第26話

 悪霊を取り逃がしてしまった翌日、つまりお祭り二日目の夕方、ぼくらは教会堂で巡回の準備をしていた。彩羽さんは昨日の巡回後こそ相当つらそうだったが、今日は元気いっぱいに戻っている。元気な彩羽さんを見ているとぼくも嬉しく感じる。


「天宮さん、今日はくれぐれも無理のないようにお願いしますね」


「わかってます、無理はしないと約束します……ところで、これは一体なんですか……」


「これって何ですか?」


 にこにこしながら彩羽さんはぼくの腕にぎゅっとしがみついてきた。身体を極限まで寄せてくる。5センチ隔てて反発感を感じるが、それがなんだか柔らかく感じられて、ぼくの頭の中はぐるぐるしてきた。


 昨日、一日の終わりにぼくらの距離を測定したところ、近づける距離が5センチにまで縮まっていた。昨日やったことは、巡回して悪霊を逃し、ぼくが恥ずかしいセリフを吐くはめになって、彩羽さんを慰めた、くらいのものだった。この中で何か距離を近づける要素があったのかもしれない。恥ずかしいセリフを吐く、が近づけるきっかけだったら嫌だな……


 近づける距が5センチになったので、彩羽さんはぼくと腕を組むことができるようになった。厚めのコートを着て腕を組んでいるのとあまり変わらない具合だろうか。


「その、これから巡回をしなければいけないので、そろそろ腕を離してもらいたいというか」


「ダメなのです。二人で巡回中はずっと腕を組むのです。離したら天宮さんが無理してしまうかもしれないのです」


「正直、歩きにくいのですが……」


「私は気にしませんよ?」


 にぱーっと彩羽さんは笑っている。笑顔を見せられるとぼくは弱い。ぼくはため息をついて折れることにした。ぼくは毎回折れている気がする……


 ぼくらは教会堂を出て巡回をはじめた。まだ周囲に人はほとんど見当たらないが、腕を組んで歩いているのを見られると気恥ずかしい。そもそも仕事中に腕を組んでていいのたろうか。今のぼくらは、とても仕事中には見えないと思う。他の天使様に見つかったら怒られそうだ。


「巡回もこうやると楽しいですねっ!」


「そ、そうでしょうか。ぼくは恥ずかしいだけなのですが……」


「じゃあ、慣れて楽しくなるまで続けましょう!えへへ……」


 そうやって巡回をしながら、ぼくらはお祭りが開催されている公園へと近づいていった。


 人が増えてきたところで、彩羽さんは名残惜しそうにぼくの腕をはなした。


「やはりこのあたりが限界ですね。あとの巡回は天宮さんにお任せします。ほんとうに、くれぐれも無理のないようにお願いしますね」


「わかってます、何か見つけましたらすぐにお呼びしますから」


 ぼくはそう告げると、お祭りの人混みの中へ進んでいった。今日は中日ということもあり、昨日よりも人出が多い。ぼくは人に流されないように注意しながら巡回を続けた。





 お祭りの公園を巡回していると、人混みの向こう側が何かざわめいているのが聞こえた。様子を見ようとぼくは人混みの間を縫って前に出た。視界が確保される。


 どうやら口論している人たちがいるようだ。かなりヒートアップしていて、小突きあっている。ぼくはあわてて彩羽さんを呼び出した。


「彩羽さんっ、喧嘩です。もう手が出ているので早くしないと」


「はい、黒スキニーの右の人、間違いなく悪霊ですっ!もう一刻の猶予もありません。私が声をかけて気を引くので、天宮さんはうしろから束縛をお願いします!」


 ぼくはその言葉をうけて、急いで人混みの向こう側に移動した。あわててはいけない。こういう時こそ落ち着かないと。


「そこの二人!手をとめなさい!私は天使です!そこの二人!話を聞きなさい!」


 喧嘩の相手は人間だからなのか、彩羽さんは喧嘩の現場に近づくことができず、少し離れた場所から大きな声でそう叫んだ。しかし、喧嘩はなかなか止まらない。


 ぼくは悪霊の真後ろに移動すると、インスタント束縛術を片手に悪霊を見定めた。彩羽さんに手で合図を送る。ここまでくるとあと数歩で悪霊に接触できそうだが、無理はしない。彩羽さんが必ず悪霊の気を引いてくれるはずだ。


「そこの悪霊の人!こちらを向きなさい!何があってもわが主は必ずあなたを救います!だからまずは話を!」


 そこで悪霊の振り下ろした拳が人間の顎に当たってしまった。人間は崩れ落ち、悪霊は彩羽さんの方に振り向いた。


「黙れ!天使ごときに邪魔はさせない!」


 悪霊は片手を突き出し、彩羽さんに人外の力を使おうとしている。完全に悪霊の意識が彩羽さんに向かっているのをみて、彩羽さんはぼくに向かって叫んだ。


「天宮さん、今です!」


「はい!」


 ぼくは駆け出すと、インスタント束縛術を悪霊の背中に貼り付けた。途端に、悪霊は雷に撃たれたように痺れ、光の輪が何重にも悪霊を束縛した。成功だ!


「くそっ、もう一人いやがったのか!離せ!」


「束縛術はもうあなたの体を捕らえています。観念して私と話をしましょう」


「ちっ……話すことなんかない」


 彩羽さんは何度か話をしようと声をかけるが、悪霊はこたえようとはしない。しかし、時間がたつにつれて悪霊は少しずつ落ち着いてきたようだ。


「……理由もなく、人間のかたに害を為すことは禁忌です。わかっていますね?」


「……ふん」


「わが主に会いにいきなさい。あなたはきっと救われます……えいっ」


 落ち着いて束縛された悪霊は力が弱まり、彩羽さんはその悪霊を天界に還すことができた。喧嘩の被害を受けた人を避難させて救急車をお願いしたぼくは、彩羽さんと合流した。


「頭に血がのぼって突発的な喧嘩に及んだんでしょう。今回の悪霊は人外の力を使うまでに至らない、計画ずくではない悪霊で助かりました。それでも、人間のかたに被害が出てしまいましたね……無念です」


「一見ひどい怪我はなかったようですが、念の為病院に向かってもらいました。警察にも連絡したので、あとは天界と警察で話をつけてくれるでしょう」


「それでも、悪霊への説得も不十分でした。なので、悪霊が天界でどういう仕打ちをうけるかわかりません」


 悪霊が自分の罪を認識し悔い改めていれば、天界は情状酌量してくれる可能性が高くなる。今回のように説得に失敗した場合は、より厳しい沙汰が下されるらしい。


「とはいえ、ぼくらの力で最悪の事態は避けることができました。完璧ではありませんでしたが、昨日よりは人助けをできたでしょう」


「そう……そうですね」


 完全に納得したわけではなさそうだが、彩羽さんはそれでも弱々しい笑顔を見せてくれた。ぼくは彩羽さんに寄り添い、また巡回を続けるのだった。

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