第十一話 嘘と意味

 翌日の昼過ぎ。家で昼食を済ませた後、旭と美鶴は前日の約束通り、最寄りの駅前までやって来ていた。

 目の前には、複数の商業施設の立ち並ぶ駅直結のビル。スーパーマーケットと呼ぶにはいささか大きく、ショッピングモールと呼ぶにはやや縦長すぎるそこは、近所では「駅ビル」と呼称されていた。

「さて。美鶴は服が見たいんだよね。婦人服は四階だったっけ」

 遠巻きにビルを見上げながら、旭は確認のように美鶴に語りかけた。

 日曜ということでそれなりに人の出入りはあるが、特にイベントごとがあるわけでもなく、普段と比べて混雑してはいない。見物だけでも邪魔にはならないだろう。逆に言えば目立つかもしれないが。

 と、旭の思案とは裏腹に、美鶴は首を左右に振った。少し申し訳なさそうに旭を見上げ、

「えっとね、実は服見に来たっていうのは嘘なんだ」

「嘘?」

 思わず旭が声を上ずらせた。それが批難に聞こえたかもしれない、美鶴がしゅんと小さくなる。

 もっとも、彼が驚くことは承知の上だったのだろう。旭が慌てて宥めようとするが、彼が口を開くより先に、美鶴が弁明した。

「あのね、お母さんの誕生日が来週の日曜なんだ。だから、プレゼント選ぶの手伝って欲しくて」

「……ああ、成程」

 彼女の台詞に、すぐに合点がいった。晴美もいたあの場で切り出すのなら、正直に説明するのも躊躇うはずだ。無論彼女のいない場所で誘うこともできたはずだが、二人連れたって出かける理由を後から誤魔化すよりは、最初から別の理由で出かけることにしてしまった方がむしろ楽でもある。

 ――昨日の朝の旭の様子を考えれば、家族が揃った場で誘う方が無難に見えただろうし。

「分かった。じゃあ改めて、どんなもの探すのか、目星はついてる?」

 再度、旭が問いかけた。今度こそ美鶴は首を縦に振る。

「だいぶ前だけど、誕生日にハンカチをプレゼントしたことがあったの。そのハンカチ、まだ大事に使ってくれてるみたいで」

「ひょっとして、休みの日に使ってるお花の柄のやつかな。仕事の日に使ってるのとは雰囲気違うなとは思ってたけど」

「旭お兄ちゃんホントすごいね。よく分かるね」

「毎日洗濯物見てるし、ある程度はね」

 心底感心した眼差しで見上げられた旭は、微かな苦笑とともに目を逸らす。仕切り直すように小さく咳払いを挟み、続けて尋ねた。

「とすると、今回もハンカチにするの?」

「そうしようかなって。今度は前より大人っぽい感じのにしたいなって思うんだ」

「大人っぽいのか……正直どういうのがいいのか分からないけど」

 美鶴の説明に、旭が苦笑を濃くした。

 個人の好みもあるだろうし、その上で大人らしいもの、と言ってもなかなか難しい。ビジネスシーンで使えるものとなると無難を極めたものになりかねないし、そうなると既存のハンカチと区別がつかない可能性もある。誕生日のプレゼントにするなら、それは避けたい事態だ。

「今年は、旭お兄ちゃんも一緒の家族だから」

 旭の胸中を知ってか知らずか、美鶴はそう囁きかけた。甘えるように、もしくは縋るように上着の袖を引かれる。

「だからどんなものを選ぶとしても、一緒に選んで、一緒にプレゼントしたいなって。その方がお母さんも喜ぶと思うから」

「……そうだね」

 仕草と違い、その声と言葉に縋るような響きはなかった。ささやかな願いを、ありのまま伝えようとする彼女に、旭も肩の力が抜ける。

「まずは色々見て考えよう。実物を見てみれば、どんなのがいいかイメージ湧くかもしれないし」

「賛成」

 旭が提案すると、美鶴もそれに応じた。

 ようやく目的を共有した二人は、肩を並べて入口へと歩き出した。触れ合えるほどの距離感で、足並みを揃え、しかしそれ以上は踏み込まず。周囲のカップルのように手を繋いだり、腕を組んだり、そんな度を越した接触はしないように。

 兄妹の適切な距離感とは、こんな感じだろうか。そんな考えが、意識したくなくとも脳裏に浮かぶ。確信はない。これより近いかもしれないし、或いはもっと遠いかもしれない。

 もしそのどちらかだとしたら、自分はどうするだろう。きちんと遠ざけることができるだろうか。もっと近い距離を容認できるだろうか。かつてのように。

(……馬鹿なこと考えてるな)

 不自然に思われない程度に頭を振って、そんな雑念を振り払った。

 はっきりした線引きができる問題ではないことなど、火を見るより明らかだ。必要なのは、光莉との間のように、踏み越えてはいけない一線を越えないようにすること。それ以上に確かな基準を設けることは、逆に妹との間に溝を作ることになりかねない。

「旭お兄ちゃん?」

 横から呼びかけられ、旭は慌てて現実に意識を向けた。

 気づけば、余計なところで思索に沈んでしまっていた。止まりかけていた足を動かしながら、旭は貼りつけた微笑で美鶴に向き直る。

「ごめん、考え事してた。何かあった?」

「ううん、何か悩んでそうだったから呼んだだけ。邪魔しちゃってたらこっちこそごめんね」

 美鶴は彼の笑みに違和感は抱かなかった。或いは、気づかないふりだったのかもしれない。どちらにせよ彼女は、自身も微笑を浮かべて首を振り、旭と同じタイミングで足を前に進めた。

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