6.お寝坊JKと二日酔い教師のデート②
ゆっくりと上を向いた顔は、やっぱりわたしのよく知るヤシロちゃんだった。
せっかくわたしがおすすめしたお店に来ているのに、その表情は苦笑いだ。うっすら汗もかいてる。お店の中は涼しいのにね。
「る、るる、ルリちゃん。奇遇だね」
「ホントだよ~昨日おしゃべりしたのに来てくれたの? 嬉し~! なに飲んでるの?」
「ニルギリっていう紅茶だよ」
「ニルギリ! わたしも好きだよ。あ、ちょうど今は旬のニルギリが出てる時期だからすっごい美味しいはず!」
そうして話していると、先生が「立ち話もアレだし、座ったら?」と促してくれた。
「え、ヤシロちゃんいい? せっかく一人でゆっくりしてたのに」
「い、いいよ! ぜんぜん大丈夫。先生も、どうぞどうぞ」
わたしはお言葉に甘えてヤシロちゃんの隣に。先生は対面に腰を下ろした。先生とヤシロちゃんが苦笑いで見つめ合っているのはどうしてだろう。
「あ。ヤシロちゃん、今はプライベートだから先生のことはソフィちゃんって」
「いや! ルリさん、大丈夫。この際もう先生でいいから」
「ほんと? よかったねヤシロちゃん」
ヤシロちゃんは「うん。うん?」と笑ってくれている。
正直、ヤシロちゃんが隣に居てくれるってだけで安心しているわたしが居た。
お気にのお店に先生を連れてくるまではよかったけれど、そこから上手く出来るか不安だったんだ。
「先生をこの店に連れてきたのはね、これ」
店長さんが持ってきてくれたメニュー表を開いて、お酒のページを開いた。
「ここは紅茶の専門店なんだけど、紅茶のお酒も出してるの。先生お酒好きって聞いたからさ、ここならいいんじゃないかって、思ったんだけど……」
行きつけのお店で、わたしのことを知ってもらいたい気持ちもあった。でも、それ以上に先生に楽しんでほしかったからここにした。
「どう、かな……」
メニューを眺めていた先生は、にこりと笑って返してくれる。
「ありがとう。でも、生徒の前で酔っ払うほど、教師としてまだ終わってないよ」
「あ。あ~~~……」
「私ミルクティーが好きなんだけど、茶葉はどれがいいの?」
失敗した、と思ったけれど、そうでもなかったみたいだ。先生はちゃんと食いついてくれている。
「ミルクティー! ミルクティーならね、やっぱりアッサムがいいよ。ちょっと癖のあるやつ好きならアールグレイとかキーマンでも面白いかも!」
「詳しいのね~。じゃあなにか食べながら、ルリさんのおすすめをもらおうかな」
「フードも色々あるからね。例えばこれとこれと……」
といった勢いで色々注文して、ヤシロちゃんを巻き込んでいろいろ食べ漁った。
そして、先生はロイヤルミルクティー。わたしは時期が時期なので春摘みのダージリン。ヤシロちゃんはポットのニルギリがまだ残っていたので、そのまま飲み続けるみたいだ。
わたしの注文を聞いた先生が「茶葉も春とか夏とか、違うの?」と出し抜けに訊いてきた。
「ぜんっぜん違うよっ。春キャベツとか言うでしょ」
「そういえばルリちゃん、さっき旬って言ってたもんね」
「ダージリンは毎年旬が三回あってね、どれも香りがぜんぜん違うの。わたしはどれも好きなんだけど、強いて言うなら……って、みんなどうしたの?」
みんなわたしの方をじっと見てる。もしかして、変なこと言っちゃった?
