5.お寝坊JKと二日酔い教師のデート①

「おえ……ウッ」 


 完全に二日酔いだった。


 黒子さんと別れた後、なんか流れでしこたま飲み、はしごした店で飲んでいた別のグループと勢いで合流して更に飲んだ。


 その辺りから記憶がないけれど、起きたら目元が腫れていたので泣きまくったのは確定だった。つまるところ、吐くぐらいまでは飲んだのだ。


 頭痛と戦いながらインスタントのしじみの味噌汁を飲み干す。二日酔いに効くと聞いて飲んでみたが、お腹がちゃぷちゃぷになっただけだった。さらに気分悪い!


 でも煙草はしっかり吸う。時間に余裕がなくても吸う。


 そのままバタバタと身支度を済ませて家を出た。集合時間まで余裕はないが、遅刻するほどではない。電車に乗り込んだところで、大人としての体裁が保たれたことにホッとする。


 それにしても、流されるままにここへ来てしまった。


 余裕のない朝を過ごしたから考える暇がなかったが、二日酔いとか遅刻以上に大人として、また闇祓いとして、意識すべきことがある。


 これから私は、自分の学生である悪魔の女の子とお出かけデートをする。


 生徒と教員がプライベートで会うのは犯罪でこそないものの、あまり奨励されたことではない。これからのキャリアを鑑みて、気をつけるべきことはたくさんある。


 そして、闇祓いとして。彼女がなにを考えて私を誘ったのか。その真意を探る必要があった。


 ルリが反界に現れたあの日の内に、訊けるだけのことはあどみに訊いてきた。



「ねえ、悪魔は人間をどうしたいの?」

「悪魔が人間をどうするかはその悪魔次第と言うほかありません。目的があるとすれば、成長し、自由になることでしょう」

「ゴキブリホイホイから逃げ出したいってわけね」


 ホイホイから飛び出してくるゴキブリを想像して嫌な気分にさせられる。この例えやっぱりどうにかならないだろうか。わかりやすいけど。


「人間の負の念の集積体である悪魔は存在しているだけで力をつけていきます。やがて人の姿と自我を獲得することで、反界の束縛から解放されるんです」

「解放って……悪魔って人の世界に来たりすんの?」

「はい。ただ、反界の引力に逆らうために相当な力を割くので、人並みかそれ以下の力しか持てませんし、反界の範囲からは出られません。ここで言えば、この街一帯ですね。

 もし区の外に出るなら、悪魔としての力をすべて使い捨てて完全な人間──〈悪魔上がり〉になるほかないとされています」

「また新しい言葉が増えた」

「先生なんですからこれぐらい覚えてください」


 なんだか複雑な話だが、要はホイホイに片足を突っ込んだまま人の世界に来られる有害悪魔と、完全に足抜けした無害悪魔の二種類が居るということ、らしい。合ってる?


「……で、そいつらは人の世界に出てまでなにを?」

「そこから先は我々の領分ではありませんし、言うなれば人間と同じです。個々人としての意思を持って行動するので、悪魔次第と言えるでしょう。社会に溶け込んだり人と結ばれる者もあれば、人を蔑ろにして奪ったり殺したりする者も居ます」


