猫の天使さま

山岡咲美

猫の天使さま

 その子猫は深夜にやってきた。

 最初はミャーミャーの声がして気になって玄関を開けた。

 私の足に幽霊でも通ったかのようにゾワゾワって感覚がすり抜ける感触があった。

 真っ黒毛色で暗闇に紛れ込み、私は子猫が扉の前にいるとは気づかなかった。

 きっとダイニングの灯りによって来たんだと思う。

(こんな真夜中に子猫って、飼い猫じゃないよね……)

「だめだめ、ウチに猫なんておけないんだから!」

 私はスリッパの足のコウでその子猫をすくうように外に出す。


 ニャーニャーニャー


 玄関の扉の前で子猫がニャーニャーとな鳴きつづける。 

(……仕方ないなー)

 私はキッチンにかけていって紙コップを取り出しミルクを入れる。

(温めた方がいいのかな?)

 そんな事を思って人差し指を紙コップの中のミルクにつける。

(少し冷たいかな?)

 ミルクパンに移し替え、ガスコンロをパチリ。

 少しだけミルクを温める。

(こんなもんかな……)

 人肌より少しぬる温かい。


「はい、ミルク」

 私は玄関前にミルクの入った紙コップをおく。

 その随分と痩せている子猫は紙コップのミルクには目もくれず私が開けた玄関からまた中に入って来た。

「だめだったら」

 私は子猫を足でせき止めようとするがスルリと足をすり抜ける家の中に入って来る。

 この痩せた子猫は知っている、自分が弱い生き物だと、ミルクより家に入れてもらう方が大切な事だと……。


「しょうがないなー」

 私は諦めて、外に置いた紙コップのミルクを回収して玄関タイルの床に置いた。

 子猫が美味しそう紙コップのミルクを飲む。

「どうしょうかな、ウチは君を食べさせてあげられるほど裕福ではないのだけど……」 

 子供頃から体が弱く、お父さんが残してくれたお金とパートタイムで働くお母さん、おじいちゃんとおばあちゃんが住んでいたこの家が頼りの私にとって猫のなんて飼う余裕はなかった。

 スーパーで猫ちゃんのご飯が私とお母さんのご飯代より高い事に気づき落ち込んだ記憶がある……。

(ずっとミルクって訳には行かないよね……)

 私はどうにか子猫を育てられないかと考えをめぐらすが三人分より少し高いご飯代はなんとかなっても、猫ちゃんが病気になった時の病院代は無理だと言う結論しか出てこなかった。


 ミルクを飲み終えた子猫が私の足に甘えてくる。

(猫はかわいい……)

「猫ちゃん、ウチでは飼えないけど明日君の貰い手が居ないか探してあげる、それでいい?」


 ニャー


 子猫は知ってか知らずがニャーと鳴いた。


 私は深夜に家の中を何かないかと駆け回り親戚の人から頂いた米やら野菜やら入っていたダンボールの箱にタオルを敷き詰め子猫のベッドを作った。 

 子猫はずっと私のあとを付いて来る。

「ここで寝てね、子猫ちゃん」

 私はまだ中学のころ、お父さんが生きていた時に組み立ててもらったベッドの横に子猫のベッドを置いた。

(お母さんには明日説明しょう……)

 私は部屋の灯りを消した。


 *


「お母さん、今日お昼からお隣さんのウチに行って来るね」

 朝起きるとお母さんが朝ご飯の支度をしていた。

「お隣さん? 大丈夫? 体調は?」

 …………。

 朝起きたらお母さんにまず体調の心配をされる。

 ずっとこんな日々を過ごして居る。

「うん大丈夫、昨日の夜に子猫が迷って来て、その子の飼い主さんを探さないといけないの」

 私は足元に視線をうつす。


 ニャー


「…………そう」

 お母さんは全てを察して少し悲しい顔をした。

 この家の事情を、考えると飼おうなんて言えないのだ。

「お隣さん迷惑かな……」

 少し心配になる。

「お母さんが仕事の前に行って来ようか?」

 お母さんはお隣さんと仲がいい。

「ううん、いいよ、私がひろっちゃったんだし私が行くよ、ミルクまだ残ってる?」

 私は古い冷蔵庫の扉を開けてまたミルクをミルクパンで温める。

 今度はダイニングの木の床に置かれたお茶碗のミルクを子猫が美味しそうになめている。


「それ、お父さんのお茶碗よ」

「あっ」

「まあ、お父さんも子猫の役に立って良かったと思ってるでしょ」

「そうね……」

(お父さんごめんなさい、あとでちゃんと洗うから……)


 *


「あの……」

 私はお隣さんの玄関前で声を出す。

 我ながら小さい声しか出せない……。

 こんな声じゃ誰にも届かない。

「なにしてるのお母さんは? 何かあったの?」

 買い物帰りだろうかマイバッグいっぱいの荷物を持ったお隣のおばさんが慌てでかけよって来た。

「大丈夫です、猫が……」

「とりあえずウチに入って! 座ってなさい‼」

 おばさんはスマートフォンを取り出し慌ててパート先のお母さんに電話する。

(大げさだな……)


「あら子猫ちゃん、大きくなったわね、立派な羽根まで生えて、まるで天使みたいよ……」

 真っ白な世界の中、ワタシ大きくなった黒猫の前に立っていた。

 背中には黒い翼が生えている。

「あっ、真っ黒黒だし堕天使かな?」

 そういった瞬間別の言葉が頭をよぎる。


 ……死神?


 私は真っ白な空間に倒れ込んだ。


「がんばって、救急車呼んだからね、大丈夫だからね……

 ぼやけた声が耳に聞こえる。

 体に縁側の木の板の感触。

 頭に座布団の感触。


 次の記憶は救急車の中。

 救急車の中はとてもあたたかく横になったベッド? は柔らかかった。

「猫ちゃん……」

 私はつぶやく。

(あの猫ちゃんは私を迎えに来たんだろんか?)

 救急車のサイレンの音がする。


 *


「お母さんおはよう」

 私は一週入院して家に帰って来た。

「おはよう、大丈夫? 体調は?」

 いつもの朝の挨拶。

 子猫はもういない。

 私が入院している間にお隣さんの紹介で猫を欲しがってる家に引き取られたらしい。

「うん大丈夫、一週間も入院したんだもん、元気になってるよ」

「…………そう」

 お母さんはそう言うと私を見ずにご飯をお茶碗によそいでくれた。


 ニャー


(猫ちゃん?)

 私はダイニングの窓から外を見る。

「どうしたの?」

 窓ぎわに歩いて行く私にお母さんが声をかける。

(猫の鳴き声が……)

 私はそう言おうとしてやめた。


 ニャー


 ニャー


 ニャー


 私は今もあの猫の鳴き声を聞く事がある。

 その鳴き声ががするとよく体調が悪くなる。


(猫ちゃん、わたしに教えてくれてるの?)


(それとも猫ちゃん、私を呼んでるの?)


 ニャー


 ニャー


 ニャー


 私は猫の鳴き声を聞きながら生きている。

 例えどんな場所でどんな運命でどんな体でも。

 こんな私にでも出来る事はあるはずだと思って生きている。

 あの翼の生えた猫ちゃんに自信を持って「精一杯生きた」と言えるように。

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