第十四話 団欒

 どうにか美鶴と香月の言い合いを治め、晴美の誕生日プレゼントを選び終えた後、旭たち三人はフードコートで一休みしていた。ファストフード店で買ったコーヒーをのんびり傾ける旭に、香月が恨めしげな顔を近づける。

「にしてもさぁ、何であたしのこと先に話しておいてくれなかったかなぁ」

「お前もなかなかしつこいな」

 ねちっこく不平を口にする香月に対し、旭はどこ吹く風とばかりに表情を崩さない。側で聞く美鶴も、微かな苦笑を浮かべるのみだ。

「あたしのこと、ちゃんと紹介しといて、って言っておいただろ?」

 責める眼差しのまま、香月が一層顔を近づけてくる。テーブルに乗り上げる勢いで睨み上げてくる彼女に、しかし旭は余裕を崩さぬまま、

「「東雲っていう、子供みたいな見た目の友人がいるんだ」と紹介するのも如何なものかと思ったからな。他の紹介の仕方を思いつくまで保留してたんだ」

「誰の見た目が子供みたいだッ!」

「それはさっき証明されただろ」

「急に巻き込まないでよ!?」

 ダンッ、とテーブルを殴りつける香月を宥めるように告げるも、今度は美鶴が顔色を変えて叫んだ。目つきや口元の歪み具合からして、本気で困っている表情だ。

 嘆息とともに背筋を丸めた旭は、香月の手元を指さして言う。

「僕だって悪かったとは思ってるから、こうしてパフェを奢ってあげただろ」

「ああん? これっぽっちであたしの機嫌を取れるとでも? 浅はかだなぁ旭先生」

 しかし旭の指摘に、香月は不適な笑みを浮かべながらスプーンを振って見せた。散々ごねて奢らせた割には、なおも横柄な態度である。

 旭がわざとらしく息を吐き、

「そうか。つまり僕がこれ以上何もしなければ、東雲はこの先一生、機嫌を直す機会を失うわけだ」

「…………」

「撤回は受けつけるが?」

「……浅はかとか言ってスミマセンデシタ」

「よろしい」

 悔しそうな渋面で、嫌々謝罪を口にする香月を、旭は余裕の面持ちで見下ろした。苛立ちも露わにパフェのグラスにスプーンを突っ込んだ香月だが、生憎もう空っぽだ。それに気づき、再び彼女の目元が引き歪んだ。

 両者のやり取りを見守っていた美鶴が、会話が落ち着いたのを見て取って声をかける。

「仲良いんだね」

 美鶴としては皮肉でも何でもなかったのだが、聞いた二人はどう思ったか口々に、

「どこがっ!?」

「まぁ、悪いとは思ってないよ」

 香月が噛みつきそうな迫力で吠えれば、旭の方ははぐらかすように肩を竦める。それから、両者とも相手の台詞を反芻するように、押し黙ったまま相手の顔を食い入るように見つめた。

「……そこはさ、普通に「仲良いです」って言っちゃえばいいんじゃない?」

「そう言う東雲は力強く否定してたが」

「あ、あたしのはホラ、一種の照れ隠しみたいなもんで」

 指摘されると、香月は萎むように俯きながら、小声で言い訳を溢した。片や、旭は作ったような珍鬱な顔を伏せ、

「だろうと思ったよ。こんなことで本音を隠したがる相手と仲が良いなんて、自信を持って宣言するのは、僕には難しいな」

「う……」

 面持ちに相応しい、気落ちした声で紡がれる旭の言葉に、香月の表情が曇る。必死で探しているのは謝罪の言葉か都合のいい弁明か、その両目が露骨に泳いでいた。

 だからこそ正面への注意が疎かになっていたのだろう。旭が口元にうっすら浮かべた人の悪い微笑を見咎めたのは、傍で見ていた美鶴だけだった。

「うー……悪かったよ、あたしだって仲良いと思ってるよ」

「別に無理はしなくていいよ」

 叱られた子供さながらに消沈し、香月が絞り出した言葉に、しかし旭の返答は素っ気ない。売り言葉に買い言葉とばかりに、香月は語気を強めて続ける。

「してないよ! 何ならむしろ超仲良いって! でしょ!?」

 食い入るように旭を睨み、返事を求める。そんな彼女の訴えに応じるが如く、旭は伏せていた顔をゆっくりと上げた。香月に目を合わせ、淡く微笑む。

「そこまでではないだろう」

「乗っかれよそこはぁぁぁぁ!?」

 からかわれていたことをようやく理解し、香月は渾身の絶叫とともにテーブルを叩く。一応周囲を気にしてか、大した音はしなかった。叫んでいる時点で既に注目を集めているのであまり意味はなかったが。