 つまるところ、究極的には人間と同じになるのだ。


 悪いことをした人を悪魔と揶揄する風潮があるが、そのすべてが実はマジもんの悪魔でしたという都合のいいシステムではないらしい。


 となれば、わざわざ越境して来る悪魔も、完全に人になった〈悪魔上がり〉とやらも、有害と無害に分けるのも違う気がする……が、やっぱり込み入った話だ。


 まあ、反界で悪魔を狩っているだけの私には関係ないだろう。


「とはいえ、人間界に行く前に闇祓いがほとんど殺してるので気にしなくてもいいですよ」

「覚えてくださいって言ったのはどこの誰?」


 こっちは養護教諭になるためにたくさんの知識を頭に詰め込んで来ている上、これからも詰めなきゃいけないことが盛り沢山なのだ。割ける脳のリソースは正直そんなにない。


「飲酒と喫煙も程々にすれば脳の活性化に繋がるそうです」

「あんたは私にどうしてほしいのよ」


 この子には調子を狂わされてばっかりだ。固い敬語で事務的なことだけ伝えてくるのかと思えば、突然言葉の槍でブスブス刺してくる。面白い子ではあるけども。


「てかあどみ、さっき結ばれるって言ったよね。ルリさんもそうして生まれたってことだろうけど……可能なの?」

「人から生まれたと言っても過言ではない悪魔ですから、反界を出られるだけの力を持てばそれはもうヒトと同様です。生殖能力に関しても」

「そうなんだ……」

「とは言っても、ルリさんのようなハーフというケースは非情に珍しいものですが」



 とのこと。結局、ルリに関してはハーフの希少性以外なにもわからなかった。


 私はまだまだ未熟な闇祓いで、パワフルな彼女に助けてもらえるのは非常にありがたい。


 しかし、ルリには私を助けるメリットがないのだ。お金目当てのようなわかりやすいものであればよいのだが。


 そういった点も含め、今日は観察せねばならない。気を引き締めて望まなくっちゃ。


 走っていた電車が駅で止まり、客の乗り降りを横目に眺める。

 すると、遠くからバタついた足音が聞こえた。駆け込み乗車だろうかとそちらへ視線を投げる。


「セ~~~~フ!」


 飛び込んできた姿に目を疑ったが、聞き覚えのありすぎる声で間違いではないとわかった。


「あれ、先生……先生⁉」


 顔を上げたルリは、私と目を合わせた瞬間に視界から消えた。


 もしや幻覚かと周囲に視線を巡らせたが、車両の端っこに立つルリを見つけて一安心。五メートルはある距離を一瞬で駆け抜けたらしい。


 ドア脇に立つルリに近づき「ルリさん、おはよう」と声をかける。


 しかし、ルリはこちらを振り向くことなく、ハンカチで額の汗を拭っていた。息もわずかながら切らしているし、ここまで走ってきたようだ。


「えと、ルリさ~ん?」

「……遅刻、しそうになったから。ちょっとでも早く着けば汗拭いたりする時間もあるかと思ってたんだけど」


 彼女の口からぽつぽつと漏れる言葉に、私は硬直してしまった。動き出した電車の振動で足元がフラついたことで、やっと我を取り戻す。


 ──恋する乙女か!


 ウルトラ不良高校の番長候補の悪魔ちゃんから出てくる言葉とは到底思えない。不良は遅刻しそうになったらそのまま遅刻する生き物だと思っていた。だって私がそうだったから。


 やっぱり、この子はらしくない。色んな意味で不思議な子だった。


「ルリさん、待ち合わせ時間にはまだ余裕あるよ。早く着くだろうし……少しくらいなら待てるから」


 私の言葉を咀嚼しているのか、返答までには間があった。


「いいの?」

「ルリさんのしたいようになさい」


 パッと笑顔を咲かせたルリは「じゃあ、また後でね!」と別の車両へ移った。ガラス戸越しにこちらを見てにこにこしている。それではまた後でした意味がないのでは。


 あの年頃の子なら、人に自分を良く見せることに注力するのは当たり前だ。いや、私の歳でもちゃんとやらなきゃダメなのか? まあ必要限度のことはやっているつもりだけど……いかんいかん。無駄なことを考えるな。


 自分を良く見せるアピールは私の前でも怠らない。でも、遅れそうになったところを走って来るというボロは見せた。


 果たして偶然か。それとも狙ってやったりして。そんなぶりっ子には見えないけれど、人は見かけによらないものだ。


 ただ一つ、揺るがぬ事実があるとすれば。


 ──天宮ルリ、かわいすぎる。


 撫で回したくなる犬みたいなかわいげがあるのだ。見かけによりまくりの、恐ろしい悪魔である。



 今回のデートスポットは、私たちの生活圏から少し離れた郊外にあるショッピングモールだ。


 駅から直結、様々なお店や施設がギュウ詰めになっていて、遊び回るには事欠かない。その代わり、郊外のエンタメがここに結集するので人も集まりやすい。休日に一人飲みとかやっている私には無縁の場所だった。


 家族連れがワイワイ動き回る駅前を眺めながら、ルリを待っていた。時折こちらに向く視線があるのはいつもと変わらない。金髪は悪目立ちするのだ。


 二十分くらいは待つ覚悟でいたし、ちょっと煙草吸いに行っちゃおうかな~とか考えてもいたのだけど、その半分も経たない間にしおらしい態度の小悪魔ギャルが現れた。


「……お待たせ。ごめんね」

「大丈夫、今来たところなんだから。ルリさん、やっぱりかわいい服が似合うのね」


 セーラー服が似合う彼女なのだから、シンプルな白いワンピースにカーディガンを羽織るだけでも様になっている。


 足を飾るゴテッとしたブーツとファンクな印象のメッシュへアがいいアクセントになっていて、天使と悪魔の半々といったコーディネート。彼女の可愛さがグッと引き立つ出で立ちだった。


