第9話

 「おにいさま、起きてください」




 鍋の前に椅子を置いて、座ったあたりから意識が曖昧になっていた。ぼんやりとする頭に、優しい声が響く。




 「もう20分経ちました、私では異変がないように見ているので精一杯です」




 ルーを溶かすだけに何をそんなに怯えているんだろう。でも、あんな失敗をした後だし、鍋をひっくり返されるなどしてはたまらない。変わらずふわふわした頭のまま、目を半分開ける。できることならこのままベッドに行きたいけど、それはせめてご飯を食べるまではいかずとも、作り終わってからにしよう。




 「おはよう、ルーを溶かそうか」


 「おはようございます」




 火を止めて、ルーを溶かして、少し煮込む。その間にポタージュの存在を思い出して、煮込み終わったスープを濾して仕上げる。


 寝ぼけたままやるものだから、しろちゃんに手伝ってもらうのを忘れていたけど、まぁいいや。一度に一杯覚えるのも大変だろうから、仕上げくらい僕が全部やっても不満はないだろう。




 「なぜ火を止めてルーを溶かすのでしょうか」


 「なんでだろうね」


 「知らないでやっているのですか?」


 「しろちゃん、なんでかわからないけどレシピ通り作ると大体のものはおいしいんだよ」




 原理などどうでもいいのだ、結果良ければすべてよし。これが数学のテストであれば途中式がないと怒られるけど、別に誰に評価してもらうわけでもないのだから、気にしない。


 でもこういう質問に答えることができれば、僕の主観で下落の一途を辿っている兄の威厳を回復できるのだろうか。もうあきらめているけど。




 さらに盛り付けて、食卓に並べる。一人で食べさせるのも気が引けるから、作り終わってすぐ寝るのはやめた。でももしかしたら一緒に食べるほうがしろちゃんからしたら嫌という可能性もあるし、面と向かって聞いてみようかな。




 「一緒に食べましょう」


 「そうだね」




 声に出さなくていいから楽だなぁ。












 「ごちそうさまでした」




 しろちゃんはまだ食べているけど、それも少しで食べ終わりそうだし、先に席を立って洗い物をしようとする。一緒に食べていた割には僕らの間に会話は無かったけれど、居心地の悪いものじゃなかった。料理器具と自分の使った食器を洗ったあたりで、しろちゃんも食べ終わったからついでにその食器も洗う。




 「ありがとうございます」


 「これくらい別にいいよ」




 水で洗剤を流しながら、この後どうするか考える。普通に昼寝するのもいいし、適当な映画を見ながらうとうとするのもいい。こういうときに特筆するような趣味があればいいんだけど、あいにくと僕は夢中になるような趣味とかは持ってない。強いて言えば読書だけど、学校の図書室でしか読まないし。




 「おにいさま、この後予定とかありますか?」


 「特にないけど、映画でも見ようかなって」




 しろちゃんはどのようにして休日を過ごすのだろう。友達は多少なりともいるだろうし、また外に出たりするのかな。




 「一緒に見たいです」


 「うーん」


 「映画とか、一人で見たい人ですか?」


 「いや、そういうわけじゃないけど」




 むしろ映画に集中することはまれで、半分寝てるような状況が多い。もちろん映画館に行くわけでもなく、家にあるパソコンを使って見ることになる。そういうわけだから、二人で見るには少し不便だ。


 映画自体が多少不便だろうが気にしないが、パソコンの前に二人並ぶことになるから、しろちゃんの迷惑にならないかが心配。




 「パソコンで見るし、僕は多分寝るけど、それでもいい?」


 「構いませんが、普通にベッドで寝てはいかがですか」


 「寝すぎて夜寝れなくなるからさ」




 今更そんなことを心配しても仕方がない。何でもするとの言質も取られていることだし、一緒に見ることにした。




 「何か見たいものはある?」


 


 家にあるノートパソコンを持ってきて、開く。いつかの誕生日に父が買ってきたものだけど、何するにしてもスマホで事足りるから、映画を見るくらいにしか使ってない。




 「見たもの以外であれば何でもいいです」


 


 そういっていくつかタイトルを挙げるけど、僕の知らないものばかりだった。アニメ映画しか見ない僕とは合わないかもしれない。何でもいいと言ったのはしろちゃんだし、いつも通り、睡眠を妨げない低刺激のものにしよう。


 


 「あ、これ・・・」




 僕が選んだのは、だれでも知っている子供向けのアニメだった。子供向けとはいっても、劇場版のタイトルは大人も見ている人が多いから、そんな変に思われることもないだろう。


 オープニングで音楽が流れだすと、僕の隣に座ってくる。腕が触れ合うような距離に少し驚いて、しろちゃんの顔を見るけど、その目はパソコンの画面を食い入るように見つめていて、気にした様子もない。




 (たまに見るとそうなるよね)




 気持ちはわかるけど、今の僕は眠気のほうが勝っているから、途中で記憶が途切れてしまうだろう。初めて人と一緒に映画を見るけれど、不愉快なものでもない。むしろ自分以外の人が見てくれてるなら僕が画面を見なくてもいいよね。意味不明な理屈だな何を考えているんだ僕は。




 不思議な道具で主人公たちが宇宙に行ったあたりで、僕の意識は途絶えた。

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