第36話

「起きてください、お昼ですよ」


 


 ふわふわとした意識の中、不思議とはっきりと聞こえた目覚めを促す声に従って目を開ける。声の方に目を向ければ、僕の部屋にあった椅子をベッドに寄せて座り、膝の上に盆を載せているしろちゃんが見える。いつの間にか額の上にのせられていた濡れタオルをどかし、いまだにだるさが消えない体を軽く起こしてふと思い出したことを聞く。


 


 「―――」


 「声が出ないんですね、お水を飲みましょう。」




 寝る前より手慣れた様子で僕の口元に水の入ったコップを持ってくる。乳飲み子にでもなった気持ちだったけど、あまり恥ずかしさとかは感じなかった。しろちゃんに対して取り繕っても仕方ないというか、今朝もこんな状況はあったからいまさらというか。なんにせよ、普段より緩まった目元になっているしろちゃんからの手厚い看護を受け入れるしかなかった。身体的にもそうだけど、精神的にも。




 「ありがとう」


 「いえ、それより何か言おうとしてましたか?」


 「……笑いこらえてるみたいな表情してるけど、楽しい?」


 「すいません、少し楽しいです」




 僕から目をそらしながら言う。そう思っている後ろめたさとかあるのだろう。別に気にしなくていいのに。面倒に思われるより楽しんでくれている方がずっといいと僕は思う。


 まぁ、出会って三日とかであればもしかしたらしろちゃんの性格を疑っていたかもしれないが、別にそういうわけでもない。たとえ新しい義妹の性格があまり褒められた成長の仕方をしていなかったとしても、僕も人を責められるような性格の良さをしている自信は無いから何も言えないし。


 膝の上にある盆には少し湯気を立てているおかゆのようなものがあった。多分、僕のためにしろちゃんが作ってくれたんだろう。しろちゃんの最初の不器用っぷりは鳴りを潜めて、料理の腕はそこそこになっている。包丁だけはまだあまり持たせたくないけど。




 「食欲ありますか?」


 「朝食べてないし、ちょっとはある。もらっていいかな?」


 「えぇ、ちょっと待ってください」




 普段昼を食べないこともある僕だけど、嘘ではなかった。病状がよくなってる感じはしないが、食欲がわいているということはそういうことなのだろう。体の要求に応えて栄養をとらなくてはいけない。


 僕の返事を聞いたしろちゃんは僕の予想と違わずに、スプーンでもう熱くないと思われる皿の端の部分のおかゆをすくって僕の方に向けてくる。米に絡む卵と、出汁か何かの優しい香りが鼻孔をくすぐった。このまま受け入れてしまえば、僕の中の何かがぽきっと折れて、今後しろちゃんに対してあらゆることで弱くなってしまうだろう。抗体というか、抵抗というか。それがなくなってすべてを受け入れてしまうようになる感じ。心の片隅でそれでもいいかと思っているのだから手遅れかもしれないが、別の部分が強く拒否している。




 「自分で食べれるから、そこまでしなくても大丈夫」


 「……気にしなくていいんですよ?」


 「僕が気にするんだ、お盆ごと貸してくれる?」




 しぶしぶと僕にお盆を渡してくるしろちゃん。何を思ってここまで看病してくれているのかはその心中を正確に理解することはできない。誰かを看病することに対しての興味か、僕をある程度心配しての事か。少し楽しいらしいから、ただの義務感と言うこともないだろう。


 おかゆをゆっくり口に運んで咀嚼していく。鼻は正常に機能していたけれど、熱もった頭ではその情報を正常に処理できないのか、あまり味はわからなかった。でも、折角僕だけのために手ずから作ってくれたのだから感想を言うのが筋と言うものだろう。




 「おいしい」


 「嘘までつかなくてもいいです。表情でわかりますから」


 「……具合悪くてあまり味がわかんないけど、多分おいしいよ」


 「それはよかったです」


 


 どうせわかるだろうなとはうすうす思っていたけど、嘘をついたつもりは無かった。何も食べ物をおいしいと感じる要素は味だけじゃない、と僕は思う。




 「なんで学校休んでまで看病してくれるの?」


 「……そういうものじゃないですか、普通。思ったよりも具合が悪そうだからとか言いましたけど、最初からそのつもりでした。二人が会社を休むよりも私が学校を休む方がいいでしょうから」


 「へぇ……でも普通は少し熱出してもここまでかいがいしく看病はしないんじゃないかなぁ」


 


 僕の言葉にしろちゃんは黙りこんで、僕の顔をじっと見る。何か気に障ることでも言ってしまっただろうか。表情が読みづらいから怒っているのかそうでないのかの区別もつかない。発熱の中食事をして書いた汗なのか、冷や汗なのかわからないものが肌の表面にじっとり浮かんでくる。




 「……汗、拭きます」


 「え、あぁ……むぐっ」




 どこに持っていたのかわからない新しい濡れタオルで、僕の顔を少し乱暴に拭う。視界がタオルに包まれ、そろそろ解放してくれてもいいのではないかと思うほど長い時間それは続く。冷えたタオルの心地よさを享受していると、しろちゃんが話し出す。


 


 「私は病気が怖いです、発熱も怖いですし、広範に体調を崩したと思われる症状全てに恐れています」


 


 大体の人がそうではないかと思うけど、そういう話をしたいのではないのだろうし、なんにせよ僕が今喋ろうとしてもタオルに阻まれて声にはならないだろう。




 「……私の父は病弱でした、私は幼く、父が体調を崩しても看病もまともにできませんでした。今は違います、違うんです。お願いですから私に傍にいさせてください」




 少し驚いたけど、それはしろちゃんが実父の話をしたことにであって、その事実についてではない。しろちゃんの実父についてのほぼ初めてと言える情報だけど、そういう人はよくいるし。


 僕の顔を隠すタオルを取るためにしろちゃんの腕を掴む。少し震えていた気がするが、きっと気のせいだろう。僕の顔にへばりつくタオルを取って、顔を見てみれば今まで見たこともない表情をしていた。


 


 「酷い顔だね、ほら拭いてあげる」


 


 目の端に溜まる潤みに気づかないふりをしながら、タオルの端っこで顔をふくふりをしてそれを拭う。自分が風邪かどうかもわからないけど、間違ってもうつしてはいけないから僕に触れてない部分を使い、ゆっくりと顔を覆い隠すように。


 仕返しのようにしている間、語り掛けるように話す。


 


 「しろちゃんの好きにするといい、僕は負担になっていないか心配だっただけだよ。もしそうして欲しいなら、しろちゃんが体調を崩したときは僕が看病もする」


 


 しろちゃんの顔からタオルが離れたとき、もう表情は元に戻っていた。いや、いつも通りではないけど、見たことない表情ではない。憮然とした表情。




 「どうしたの?」


 「……何でもないです。おかゆ、片づけますね」




 顔を伏せて、部屋を出ていく。なんか、怒ってる?いやいやそんなわけはない、はず。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る