「いえ……ルリさん、こんなに語れると思ってなかったから。紅茶はいつから好きなの?」
「うーん。師匠が昔世界中飛び回っててね、昔から色んな国のお茶を飲んでたの。その中に紅茶もあって、そこが始まりなのかなぁ」
「ああ、昨日言ってた格闘技のお師匠さん。昔ってことは、ずいぶん長い関係なのね」
昨日というところにヤシロちゃんがピクリと反応した。これじゃ昨日もデートしたみたいに思われちゃうかな? ふひひ。
「先生はわたしの紅茶とか、ヤシロちゃんの手芸みたいな趣味ないの?」
「趣味。趣味か……強いて言うなら、食べるのが趣味みたいになってるかも」
「じゃあじゃあ、そこに紅茶も追加しよう! そうだ、放課後のときティーセット持ってくるからさ」
「放課後?」
ヤシロちゃんの声でわたしは一気に冷静になり、ヒヤッとしたものが体中を走った。先生も青い顔をしている。
「いや、えっとねヤシロちゃん」
「学校でアフタヌーンティーをしたいのはわかるけど、大事なセットをあの学校に持ってきてもいいことないよ。やめときな」
わたしが不器用になにか言おうとしていたのを、先生がフォローしてくれた。
「おすすめの茶葉があれば買っておいて保健室に置いておくから、昼休みにでも飲みに来なさい。羽鳥さんも一緒に」
わたしが学校でも紅茶を飲みたすぎる子になることで、放課後闇祓いの話はせずに済んだ。
でも、こうしてヤシロちゃんにも秘密にしなきゃいけないことがあるのは嫌だな……。
お父ちゃんの虎の巻にはこうあった……悪魔は人の悪い感情から生まれる。だからこそ、無関係な人をこの世の裏側に巻き込んじゃいけない。
わかってる。でも、寂しいことに変わりはない。いつか、どうにか、ヤシロちゃんにもわたしのことを打ち明けられる日が来ればと思う。
でもそれは、わたしだけが嬉しいことだ。ヤシロちゃんを悲しいことには巻き込めない。
「ルリさん、ここって茶葉も買えるんでしょう?」
心がシュンと沈みかけていたところに、先生が声をかけてくれた。
「うん。ちょっと高いけど、ちゃんとした所から仕入れたいい茶葉だよ」
「じゃあ色々買い込んで、ティーセットも見に行きましょ。あ、ルリさん的には……それでいい?」
「うん! 先生と回れるならどこでもいいよ」
「よし。二人にもお土産にティーバッグとか買ってあげるね」
「口止め料ですか……?」
「羽鳥さん、事実を正確に言っていい時と悪い時もあるからね」
「あっ。べ、勉強になります」
最初こそどうなるかと思ったけれど、先生とヤシロちゃんもなんだかいい感じだ。
なにより、先生が喜んでくれている。わたしがシュンとした時には、ちゃんと見ていて声をかけてくれる。嬉しかった。世界がきらきらしていた。
先生に出会えてよかった──なんて、ちょっと大げさかな。
⇔
羽鳥さんが現れた時はどうなることかと思ったけれど、事は上手いこと運んだ。
まずは一安心だ。それにこのお店で出てくる食事も飲み物も、すべてがハイクオリティだった。これはさすがにまた来たい。お酒も飲みたい。
「ちょっとおし……手洗いに行ってきます」
ルリがパッと席を立ち、慣れた足取りでトイレへ。利尿作用の賜物だ。正直私もトイレに行きたかった。
「先生」
ハッ。ルリが席を立ったということは──羽鳥さんと二人切りなのだ。
「正直に白状しますが、先生とルリちゃんのことを尾けてました。駅からしばらくの間。ここをデートスポットにおすすめしたのも私です」
羽鳥さんは、先程までの柔らかい態度とは打って変わって真剣な顔で言葉を続ける。
「先生とデートと言われて、さすがにまずいと思ったんです。でもルリちゃんも隠したがっていたので、訊きすぎるのもはばかられて……でも、心配だったので」
本来生徒を助ける養護教諭が、逆に生徒に心配をかけ休日を潰させてしまった。ルリのお誘いでこうなったとはいえ、彼女のせいにするのは大人としてやばい。
