第十五話 帰宅
母に買ったプレゼントはこっそり持ち帰り、旭の部屋に隠しておくことにした。
晴美のことだから、勝手に誰かの部屋に入ったりすることはないだろう。それでも万一に備えるなら、旭の部屋の方がより安全だと判断した。具体的には、美鶴が寝坊したときなどには母が突入する恐れがあった。
選んだのは、旭と美鶴でそれぞれ一枚ずつ。どちらがどちらの選んだものか、渡すときに当てて貰おうなんて相談もした。きっと迷いはしないだろう、と思っていたが。
ほんの小さな秘密を抱えて突入したその後の平日は、何の変哲もなく過ぎていった。たまに寝坊しそうになる美鶴に小言を言う晴美と、やはり時々起きるのが遅い優斗に冷ややかな目線を投げる旭。朝食を用意して弁当を渡し、仕事と学校に送り出して家事を片付ける。暇な時間には本を読んだり、テレビで映画を見たり、たまにジョギングに出かけたり。頃合いを見て買い物に出かけ、食事を用意する。その前後に美鶴と他愛ない会話をし、ゲームをして遊び、時に宿題を手伝うこともあった。
そうして迎えた金曜日。幾ばくかの後悔の念とともに、旭は家路を急いでいた。
「やっぱり二回に分けるべきだったか……」
誰にともなくぼやいた彼の左腕には、五キロの米の袋が抱えられ、右手には生鮮食品とサラダ油が入った買い物袋が吊り下げられている。
事前に広告のチェックが足りていなかった。まさか、米とサラダ油が同時に特売になっていたとは。重いのを承知で一度に買っていくか、それとも二度に分けて買い物するか店頭で悩んでしまったことも含め、時間はやや遅くなってしまっている。
もう美鶴は帰っているだろう。なるべく早く帰ってあげたい。そう思いながら足を動かし続けるが、正直ちょっと疲れ始めてきた頃、
「あれ、旭お兄ちゃん? 買い物帰り?」
歩む旭の前にひょっこりと顔を突き出してきたのは美鶴だった。予想外の遭遇に、驚き足を止める旭に、彼女が申し訳なさそうな顔をする。
見れば、彼女は制服のままだった。手には通学鞄も持っている。どうやら下校途中のようだった。
意外には思ったものの、旭はすぐに気を取り直し、小さく頷きながら苦笑を浮かべる。
「うん、ちょっと大荷物になっちゃって。美鶴、悪いんだけど、買い物袋持ってもらえない?」
「持つ持つー。重い?」
「重いよ、サラダ油入ってるから。気をつけて持って」
両手を差し出す美鶴の方へ、右腕を伸ばして近づける。彼女が買い物袋を取り上げると、それだけでかなり負担が軽減された。一息つきながら、米袋を両手で持ち直すことにする。
「うわ、これとお米持ってたの? 力持ちだね」
「流石にちょっと張り切り過ぎたなと思ったよ」
感心なのか呆れなのか、美鶴の誉め言葉に、旭は反省を込めて返した。大仰に米の袋を抱え直して肩を竦める。
「大人しくお米だけ買って帰って、もう一度出直せば良かった」
自戒としてぼやいた旭だったが、美鶴も当然耳にしていた。彼女はちらりと買い物袋に視線を落とし、気負った風もなく呟く。
「休みの日なら、私も一緒に行けたんだけどね」
そう言われ、一瞬言葉に詰まった。
美鶴が、その言葉に深い意味を秘めているわけではないことは分かっている。それでも旭は言われて初めて、一人で買い物を済ませることしか考えていなかった己を自覚した。
「……頼りにするよ。今日はちゃんと広告を見ていかなかったから、出かける前はこんなに大荷物になると思ってなかったんだけど」
無難な返事をして、旭は無意識に緩めていた歩調を元に戻す。美鶴が一歩遅れてそれに続いた。
二人で荷物を分担した後の足取りは軽かった。ほどなくして二人は家まで辿り着く。鍵を開けドアを開き、先に旭が中へ。後から入った美鶴が、きちんと玄関を施錠する。
ガチャリ、と無機質な音がはっきり聞こえた。
旭はそのままリビングを抜けてキッチンへ。米の袋を片隅に下ろし、ようやく荷重から解放された彼は、腕をぶらぶら振りながら大きく息を吐く。
「あー疲れた……美鶴、そっちの買い物袋もちょうだい」
疲れた声を漏らした後、遅れてリビングにやってきた美鶴に声をかける。彼女は旭に続いてリビングにやってくると、小さく首を振って応えた。
「ちゃんと仕舞えるから大丈夫。ちょっと休んでなよ」
心なしか胸を張って主張する美鶴を、旭は思わず無言になって見つめてしまう。気を取り直した彼は、遅れを取り戻すように柔らかく笑みながら手を伸ばし、美鶴の頭を撫でた。
「頼もしいなあ。じゃあ任せた」
「えへへー」
満足そうに鼻息を漏らす美鶴。旭はもう一撫でしてから手を離し、台所を出た。
最近よく分かってきたが、感謝を伝えるときや褒めるとき、美鶴は多少子供っぽく扱われようと気にしないようだ。特に撫でられるのを好んでいる節もある。確信はないが、彼女の場合、小さい頃にそうされなかったからこそ、その類のスキンシップを求めているのでは、などと考えてしまう。根拠はないが、旭の目にはそう映った。
だとしても、憐れんだり、まして蔑んだりするのは間違っている。求められているのが分かっているなら、その欲求は満たしてやりたい。抵抗があるとするなら、弱みに付け込んで信頼を得ているような後ろめたさがあるだけだ。
それは吞み込むべきものなのだろう、きっと。
「旭お兄ちゃん、お茶飲む?」
「ああ、もらうよ。ありがとう」
不意にリビングからかけられた声に、我に返って答えた。少ししてから、お茶の入ったグラスを二つ持って、美鶴がリビングにやってくる。彼女はグラスをテーブルに置いて椅子に座り、旭はテーブルを挟んで反対側に座った。
一休みしたら夕食の準備をしなくては。頭の片隅ではそう考えつつも、ひとまずは休憩時間を堪能しようと、美鶴が出してくれたお茶を飲む。
わざわざリビングでの一服に誘うあたり、美鶴も何か話したいことがあるのだろうかと想像していた旭だったが、彼の思った通り、美鶴は自分のお茶を少し飲んだ後で口を開いた。
「今日、学校帰りに香月さんに会ったんだ」
「東雲に? それでちょっと遅かったのか」
意外そうに声を上げたものの、普段より下校が遅かった理由には納得がいった。旭は少し表情を曇らせ、遠くを見るような目つきで呟く。
「呼び止めるのはいいけど、帰りが遅くなるならちゃんと家まで送り届けて欲しいんだけどな」
「心配しすぎ……っていうか、むしろ香月さんの方が見守った方がいいんじゃ……」
不機嫌そうな旭の言葉に美鶴が苦笑を漏らすが、失言と思ったか途中で慌てて口を閉じた。敢えて聞かなかった体で、旭が問う。
「それで、東雲とは何をしたの?」
話の腰を折ったことへの謝罪も兼ねて、軌道の修正を試みる。
ところが、香月の反応は鈍かった。彼女自身言いにくいことだったのか、間合いを図るような無言が返ってくる。
香月との間で、そんなに説明に窮するやり取りがあったのだろうか。怪訝に思いはしたが、言葉にはせず、美鶴が何か言うのをただ待つことにする。
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