3.あくまでJKですから

 遡ること数時間前。


 ヤシロちゃんを保健室に送り届けたわたしは、授業に戻らずトイレの個室で頭を抱えていた。


 ──こ、こ、殺される!


 みんなが噂してる悪魔先生。入学式で見かけた時にはただの美人の先生だったし、闇祓いの力を感じることもなかった。式の時は距離が遠かったから? 今となってはわからない。


 先生のことを思い浮かべながら、死んだお父ちゃんが遺した〈悪魔人生虎の巻〉を思い出していた。半分悪魔のわたしが人間社会で生きていくためのルールブックだ。


 曰く……闇祓いは基本的にその力を隠しているよ。たとえ悪魔でも隠された力を感じるすべはない。ルリの胸の印が、悪魔の気配を覆い隠してくれているようにね。


 そう、わたしの放つ悪魔の気配は、胸に刻まれた印による……オンギョー? とかいう術が隠してくれている。闇祓いに見つからずに生きてこれたのはそのおかげだ。


 お父ちゃんの遺した言葉には続きがある。


 曰く……闇祓いが悪魔を感じるように、悪魔も闇祓いを感じることが出来る。そして、感じ取る力の量で、相手の力量を推し量ることも出来るんだ。


 中でも、小さな力を滲ませるように発している奴には気をつけて。そいつはともすれば、能力もなければ力の隠し方も知らないザコだけど……万に一つ。隠形術でも隠し切ることができないほどの力を持つ、正真正銘のヤバい闇祓いだからね。


 保健室で対面した先生を思い出せば、おのずと答えは導き出せる。鋭い目つきと行動の素早さ。それに、人間に対して見せる意外なほどの優しさ……。


 あれは絶対、絶対絶対ぜ~ったい、プロのヤバい闇祓いだ!


 なればこそ、わたしは頭を悩ませるのです。オンギョー術で守っているとはいえ、それほどの闇祓いならこの術に気づくかもしれない。そうなればお陀仏確定、お先まっくらだ。


 せっかく、華の女子高生になれたのに。


 お父ちゃんの虎の巻女子高生編……曰く、女子高生なら決め台詞の一つや二つ持っているべきだ! に従って、ちゃんとイカしたやつも考えたのに!


 わたしのJKライフ、まだまだぜんぜんキラキラしてないのに~!


 トイレにこもり続けるのもどうかと思ったので、わたしは体育館に戻ることにした。


 他の授業と比べても、ちゃんと出席する人が多いから体育は好きだ。その時間を浪費しちゃうのはもったいない。それに、あと何回体育が出来るかもわからないし……。


 体育館に戻ると、みんながわたしを迎えてくれた。「お前居ねえと始まんないよ」「お前居ると負けるから来んなよ!」とか言われて嬉しくなって、そのままミニゲームに混ざってダンクシュートを決めた。いつの間にか悩みもどこかに吹っ飛んでいる。


 バスケは楽しいけど、難しいルールも多い。パスを回したりして、みんなで戦うスポーツだ。どうしても、チームのやる気が重要になる。


 でも上手く協力できたら勝つこともできるし、その人たちと仲良くだってなれる。


 協力……? 仲良く……?


「天宮〜!」


 なにか思いつきそうな気がした瞬間、味方がわたしの名前を呼ぶ。飛んできたパスをしっかり受け取ったけど、相手チームの二人がスッとわたしを囲んだ。マークされてたみたいだ。


 ドム。ドム。ドリブルを繰り返しながら、どっちに行こうかなとか、なにを考えてたっけとか、思考があちこち、視線もあちこち右往左往してる。


 その視線の先──相手チームの子たちの奥、体育館の扉の先に、校舎の一室が見えた。


 窓のそばに見える金色の影は、保健室内を眠たげにフラフラ歩き回っている悪魔……西園先生だった。


 協力……チーム……。


「それだ!」


 考えてたことが繋がったらつい声が出て、落としたボールを相手チームに奪われてしまった。でもすぐに取り返してまたダンクシュートを決めた。


 完璧なプランを思いついた。わたしは絶好調だ。

 協力。チーム。そうだ、先生に狙われないようにすればいいんだ。


 そのためには、協力できるチームメイトだと思ってもらえばいい!