「……! あ、ありがと。先生もいつもと違うパンツスタイルかっこいい!」


 学校ではいつもスカートなので、こういう時くらい差別化しようと休日はパンツスタイルで過ごすと決めていた。褒められれば私だって素直に嬉しい。


「ありがとう。でも、その先生っていうの。やめましょ?」


 ルリは「えっ」と悲しげに眉を寄せた。いやそんなに嫌そうにしなくても。


「一応私とあなたはそういう立場で……こうしてプライベートを過ごすのに先生って呼ぶのはどうかと思うの」

「え~。でもわたしたち目立つから、名前で呼び合ってるほうがやばいんじゃないの?」


 ウッ。たしかに盲点だった。ただでさえ髪は目立つ色をしているのだし、私たちは悪魔先生と天長なのだ。


 それに、ここまで遊びに来る水乱の生徒が居てもなんらおかしくはない。


「……ルリさんは、どうしたらいいと思う?」

「うーん。気にしない!」


 生徒に丸投げした私も悪いが、この返答もどうかと思うんだ。


「そうも行かないのが教師の立場なんだけど」

「先輩で、ヤクザのおじさんと付き合ってるって自慢してる人いたよ?」

「それは参考にしちゃいけません! はあ……まあもういいや、なんでも」

「でも名前呼びおもしろそう! ソフィア……ソフィちゃんって呼んでいい?」

「私のあだ名っていつもそれね。お好きにどうぞ、プライベートだけだからね」

「やたー! ソフィちゃんソフィちゃん、行きたいところある?」

「ここ来たことないの。ルリさんは慣れてるみたいだし、ついて行くから案内してよ」


 とにもかくにも、ルリに楽しんでもらうことが重要だった。


 私の保身を鑑みてもそれはそうなのだが、一昨日ルリは私を助けてくれた。ちゃんと労うことは必要だし、楽しい時間にしてあげたい。


「えっとね、一応考えてきたんだけど……わたし全然先生のこと知らないから、どうすればいいのかわかんなくって。だから、先生選んで!」


 ルリは携帯のメモ帳画面をこちらに提示して来る。


 見てみると、場所やアクティビティの名前が連なっていた。ところどころに誤字があり、色々考えて書き直した形跡がうかがえる。


 私のことはいいから、と言いたくなるところを飲み込んだ。


 ルリは私のためを考えた末、決められずにここへ来た。ここで選ぶのを放棄するのも野暮というものだし、幸いなことに私はルリの希望を昨日聞いている。


「……映画はなにを観るの?」


 ルリはきらりと目を輝かせたかと思えば携帯を操作する。が、少しの葛藤の後、映画のポスターが映る画面を見せてきた。流行りの恋愛映画だ。


「これが観たいの?」


 やはり感性は普通の女子高生なのか。しかし携帯を提示するルリの口はすぼめられていた。わかりやすい子だ。


「ルリさんが本当に観たい映画の方が、私も観たいけどな~」


 するとルリの目がパッと輝き、別の映画のポスターを提示して来た。


 偶然にもこのタイミングでやっていた、骨太不良アクション映画だった。これこそ水乱生が集まりそうだが、そこは目をつぶることにした。


「こういうの好きなんだ。いい趣味してるじゃない」

「ホント⁉ 先生もこういうの好きなんだ!」

「嫌いじゃないよ。あと、ソフィちゃんね。じゃあ席は取っとくから」

「あ、ソフィちゃんお金……」


 慌ててリュックから財布を取り出そうとするルリだが、食い気味に手を出して制止した。


「私が全部出す。さすがに年下の高校生にお金出させるのはヤバすぎるし……あの日助けてくれたお礼も兼ねてるんだから」

「いいの? 映画代だけじゃないよ?」

「大人ナメないでよ、それも闇祓いの。一日中映画観たっていいし、部屋いっぱいのポップコーン買ったっておつりが来るってもんよ」

「ソフィちゃん太っ腹~!」

「そういうの女性に言うときは優しいとか大胆とか言おうね」


 映画の席はすぐに取れた。上映開始までの待ち時間は意外と短かったので、私たちはウインドウショッピングがてら辺りを歩いて時間を潰すことにした。


 ウキウキの足取りで歩むルリの背中を追いかけていると、先刻まで悩んでいたこと──彼女の真意を探らねばという目的を忘れそうになる。


 だって、あまりにも休日を満喫するただの女の子だ。いや、ちょっとピュアな女の子すぎる節はあるけれど。


 警戒を怠っちゃダメだ。その上で、彼女とは良好な関係を築くべきだった。幸いお金には余裕があるし、ただ遊ぶ分にはそんなに苦労もないだろう。教師と生徒の密会が問題にならなければの話だが。


