2.自律神経ぶっ壊れ教師ができるまで②
それから、あっという間に時が過ぎた。
真っ先に壊れたのは、私の大事な大事な自律神経ちゃんだった。
養護教諭としての勤務は普通に始まった。不良高校とはいえ、生徒たちの前ではなんとか取り繕った姿を入学式で披露した。ハーフで美人な保険の先生☆ というわけだ。
そこまではよかったのだ。そこまでは。
朝から出勤して保健室で仕事をこなし、定時が訪れるまでは養護教諭として振る舞う。
それが終わると、私は生徒指導室から反界へ入った。
そう、闇祓いとしての仕事は例外なくすべての放課後にやって来る。教師としての出勤日は闇祓いの勤務日なのだ。
反界でノルマ分の悪魔をぶち殺せば勤務は終わるけれど、なぜだか反界での時間の進みは早い。終わる頃には、空も真っ暗な飲み屋が繁盛する時間になっている。
そして──ぐきゅるるるるる。
仕事終わりと同時に、お腹が悲しげな鳴き声を上げる。やはり闇祓いに使うエネルギーはカロリーだった。魂とか寿命じゃないだけマシかもしれない。
最近はバランス栄養食カロリーウェイトを持ち込んで闇祓いをしながらパクつくようになったけど、それでも足りなかった。結果、私は学校周辺の飯屋にどんどん詳しくなっていった。ラーメン屋は既に常連扱いの勢いだ。
食ったらさっさと帰ってお風呂に浸かり、少しのブレイクタイムを取ったら翌日のお仕事に備えてさっさと寝る。体重計とは疎遠になった。
悪夢を見ることも増えてきて、眠りは浅くなっていった。追いかけられる系の夢が多かった。
その末……教師になる前にやめたタバコも、いつのまにか再開している私が居た。
完全に油断してラーメン後の一服を駅前の喫煙所でスパ〜〜ッとやっていたら生徒に見つかり、その情報は学校中を即座に駆け抜けた。吸うことに躊躇いがなくなると、今度は本数が増え始めた。
「先生、顔色が悪いようですが」
なんてあどみに言われた日には、この子ぶっ飛ばしてもいいかな……とか考えていた。自律神経が壊れると倫理観も壊れるらしい。殴らなかった私を褒め称えたい。
食習慣と生活リズムの乱れに加えて、過剰な疲労。そうして日々を過ごす内に、私はどんどん私を制御できなくなっていた。
化粧で目の下のクマを隠すことばかり考えていたら、いつの間にか髪がプリンになっているのを生徒に指摘されて気づいた。そうなのだ、私の金髪は地毛ではない。思うところあってちゃんとした金髪に染めているのだった。
しかし染め直そうにも、染め直すぞ! という気持ちを奮い立たすだけの気力が足りず、労働量に比べて少ない休みはひたすら横になって過ごしていた。
こんなはずではなかった。こんなはずではなかった……。
極めつけに、わりあい美人らしい私の顔を見込んで絡んできたアホな生徒たちに対して舌打ちをし、あげく「うっさいな……」と唸ってしまう事件が発生した。
我ながらヤバいくらいドスの効いた声が出ていたみたいで、それは「てへぺろ♡」とかやっても取り返せるレベルではなかった。
トドメを刺した日があるとすれば、あの日──私はカツ丼を平らげてから駅前の喫煙所で一服していた。もちろん副業終わりでたっぷりとカロリーを消費した後だ。
スパーン……と乾いた音が鳴り響き、周囲の喫煙者たちがピクリと肩を震わせた。音はもう二回ほど繰り返され、喫煙者たちは辺りを見回した。
水乱周りの治安の悪さは不良の跋扈や事件の多発にとどまらず、ヤクザの生息というかたちでも表れている。この令和の時代ではヤクザ稼業も下火らしいけれど、この街は令和対応じゃないのでヤクザも標準装備だった。
「先生、銃声っすよ。怖くないんすか?」
「……まあ、慣れてるからかな」