 お父ちゃんの虎の巻を思い出す。悪魔はだいたいゴキブリホイホイみたいな〈反界〉という場所に集められていて、闇祓いはそこに入って悪魔を倒してるんだ。


 きっと先生は悪魔を倒すため、反界に行くはずだ。

 それを追いかけて、先生を助けるんだ!


 わたしならパワーもあるし、人と悪魔のハーフだからなにかと便利に使ってもらえるはず。例えば……悪魔の説得とか。ぜんぶの悪魔がお父ちゃんみたいに喋れるかわかんないけど。


 そういうわけで、わたしはその放課後から先生のストーキングを開始した。


 すると、先生はすぐに尻尾を出した。用もなさそうなのに誰も居ない生徒指導室に入って、そのまま帰って来なくなってしまった。


 直感に従って、わたしも生徒指導室に入る。

 すると、キモいジェットコースターに乗せられたみたいに感覚がぐるぐるして……気がつくと、薄暗い空の見える寒々しい生徒指導室が目の前に広がっている。


 生徒指導室なんて入ったことなかったから、こういう雰囲気なのか~と思ったけれど、学校全体の空気が違っていた。


 廊下にも人が居ないし、物音もぜんぜん聞こえない。空気はなんだかスッキリしていて、居心地はちょっと良いぐらいかも。


「どうしてただの人間がここに?」


 出し抜けに、小さい女の子の声がした。わたしはビクッとしながら、右下の方に目を向ける。


 水乱高校のセーラー服を着た小さい子が、でっかい銃の先っちょをわたしの方へ向けていた。


「いえ、人間ではありませんね。あなたは……?」


 その子を目にした途端、わたしは息を詰まらせてしまいそうな衝撃を受けた。


「か……か……」


 女の子が小首を傾げると、銃も横にちろっと傾いた。


「か…………か~わいい~~~~っ!」


 衝動を我慢できなくて、わたしはその子をぎゅ~っと抱きしめて頭をよしよししてしまっていた。ハッ、これもしかして犯罪? でも止められないよ~。


「かわいいね~~~~それおもちゃの銃? もしかして飛び級生ってやつ? 漫画で読んだことあるよ~お勉強できて偉い!」


 さすがに抱きしめすぎて苦しいかなと思い、ピンク髪のかわいこちゃんから体を離す。


 すると、かわいこちゃんの顔は虚無そのものみたいな灰色フェイスになっていた。やばい、地雷踏んだかも。かわいいって言われるのイヤだったのかな。


 どうにか弁明しないと、と頭の中で言葉を探し始めたけど、その時ズンッと校舎が揺れた。


 地震じゃない。上の階でなにかが起きてる。実際に目にしたわけじゃないのに、なんとなくの場所を感じ取れた。これがお父ちゃんの言ってた感呪性なのかな。


「ごめんね、わたし行かないと。後で遊んであげるから!」


 おかっぱ頭をぽんぽんしてあげてから、わたしはその子に背を向けて走り始めた。


 落書きだらけの校舎を走り抜け、振動と一緒に鳴り続ける銃声の方に向かった。きっと悪魔先生のことだから、敵の悪魔なんてさっさと倒してしまう。先生に活躍を見せてアピールするなら急がなきゃ!


 かくして──わたしは二階のでっかいゴリラに蹴りを叩き込み、先生にトドメをさしてもらうというナイスサポートをやってのけたってわけ。


 かなりかっこよくいけた筈だ。これで先生の協力者だってわかってもらえる。ふふん、いっそ決め台詞もここで披露しちゃおうかな?


 と思って先生の方を向いたら、銃口がこっちに向けられていた。


 ああ、やっぱりこうなっちゃうのか……と思いながら、発射された弾を避けた。


 先生は撃つのをためらっていたみたいだから、狙いを読んで避けるのは難しくなかった。パッと閃いた光がまぶしくて、花火みたいなニオイが鼻を突く。わりと好きなニオイかも。


 先生は一目散に逃げていく。わたしは階段を五段飛ばしで跳び上り、先生が入っていった教室に飛び込んだ。


 ここなら普段セーブしている力を発揮できるから、普通に走っている先生を追いかけるなんて簡単だ。勢いで窓を蹴破っちゃったけど、まあ変な世界だから大丈夫っしょ!


 そして、わたしと先生は教卓を挟んで対面した。


 間近で先生を目にして、まず抱いたのは違和感だった。


 青い顔でわたしを見下ろしている先生からは、保健室で会った時と同じぐらいの力しか感じられない。戦闘中もそうだった。力をセーブしたまま戦う必要なんてないのに。


 それに、先生はぼろぼろだった。


 靴も脱げちゃってるし、白衣に血がついてるのもチラっと見える。床に穴が開いてたし、奇襲されたりしたのかも。


 極めつけは、銃を持つ手が震えてることだ。


 戦いの後で興奮してるだろうし、いきなり現れたわたしが意外と強くて驚いてるのかも。


 とりあえず落ち着いてもらうために「大丈夫、わたしは先生の味方だから」と伝えてみた。


 わたしの中でなにかが繋がろうとしている。先生の戦いぶりやこの態度。それに力の量。もしかして先生って、そんなに強く──


 その時、先生の瞳が涙をこぼした。


「先生? どうして泣いて……うわっ」


 足元でゴトッと音がして驚かされる。先生が銃を手から落っことしちゃったみたいだ。あれ、銃って落としたりすると危ないんじゃなかったっけ。つい下に視線を向けてしまう。


 先生の手が視界の端を通り過ぎた。そして、あたたかいものに包み込まれていた。


 先生に、抱きしめられていた。


「怖かった……」


 先生と自分の鼓動の音、先生の漏らす嗚咽と涙。その隙間に差し込まれた本音で、理解した。


 先生はわたしが思うような強い闇祓いじゃなかったんだ。たぶん、わたしを殺すなんて無理なんだ。


 そんなことより、あの悪魔先生が、こんなわたしに泣きついていた。美人で、怖くて、でもその裏側に、こんな姿を隠していた。


 さっき生徒指導室に入った時なんかより、もっと天地がひっくりかえるみたいな衝撃に心臓を鷲掴みにされて、それでも我慢のできない鼓動がドクンドクンと跳ねていた。先生。この先生……



 ──か、かわいすぎる!!!!!!!



 わたしはおそるおそる手を伸ばして、先生を抱きしめてあげた。


 さらさらの白衣。長い髪が鼻に当たってこしょばい。その奥にあるあったかくて、わたしより一回りも大きい体。吸い込んだ息は華やかな香りがして、これが先生のにおいかな、と嬉しくなる。 


 背中をさすってあげたりもして。よしよし怖かったねとか言ったらダメかな。ともかく先生が泣き止むまで、わたしはいつまででも、こうしているつもりだった。


 一度その感覚を味わうと、胸が高鳴って世界がきらきらし始めた。先生が視界に映るだけで、わたしの全部がぐるりと変わりだす。


 こうしてわたしは、先生に心臓ハートを握られたのでした。

 

 ⇔

 

 ひとしきり泣き終えたところで、ハッと我に返る。


 生徒を抱きしめながら泣きじゃくっていたことに気づいた私は、今にも絶叫しながら逃げ出したい衝動に襲われた。だがここで取り乱したら一貫の終わりだ。


 私はゆっくり天宮さんの体から離れ、まだ漏れる嗚咽を我慢しながら彼女を見下ろした。きつく抱き締めてしまったからか、彼女の顔はほんのりと赤い。


「ご、ごめんなさい、天宮さん」

「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりしちゃっただけだから」


 先程まで挑発的とも取れる瞳でこちらを見定めていた天宮さんの瞳が、忙しない動きを繰り返している。緊張した子供が取るような仕草だった。


「本当……なんて謝ったらいいか。あんなに取り乱すなんて」


 自分の想いにああして気付かされて、あげくの果てに助けるべき生徒を抱いて号泣したのだ。セーラー服は涙で濡れたろうし、鼻水だって付いたかもしれない。


「謝んなくていいんだよ……わたしの前で泣いてくれる先生が好きだからっ!」


 言われた意味を理解した途端、背筋を怖気が駆け抜けた。


 なんと悪魔的な言動だろうか。先程味方だと語った少女と同一人物は思えなかった。


 そう……彼女は悪魔と人間のハーフなのだ。今まで取り乱していて認識が遅れたけれど、あの圧倒的な身体能力を見れば納得も出来る。そして、今の言葉も。


 つまり──この子のお気に入りに選ばれたら、この子の前で何度となく泣かされる?