「……先生、これ気になる?」


 ルリが指し示すのは、背負っているリュックにぶら下がった小さなぬいぐるみだった。背中をぼんやり眺めていたのを、これを見ていたと勘違いされたみたいだ。


「かわいいね。どこかで買ったの?」

「ううん、ヤシロちゃんが手作りをプレゼントしてくれたの。お揃いなんだよ」


 ヤシロちゃん。ルリと同じクラスの、前に鼻血を出してきた羽鳥矢白さんのことだろう。お揃いを持っている辺り、大の仲良しらしい。


「あの子手芸やるのね。まあ納得はできるかも」

「すっごい手先器用なんだよ。先生にも作ってもらおうか?」

「遠慮しとく。羽鳥さんに悪いしね」


 羽鳥さんといえば、中々に鋭い目をしていた子だった。おそらくだけど、ルリに見せる顔とそれ意外では違う表情を見せるのだろう。


 そして──なんと言うべきか。私は今、その鋭さに近いものを感じていた。


 感覚としては、悪魔を感知する時に覚えるものと近いかもしれない。感呪性を付与されてからというもの、なんだかこの世界すべてに対して敏感になってしまったようなきらいがある。


「ソフィちゃんも感じる? 悪魔上がり」


 私は「悪魔上がり?」とオウム返しにしたけれど、あどみの話でざっくり予習済みである。悪魔の力をすべて失う代わりに、人の世界に生きる権利を得た悪魔のことだ。


「お父ちゃんと同じ……悪魔で居ることを完全にやめて、力を反界に捨ててまっさらな人になった悪魔のことだよ」

「それが、今ここに?」

「うん、たまに居るんだよ。虎の巻に書いてあったんだけどね、悪魔上がりは悪魔の力をまるごと捨てちゃってるから、自分が元悪魔だってことを隠すための力もないんだって。だから、気配でわかっちゃうの」

「へえ。これがその気配……?」


 言いつつも、正直ピンと来てはいなかった。こればかりは感覚の話だから仕方ない。というか、虎の巻ってなんだ。


「悪魔上がりの人に話しかけたりしたことはあるの?」

「仲間だと思って話しかけたら、気味悪がられてつっけんどんにされたことがあって……それ以来やってない」


 その甘い声が、快活な表情の似合う顔と共に沈んだ。


「ごめんなさい、嫌なこと思い出させちゃったね」

「ううん、せん……ソフィちゃんにできるだけ隠し事したくないから」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、言いたくないことは言わなくていいからね。ほら、そろそろ上映時間だから。今日は楽しいことだけ考えましょ」