「そこはその、本当にごめんなさい。わかってもらえるとは思ってないけど、こっちにも深い事情があり……」
「まあ、いいです。西園先生だとわかって、私も安心しましたから」
そう言って、羽鳥さんは残った紅茶を飲み干す。こうして見ると、どことなく大人びた雰囲気もある子だ。
「先生は……外ヅラこそアレですが、人間的にはいい人なのはわかっているので」
言いながら羽鳥さんはメガネを外し、拭き始めた。余裕のある仕草の彼女からは、眼を見張るような凛々しさすら垣間見える。
「ねえ、羽鳥さんってルリさんとそれ以外で態度違うよね?」
「……だって、あんなかわいくて天使みたいな子に言い寄られたら、緊張しますよ」
「オタクみたいなこと言うのね」
「友達とオタクは違いますからね」
この子、結構面白いじゃないか。ルリが気に入るのもなんとなくわかる気がした。
いじって色々おしゃべりしたくもあるけれど、デリケートな部分に触れる可能性もある。これ以上変に突っ込むのはやめておこう。
「ルリさんのこと好きなのね」
「そりゃ……そうです。ルリちゃんのことを好きにならない人の方が珍しいですよ」
すごい言いようだ。しかし翻ってみれば、私が穿ち過ぎなのかもしれない。
彼女が悪魔と人間のハーフだと知っているのは私だけ。それを抜きにしてみれば、ルリはただのピュアでかわいい鬼強JKなのだ。
「ほんと、あのクソみたいな学校でルリちゃんに会えたのだけがラッキーですよ」
言ってから、羽鳥さんは私の方を一瞥する。
「すみません、先生の学校をクソとか言って」
律儀な子だ。そういう意味でも好感が持てる。
「いいよいいよ、私もクソだと思ってるし」
「それ教員が生徒に言っちゃいけないことトップクラスですよ」
「わかってる。でも、クソみたいな場所だから受け止められる子、羽ばたいていける子も居ると思うんだよね。ああいう場所も必要っちゃ必要なんだと思うよ、個人的な意見だけど……って、これも生徒に話すことじゃないね」
いかんいかん、流れで語りすぎてしまった。突然自分語りを始めるダサい先生だと思われたらどうしよう。
「なるほど、これでちゃんとわかりました」
羽鳥さんはメガネをかけ直しつつ、笑みをこぼした。ルリと一緒に居る時はこういう顔を見せがちだが、私と二人の時には初めて見る顔だった。
「なにが?」
「先生のことが、ですよ。で、先生はどうなんですか?」
「へ?」
「ルリちゃんのこと、どう思ってるんですか。あの子は──」
「ただいま~! なんの話?」
「ルリちゃんはかわいいねって話だよ」
「え~? 照れるなあ」
くねくねするルリを横目に、残りのミルクティーを飲み干した。
自分がルリをどう思っているのか。そんなことを言われても、ちゃんと出会ってまだ二日しか経っていないのだ。
長さの割りに濃密な時間を過ごしている。でも、どう思うかと問われると……。
そんなことをぼんやり考えつつ、私たちは店を後にした。
正直どこかでスパーッと一服したい気持ちもあったが、流石に我慢して三人でショッピングタイム。ルリと羽鳥さんに案内してもらい、いい感じのティーセットが売ってそうな店を回る。
これだというものを買って外に出る頃には、帰宅ラッシュの時間が近づいていた。
「じゃあ、私は明日もあるから、そろそろ帰ろうと思うけど……」
羽鳥さんはそう言いながら、ルリに目配せをする。
が、ルリは首を傾げた。わかりやすい上に察しの悪い子で、色んな意味で手がかかる子だ。
「ヤシロちゃん、また遊ぼうね! 今度は一緒に映画観よ!」
「うん。じゃあね。先生、ルリちゃんをお願いします」
保護者か。私は「任されました」と返して手を振った。
「さて。私たちはどうす──」
つい言葉を途切れさせてしまったのは、不意に手を握られたから。
