花のカーテン
アパートのベランダから眺めると、目の前には公園が広がり、その先は埠頭が見える。
夕暮れの柔らかい陽射しが、白や灰色の倉庫群をオレンジ色に染めていた。
その光景を見ながら男性は思った。
まるで、神様がこの景色を見せてくれたみたいだ……と。
男の名前は森田
図書館への転職と共に住所も変えなければならなくなり、見つけたのが、このアパートだった。
鉄雄は部屋に戻ろうとして、隣の住戸同士を仕切る蹴破り戸の向こうに隣の部屋が見えた。
「何だ。あのカーテンは?」
そう思ったのも当然だ。なぜなら開け放たれたガラス戸の向こうに、花柄のカーテンの柄が外に向いていたからだ。カーテンは他人に見せるのでは無く自分が部屋のインテリアとして楽しむものだ。よって、表を部屋の中に向けて吊るのだが、なぜか隣の部屋は表裏を逆にしていたのだ。
奇妙だと思いながらも、鉄雄は花柄がキンギョウソウであることに気づく。その花は、香りが魅力的で、魔力を宿っていると言われていたことから、ドイツなどでは魔除けの花と言われている。彼は民俗学を学んでいただけに文化風習に詳しかった。
なぜと思うものの、気にしないことにした。
一週間もすると、隣の住人が女性であることが分かった。顔が隠れるような長い髪に黒い服を身に着けた人だ。
アパートの通路ですれ違った時に、あいさつをするが女は無言だった。
そして夜になると奇妙な言葉を聞くことになる。日本語ではない鉄雄は語学が得意ではないが聞いたこともない言語――。
いや、それは呪文のようだ。
知り合ったアパートの住人によれば、女性は、常にカーテンを閉め切り、夜遅くまで不審な音を立てると噂されていた。それに勤めに出ている様子もないのに金回りはいい様で、高級車も所持しているそうだ。
ある日、スーパーで買い物をして店を出ると何度もセルモーターが苦痛を上げている普通車を見かけた。運転席には、あの女性が乗っていた。
鉄雄は隣人であることから声をかけた。
「バッテリー上がりですか?」
すると、女は隣人であることに気づく様子をみせながらも、不機嫌に返してきた。
「車検に出したから代車を借りたけど、ポンコツね」
そこで鉄雄は自分の車からスターターを持ってくると、女の車を起動させてあげた。すると女は感謝を述べるよりも、財布から取り出した3万円を鉄雄に渡そうとした。
「あげる」
鉄雄は断わるが女は無理やり金を握らせると、さっさと車に乗って走り去った。愛想はないが、金回りが良いというのは本当のことだと思った。
名前も知らない隣人に不気味なものを感じながら鉄雄が生活をしていると、女が中型犬を連れて自分の部屋に入るのを目撃した。大家に内緒で飼育するにしても珍しいと思った。
夜。
鉄雄は仕事疲れもあってネット動画を見ながらウトウトとしていた。
すると、鉄雄は自分の部屋のカーテンの向こうに黒い影を見た。
氷河が過ぎった様な寒気。
脂汗を流していると、隣の部屋から叫び声が上がる。
女の声だ。
鉄雄は玄関を飛び出ると、女の部屋のドアを叩いた。ドアノブに手をかけると予想に反して部屋のドアは開いてしまう。
鉄雄は女の部屋に飛び込む。
「どうしたんですか!」
叫ぶ鉄雄が、部屋で見たものは、おどろおどろしい現場だった。
部屋は暗闇に包まれ、蝋燭の明かりだけが幾つか点されていた。その微かな光は、床に描かれた幾何学模様の魔法陣や壁に書かれた古代の呪文を浮かび上がらせていた。
魔法陣の模様は神秘的で、複雑な幾何学的な図形が入り組んでおり、その中心には奇妙な記号や文字が刻まれている。
部屋には、古い書棚があり、その棚には羊皮紙の巻物や魔術書が並んでいた。
部屋の隅では犬が怯えきったように縮こまり、女は床に這いつくばりカーテンから胸から上を出していた。
「た、助けて……」
女は鉄雄に向かって手を伸ばす。
鉄雄が動く。
その時、カーテンの向こうに黒くて巨大な影が現れた。それがどんな姿をしてるのか想像もできなかった。人間の形をしているようにも見えるが、全体が歪んでおり、輪郭は判然としない。
吹き込んで来る風は吐息のように生臭く、鉄雄の背筋を凍らせる。
女は悲鳴と共に、奈落に堕ちるようにカーテンの向こうに引きずり込まれた。
◆
事件の後、警察が彼女の部屋を捜査するが、女はすでに消息不明となっており、彼女の行方は分からないままになった。
鉄雄は、状況から女がカーテンを通じ神と繋がり富を得ていたのではないかと推察した。
【カーテン】
ユダヤ教とキリスト教ではカーテンは特別な意味を持ち、エルサレム神殿で聖所と契約の箱が安置されている至聖所を分ける役目を果たしている。
だが、それはまともな神ではない、花柄模様を外に向けていたことから邪悪な神であること。それも人身御供などの生贄を求める神であると考えられた。犬を連れ込んだのは、その為だったのだろう。
鉄雄は事件の真相を考察しつつ、アパートを出ることにした。
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