 天宮さんは突然ハッとして、私の足を見ながら「先生、ケガ大丈夫?」と訪ねてきた。たしかにケガはしているし、服の上からは見えない打撲傷が酷かった。


 が、そんな態度をおくびにも出すわけにはいかない。


「天宮さんこそ、ケガしてない?」


 養護教諭として、大人としての威厳を保つ。そして、この子から状況の主導権を取り戻さないと。


「ルリでいーよ。先生のためならまだまだ戦える!」


 言いながらルリはその場でバックフリップを披露して、机の上に着地して見せた。体操選手も顔負けの回転だが、彼女にとっては何でもないらしい。ひょいと飛び降りると、先程と同じ教卓の前に着地した。


 それからぐんと身を乗り出すと、わたしの手を包むように握って来た。


「先生……先生のこと、わたしが絶対守るからね!」


 存外あたたかい手に握られて熱のこもった言葉をかけられると、なにか勘違いしてしまいそうになる。


 返事をしようと言葉を探したが、その内にルリが言葉を継いだ。


「先生の悪魔狩り、わたしに手伝わせて!」


 果たしてその意味を汲み取るのに、数秒の時間を要した。


 味方とはそういうことか。彼女が私の地獄副業を? お手伝い? 理解が出来ても、納得が追いつかない。


「えっと……天宮さん、あなたも悪魔じゃないの?」

「悪魔と人間のハーフ! そこ大事だかんね! わたしはこれのおかげで、反界ここにホイホイされたりしないの!」


 言いながら、ルリはセーラー服の胸当てを外して胸骨の辺りを露出する。彼女はスレンダーなのでさほどいやらしくは見えないものの、奨励できない振る舞いだった。


 だが、開かれた胸に釘付けになってしまう私が居た。


「それ……どうしたの?」

「……まあ、生まれつき」


 ルリの胸には、花を模したような意匠が刻まれていた。太陽の光にも見える。まるでタトゥーだ。


「これは、わたしにかけられた術。これのおかげで悪魔だってバレずに過ごせてるの。……とにかく! わたしはあんなゴリラと同類じゃないし。先生のこと守るの!」


 ルリは必死だったが、それではいそうですかと納得するわけにはいかない。私たちが生徒と教師であるとか、それ以上の懸念がまだ残っている。


 それすなわち──彼女の魂胆だ。


「ねえ、天宮さん……どうして守ってくれるの?」


 疑問を発すると、くねくねしながら「ルリって呼んでよ~」と言い出した。動機を言うつもりはないということか。もう少し探りを入れた方がいいかもしれない。


「ほら、その……代価が欲しいとか。そういうことじゃなくて?」

「たいか?」

「報酬というか、代償というか……」


 そう教えると、パッと顔を明るくしてから悩み始めた。もしかして、この子なにも考えてなかったのか? 余計なこと言っちゃった?


