第20話 決断(4)

「どうしたんですか京佑さんその怪我は!」


「雨音……」


 雨音が帰ってくる前に屋敷を後にしようとしていた俺の目論見は外れ、彼女の帰宅時間とバッティングしてしまった。

 これもクロダとコウヘイの二人と無駄にやり合っていたせいだ。


「お帰り雨音。さ、家に入りなさい」


「触らないで! ──大丈夫ですか京佑さん!? 痛くはない?」


「あ、ああ……」


 雨音は五十嵐英寿の手を払い除け、小さな身体を精一杯背伸びしながら俺の顔の傷を覗き込んでくる。


「何があったんですか!? これ、お父さんがやったの!?」


「済んだ話だ。雨音、いいから家に入りなさい」


「お父さんとは話してない!」


 彼女がそんな大声を出す姿など想像もしなかったので、正直に言ってさっきのゴルフクラブよりも驚いた。

 ここは俺がキチンと説明しなければ話が拗れそうだ。


「雨音、聞いてくれ。俺たちの婚約はなくなった」


「え……? それじゃあ……」


「安心してくれ。佐賀美との話もなしだ。君は自由だ」


 俺がそう言うと雨音は五十嵐の方を振り向く。彼が大きく頷いたことで俺の言葉が真実だと分かった雨音はその場に泣き崩れた。


「それで京佑さんはこんなことになったんですか?」


「この怪我はちょっとした行き違いでね。俺も悪かった所はあるし、解決してるから心配しないで。全然大したことないし」


「本当に……、本当にありがとうございます、京佑さん」


 雨音は顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、そう言って笑った。


「それじゃあ、さようなら雨音。短い間だったけど楽しかったよ。学校、辛いこともあるだろうけど頑張って。好きになれる人、見つけられるといいね。──じゃあ、お幸せに」


「はい! 京佑さん、また必ず会いましょう!」


 俺はその言葉に返事をせず、笑みだけ返して車に乗った。


「お願いします」


 バックミラーに映る雨音と五十嵐英寿たちの姿が小さくなっていく。


 すまない雨音。君とはもう会うこともないだろう。


 五十嵐も、俺の信念までは見抜けなかった。

 俺は龍門寺の次期当主になどにはならない。この世界から足を洗い、咲良と共に生きていく。咲良を少しでも悲しませることになるなら、雨音にももう会わない。


「それではここで。龍門寺さん、お気を付けて」


「──ありがとうございました」


 帰りの新幹線に乗った瞬間、全身に痛みと疲労がどっと溢れてきた。スマホを確認しようと思ったが、コウヘイにぶん投げられた時に壊れてしまったようで画面はバキバキ、電源もつかない有様だった。

 すっかり緊張が解けた俺は他にできることもなく、東京に着くまで泥のように眠った。







 東京駅に着き、屋敷の最寄り駅までの電車に乗り換える。

 そして到着した最寄り駅を出ると、駅前は黒服の集団で騒然としていた。


 制服・覆面警官の姿もあり、俺は顔を伏せ人混みに紛れてこの場を脱出しようと思ったが、それは許されなかった。


「坊ちゃん、お帰りなさい。さあ、帰りましょう」


「……ああ」


 逃げられないと悟った俺は黙って黒塗りの車に乗り込む。

 俺の両脇に翔馬と秀次が座り、俺が乗った車の前後左右にも車を走らせるなど、絶対に俺を逃がさないぞという父さんからのメッセージが読み取れた。


 屋敷に着いてからも、龍門寺の二次、三次組織からも人をかき集め、見渡す限りの黒スーツといった光景が広がっていた。


「組長、お連れしました」


「ご苦労。下がれ」


「はい」


 俺は父さんが鎮座する和室へ放り投げられた。気分はさながら死装束を纏い土壇場で首を差し出す死刑囚だ。


「話は聞いている。が、改めてお前の口から説明しろ京佑」


「はい父さん。龍門寺組と五十嵐組の同盟を取り付けてきました。これで俺の婚約は不要です」


「何を勝手なことしてるんだ!」


 俺は頬に拳を食らった。口の中に生温い液体と鉄の味が広がる。


「向こうの組員とやり合ったそうじゃないか。服もボロボロになって……」


「その件はしっかり手打ちにしてきました。問題はありません」


「それに同盟と言ったが、その内容はなんだ? 婚約なしでどう同盟を名乗る?」


「それは勝手にそっちで盃でも交わせばいいでしょ……」


「馬鹿野郎が!」


 父さんが俺を足蹴にする。鼻血が出たが俺はそれを拭うことも、起き上がることもしなかった。

 和室の天井から木目たちが俺を見下しているように見えた。


「盃を交わしたらどっちが上かハッキリさせなければならなくなる」


「五分の盃で解決するのでは?」


「それでは龍門寺と五十嵐が対等ということになる。勢力は龍門寺が上だ。そこをウチが折れるのは面子メンツが立たない。だからこそ、どちらが上でもない、対等でもない、婚姻という形で同盟を成立させる必要があった」


 メンツだとか看板だとか威厳だとかは、俺が一番嫌いなものだ。


「それに次の世代、京佑の代になれば龍門寺に嫁入りした五十嵐は自然と龍門寺組の構成組織になる。その時上下をハッキリさせるかはお前が決めていい。いずれにしろ、龍門寺が有利に運ぶ段取りになっている」


 俺の婚約の裏でそこまで大きな絵が描かれていたとは知らなかった。だが、そんなことは文字通り俺には知ったことではない。


「じゃあその計画はご破綻です。仮にも一度交わした約束を反故にすれば、それこそ面子が立たなくなる。そうでしょ?」


「……交渉が上手くなったな京佑。そうやって向こうとも話をつけたのか」


「そうです。──もういいですか。喧嘩に長旅にで今すぐにでも風呂に入って寝たいんですけど」


「……ああ。殴って悪かった。ゆっくり休め」


「はい。それじゃあ」


 ここまで壮大な出迎えをしておいてあっさり俺を解放したのは、やはり裏で五十嵐が手を回してくれたのだろうか。


 いずれにしろ、俺は明日また学校に行かなければならない。学校に行けば、また咲良と会えるのだから。


 俺は服を脱ぎ捨て、ピアスを外し、風呂に入る。傷に染みたが、今はそれすら心地よく思えた。

 終わってしまえば、こんなに悩んでいたことが一日で解決してしまったのだから呆気ない。


 風呂を上がった俺は離れに行くのすら億劫になり、久しぶりに自室のベッドに身を投げ出しすぐに眠りについた。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

あとがき


お読み頂きありがとうございます!

次話2024/03/12 08:00頃更新予定!

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