第13話 板挟み(3)

 次の日、俺が目を覚ました時にはもう雨音の姿はなかった。


「父さん、雨音は……」


「始発で帰った。……昨日の夜、何があった。帰ってきた時はご機嫌だったじゃないか」


「別に。何もなかったよ」


「そうか。んだな。腑抜けめ」


「違う!」


 こういう所が嫌いなんだよ、親父。

俺はスマホと財布だけを持って衝動的に家を飛び出していた。後ろから秀次たちが呼び止める声が聞こえたが、俺はそれら一切を無視して街へ駆け出した。







そしてフラフラと足を運んだ先は大きな雑居ビルだった。


「──!? どうしたんだ京佑! こんなところで!」


「おはよう咲良」


 このビルの四階に、咲良が通っているピアノ教室があるのだ。俺は前に一度、彼女を驚かせようと思って見に来たことがあった。

 あの時は結局会えずじまいだったが、今日は出会えた。


「こんなロビーのベンチでは目立つ。四階の休憩室に行くぞ」


 そう言って咲良は学校の時のように、俺の腕を引っ張り人目のつかない所まで俺を移動させた。


「──で、どうしたんだ今日は」


 咲良は白いワンピースにハンドバッグといった上品なスタイルだったが、俺を見て学校モードに切り替わってしまったのか、腕を組んで仁王立ちし俺の前に立ちはだかっている。


「ちょっと驚かせようと思って」


「驚いた。驚いたさ。……だけどそのクマにその表情は、イタズラをしに来た訳じゃないんだろう?」


「咲良はなんでもお見通しだね」


「揶揄うな。……もうすぐレッスンの時間だ。話があるなら──いや、今日は休むか」


「大丈夫?」


「大丈夫じゃないさ。普段私がピアノの練習を休むことなんてない。何度もやったら怪しまれる。だから、今日だけだ」


 即断即決。咲良は声色を変え、スマホですぐ隣の教室へ休みの連絡を入れる。


「──ええ、はい……。少し休んでから帰ろうと思います……。いえ、父には私から連絡を……。はい、ではお願いします。──っと」




「……で、どうしたんだ。次は本当のことを話せよ」


「ああ」


 それから俺は、俺と雨音の間に今まであったこと全てを話した。


 俺が咲良の顔色を伺いながら言葉を選んでいる間も、彼女はずっと真剣な表情で黙って俺の話を聞いていた。

 そして全てを打ち明けた後、咲良はそっと俺の肩に手を置いた。


「大変だな、そっちも」


 俺を慰めるようにそう言う彼女の目は、雨音と同じような悲しい目をしていた。


 ああ、結局こうなってしまうのか。俺が龍門寺組の跡取りである限り、関わる人を悲しませてしまう。


「申し訳ないが、そういう問題には私は口を出せない」


「分かっているよ」


「だが、正直に話してくれたのは感謝する。私を不安にさせたくないという京佑の優しさは伝わった」


 違う。これは雨音のためでも、ましてや咲良のためでもない。ただ、俺一人の気持ちが楽になりたいという身勝手な一心からだ。

 それなのに咲良はそれ以上何も言わず、俺を胸に抱いて背中を優しく撫でる。


「──ただ、そうか、京佑はその子とデートに行って更にはお泊まりまで……」


「で、デートと言っても相手は中学生だよ? ちょっといもうとの買い物に付き合ったみたいなもんだし、夜も別々の部屋で寝たし……」


「女の十五は思ったよりも大人だぞ」


 ポツリとこぼしたその言葉が咲良にとっての不安を象徴する本心だということは、俺を抱き締める腕に籠った力が物語っていた。

 甘い香りと高い体温、そして柔らかな感触が伝わる。


「──よし! ではこの一件の埋め合わせとして私ともデートに言ってもらおうか」


「ええ? もちろん埋め合わせはするけど、デートは危なくない?」


「知らん女とは行けて彼女とは行けないと言うのか」


「そうじゃないけど……」


 一度こうと決めたら絶対に譲らないのが咲良だ。


「我慢してもしょうがない。今まではずっと我慢してきたが、あの日、ライブに連れ出してくれて世界が変わったよ。その後は父と面倒なことになったが、後悔はしてない。我慢するよりも今を楽しんだ方がいいと割り切れるようになった」


「咲良……」


「それに、向こうが既成事実を作りに来たのならこちらも負けてはいられないからな……」


 負けず嫌いなのところも、いつもの咲良らしい。


「分かった。じゃあ今度しっかりデートプランを考えて、咲良の方もなるべくバレないように調整してデートにいこう」


「ふむ……。京佑は今日も見張り付きか?」


「……? いや、多分スマホのGPSで追われているだろうけど、組員自体は見てないな……。多分ロビーか外では待っているだろうけど……」


「よし、じゃあ今日このまま行くぞ!」


「マジ?」


「大マジだ! せっかくレッスンを休んで貴重な一日の空きを手に入れたんだ! お互いスマホはここのロッカーに預けて、裏口から出掛けてしまおう!」


 そう言う咲良のワクワクした笑顔を見ると、この顔を守るためなら全てを投げ出してもいいと思えるほど愛おしかった。

 そうだ。悩んでいる暇があればその分咲良と過ごしていた方がいい。そう考えると次第に俺の気分も晴れてきた。


「行こう咲良!」


「ああ!」


 俺たちはスマホも、そしてこれまでのしがらみも全てこの混沌とした雑居ビルに捨て去り、手を取って街へと繰り出した。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

あとがき

お読み頂きありがとうございました!是非ここまでの評価よろしくお願いします!

次話2024/03/05 07:30頃更新予定です!

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