があった。


 だが、今は違う。


「会って、話しましょ。私まだ、あんたのことなにも知らないんだから」


 あどみはなにも言わず、笑顔だけ残して消えていった。


 ビルの中へと視線を戻せば、入り口やら窓から数えきれないほどの悪魔たちが押し寄せつつあった。もう水乱周りの反界は氾濫寸前なのだし、これだけ襲って来てもおかしくはないのか。


 前までの、拳銃一つで戦っていた私なら、例えルリが隣に居ても固唾を飲んだろう。


「エネルギー充填済み。ってことはさ……」


 今は違う。


「撃ち放題ってことじゃん」



 一転して静寂が訪れる。


 硝煙の臭いに包まれながら、私は煙草に火をつけた。スパーッと吸って心身を落ち着かせる。


 もうこのビルに、私以外で立っているものは存在しない。クソ悪魔どもに加え、壁から窓からあらゆるものをこのガトリングガンが粉微塵に打ち砕いた。


 巨大な力の奔流を手にして、興奮していた。脳内麻薬の過剰な分泌を感覚している。こんなものまで感じられるようになって、どうやら本当に人間をやめてしまったらしい。


 でも脳内麻薬ドバドバ状態がわかったところで、それを操作したりは出来ない。

 とにかく一旦落ち着くために煙草を吸うしかなかった。煙草はアドレナリンとか分泌される筈だけど、気分は落ち着いているからセーフセーフ。


 たっぷり吸っていたいけれど、時間がなかった。私の流した血溜まりに煙草を捨てて踏みつけ、副流煙混じりの息を一つ。


「よしっ。ルリ、今行くからね!」


 窓枠ごと砕けてもはや壁の穴と化したから部分から飛び降り、地面に着地する。あどみの施した治癒のおかげか知らないが、体が頑丈になっている。


 外に出ると、やはり大量の悪魔が雁首揃えてビルを取り囲んでいた。


 なにが来ようと関係ない。

 私は苛烈な掃射を再開した。


 ⇔


 悪魔どもを蹴散らしながら走っていたら、悠々と歩く黒子さんの背中が見えて来た。


 黒子さんが立っているのは、駅前の大通りだった。もちろん無人だ。

 わたしは黒子さん目掛けて一直線に駆け抜けて、パンチを放った。


 黒子さんは振り向き様、右手一つで受け止める。加減一切なしの一撃だったのに。


「よう来たなぁルリちゃん。先生は──」


 次いで左の拳でパンチ……と見せかけて、右脚を突き上げる。

 黒子さんは綺麗に騙されてくれて、股に膝を直撃させた。


 怯んだ隙に鳩尾を狙ってパンチを叩き込む。これも綺麗に入った。このまま連撃で押し切れるかも……!