「ヤシロちゃんと三人も楽しかったけど……本当はさ、今日、二人切りだったわけじゃん?」
上目遣いでこちらを見つめるルリは、すごい圧を放っていた。この子のかわいさを煮詰めたような仕草とアングルに思わずたじろぎそうになるが、握った手が放してくれそうにない。
手を握っていない左手で、ルリは遠くを指さした。
「あれ、乗ろうよ」
その先では、商業施設に付帯する観覧車が燦然と輝いていた。
かくして私たちは二人切り、観覧車の中で対面することとなった。
まるでデートじゃないの。いや、デートなんだけど。否応なく羽鳥さんの言葉──ルリちゃんのこと、どう思ってるんですか──が思い出される。
動き出した観覧車が揺れる中、ルリの口が開かれた。
「ここなら誰にも聞かれないよね」
ぼそりと呟いて、ルリはもじもじし始める。
自然と私は身構えていた。なにを言われようとも、誠実に対応せねばならない。
「わたし、先生のこと全然知らない。でも先生もわたしのこと、知らないよね。だから、ちゃんと知ってもらいたかったんだ。本当はさっきちょっと喋ろうかと思ったんだけど、ヤシロちゃんも居たし、人も多かったし……」
観覧車に入ってから初めて、ルリは私と目を合わせた。
「いい、かな?」
ひとまず、恋愛の話ではない。予期していたよりもっと重たい話の予感すらある。
私は頷いた。心の構えを解くことはしなかった。
「……わたしね、お父ちゃんとお母ちゃんがもう居なくて、師匠と暮らしてるの。あ、蜂拳の師匠ね。道場がお家だったら最寄りも同じになるし、先生ともすぐ会えるんだけど……そうも行かないんだ。ふひひ」
笑いも混じえてルリは語るけれど、そこに滲む悲哀は隠せていない。
だが、無理に笑う必要ないよ、とも言えない。喋るために笑っている可能性だってある。そういう子供も居るんだよ、というのは恩師の言葉だった。
「師匠は、わたしが特殊な体質ってことくらいは知らされてる。でも悪魔だってことは知らないよ。めんどくさいことには巻き込みたくないからね。
だから……だから、自分が悪魔だってこと、誰にも言えなかった。お父ちゃんがせっかく残してくれた秘密だったし……わたしの都合で、誰かが大変な目に合うのも嫌だったし」
気になるところもあったが、意図して喋るのを避けようとしているのかもしれないと思うと、質問を避けてしまう私が居た。どこまで彼女に踏み込んでいいのか、まだ測りかねている。
「友達はいっぱい居るんだけど、わたしには秘密があるし……それを言い出すなんて無理だけど。でも、秘密があるってほんとに友達なのかな~とか、思ったりしてさ。だからヤシロちゃんにもなんか、引け目みたいなの感じてて。だからって悪魔上がりの人たちには……あ、これはさっきも言ったよね。ふひひ。忘れてた」
私はできるだけ表情を柔らかくして、でも笑わないように気をつけながら、時々頷く。あなたの話を聞いていると伝わってほしかったし、私の恩師もこうしてくれた。
でも実際やってみると、これが正解なのかわからない不安があった。あの時の先生も、こんな風に不安だったのかもしれない。
「だからね、先生に出会えて、こうしてお休みの日に会って遊んだりできるの、すごい嬉しかったんだ。だって、初めてなんだよ。わたしの全部を知ってもらえる人。最初は銃を向けてきたけど……でも、先生は銃を放り出して、わたしに泣きついてくれた」
「ぐっ……そこ蒸し返すのね」
「ふひひ。かわいかったよ。かわいかったし……あったかかったんだよ」
ルリは遠くを見つめるような瞳で、下を向いて淡く笑っていた。
この子は人と悪魔のハーフ。なにを考えているかわからない、ある意味別世界の子供──なにが狙いでわたしに近づいたのかわからない。そう思って、彼女の真意を探ろうとしてきた。
こんな顔が、演技で出来るのか?