 ルリは顔をほころばせると「うん、ありがと先生」と返してくれた。この子はどうしても先生と呼びたくなってしまうらしい。



 映画館はショッピングモールに併設されているタイプのシネコンだ。


 日曜日だからか、やはり混んでいた。しかし映画のチョイスがチョイスなので、私たちと同じスクリーンを目指している人はあまり多くなさそうだ。


 映画なんて最近ご無沙汰だったので、ポップコーンとか食べちゃおうか。どうせルリも食べるだろうし。


 と思って彼女の方へ視線をやると、しかめ面で腕を組んでいる小悪魔ギャルがそこに居た。なにやってんだこの子は。


「ポップコーン食べるでしょ?」

「…………い、らない。オレンジジュースで」


 あまりにも不本意そのものといった返事が帰ってきたので、どうやら食べたいのを我慢しているらしい。ダイエットだろうか。


「意外。私塩とキャラメルのやつ買うから、ちょっと食べる?」

「……先生が食べるなら、食べる」

「食欲に負けてあだ名忘れてる」


 そうこうしている内に私たちの順番になり、オレンジジュースとポップコーン、そしてアイスティーを注文した。


「ハッ……ソフィちゃん! アイスティーはおしっこ近くなるよ!」

「でかい声でおしっことか言わないの。それ言ったらオレンジジュースも近くなるよ」

「ガーン! そうなんだ……」


 ガーンって本当に言う人居るんだ。

 なにやら私の注文に思うところあるようだけど、ここで注文を変えるのは店員さんにも迷惑だ。そのまま金を払い、モノを受け取った。


「違うのがよかった?」

「ううん、オレンジジュースは好きだからいい」


 とのこと。年頃の女の子はわからない……と我ながら年甲斐のないことを想いつつ、劇場に足を踏み入れた。


 お世辞にも席数の多いとは言えないスクリーンはまばらに埋まっている程度で、私たちの両隣には誰も居ない。快適に観られそうでなによりだ。


「おしっこ行ってくる。荷物見てて」

「今度から『お手洗い』とか、せめて『おトイレ』って言うようにね」

「はーい!」


 ひょこひょこと劇場を後にするルリを見送って、つい一息ついてしまう。まだ彼女と会って一時間も経つかどうか。色んな意味で落ち着かない。


 わかりやすい子だ。わかりやすすぎる程に。


 本当に、ただ私と遊びたいからデートに誘ったようにしか思えないのだ。なぜ私を守ってくれるのか──それがわからないだけ。言うなれば、それこそが最大のネックなのだけど。


 その時、私の思考を電撃が駆けた。ポップコーン。アイスティー。そして、昨日私が流れで口にしたアフタヌーンティー。


 もしや、ルリはこの後の予定にアフタヌーンティーのお店を組み込んでいるのではないか。だから大好きなポップコーンも避けたのではないか。


 気がついた途端そうとしか思えなくなり、私は頭を抱えた。あれほどデートを楽しみにしてウキウキだった子の想いを察することが出来ず、映画館のうまくもないアイスティーを頼んでしまっている。


 人は簡単に以心伝心できる生き物じゃないからしょうがないとはいえ、これは応えた。だがどうすればいい。ルリとしてはアフタヌーンティーをサプライズにしたい筈だ。私は更に頭を抱えて体をねじらせる。


「ソフィちゃんなにしてるの?」


 いつの間にかルリが隣に座っていた。私はつい「うひゃっ」と声を上げてしまう。


「いや……ちょっと考え事をね」

「ふうん。あ、ソフィちゃんもお……トイレ行った方がいいよ」

「よく言えました。じゃあ行ってくるから荷物お願いね」


 は~いと元気に返事をしてくれるルリを置いてトイレに行き、また一人の時間を獲得した。別に一人で居たいわけじゃない。ただ、考えたり覚悟を決めるのは一人がいい。


 ともかく、決めた。ルリを必要以上に疑うことはやめよう。彼女になんらかの思惑があろうと、それはそれだ。


 ルリの「先生を守る」という言葉が本当なら、これからある程度の期間一緒に過ごすことになるだろう。日々の中で、ルリの本音は浮かび上がって来るはずだ。


 だから今日だけは、そういうものをまっさらにして天宮ルリと向き合おう。彼女と過ごす休日を、できるだけ楽しんでみよう。


 覚悟の元、たっぷりのお小水を排出してトイレを後にした。


 ⇔


 スクリーンでは映画の予告編が流れている。先生はトイレからまだ戻って来ない。


 わたしも楽しくしたいし、先生にも楽しんでほしい。でも、さっきは辛気臭い話をしてしまったし、先生の注文を遮るみたいなことまでした。注文のことなんて、わたしの都合でしかないのに。


 デートは、ちょっと軽率だったかもしれない。先生と仲良くなりたかったし、学校以外の時間を過ごしてみたかった。


 でも、デートって普通は付き合ってからするものだよね。


 わたしたちはまだ、なんでもない。


 それどころか、先生と生徒なんだから余計に遠い。


 明るく楽しい映画の予告がスクリーンで暴れてるのに、わたしの心はどんどん沈んでいた。映画のチョイスもダメだったかな。この後の予定もこれでいいのかな。一人になった途端、不安がブワッと湧き出して来る。


 その時、スクリーンの光に当てられた金色の髪が視界の端に映る。先生が戻って来た。


「ただいま」


 先生はにこやかにそう言って、私の隣に座った。さっきよりも雰囲気が砕けた感じがして、ただひとこと言われただけなのにドキリとした。おかげで「おかえり」と返すのが少し遅れてしまった。


 席についた先生は、ポップコーンをぱくつき始める。目配せをしてわたしに「食べな」と促してくるので、先生の方に置かれたポップコーンにおそるおそる手を伸ばす。


 先生の手とわたしの手が触れる。


「あっ……ごめん」

「ごめんなさい。ふふっ」


 ポップコーンを掴んで口に放り込む。甘いのとしょっぱいのが一緒に入ってきてなんとも言えない美味しさだ。目が覚める。そう、目が覚めてきた……。


 ──なんか、いきなりデートみたいになってない⁉


 沈んでいた心が一気に上向きになって、逆に落ち着かなくなって来た。これじゃ映画に集中できないよ~と思った矢先に、スクリーンではカメラ男が暴れ始める。もう始まっちゃう!