完全にチル状態でスパーッとやっていた私は反射的に答えていたが、いきなり話しかけてきたこの男の子は誰だろう。ふと顔を右に向けたら、学ランのいかつい男がタバコを吸っていた。
「えっマジすか! やっぱ西園先生すげ~っ!」
「ちょ、あんた水乱の生徒! なに吸ってんだバカタレ!」
私は彼の手からタバコをひったくってスタンド灰皿に放り込んだ。
「あ! おれ二留してるから二十歳っすよ!」
「えっごめん……私の一本あげようか?」
「いただきます! で、なんで慣れてるんすか」
「……えと、ゲームとかで」
「隠すことないっすよ。マジリスペクトっす!」
噂とは、得てして尾ひれがついてしまうものらしい。
私が崩壊した自律神経と格闘しながら悪魔を狩っている間に、すべては完遂されていた──水乱高校保健室にはヤクザをも恐れぬ悪魔先生が居るという噂が、おおむね完成していたのだ。
とはいえ……私には最早、どうすることも出来なかった。
幸い不良高校ということもあって怖がる子は少なかったけれど、不良だったという噂(事実)を耳にし弟子入りを希望する生徒まで現れ始めた。
すべて丁重に断ったし、時々保健室に放り込まれる果たし状は全部破り捨てた。乗り込んできたガキには「学業に専念せい!」と叱りつけてすべて片付けた。酒ヤケした声で叱った時にはめっちゃ笑われた。
こんな筈ではなかったのだ。どうしてこうなったのか。
疲れた体に鞭打って出勤し、頭痛と居眠りの間を行き来して、無限ループする暗い思考の中で後悔を繰り返していた。
いや、私は悪くない筈なのだ。私はなにもしてない。私は頑張ってる──
「たのもー!」
それは唐突に現れた。
保健室のドアをガラリと開け放って告げられたモーニングコールで目覚めた私は、船を漕いでいた勢いままに額をテーブルにぶつけてしまった。
「んぁ……なによ、うっさいな」
あ、この人生徒に向かってうっさいとか言っちゃってる。って、言ってるの私だった……。
一人の大人として自分に絶望しながら顔を上げると、ツインテ髪に紫メッシュの入った小悪魔系のジャージ女子と目が合った。
その瞬間、私は察した。
──あ。この子、私にビビってる。
重なった視線が泳ぎだすのを見れば一目瞭然だ。不良時代からよく知る視線の動き。ここから始まって良好な関係を築けることは、まずもってない。
そんなビビらせるようなことしてないのにな……と思っていたのだが、そばに置かれていた鏡を見て私がビビった。
やんちゃすぎるプリン髪に、うつむきがちの顔から覗く鋭い目。そして、今取り繕ったがためにぎこちない笑顔。寝起き限定、私のウルトラ最悪フェイス。
──え、こいつ怖すぎなんだけど。そりゃビビるわ……。
嫌な納得を覚えながらも、生徒を助けるという本来の仕事のために立ち上がった。
小悪魔ちゃんは同じジャージのもっさりメガネ女子を抱きかかえていた。露骨に怪我人だ。顔からジャージまでを真っ赤な血が汚している。
「鼻血ね? 結構出てるじゃん。ほらそこ座らせて」
鼻血を出して来る生徒は多い。
その場でティッシュを詰めるなり鼻押さえるなりで解決することも多い鼻血だけれど、殴り合いの喧嘩で来た急患がすごい量の鼻血を出して来ることが多いのだ。これは不良高校ならではと言える。
「ほら、なに突っ立ってんの小悪魔ちゃん。そこの椅子だってば」
小悪魔ガールに着席を促し、もっさりちゃんの処置をサッと済ませた。これくらいは慣れたものだ。流した鼻血の量だけ強くなれ、子供たち。
先程まで私にビビっていた小悪魔ちゃんは、ワタワタした様子でもっさり子ちゃんに謝っていた。かわいい子だ。こんな学校でやっていけるのか?
