第4話 ギャルの告白、猫の傍観


雨足はさらに強まる。


(……ふん)


 ティアは寝ぐらに帰った。俺も帰ろう――そう思ったのに、腰が重い。一時期、雨は小康状態だったのに、さらに雨は強くなっきた。帰るタイミングを見誤ったのは否めない。


 湿気で毛が跳ねる。必死で舐めるが、まるで変わらない。これは相棒にブラッシングを所望しよう。そうしよう。


「……」


 たん、と俺は駆けた。毛が濡れて気持ち悪い。もうちょっと、雨宿りをしていたら良いのにって俺だって思う。思うのに、匂いが鼻につく。この匂いを何に喩えたら良いのだろう?


 ニンゲンの言葉に置き換えれば、雨の匂い。あれが一番近いか。でも違うのは、何よりも澄んでいるのに、何よりも重い。まるで深海。まるで無酸素。まるで慟哭。何より透明で、何より他の色の混色を許さないキャンバス。


 時々、ニンゲンはこんなやり切れない感情を弾けさせる。

 それは雨飛沫。


 その感情は純粋かつ透明で。冷たくて鋭利で。自分自身を打ちつけて、心の傷をじゅくじゅく痛みを広げていく。


(ニンゲンってクソめんどくせぇ)


 本心だ。

 猫なら合うか合わないか。それだけだ。いちいち、合わない異性に構ってなんかいられない。だけれど、ニンゲンは失恋した後もその感情を引きずる。


 かと言って、どうしてもニンゲンを放って置けないのは【家猫】の気質なのか。ティアは呆れられるが、俺はこういう性分なんだ。ソコはもう、諦めてもらうしかない。


 いつものベンチに傘もささずに、茉麻まあさ嬢がいた。ずぶ濡れになるのを構わず、微動だにしない。時々、漏れる嗚咽。雨に混じって感情を散らせて。


 ――だから言ったんだ。

 ニンゲンに声は届かない。それが歯がゆい。


 かと言って、この子は俺の声が聞こえたからと言って、自分の気持ちを押し殺すことができたのだろうか? きっと答えはノーだ。

 ――だから。


(……だったら)


 どうせ伝わらなくても。俺、一匹ぐらいは、よく頑張ったと声をかけてあげても良いんじゃないだろうか?


「……な、何よ?」


 彼女が顔を上げた。


「笑いに来たの?」


 そんなワケない。

 濡れるのも厭わず、隣に座って――は茉麻嬢に傘をさしていた。

 俺はベンチの下で、そんな彼らの声に耳を傾けることしかできなかった。











「……田島さんが、風邪をひくって思っただけ」

「へ、変なの……。もう濡れてるし。それに……委員長だって、濡れてるじゃん」

「もう濡れてるから、ちょっと濡れても。たくさん濡れても、もう関係ないよ」


 沈黙。

 微動だにしない。

 漏れる茉麻嬢の声が、雨音に混じる。


「……バカ」

「うん」


 雨が打ちつける。

 それでも、委員長君は茉麻嬢に傘をさし続けていた。


 沈黙。

 黙して。

 茉麻嬢は口を噤もうと必死になるのに、漏れ出す嗚咽は抑えられない。


「……ば、バカだよね」

「そんなことない」


「……バカだよ。だって、私――」

「そんなことない」


「ち、ちが、本当にバカで……。わ、私、本当にバカ。か、上川君は、きっと下河さんのこと、好きなんだろう、って……」

「うん」


「二人が一緒に歩いている姿を見て……無理だって分かっていたのに……」

「うん」


「シロちゃんだって、無理だって言ってくれていたのに」


 俺は大きく目を見開く。


「……だめ、って言われても。む、無理って自分でも思っていても……す、好きだった、の……」

「うん」


「上川君のこと、本当に好きで。好きだっ――」

「うん」


 雨音が強くなったのか。

 慟哭に耳を奪われたのか、自分でもよくわからない。


 ただ、この匂いが鼻につく。

 ただだた、匂いが鼻につく。


 この匂いを、そうニンゲンの言葉で表すとしたら。

 雨の匂い。


 やっぱり、これが一番近い。

 






■■■







「あぁ、ルル。こんなにびしょ濡れになって!」


 いつもなら、抵抗するが。今日は相棒にされるがままになった。

 嗚呼、やっぱり。

 あの匂いが鼻につく。


 相棒の手をペロリと舐める。

 ざらざらした舌がくすぐったかったのか、相棒はようやく笑い声を上げた。


「お、おいっ。ルル? 拭けないじゃん、そのままじゃ風邪ひいて――」


 ぶるんぶるん。俺は体を震わす。もう、これで十分だ。やっぱりタオルは嫌いだ。あっかんべー。


「あぁぁぁっ! 部屋中、ビショビショじゃん!」


 大丈夫だ。俺の寝床だけは濡らさないように配慮した。まったく、問題ない。


「……問題だらけだよ。どうすんだよ、コレ」


 と畳の上に敷き詰めたフローリングのモップがけを始めた。昭和後期に建てられたボロアポートの内装とは思えないコーディネート。これは相棒のセンスの良さだ。柔らかな光のシーリングライを浴び、俺は自然と欠伸が漏れた。


 どうもこうも。相棒オマエがシケた顔をしているからだ。ぶるんと尻尾を振ってみせる。告白を断った。告白する側は勇気を。告白を断る側は、もっと胆力が必要とは、ニンゲンは本当に面倒くさい。


 どうせなら、全員、つがいにしたら良いのに。

 そう思うが、相棒がたった一人しか見ていないことを俺は知っている。


「……ルル、違うからな」


 冬希ふゆきは渋い顔で言う。往生際が悪いったらありゃしない。


雪姫ゆきは、友達だから」


 この前まで下河さんと呼んでいたクセに?

 名前呼びとは、さぞ親交が深まったようで。


「あぁぁぁ! そこ俺のベッド! 濡れるじゃん!」


 お前がとっとと認めないからだ。人の気持ちをふいにしておいて優柔不断とは、オスの風上にも置けないと俺は思うけど?


「分かってる……分かっているけど……」


 ふぅん。

 俺は尻尾をぱたんと振る。


(……まぁ、良いけどな)


 どうせ相棒はたった一人しか見ていない。

 デスクに飾られたツーショット写真を見ながら。


 俺はアクビをする。


 最近、相棒の匂いが甘くてかなわない。例えるなら、季節を跨ぎ、多種多様な花がこの場所に咲き乱れたかのようで。いやでも鼻につく。その匂いをかげば、相棒の答えはもう決まっていると、俺は知っている。


 まぁ、そんなことより。

 今日の俺はお疲れモードだ。


 相棒、俺はお前にニボシを所望する。これは絶対に譲らない――。






 絶対に、だ。

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