寂しさの募る日々を生きてきた、おしゃべり好きで自分を認識してほしい、十五歳の子供だ。あまりにも、子供だった。
今でも真意なんてわからない。でも、見えているもの、聞こえているもの以外に判断材料なんてない。
そもそもわたしに、判断している余裕なんてない。
「話してくれてありがとう、ルリさん。お返しに、私の話をするね」
誰かに打ち明ける辛さは知っている。だから、誠意には誠意で返すのだ。
「さっきの教育実習の話は嘘。私、元ヤンなの。あなたの学校にもたくさん居る、ヤンキーね」
ルリは突然の展開にぽかんと口を開けていたが、ふっと笑みをこぼしてくれた。
「ちょっと想像つくかも」
「想像しないの、黒歴史なんだから。まあ必要な歴史でもあったけど……なんでグレたかっていうと、まあ、ハーフだから。言うなればそれだけ」
ルリは首を傾げた。彼女もハーフではあるわけだが、人種的なものではないので感覚が違うのだろう。
「みんなと違うってことはね、それだけで浮くの。それを逆手に取れればいいけど、わたしの場合は逆だった。目立つ標的になっちゃったわけ」
それまで興味津々といった面持ちで聞いていたルリが、神妙な顔に変わった。この子の笑顔を曇らせたくて話したわけじゃないけれど、こればかりは仕方がないか。
「だから道を外れたの。そういうものに屈しないために、強くなりたかったから。そういうものと戦う方法はたくさんあるけど、少なくとも私は不良の道を選んだ。それしか見えてなかったのかもしれないけどね」
このままダラダラと喋っていても仕方ないので「私の最強不良伝説は、とりあえず割愛。話しても仕方ないもの」とまるごとカットした。話せないようなことばかりだし。
もちろん犯罪には手を出していない。いや、未成年喫煙って犯罪だっけ?
「先生は、いつまで不良だったの?」
「いつまで……明確にいつやめたかっていうのは、正直わかんない。私が保健室の先生になるきっかけになった人に高校で出会って、ちょっとずつ不良をやめていった。私も先生になりたくなって、勉強を頑張るようになったから」
私は自分の髪を触りながら、話を続ける。
「この髪ね、本当はこんなに綺麗な金髪じゃないの。でも自分がハーフに生まれたってことを誰にもバカにされたくないし、誇りに想いたいから、わざわざ染めてわかりやすくしてるの。グレた時からずっとね」
あの日々のこと、恩師のこともつい話したくなる。
でも、これからも話す機会はあるんじゃないかと、ふと思った。ルリが話すのを避けるようなことも、いずれ聞かせてもらえる日が来る。そんな予感が、ふとよぎった。
「なにが言いたいかっていうとね。私とあなたの苦しみは違うものだけど、少しだけ似ていると思うの。それに、ハーフに生まれたってことで、苦しさがあったことに変わりはないはずだから」
この子にとって、今は私だけなんだ。これからもそうかもしれない。だから、私は覚悟を決めた。
「私でよければ、全部受け止める。ちゃんと話を聞くし、あなたと向き合いたい。だから……安心して、私に頼ってほしい」
そのために養護教諭になったんだ、私は。
「……とか、言ってみたりして」
つい、外の景色に視線をやってしまった。
自分の浮ついた台詞が自覚されたら一気に顔が熱くなり、ルリと目を合わせていられなくなってしまったのだ。ウワーッ! ダメな先生! これ以上ないほどカッコ悪い!
いつの間にか観覧車は頂上に来ていて、夕陽に照らされる街が視界いっぱいに広がっている。この景色をもっと普通に堪能したかった。
「ふへ、ふひひっ……先生、全部受け止めるって言ったよね」
「うん、言った。言いました」
「じゃあさじゃあさ、ちゃんと責任取ってよね!」
「うん。うん? 責任?」
ルリはぴょんと跳ねるように立ち上がり、私の隣に腰掛けて来た。
「先生、外の景色きれいだね」
ルリの声に促されるようにして、もう一度外へと視線をやる。
「ええ。観覧車なんて久々だったけど」
その時、やわいものが頬に触れた。
視界の端に映るルリが離れていくと、その感触も離れていった。
まさか、そういうことだったのか。この子は本当にそういう意味で、私を観覧車まで導いたのか。それをもってして責任などという言葉を──
「勘違いしないでよ、先生」
勝ち気に笑むルリが、いつもの調子で告げた。
「感謝の気持ちをたっぷり込めた、悪魔流の挨拶なんだから」