「なに、喧嘩でもした?」
氷嚢を彼女の顔に載せつつ言うと、メガネ越しの毅然とした眼差しがこちらを見据えた。妙に鋭い目をした子だ。
「違います。ボールが当たっただけです」
それならいい。なんとなく水乱には似合わない子たちだと感じたのでつい訊いてしまっただけだ。
「じゃあ後はこっちでやるから。付き添いありがとね……あっ。もしかして、あなた1-Bの
ふと生徒たちの噂を思い出した。小悪魔みたいな見た目で、人徳と力と美貌を兼ね備えた天使のようなストロングかわいこちゃんが新入生で入ってきたとかなんとか。
小悪魔ちゃんは外に出ようとしていたところで足を止める。動きがなんだかギクシャクしているように見えるのは気の所為ではないだろう。
「そ、そうだけど」
「ふうん。聞いてた通り優しいのね。なんでこんな学校……や、なんでもない。体育戻りな」
誰がどこに所属しているか、その理由なんてのはプライバシーの塊だ。純粋な好奇心がつい私のガバガバな口からこぼれてしまったけど、基本的には訊くべきじゃない。
生徒が開示したいと思ったときに開示してもらい、こちらはそれを受け止める。それが適切な在り方、距離感というもの。もちろん、必要とあればこちらも切り込む準備は出来ているが。
実際私の恩師は、声を上げられずにいる私に踏み込んできてくれた。歩み寄るということが必要とあれば、私だって努力する。
「先生、鼻血止まったみたいです」
もっさりちゃんが血に染まった脱脂綿を手に言う。顔面へモロに入ったダメージで出た鼻血は中々止まってくれないことも多いのでラッキーだ。
「よかったよかった。でもしばらく安静にね、貧血起こすかもしれないし。それじゃこの紙に名前とクラス書いて──」
「先生。先生は……なんというか。もう少し、取り繕うことを覚えた方がいいと思います」
来室記録カードを渡しに近づいただけなのに、言葉の矢がたくさん降り注いでブスブス心に突き刺さった。
「は、はい……善処します」
先程の視線も中々だったが、言葉の鋭さもバカにならない。見た目と中身がさっきの小悪魔ちゃんと真反対だ。1-Bの
「あ……すみません、変なこと言って。ありがとうございました」
と思ったら、いきなり態度がしおらしくなった。なんというか……最近の子はわからない。
「いえいえ。お大事にね」
保健室に静寂が戻った。いつも来るような不良系と過ごす時間とはまた違った味わいだ。そうそう、こうして生徒と交流する時間のためにも養護教諭になったんだもん。居眠りしてる場合じゃない。
激務と名高いこの仕事だけれど、命張ってる副業がある私としては、この仕事も天国なのだ。
そう思いながら、私はまた居眠りの道へ誘われていくのだった。グウ。
その日も変わらず副業の時間はやって来る。
部活終わりの生徒たちが帰路に就いていく様を横目に生徒指導室の扉を開け、あどみが言うところの反界へ入った。
現実をひっくり返した世界──反界の空はいつも赤褐色で薄暗い。
最初こそ不気味に感じたけれど、昼でも夜でも変わらない景色には意外とすぐに慣れてしまった。
今日はあどみの出迎えがない。彼女も気まぐれなようで、いつでもガイドのように居てくれるわけではなかった。生徒指導室を後にし、誰も居ない廊下を歩き始める。
「あどみ! 今日はどの辺り?」
呼ぶと、いつのまにかピンク髪の子供が私の後ろを付いて来ている。居なくとも呼べば出て来てくれたりする。
「先生も気づいているのでは?」
痛いところを突く舌足らずな声に、思わず足を止めてしまう。
私の感呪性はあどみによって後天的にもたらされたモノで、決して強くはないらしい。悪魔の気配を感じ取れないことも多く、あどみに支援を乞うことが少なくない。
そんな私でも、校舎三階でたっぷり放たれている異質な気配を感じ取っていた。
それが今日の獲物だなどと信じたくなかったので、あどみをわざわざ呼んだのだ。
「三階に居るアレを放置するようなら、〈破裂〉はすぐにでもやってきます。今日中に排除していただければ、安心して明日からの土日休暇に入っていただけます」
「ねえ、その〈破裂〉ってなんだっけ」
「話を聞き逃すのは何回目ですか先生」
ごめんなさい。たぶん最初の頃に説明があったのかもしれないけれど、お疲れだった私の脳がスルーしてしまっていたらしい。
「反界の悪魔が許容量を超えると、反界が壊れます。壊れれば人間界に事故や災害などといった形で悪影響が起こり──シンプルに言えば、人がたくさん死にます」
さらりと事務的にあどみは述べる。彼女が冗談を言うようなタイプでないのは、私が一番よく知っている。
「悪魔という負の念が蔓延れば、人も世界も狂い始めます。先生の大切な生徒たちも同じ。殴り合いどころでは済まないかもしれませんね」
ここで生徒という言葉を出して来るのはズルい。否応なく、私は前のめりにさせられる。