 ルリは悩みに悩んだ末に、教室中に響き渡るような指パッチンを披露してみせた。


「デート!」


 果たしてどんな要求をねじ込まれるのかと身構えていたが、素っ頓狂に浮ついた言葉が耳に飛び込んできた。


「明日と明後日学校休みでしょ? 先生、明後日わたしとデートしてよ!」

「デート。あなたと、私で?」

「うん!」


 にっこにこで返事をするルリに乗せられ、あれよという間に連絡先を交換してしまう。


 時間と場所はまた連絡するとのことで、ルリは「またねせんせ~~~~~~」と言いながらさっさと居なくなってしまった。


 やけに騒がしかった反界は一転、いつもの恐ろしげな静寂に戻った。


「……あどみ」

「お呼びですか?」


 まるで今地面から生えてきましたと言わんばかりに、あどみがその場に立っている。私は彼女と視線を合わせるためにその場に腰を下ろす。


「あの子を反界に入れたのはあなた?」

「いえ。勝手に入ってきました」

「アレは、その……あどみ的にいいの?」

「ご自分の生徒をアレ呼ばわりですか」


 ウッ。意思のない人形めいた子供かと思えば突然刺してくるのだから末恐ろしい。


「あの子! ええダメな先生でごめんなさいね! で、どうなの」


「たしかに悪魔のようですが、人間としての善の精神を持ち合わせています。少なくとも今すぐ排除すべき対象ではありません。先生にとっても好都合なのでは?」

「そこではいと言ったら、生徒を命がけの場に狩り出す激ヤバ教師になるんだけど」

「これからなるのでは?」

「もうあんた黙って!」

「はい、黙ります」


 そしてまた静寂が戻る。私は学校中に響きそうなドでかいため息を漏らしながら、晩飯はチャーシュー麺にしてやると心に決めていた。


 ⇔


 今も鼓動がちょっぴり速い。


 運動した時ともまた違う。クラスのみんなの前で発表する時とも。苦しくて切ないのに、どことなくあったかい。ムズムズする。


 たまらなくなったわたしは学校を後にして、小走りで駅に向かった。走ればこの熱も少し冷めてくれるかと思ったけれど、逆にまたあったまって来ちゃう。


 けど、意外なものがわたしの意識をヒヤッとさせた。


「オイチビ、なに逃げてんだオラ!」

「ちょっと顔貸しなオラ!」


 声の方に目をやると、明らかに先輩らしい背丈のお姉さんたちが、ヤシロちゃんを取り囲んでいた。


 ヤシロちゃんはもともと猫背なのも相まって、先輩たちの前で縮こまってしまっている。


「オメー場違いなんだオラ!」

「天宮と仲いいからって調子乗ってんなオラ!」


 先輩たちの罵声にはわたしの名前が上がっている。よく見れば、あの先輩たちは入学直後にイチャモンつけて来た人たちだ。ちょっぴりこらしめはしたけど、まさかヤシロちゃんが巻き込まれちゃうなんて。


 この学校の自由すぎる雰囲気は好きだけど、ああいうのは許せない。わたしは今すぐ走ってぶん殴りに行くつもりだった。


 その時、先輩の手がヤシロちゃんに向かって伸ばされる。だめだ、わたしじゃ間に合わない!


