第十七話 詰問

 家を飛び出し、走り続け。気づいたら、見覚えのある場所にいた。

 ジョギングするときに、よく折り返し地点にする小さな公園だ。普段からあまり人気はないが、夕刻を過ぎた今となっては他に一つも人影は――

「は、旭? 何やってんのこんな時間に?」

 自分の上がり切った息と、疲労からくる耳鳴りしか聞こえていなかった旭の耳に、古馴染みの声が届いた。

 体力を考えないがむしゃらな疾走のせいで、体の反応が鈍い。荒い呼吸に折れる体を何とか持ち上げると、そこに目を丸くした香月の顔があった。汗だくの旭を呆れたように見つめている。

「夕食の用意はいいの? て言うか汗だらだらじゃん。風邪ひくよ?」

 次々に投げかけられた質問にしかし、旭は答えることが出来なかった。

 息が上がっていたから、だけではない。彼女が美鶴とどんな言葉を交わしたのか、気になる一方で聞きたくない気持ちもある。今どんな風に香月に接するべきなのが、自分の中で折り合いがつかなかった。

 旭の常ならぬ様子や見つめ返す眼差しに、不穏な何かを感じたか、香月はそれ以上なにも言わない。旭は少しずつ呼吸を整え背筋を伸ばしながら、香月にどう声をかけるか思案していた。

「……東雲」

「何かね旭くん」

 どうにか絞り出した声に、香月が律儀に返事をした。おどけた言葉遣いとは裏腹に、その声音は固く、旭が真剣であることを弁えているようだった。

 呼びかけたものの、未だ何を告げるか決めかねて悩む。旭の揺れる瞳を、香月は急かすことなく覗き込み、縫い留める。呼吸を繰り返し、頭を冷やし、次に旭が口を開いたのはどの程度経ってからのことだったか。

 彼は、低く平坦な声で、

「……美鶴に告白された」

「ぶふーッ!?」

 余程意表を突かれたらしい。直前までの泰然と構えた余裕が爆散し、香月は悲鳴のような何かを吹き出した。

 顔面のあらゆる部位を引き攣らせた香月に、探るような視線を重ねる。呼吸を乱す香月とは対照的に、規則的な呼吸を取り戻した旭は続けた。

「何か、美鶴に変なこと吹き込んだか?」

「んな! そ、そんなあたしが悪いみたいな……」

 詰問の口調、そして眼光。反発するように香月が吠えるが、その台詞がひたと止まった。緩むどころか冷たさを増す視線に晒されつつ、彼女の脳裏には先刻の会話が鮮明に蘇ってくる。怒りに赤らみかけた顔からは瞬時に血の気が失せ、かと思えばまたすぐに興奮したのか血色が戻ってきた。

「ひょ、ひょっとしたらあたしと話したのが切っ掛けかもしれなくはないけど! あたしはむしろ止めた方だから! けしかけるような真似するわけないじゃん!」

 必死で手を振り回しながら――その動作にどんな意味があるのかは分からなかったが――熱弁する香月だったが、見下ろす旭の視線はなお辛辣だ。彼女は歯噛みし、言葉を探す。唸りながら旭を見返す姿は犬のようだった。

 悩みに悩んだ末、それ以上何を弁明すべきか、見つけられないまま香月は力を失った。肩を落とし、せめてとばかりに一言、

「……信じてくれよぅ」

 不貞腐れるように零して、今度こそ彼女は沈黙した。

 入れ替わるように、旭がゆっくりと動く。わずか半歩近づいた彼は、香月を睥睨して問いを投げた。

「東雲。もしかして知ってたのか?」

「何を?」

「……僕と光莉が、何をしていたのか」

 答える寸前、最後の最後まで迷いはした。それでも、最早避けては通れないところまで来ていると感じていた。直視し、覚悟を決め、けれど詳細はぼかして曖昧に、逃げ道は残して質問を完成させる。

 香月は、雷に打たれたように総身を震わせ、ひん剥いた眼で旭を見つめた。

 その反応が答えのようなものだ。思わず目を眇める旭だったが、彼のその反応を目にした香月が慌てて彼に縋りついてくる。

「話してない! 美鶴ちゃんには言ってないよ、絶対!」

「……知ってるんだな」

 香月の必死な形相を目の当たりにし、しかし旭に安堵はない。苦渋に満ちた声で同じ問いを重ねる。

 二度目にして、香月もようやく旭の懸念に正しく向き合った。己の察しの悪さを呪うように一度顔を顰め、答えるのを厭って下を向く。それでも、いつまでも降り注ぐ旭の視線に屈した彼女は、頑なに顔を背けたまま、小さく、しかし確かに頷いた。

「……知ってた。知ってたよ。旭と光莉が、イケナイことしてたってこと」

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