 どこか満足そうに長い息を吐いた旭は、そこで美鶴に目をやり、先までとは少し色合いの違う笑みを見せた。

「まぁ、こんな風に気兼ねなくからかえる程度には、仲は良いつもりだよ」

「良くないっ」

 横から香月が噛みつくが、旭は無反応。不満げに唸る姿は不機嫌な犬にも似ていたが、指摘するとまた怒るだろう、と放置しておくことにする。

 不思議なことに、美鶴は何か黙考している様子だった。今のどこに考え込むような内容があっただろう、と訝る旭だったが、彼女はしばらくして視線を持ち上げると、

「いいなぁ……」

『どこが?』

 どういうわけか羨む言葉が聞こえた。疑問が口を突いて出た声は図らずも重なり、一拍遅れて香月は驚きに丸く開いた目で旭を見上げた。香月の仕草には気づいた風もなく、旭は首を傾げて、目線で美鶴に続きを促す。

「旭お兄ちゃん、私にはそういう冗談言わないから。香月さんみたいに遠慮しないでお話できるの、ちょっと羨ましいなぁって思って」

 そう言ってはにかみながら、美鶴は香月を見ていた。彼女の視線に気づいた香月は、目を瞬かせた後、少し照れたように目を背ける。

 それはそうと、時折拗ねたような目で旭にアイコンタクトを送ってきているように感じるのは気のせいだろうか。むず痒さを覚えて、旭も小さく体を揺すった。

「……うん、でもそんなにいいものでもないよ? 旭、スイッチ入るとかなり意地悪だし」

「風評被害だ。東雲が空回りして墓穴を掘るからそう感じてるだけだろ」

「何おぅ」

 旭としては心外な台詞を吐く香月を追い払うように手を振る。そうしながら、盗み見るように美鶴の顔色を窺うが、やはり彼女が旭に向ける目は細い。心なしか、頬を膨らませているようにすら見える。

 得も言われぬ居心地の悪さに耐え兼ね、旭は残ったコーヒーを一息に煽った。

「そろそろ行こうか。美鶴、他に見たいところはある?」

 努めて明るい声で言い、立ち上がる。

 どう反応するかと窺う意図もあったが、果たして美鶴は彼に続けて椅子から離れた。兄を見上げる顔には、直前までの不満の影は見受けられない。内心安堵する。

「ううん、ないよ」

「じゃあ帰ろうか」

「うん」

 相槌を打った美鶴が、軽い足取りで旭の隣までやってくる。香月もグラスを載せたトレーを手に立ち上がり、返却口を探して辺りを見回し始めた。

「香月さん、あっち」

「お、ありがと」

 美鶴が一方を指さすと、香月は礼を残してそちらへ向かった。

 美鶴はそのまま、香月を待つことなく歩き出した。数歩進んだところで旭の袖が引かれる。おや、と思いつつも、どのみち香月とは帰る方向が違うし、子供でもない彼女を一人残していくことに心配はない。美鶴の要求に応じることにした。

 フードコートを出て、階下へ向かうエスカレーターを目指して歩く。が、その途中で美鶴の足が止まった。見れば、正面のファンシーショップに目を向けて固まっていた。その視線を追いかける。

 その先には、一抱えあるサイズのぬいぐるみ――或いはクッションだろうか。赤い胴体と、細長い脚が十本。モチーフは恐らくタカアシガニだろう。美鶴の視線はそれに釘付けになっているようだった。

「欲しいの?」

「へ……あ、いや」

 横から旭に声をかけられ、美鶴の肩が跳ねる。言葉に詰まった様子ではあったが、誤魔化すこともないと思ったか、ゆっくり肩を下げて口元を緩める。

「可愛いなって思って。けどちょっと大きいな」

「確かに」

 美鶴の感想に、旭は曖昧に相槌を打った。

 可愛いのかは正直ちょっとよく分からないが、大きいのは間違いない。

「……ん?」

 何とはなしにファンシーショップに近寄り、そこで旭はふと、入口近くの通路に置かれていたぬいぐるみに気づいた。やはり深くは考えず手を伸ばす。片手で持てる程度の丸い塊だ。

 トラフグだった。

「…………」

「…………」

 トラフグを手に立ち尽くす旭と、そんな彼を感情の消えた瞳で見上げる美鶴。二人の視線はゆっくりとカニに移り、旭の手の中のフグに移り、そして互いに向けられた。

 無言だった。

「あ、二人とも! 黙って行っちゃうなんて薄情な……」

 そんな二人を見つけて、香月が文句を言いながら駆け寄ってくる。が、二人の間に流れる妙な空気に気づき、その語気がみるみる萎んでいった。

 旭と美鶴の間を何度か往復させた視線を、最終的には旭に固定し、香月は不思議そうに尋ねる。

「買うの?」

『…………買わない』

 異口同音に答える兄妹を、香月は珍妙なものを見る目で眺めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る