⇔
嘘ついちゃった。
悪魔流の挨拶なんて真っ赤な嘘。ただわたしがちゅーしてみたくて、その言い訳に考えた。
我ながら天才……! と思ったけれど、ちゅーした直後にわたしの顔はアツアツになっていた。たぶん真っ赤だったと思う。もしかしたら、先生にバレてるかも……。
観覧車が下に降りるまで、わたしは先生の不良時代の話を聴いていた。ちゅーした直後で上手く喋れる自信がなかったから、先生に話してもらおうという作戦だ。
わたしがちゅーまでしたっていうのに、先生は楽しい話をしてくれた。ちょっと早口で勢いがあったから夢中で聞いちゃった。さすが大人。ちゅーがあんまり効いてないのは悔しいけど、そこは尊敬しちゃう。
観覧車を降りてもまだまだ先生と居たかったけど、ヤシロちゃんが「明日もあるから……」と言っていたのを思い出す。わたしも先生も明日は学校だ。それに、闇祓いのお仕事もある。
「ソフィちゃん、今日はもう帰ろっか」
「ルリさんはそれでいいの?」
「先生がいいなら、それでいいよ」
わたしたちは笑いあって、駅への道を歩き始めた。
それからの記憶は少しおぼろげで──気づいた時には、先生におんぶされていた。知ってる電車の発車ベルが聞こえる。最寄り駅だ。
「あ、起きた」
「ほへ……んあぁ、寝てた⁉ せっかく先生との電車!」
「そりゃもうぐっすりとね。意外とスタミナないの?」
「いやいやありまくりだよ! ありまくりの、はずなんだけど」
たしかに、妙な疲れを感じる。いつもよりドキドキしたりすることが多かったからかもしれない。体じゃなくて心が疲れてるってやつかも。
「家までちゃんと歩ける?」
「このままおんぶで送ってって言ったら?」
「言われたら、やるしかないね」
「さすがソフィちゃん。でも降りるね」
「そのあだ名気に入った? 学校では程々にね」
「う~ん。気が向いたら呼ぶね」
今日は意識して呼ぶようにしてたけど、正直しっくり来るのは先生呼びだった。なんでかはわからないけれど。
「お、ソフィちゃん! 奇遇やなあ」
わたしではない元気な声が先生を呼ぶ。
ラフな格好のお姉さんがふらふらと近づいてきて、先生の方へ手をかざした。察した先生がパチンとハイタッチをしてあげている。
「あ~、電車行ってもーた。最悪や」
「私も待つので、しばらく一緒ですよ」
「そかそか。お、この子が例の?」
お姉さんの顔がこちらを向く。細すぎる目は開いているのかどうかもわからないけれど、見られてるっていう感覚は強かった。
すると、お姉さんは先生になにやら耳打ちをする。かと思えば「だから、この子は生徒!」と強く切り替えしていた。ちゅーするのかと思ってびっくりしたし、先生の態度も普段と違う感じがする。
「まったく……この子送って来ますから」
「あいあい。五分ちょいで次来るで」
「ルリさん、行きましょ」
先生が私の手を取って歩き出す。ちょっとドキっとしたけど、ついさっきのお姉さんが気になってしまう。あの人は先生のなんなんだろう。
「あの人も闇祓い。私の先輩みたいなものね」
「センパイ……そうなんだ」
わたしは先生より年下の生徒でしかなくて、絶対に先輩にはなれない。そう考えると、なんだかモヤモヤした。
改札の前まで来て、先生はわたしの手を放した。
「それじゃあ……ありがとう、ルリさん。新鮮な一日だったし……あなたのこと、たくさん知れてよかった」
「わたしも……すごい楽しかった」
もっと元気に返事をしたいのに、なにかが引っかかっていた。あのお姉さんのこともそうだし、ここで先生とお別れなんだと思うと急に寂しさが湧き上がってきた。
「また明日からよろしくね」
「うん、また明日」
改札を抜けて振り返ると、先生はまだそこに立って手を振ってくれている。
わたしは手を振らずに、先生を指さした。
「先生!」
「ん?」
「わたし、絶対先生をわたしのモノにするからね!」
「…………え?」
「じゃーね~~~~~!」
先生を置き去りにして走って帰った。
大きい声で決意表明をしたらスッキリした。これで明日からも頑張れる!
今日はめちゃくちゃ楽しかったし、先生のこともたくさん知れた!
それで、ちゃんとわかったんだ。
わたしやっぱり、先生のこと、大好きだ。
〈つづく〉
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