 先生に言われたんだ。絶対にこいつは逃さない。先生と一緒にぶっ倒すんだ。先生、先生……死んじゃやだ。


「痛いやん」


 不意に黒子さんのニヤニヤ笑顔がグンと近づいて来たかと思えば、頭突きを食らった。

 そのまま重たい拳を何度も叩き込まれ、ガードするために腕を上げたところに蹴りを貰う。


 もろに食らって倒れそうになるけど、なんとか踏ん張った。打たれたところがジンジンするし、溢れるみたいに鼻血が出てきた。


 ……強い。近接での戦い方も心得があるみたいだし、なにより一撃一撃が重すぎる。受けないように戦わないとダメだ。


「やっぱ強いわ。ウチの仲間にならん?」

「そういうの、いいから」


 やっぱり慣れない戦い方はダメだ。先生やヤシロちゃんのことで頭に血が上ってた。落ち着いて、慣れてる戦い方をしないと。


「ルリちゃん、ヤクザ叩きのめしツアーはどやった? 楽しんでもらえたかなぁ」

「本気で言ってるの」

「楽しそうやったやん。社会のカス殴り飛ばして、正義の味方気分で気持ちよかったやろ」


 抑えようとしていた気持ちが、一瞬にして昂ぶるのを感じた。体中が沸騰しそうだ。さっきまで自分がやっていた襲撃。思い出すだけで吐き気がする。


 たしかに、悪い人たちをやっつけるっていう気持ちはあった。でもそれは、先生を助けるための言い訳みたいなものだった。本当は。本当は……。


「怖かったんだ」


 思えばずっと、慣れた戦い方をすることはなかった。


 わたしはどうしようもなく悪魔で、人一倍の腕力がある。慣れた戦い方をする前に、事は済んでしまうことばかりだった。


 前に相手した強い悪魔だって、動きが速すぎてやりにくかったんだ。


「でも、お前を殴るのは、ちっとも怖くないからな」


 半身を前に出して両手を顔の高さに上げ、少しだけ腰を落とす。


「空手か?」

「蜂だよ」


 互いの攻撃が当たるかどうかくらいまで距離を詰める。

 すると、黒子さんが楽しげに回し蹴りを放った。


 速い──けど、それをスレスレで回避し、がら空きの脇腹を見据える。


 一撃。


 全力の肝臓打ちキドニーブロー


 そして、すぐさま距離を取る。黒子さんは反撃しようと拳を振るうけど、わたしのスピードにはついて来られない。


 肉薄、回避、一撃、離脱──肉薄、回避、一撃、離脱──確実に繰り返し続け、鋭い一撃で削っていく。


「ちょこまかと動く子やなぁ」

「これがわたしの──わたしと師匠の、蜂拳」


 蜂拳のベースは確かに空手で、蝶のように舞い蜂のように刺すとも言われるヒットアンドアウェイの戦い方を基本にしている。


 師匠は「蝶みたいな飾り気はいらん」って事でスピード、攻撃どちらも鋭さを追求しつつ、他の格闘技からも技を流用して徹底的に実戦スキルを詰め込んだ。


 師匠は言ってた──殺し方を知れば、殺さずに済む。


 勝てる、そして、殺せる技術。


 それが、蜂拳だ。


「空手となにが違うねん」

「これから見せてあげられると思うから、期待しててよ」


 肉薄、回避、一撃、離脱。フットワークで翻弄して、打ったら逃げる。やることはとてもシンプルで、バカなわたし向きだ。


 そして、繰り返す一撃離脱の中に、もう一つの狙いを盛り込む。


 肉薄。黒子さんも流石に警戒を強めたのか、鋭い拳や蹴りで応戦を始める。黒子さんもやっぱり悪魔で、それも高位だ。パワーの凄まじさは、さっきの頭突きでよく知っている。頭突きで出た鼻血は今も止まっていない。


 回避。わたしの動きを読み始めたのか、攻撃のキレが増している。でも、まだ師匠並みだ。ギリ避けれる。これ以上速くなったらヤバいかも。


 一撃。狙うは一点──最初に打ち、さっきも打っておいた右の脇腹。


 こいつさえ居なければ、ヤシロちゃんのお姉さんが死ぬこともなかった。それに、ヤシロちゃんも。先生も。


 ズン、と脇腹に突き刺す。


「ぐむっ……」


 流石のこいつも怯んだらしく、腰が曲がって顔が下がる。


 がら空きの顎に一撃。

 そのまま肘打ち。

 肝臓打ちキドニーブロー


 とにかく入りそうな打撃をありったけ叩き込んでいく。鳩尾、鎖骨、喉笛──狙いたい箇所はいくつもある。


 一撃。一撃。一撃。一撃。全力で打つ。


 打ち続ける。

 打ち続けてるのに。

 いつも通り、慣れてるように戦う。そう意識して臨んでいた筈だ。


 なのにまた、わたしは焦ってる。


 本来連撃を想定していないわたしの流派だけれど、今ばかりは打っておかないといけない気がしたんだ。


 だって……だって、こんなに殴っているのに、ビクともしない!


 前に倒した高位の悪魔だって、先生のすごい弾丸で強化されていたとはいえ殴りまくったら動かなくなった。他の悪魔もそうだ。だけど、こいつは。


「そろそろええか」


 次の瞬間、後ろから降ってきた打撃が後頭部に直撃した。


 後ろから? 頭が割れたかと思った。あまりに突然のことで、連撃は中断どころか黒子さんの前にへたりこまされた。


「あかん、折れてもーた」


 すぐに立たなきゃ──と思ったら、黒子さんの蹴りが飛んできて寝転がされた。

 あれだけ殴ったのに、まだピンピンしている。


「ヒュウ! ええやんええやん。楽しいやん。わざわざ出てきた甲斐あったわ」


 そう言ってわたしを見下ろす黒子さんは、二人居た。片方は折れた釘バットを持っていて、使い物にならなくなったそれを放り捨てた。


 今の打撃は、アレで殴られたんだ。道理で痛いわけだ。


「ルリちゃん知ってるか? 悪魔は悪魔を殺せへんねん。どんだけやっても悪魔同士ならダメージだけ。悪魔を殺せるのは、闇祓いが扱う呪いの力だけや」


 喋りながら、黒子さんは三人に増えた。


「でも、人間は余裕で殺せる。闇祓いはなんや、感呪とかいうクソ力で少し頑丈になってるけど、壊せば殺せる。シンプルや」


 次いで、四人に増えた。


 忘れていたわけじゃなかった──黒子さんの分身能力。ただ、目の前の黒子さん一人を相手取ることだけ念頭に置きすぎていた。


「さて。人間と悪魔、半分半分のルリちゃんはどうなんやろ。気にならん?」


 四人の黒子さんが拳を鳴らす。


 重なり合いながらハーモニーを奏でた関節の音がゴングになって──試合は終わった。


〈つづく〉

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