 観たかった映画だったのに、先生が隣じゃ集中できないかも……



 と思っていたけれど、映画はめちゃくちゃ面白かった! アクションがすごくて見応えたっぷりで、しかもちょっと泣けた。


「ソフィちゃん、映画どうだった?」


 退場しながらおそるおそる問いかける。いい趣味とは言ってくれたけど、楽しんでもらえなきゃしょうがない。


「……悔しい」


 言いながら、先生は目元を手で覆っていた。


「なんか、昔を思い出しちゃって……」

「昔?」

「あっ。いや、昔の……そう、教育実習の時に行った学校の生徒たちのこと!」

「へ~、保健室の先生にも教育実習あるんだ」

「ええ、ちょうど二年くらい前に行ったんだけど……まあ、その話は置いておきましょう。この後はどうするの?」


 来た。来るのはわかっていたけど、こっちから切り出すつもりだったから不意を突かれた。ちゃんと受け入れてもらえるかな。


「えと、お腹すいたでしょ? あ、ポップコーン食べたか」

「大丈夫、まだ全然食べれるから。どこか美味しいお店知ってる?」

「わたしがよく行く喫茶店があるの。そこご飯も美味しいから、よければ……って、思ったんだけど」

「へえ、ルリさんの行きつけ。いいじゃない、行きましょ」


 よしっ! 心の中でガッツポーズ。したつもりが、右手でしっかりガッツポーズをしてしまった。先生がくすくす笑っている。かわいいけど恥ずかしい。


 わたしの行きつけ喫茶店はショッピングモールに入ってるタイプのお店じゃないから、人の多い通りからは少し離れた場所にある。


 お仕事で疲れてる先生をそこまで歩かせるのは気が引けるけど、おいしい紅茶が待っているので許してほしい。


 わたしたちはゆっくり歩いて、映画の話をしながらお店に向かった。


「先生の教育実習の話聞きたいなぁ」

「いや~それは……あ、お店ってアレ?」

「そうそう。最近来れてなかったから嬉し~」


 先生が指さす先に、青い看板が置かれたおしゃれなお店がある。窓から見えるお店の中には人影がいくつも動いていた。混んでたらどうしよう……。


 人気店ってわかってるからわたしは慣れてるけど、先生はどうだろう。待つのは嫌いかな。


 反応を見てみると、外観を眺めて関心しているみたいだった。つかみはグッド。


「ここは紅茶がウリのお店なの。わたし茶葉もよくここで買うんだよ」

「わざわざ茶葉から紅茶淹れるの?」

「うん! わたし紅茶好きなんだ~。早く入ろ!」


 先生の手を引いて入ろうかと思ったけれど、手を握るのは緊張するから袖をつまんで引っ張った。


 お店に入ると店員さんたちの落ち着いた「いらっしゃいませ~」に迎えられる。


 続いて「ルリちゃん! 久しぶりだね」と店長のお姉さんから声がかかった。前は週一ペースで通っていたので、店員さんとはだいたい顔見知りだ。


「久しぶり~。今日は大事な人連れてきたから!」

「今日はお師匠さんじゃないのね。年の差カップル?」

「カップル! まあ……そんなとこ! 席空いてる?」

「ええ。空いてるところにどうぞ」


 内装を見回していた先生が「勝手なこと言わないの」という視線を向けてくるけど、わたしは笑顔を返して席を探す。


 わたしはカウンター席が結構好きなんだけど、今日は向かい合いたいからテーブル席だ。


「ソフィちゃん、あそこ空いてる」


 窓際の席を指さすと、先生も納得したみたいで頷いてくれる。わたしたちは席に向かって歩き始めた。


「素敵なお店ね~、ルリさんセンスあるじゃない」

「ふひひ。あくまでJKですから」

「あっ」


 きめ台詞への反応待ちだったのだけど、聞き覚えのある声がした。先生の声とは違う。


 右の席に目をやると、もっさりした髪のメガネ女子が俯いていた。テーブルには紅茶とスコーン。そういえば、スコーンはわたしがおすすめしたメニューだ。


「……ヤシロちゃん?」


〈つづく〉

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