第十九話 回答
「……光莉から聞いた。だからあたしは知ってる。当然だけど、他の誰にも話してない」
光莉との過去をかい摘んで説明してから、香月はそう締め括った。
旭は黙って聞いていた。彼女の言をどの程度信じているのかは、香月には測れない。信じてくれることを祈って、黙考する彼をじっと見る。
そんな彼を前に、香月は沈黙を続けることに耐えかねたのか、再度目を逸らしながら囁いた。
「正直、光莉のこと恨んだ。憎んだし、呪った。家に帰って、ベッドに顔突っ込んで、普段なら絶対言えないような酷いことを言いまくった。胸の中ぐちゃぐちゃで、汚い感情を全部光莉に叩きつけたかった。あのときはもう、光莉のことを敵だとしか思えなかった」
苦い顔で吐露する香月だったが、決して後悔は口にしなかった。その意味を旭も悟っていることを想像しつつ、誤魔化さない。光莉を憎んだこと自体が誤りだとは、彼女も思っていなかった。
それでも、心残りはある。一層表情を曇らせ、香月は続けた。
「……その翌日だったよ。光莉がいなくなったのは」
「!」
それまでよりも小さな声で、香月が零した事実。それに、旭はむしろ今までで一番大きな反応を示した。つまり香月と光莉のそのやり取りが、光莉が旭に告白したあの日ということになる。二つの出来事の相関に、光莉が急に旭との関係に進展を求めた理由を見た気がして、旭は我知らず息を呑んだ。
「あたしが何かしたから、光莉が亡くなったわけじゃないのは分かってる。それでも、最後に会ったときの会話があんなので、恨みを募らせたまま和解のチャンスもなく死に別れたのが、すごく悔しかった。後ろめたくて、旭にも何も言えなかった。だけど今言わなきゃ、また先を越されそうだから、言うよ」
動揺を見せた旭に、香月は自分の手を手で握りながら、ここぞとばかりに続けた。
いつもの燦々とした、無根拠に明るい彼女の姿はそこにはない。悲壮と映るほどにさえ、固く研ぎ澄まされた覚悟に染められた相貌が旭を捉える。
「好きだよ旭。あたしは、君のことが好き」
「…………」
その言葉を、その気持ちを、彼女は一体何年秘めていたのだろう。
人生で三度目に受けた告白を前に、旭の肩が重くなる。思えば、ついさっき美鶴と受け答えをしたばかりだった。実際に告白されたら、気持ちも変わるかもしれない。
変わっただろうか。
「……僕と光莉が何をしてたか知ってて、それでもそう言えるのか?」
気づけば、口元には自嘲が浮かんでいた。試すような問いかけに、香月はやはり、思い詰めた表情のまま頷いて見せる。
「間違いなんて誰にでもあるよ。あたしはそれでも旭がいい。旭が好き。光莉と何があったかなんて気にしない。そんなの関係なく、旭と一緒にいたい」
繰り返し想いを示す。必死に詰め寄る香月の姿に、胸を揺さぶられたような気分になる。旭はゆっくりと肺に空気を取り込み、同じ速度で吐き出す。そうして自身の胸の内を感じようとする。
肺に、或いは心臓にぶら下がる鉛の重さを感じて、何故だか滑稽な気分になった。
「東雲」
いつものように呼びかけた。期待と恐怖が綯い交ぜになった面持ちで、香月が背筋をピンと張る。そんな彼女を見下ろしながら、旭の唇が少しだけ緩んだ。
枯れてかさついた笑みで、彼は告げた。
「僕は光莉のことが好きだったし、多分、今もまだ好きでいる」
「それは――」
分かっている、と香月は言おうとする。しかし彼女の反駁を踏み潰すように、旭が続ける。
「だから、光莉を恨む東雲が受け入れられない」
「~~っ!?」
「光莉を憎む東雲が許せない。光莉を呪った東雲を許さない」
穏やかな声音とは裏腹に、その言葉は重い。声にならない悲鳴を上げて、香月がくずおれた。すぐ傍に佇みながら、旭は彼女からゆっくりと顔を背ける。
許さない、と語った割に、彼の心情は落ち着いていた。どちらが正しいというわけではなく、ただ自分と香月の中に、どうやっても相容れないものがある。そんな理解が窺えた。
「ごめん、こんな形でしか答えられなくて」
「……うん」
声を出せたことが自分でも不思議なほど憔悴しながらも、香月は蚊の鳴くような声とともに頷く。旭は少し迷う素振りを見せたが、結局はそんな彼女に続けて告げた。
「けど、僕も東雲に嘘はつきたくなかった。だから、ごめん。傷つけたことも、東雲の気持ちに応えられないことも、僕には謝るくらいしかできない」
旭はそう言い切ると、香月へ向かって頭を下げた。
今度は香月は無言。痺れた四肢に力を込めて、ふらつきながらも立ち上がる。いつでも支えられるように身構えていた旭だが、香月はそれを追い払うように手を振って、
「……もう帰れよ」
口ぶりは拗ねた子供さながらだったが、弱り切った彼女を前に、旭が躊躇いを見せる。だが香月はもう一度手を振ると、同じ声で毒づいた。。
「帰れって。独りになれないだろっ」
「……そうだな。分かった」
二度目の催促には素直に従うことにした。頷き、旭はそれ以上何も言わずにその場を去る。彼とて心が軽いわけもなかったが、疲れはある程度抜けた体で、小走りで公園を後にした。
残ったのは香月一人だけ。夕日すら既に見えず、夜に染まりつつある空の一角に斜陽の名残が映る。そんな暗がりの中、一度は立ち上がった香月が、自分の体を抱えるようにして再び蹲った。
縮こまった人影がわなわなと震える。遂に抱えきれなくなった慟哭が、寂れた公園に響き渡った。
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