「……今日中に倒せなかったら?」
無理矢理にでも話題を切り替える。重たい事実からは目を背けたかった。
「今日中に排除していただければ、安心して明日からの土日休暇に入っていただけます」
寸分違わぬリピート再生。どうやら排除しないという選択肢はないらしい。ため息をたっぷりと吐き出しながら、私は三階に向けて歩き始める。
悪魔は反界の影響を受けた姿を取る。ここでは学生の姿を取るわけで、それを撃つことにどうしても躊躇いを覚えている私が居た。
こっちは平日の朝から夜まで本物の生徒たちと触れ合ったりしているわけで、それは自律神経をすり減らす要因にもなっていた。
しかし……慣れ始めている。
今も心身の調子は戻らないけれど、撃たなきゃやっていけないので撃つしかないのだ。順応って恐ろしい。
銃を構えつつ三階に続く踊り場に出る。気配は近づいて来ており、廊下に居るのはなんとなく察せられた。
位置を確認したら遠くからでも滅多撃ちにすればいい。呪いの銃はわりかし適当に撃っても当たってくれる優れものだ。
敵がヤバいとはいえ、今日もなんとかなるだろう。こいつを倒して町を守って、今日もラーメンだ。
次の瞬間、左の壁が弾けた。
すべてがスローモーションになる。壁が壊れて大量の瓦礫が飛散すると共に、これの原因であろう拳が突っ込んで来る。目の錯覚だろうか、拳は学習机ぐらいでかい。
相手も適当に打ったのか、私を捉えてはいない。いないが、目の前を過ぎ去っていく拳の風圧に呷られて尻もちをついてしまう。
死ぬ。あどみに銃口を向けられて以来、一ヶ月ぶりに死を意識した。
銃を握る手に力を込めつつ、また漏らしそうになったので意識的に股を締める。失禁して泣きわめいても、こいつはたぶん許してくれない。
砕けた壁の奥、三階の廊下に鎮座する巨大な影。
土煙が晴れると──今にも張り裂けそうな女子制服をまとった巨人が座していた。腕が柱のように太く、その姿を見ているとゴリラを思い起こしてしまう。てかゴリラだこれ。
私が銃口を向けると、ゴリラはその腕で上半身を隠した。構わず
──防がれてる。
悪魔が私の銃弾を防御している。そんな事例はこれまでなかったが、本能的に察知した。こいつはマジでヤバい。とにかく立ち上がって逃げなければ。
腰を上げて走り出す。が、つんのめってその場で足を滑らせた。尻もちをつかされた拍子に靴が脱げかけていたのだ。
転倒の刹那がスローモーションで流れる。やばいやばい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……!
と思った瞬間、頭上を暴風が駆けた。
「死ぬーーーーーーーーーッ!!!!」
ゴリラが拳を放ち、私がさっきまで背にしていた壁に穴が開いた。態勢を崩していなかったら上半身がなくなっていたに違いない。
そして、転びかけていた私はといえば、ゴリラパンチの風圧でひっくり返り──そのまま階段を転げ落ちていた。
視界が二転三転して下の踊り場へ落下する。体中痛いし状況の変化に脳がついて行けない。
けど、まだ動ける!
私は立ち上がり、ゴリラに向けて二発
靴もいつのまにか脱げていたが、回収している暇なんてない。最悪買い直せばいい。この仕事をこなせばまたお金だって手に入る。生きて帰ればどうとでもなる。
弾を込めながら二階の踊り場まで降りたところで、ズンと地面が揺れる。もう追ってきたのか。後ろを振り向き、上階に続く階段を視界に納める。ゴリラの姿はない。
またも振動が起こり、今度は轟音と共に土煙と衝撃が来た。
それも、背後から。
おそるおそる振り向き二階の廊下を見ると、セーラーゴリラがそこに居た。
二階の天井には、大きな穴が開いていた。築年数五十年近い校舎にこんな形で文句を言いたくなる日が来るなんて。
撃てばどうせ防がれる。でも撃たなきゃやられるだけだ。そもそも防御しているってことは弱い部位があるってことじゃないの? うわ、私天才! でもそこに弾を当てられる?
そうこう考えている間にゴリラがすり足で近づいて来た。あんな拳で打たれたらすり潰されるに決まってる。それとも蹴られるのか。どちらであってもすり身になるだけだ。
眼の前の気配がどんどん大きくなる。どうする。どうすればいい。ゴリラが近づくのに合わせて勝手に退がっていた足が階段にぶつかってつまづき、その場に尻もちをついちゃった。あっ、逃げられない。終わった~~~~~。
最期を悟った瞬間、少しだけ冷静さを取り戻したらしい。私はふと、自分の感覚が間違っていたことに気がついた。
眼の前のゴリラの気配が大きくなったんじゃない。
感覚する対象が増えたのだ。
それはパタパタと足音を立てて、こちらに近づいて来ていた。猛スピードで二階の廊下を駆け抜け、身を投げるように跳躍し──
「必っっ殺~~~~~~っ! あ、名前どうしよう」
甘い声色の叫びと共に、小悪魔系女子がゴリラ目掛けて飛来した。
「蹴りっ!」
上履きを履いた彼女の足から繰り出されるドロップキックが、無防備な巨人の体に突き刺さる。
ただ蹴ったところでどうなる、と思った刹那。
巨人の姿が視界から消え、校舎が揺れた。
彼女の着地音が響くまで、あのゴリラが蹴られて吹っ飛んだという事実を認識できなかった。
そもそも、彼女が蹴ったことも、彼女がここに居るということも、信じられないのだ。
「……天宮さん?」
ビビリで優しい小悪魔JK、1-Bの天宮ルリ。
先刻会った少女とまったく同じ容姿の女の子が、そこに立っていた。
同一人物だなどと信じることは出来なかった。ここは悪魔を集めるひっくり帰った世界。なにが起きてもおかしくはなく、学校随一の美少女を真似る悪魔が現れたって疑問はない。
天宮さんは呼気を一つ吐き出すと、くりっとした大きな目をこちらに向けた。やはりその可愛さは、保健室で目にしたものと寸分違わない。
「先生! はやくトドメさして!」
緊迫した調子で告げながら、ゴリラが吹っ飛んで行った方向をいちいち可愛げのある仕草で指さしている。
「わたし闇祓いじゃないから、先生の力じゃないと倒せないの!」
言われるがままに立ち上がり、二階の廊下に出る。
確かにゴリラは消えておらず、蹴りを受けた拍子に教室へ頭から突っ込んで倒れていた。起き上がろうともがいているので、まだ生きているのだろう。
天宮さんから視線を外さないようにしつつ、ゴリラに向けてあるだけの弾を
腕以外は固くないようで、弾はちゃんと体表から突き刺さった。そして、ゴリラはそのまま霧散した。
「よっし! 制圧完了~! 先生おつかれさ、ま……」
私はゴリラを撃ったそのままの姿勢で体を回し、天宮さんに銃口を向けた。
今撃ったのは五発。シリンダーにはまだ一発残っている。
「あなた、何者? 本当に天宮さんなの?」
生徒の形をしたモノを撃つことに躊躇いはなくなった。
けど、対面するそれはあまりにも私の知っている生徒そのもので、ともすれば本物かもしれなかった。
「先生、ぜんぶ正直に話すから、ちゃんと聞いて。わたしね、人と悪魔のハーフなんだ」
一瞬迷った後、引き金を
暗い視界の中、壁を穿った時に聞こえる着弾の音を耳にした。
私と天宮さんの距離は数メートルもなく、この距離で外すはずはない。ないはずなのに。
おそるおそる目を開けると、まるで変わらぬ美少女の姿がそこにあった。
「話は最後まで聞いてよ。……傷つくなぁ」
私は身を翻して逃げることを選んだ。
一段飛ばしで階段を登り、弾を込めながら手近な教室に入った。一度ここに身を隠して、無防備になるところを狙って奇襲をかける。眼の前に飛んできた弾を避けるような奴に勝つ方法なんてそれしか──
「待ってよ先生!」
バリ────ンと派手な音とガラス片をぶちまけながら、天宮さんは廊下の窓ガラスを蹴り破って教室へ飛び込んできた。いくらなんでも速すぎる。
果たして教師と生徒は、教卓を挟んで対峙した。
本来なら私が主導権を握っているべき立ち位置でありながら、すべては天宮さんの手の上だった。
弾は込めてある。だが、あれだけの蹴りを放つ悪魔だ。拳も相当なモノだろうし、私が銃を構えている間に彼女の拳が飛んで来る。勝ち目はない。最早詰んでいる。
「先生、どうして逃げるの?」
動けなかった。あの巨体を吹っ飛ばした蹴りを思い出す。トラックが衝突したみたいな威力だ。そうでなくては、あのゴリラが教室の壁に突っ込むなんてあり得ない。
「もしかして、怖いの?」
天宮さんは身を乗り出し、値踏みするように上目遣いで見上げて来る。
もう簡単に殺せる相手なのはバレている。いつ殺そうか、どうやって殺そうか、ゆっくり思案しているのだ。
ああ、マジで生徒に殺されるなんて嫌すぎる。生徒たちを助けたかったのに、なんて皮肉だ。
天宮さんは不満げに唇を尖らせていたが、ひとつ息をつくとにっこり微笑んだ。ああ、殺し方を決めたんだ。もう煮るなり焼くなりどうとでもしてくれ。
「大丈夫、わたしは先生の味方だから」
天宮さんの言葉が、いきなり胸に突き刺さった。
血肉の通った、決して悪魔が語りそうにない言葉。
それは、かつて私が恩師と仰いだ先生がかけてくれたのと同じ言葉だったのだ。
誰も味方はおらず、あどみだって完全に助けてくれるわけではなかった闇祓いの日々。激動の中で戦って、苦しみながら駆けずり回って来た。思い通りにならないことだけで時間が過ぎていく中で──感情が摩耗していた。
頬を流れる雫を感じた時、自分が心細かったんだと初めて気がついた。
〈つづく〉
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