第12話 板挟み(2)
「京佑さん、私結婚するんです」
「だから俺は君とは結婚出来ないって──」
「違います。相手は北海道の佐賀美組組長、佐賀美章介です」
「……は?」
雨音の口から突然知らない男の名前が飛び出し、俺の中に明確な動揺が生まれた。
「く、組長ってなんだよそれ……」
「三十七歳で組長の座に着いた優秀な人だそうですよ」
「三十七……」
「顔も見たことないんですけど、どんな人なんでしょうね」
夜風に軋むゴンドラの中、彼女の瞳には星と街明かりが寂しく映っている。
「雨音は……それでいいのか……?」
その言葉を口に出してから、心にもないことを口走ったとハッと口を抑えた。しかし後悔した時にはもう遅い。
俺の一言に雨音は表情を変え、キッと俺を睨む。
「いい訳ないじゃないですか!」
「──! ごめん……」
「私は所詮道具なんですよ。龍門寺組──京佑さんと結婚出来ないなら次は佐賀美組との縁談です」
「…………」
「……ごめんなさい。私も京佑さんを責める資格なんてないですよね。私も貴方を利用して別の縁談を無かったことにしようとしているだけです」
彼女の気持ちは痛いほど分かった。それは俺が置かれている状況と同じだからだ。
大人たちの都合で自分の人生を振り回される。そんなことを、この少女は必死で受け入れられる形を求めて今日ここに来たのだ。
「雨音。君の考えは分かった。だけど俺はやっぱり、本当に好きな人と結婚すべきだと思う」
「できると思っているんですか? 本気で」
雨音の視線が心を抉るように突き刺さる。
「やってみせるよ。必ず……」
「京佑さんはロマンチストなんですね」
そう言って雨音はクスリと笑った。涙を浮かべた、悲しい笑顔だった。
「君の方も、何とかしてみせる。無責任な綺麗事しか言えないけど、今は信じて欲しい。君を助けたいという気持ちは本気だから。どんなことをしても、絶対に」
俺はハンカチで雨音の涙を拭い、それをそのまま彼女の手に握らせた。そこで遂に彼女は嗚咽を漏らしながら泣き出した。
しかし俺には小さな彼女の肩を抱くことしか出来なかった。
観覧車を降りると閉園のアナウンスが聞こえてきた。
俺は未だハンカチで顔を覆い俯く雨音の背中を抱えるように、退場ゲートの方へ向かった。
遊園地を一歩出ると、そこには見慣れた龍門寺組の面々がいた。
「暗くなりましたのでお迎えに上がりました。……そちらはどうされましたか」
「いえ、なんでもないんです。ちょっとジェットコースターではしゃぎ過ぎたら目にゴミが入って、京佑さんがハンカチを貸してくれたんです。ね?」
「あ、ああ……。そうなんだ……」
そう言う雨音は目元のメイクこそ崩れていたが、表情は完璧に取り繕っていた。
「そうでしたか……。それはそれは……」
組員は怪しむこともなく、ご丁寧にドアまで開けて俺たちを車に乗せた。
雨音はついさっきまでの悲しみにくれた様子とは打って変わって、極めて明るい声で今日あった楽しかったことを口にする。
俺は「そうだね」としか返せなかったが、運転手も助手席の組員も特に不審がることはなかった。
彼女の演技の上手さは、悲しみの積み重ねによってできている。一体どれだけ心を殺して今まで生きてきたのだろうか。
俺は心の中で咲良に謝りながら、この時初めて本心から雨音の手を握った。
屋敷に戻ってからは、両親や組の幹部ら、そして俺と雨音を混じえた宴会が始まった。さながら披露宴のようで、俺は終始不快だったが雨音はその様な素振りを一切見せずに振舞っていた。
しかし日付が変わる頃になると流石の雨音も疲れの色を隠せなくなって来ており、俺は「もういいだろ。雨音も遠くから来て疲れてるんだ」と強引に宴会を終わらせた。
それからやっと休めると思ったのに、要らない配慮で俺の寝室には二つの布団が並べられていた。
「はあ……。俺は離れの方で寝るから、こっちは自由に使って。おやすみ雨音。──その、ごめん……」
「…………」
離れの古いベッドに身を放り投げた時、やっと俺は一息つく事ができた。
虚ろな目で窓から曇りがかった星空を眺めていると、その視界を雨音が遮った。
「どうした?」
「ごめんなさい、起こしちゃいましたか」
「起きてたよ」
俺は彼女と話をするため外に出ようと扉を開けた。しかし彼女はその隙をみて逆に離れの中へ入ってきた。
ここには組員も絶対に立ち入らないように厳命している、俺にとっての絶対領域だ。そこに勝手に入ってきた雨音は正直邪魔だったが、彼女の真剣な表情を見たら追い出す気にはなれなかった。
「……聞かせて欲しくて。京佑さんの、好きな人のこと」
「……どうして?」
「京佑さんなら分かるでしょう? 私たちが同級生たちからどんな目で見られて生活しているか。……それなのに、どうして今日さんはそんなに本気になれる相手と出会えたんですか」
それは雨音にとってただの質問ではない。悲痛な願いだ。自分もいつかそんな人と出会える可能性があることを、証明して欲しいのだ。
「……ただ、ずっと近くにいただけだよ。雑にまとめれば幼馴染、かな。傍にいるのが当たり前だから、親の職業なんて関係なく、ただ一緒に過ごしてきただけ」
「……そうですか。素敵ですね。──その人のこと、大切にしてあげてください」
俺は彼女が期待していた答えを返せたのだろうか。それとも、彼女は生活を一変させるような運命的なものを期待していたのだろうか。
俺は月明かりが照らす小さな彼女の背中を、ただ見送ることしかできなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
あとがき
お読み頂きありがとうございます!
次話2024/03/04 07:00頃更新予定!
ブックマークしてお待ちください!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます