第21話

 「光くん、結局なんでこの前は怒ってたの?」


 


 りつちゃんを引きはがして、ひとしきりここ先輩を批難した後、話題を変えるようにして聞いてくる。この前というと、千尋が件の悩み事を相談してきた日のことだろう。




 「別に怒ってたわけじゃなくて、嫌なことがあって機嫌が良くなかっただけですよ。雨の日、車に泥かけられたら誰だって少しは機嫌が悪くなるものでしょう?」


 「あの日は晴れてたし、千尋くんが自分のせいって言ってたのが気になってるの!大人しく答えないと……」




 ここ先輩が弁当を食べる手を止めて、すり寄るようにして近づいてくる。いつでも逃げれるように、と思い席を立ったところで自分は何をしているんだと我に返る。小学生じゃあるまいし。




 「話しますので、やめてください。りつちゃんが真似します」


 「嬉しくないの?」


 「……嬉しくないです」


 


 そう答えるのには少しの精神力を要したが、嬉しさよりも面倒だと思う気持ちが勝つ。りつちゃんの方を見てみれば、弁当のおかずを口に含みながら、じっとこちらを見つめている。なんというか、少し怖い。りつちゃんが怖いのは今更か。


 そこで、違和感にようやく気付く。ここ先輩はすでに気付いていたのかもしれないが、僕は今の今まで気づかなかった。




 「しろちゃんは今日、どうしたの?」


 


 気になって、聞く。いや、聞いてしまったといった方が正しい。しろちゃんが一緒にいない理由がなんであれ、これを聞いた瞬間に面倒なことになるのが確定していた。


 りつちゃんはほろり、と涙を流してもおかしくないような表情をして、口の中のものを飲み込んでから話す。




 「しろちゃん……私以外の友達と食べてます……」


 「あぁ、そっか……」


 


 何とも言えない空気になってしまった。さっきまでとは逆転して、ここ先輩がこちらを批難するような目で見てくる。一瞬でお通夜の空気になった僕たちを尻目に、りつちゃんは己の悲しみを吐露するように、とめどなく言葉を紡ぐ。




 「中学校の時からよくあることなので、特別悲しむことではないとわかっているんですけど、それでも一緒の高校に入学してからは毎日一緒に食べてくれてたんですよぅ……。それが今日になって、今日はお兄さんたちと一緒に食べてって言ってほかの友達のところへ行ってしまいました。その時の私の気持ちと言えば雨の日の翌日、アスファルトに染み込んだ水分が蒸発して晴天なのにじめじめとした湿度に矛盾と嫌悪感を覚える感覚でした……」


 「よくぽこぽこそんな表現が出てくるよね、思ったより結構余裕ある?」




 大袈裟に悲しむりつちゃんにつっこむここ先輩。僕も正直そう思う、悲しみの中で出る語彙ではない。


 パッと顔を上げて、りつちゃんが悲しみの表情を引っ込めて、にこにことして言う。




 「いつもよりは全然です!だって、お兄さんとここ先輩がいるんですもん!」


 「いつもより全然……?」


 「りつちゃん、中学校のお昼休み息してたのかな」


 


 似たような心配をしてしまったけど、これをつつくのは藪蛇というものだろう。話題を変えるため、先ほどのここ先輩の質問に答える。


 


 「機嫌が悪かった理由ですけど、強いて言うなら千尋を睨む目線の二次被害ですよ。僕、人の目線って苦手なんですよね」


 「えぇ!私いっつもお兄さんのこと見つめちゃってますけど、大丈夫でしたか?」


 「ごめん、今まで片手で数えるほどは知ってるんだけど、僕知らないうちにそんなに見られてたの」


 「可愛い後輩に見られるのが嫌なわけないでしょ!だから別に心配しなくていいよ~」




 僕の背後からりつちゃんの後ろにいつの間に移動していたのか、ここ先輩はりつちゃんに抱き着いて安心させるようになでくりまわす。


 実のところ、視線が苦手というのは正確ではなく、負の感情を向けられるのがとても苦手というのが正しい。とはいっても、人の感情なんて僕にとっては読めるものではないし、人と関わることも少ないから、それを感じる頻度など半年に一回あれば多いくらい。


 


 「その件だけど、千尋くんの件って何か進展あったのかな?」


 「昨日の今日ですよ?それに僕が自分から何か聞くわけないじゃないですか」


 「お兄さん、さすがに私もそのセリフはどうかと思います……」


 


 でも、今日中にケリがつくのではないかと予想している。この昼休みの時間、きっと千尋はどこかで中原くんと話し合いをしている。直接聞いたわけではないが、どこか緊張しているような雰囲気をまとっていたし、授業に身が入ってなかった。いつものことだが。




 「そうだ!放課後どこかで遊ぼうよ!今日放課早いでしょ?」


 「あぁ、なんででしたっけ」


 「理由なんてどうでもいいから。今まで誘っても来てくれなかったけど、こっちにはりつちゃんがいるんだからね!」


 「早く帰りたければ泣きわめく私を置いていくことですね!」


 


 一瞬、能面のよう顔をしてりつちゃんを見つめてしまう。時間にして三秒もなかったと思うが、そのわずかな時間でりつちゃんは泣き出しそうな顔になる。




 「お兄さん、ごめんなさい……昨日ここ先輩に指示されたんです……」


 「りつちゃん!?随分早く売ったね!?」


 「ごめん、遊んで帰るのと泣かれるのどっちが面倒か天秤にかけてただけだから気にしないで」


 「光くんはナチュラルに酷いこと言うね……」


 


 りつちゃん、豆腐メンタルなだけじゃなくて結構したたかなのかもしれない。ここで泣かせて帰ったらしろちゃんに何を言われるかわからないから、大人しく受け入れることにした。

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