「ヤシロちゃ──」


 次の瞬間、先輩の体はふわりと空を舞っていた。


 投げたというよりは転がしたような感じで、地面に飛ばされた割に痛みは弱そうだった。


 でも、今大事なのはそこじゃない。いや、そこもある意味大事かもしれないけれど。


 目の前で起きたことに呆然としていたもう一人の先輩が、逆上して手を振り上げた。


 けど、そこはわたしが間に合った。二人の間にサッと割り込み、パンチ! 顔の寸前でストップさせると、先輩の動きはピタリと止まった。


「ふふん。後輩ナメてると痛い目見るよ、センパイ♡」


 わたしがラブリーにウインクしてみせると、先輩方はスタコラサッサと去っていった。ようし、これで一件落着だ。


「る、ルリちゃん……ありが」

「ヤシロちゃん! ケガしてない? なにがあったの? てかさっきの技なに~~~わたしにもよく見えなかった! ヤシロちゃんあんなすごい技あったなら教えてよ!」

「ルリちゃ~ん……」

「あれもしかしてアレ、アイキドーってやつ? 動画で見たことあるよ~あのひょいひょい投げちゃうやつだよね! やっぱそれ? いや、でも」

「ルリちゃんストップストップ! 歩きながら話そう? もうそろそろ暗くなっちゃうから」


 たしかに空はもう夕方色をしていて、今にも暗くなりそうだった。そんなに長い時間を過ごしたつもりはないんだけどなぁ。


「うん、一緒に帰ろ!」


 ヤシロちゃんと並んで駅までの道を歩き始める。こうしていると、さっきまでのドキドキが落ち着き始めた。ヤシロちゃんと一緒の時間はなんでか安心できるから好きだ。


「で、ヤシロセンパイ……さっきの技は!」

「やめてよもう。護身術みたいなものだよ。あんな風に実践したのは初めてだけど、上手くいってホッとしてる」

「ふうん。これで番長候補だね」

「いやいやいや! そんな、普通にイヤだし……その前にルリちゃんが番長になっちゃうよ」

「それがね、マジの番長は『女は殴らない主義だ』とか言って戦う気はないんだって。まあわたしもやる気ないから、みんな卒業するまでずっと番長候補だね」

「やる気ないんだ。ちょっと意外」

「え~っ。だってもう令和だよ? スケ番って時代じゃないよ! スケって!」

「ルリちゃんの口からそんな認識が出てくることに驚きだよ……」


 ここに進学することが決まってまずやったのは、不良マンガを読み漁ることだった。


 そして、物語の不良を学んだわたしの前に現れたのは、マンガの中から飛び出してきたような学校だった。びっくりして飛び跳ねたのをよく覚えている。


 この学校で受けた驚きで言えば、もう一つあった。


「ねえ。ヤシロちゃんはさ……どうして、水乱に?」


 ヤシロちゃんと出会ったのは入学の日だった。わたしが一番乗りで登校して、ヤシロちゃんが二番目。わたしから話しかけたら、すぐに打ち解けられたんだよね。


 でも、あの日からずっと疑問だった。ヤシロちゃんみたいな子が、どうしてここに?


 すると、ヤシロちゃんは顔を俯かせてしまった。


 もしかして、訊かれたくなかった? 


 ああ~わたしなにやってんだ。わたしが答えられるからって人がそうだとは限らないんだ。


「まあ、バカだからかな」


 そう言うヤシロちゃんは微笑を浮かべていたけれど、あまり気持ちのいい笑いじゃなかった。


「ごめん、変なこと訊いて」

「いや、別に……あっ、ルリちゃんがバカって言いたいわけじゃないからね!」

「そこはいいよ、わたしバカだから! めっちゃバカだから行ける高校ぜんぜんなくて、消去法でここにしたんだ」

「そうなんだ。ん、消去法?」

「うん。この髪、そのままで通る高校はここだけだったの。これ地毛だから」


 わたしのパープルのメッシュ。これは悪魔由来の地毛だ。でもそんな風に言って信じてくれる人が居るわけもないし、染めるのは嫌だった。自分が悪魔だってことは、大事にしたかったから。


「地毛……?」


 ヤシロちゃんの目が不思議そうにわたしの髪を見つめる。そう、地毛……まずった。


「あ、あー……いや、噛んじゃった! じげ、じが、ちか……そう、誓い! 昔の親友と誓い合ったの! 辞める時も健やかな時もこの髪は大事にって!」

「やめるのイントネーションおかしくない? ……ふふっ、いい友達が居るんだね。聞かせてくれてありがとう」

「こ、こちらこそありがとうね……」


 ごめんヤシロちゃん。そんな親友は居ません。居たらどんなに嬉しいことか……およよ。


 悪魔にまつわることは出来る限り話さないと決めている。それはお父ちゃんの虎の巻でも禁じられていたし、信じてもらえることも、わかってもらえることもないから。


 悪魔の血は、わたしにとってもう居ないお父ちゃんを感じられる大事なパーソナリティだ。でも、普通の人たちとわたしを隔てる壁でもある。


「……ごめんね。あんまり話したいことじゃないよね」


 どうやら沈んだ顔をしていたらしく、ヤシロちゃんに心配をかけてしまった。ここはパッと話題を切り替えて明るく行こう!


「そ、そんなことよりさ。今日すごいことあったの。なんとね、明後日先生とデートすることになったんだ!」

「先生。先生……って、水乱の先生と? 休日に?」

「うん、先生と日曜日──あっ」


 あれ、もしかしてこれも言っちゃうとやばいやつだった? ヤシロちゃんは口をポカンと開けたまま固まってしまっていた。


「ルリちゃん、その話詳しく」

「でね! でね。デートスポットとか、よくわかんないからさ。ヤシロちゃんに意見貰えればな~って思うんだよね。アアアアもう電車来ちゃう、わたし明日早いからもう行くね! じゃあね!」


 もう駅の近くだったから、わたしは完全に逃げるかたちでヤシロちゃんの元を離れてしまった。また学校が始まらないと会えないのに、こんな風にお別れしたくなかったよ~!


 先生と生徒がデートしちゃいけないなんてこと、わたしにだってわかってる。


 闇祓いの時間になれば、先生と二人切りになる時間だって出来るはずだ。先生が言ってくれた「報酬」だって、もっと色んな使い道があったと思う。


 でも言い捨てて逃げてきちゃったし、なによりデートは絶対してみたかった。


 ただのJKじゃなくて、悪魔でJKなわたしと一緒に居られる素敵な人との時間が、欲しかったんだ。


〈つづく〉

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