第18話 期末テスト

 それから、どれだけそのままでいただろうか。真弓さんは僕の胸から顔を離すと、赤い目で尋ねた。

「……やっぱり、ダメ?」

 言いたい事は言った、というような目だった。それでも僕が簡単に心変わりしない事を、彼女は理解してくれている。

「正直……分からない。僕はずっと、自分で吐いた言葉の責任を果たす為に、僕自身が父さんの死とちゃんと決着を付けたいって……そう思ってた。だけど……」

 止めようとしても、母さんがそれを許さなかったのもある。けどそれは、理由のほんの一部でしかない。結局、宇宙局あそこの大人達のようにはなりたくなかったというのが、一番大きい事なのだろう。

続きを言う前に一度、大きく息を吸い、吐いた。

「僕は、やっぱり物理と……宇宙が好きだよ。だから、離れたくないって気持ちもある。それに……」

「それに?」

「……何でもない」

 『真弓さんを泣かせたくない』と言いかけて、止めた。少なくとも、今言うべきことじゃない。

「……ま、いっか。一回でいけるなんて思ってなかったし」

 真弓さんは僕から離れると、背を向けてグッと一つ伸びをした。僕も同じように立ち上がり、身体を伸ばす。高重力環境下で縮められた身体が、1Gの重力に再び適合していくのを感じる。

「ミヅキの言った通りだったよ。遠前クンは超絶マジメで、融通が利かないって」

 深月……そんな事言ってたのか。

「そうだ、期末テスト!」

 真弓さんが何か閃いたように、僕に向き直ると、ビシッと指を一つ突き付けた。

「期末テスト? それが?」

「言ったでしょ、アタシが赤点ゼロだったらご褒美チョーダイって」

「ああ、言ってたね。まあ、僕も勉強見てあげるし――」

「それいらない。見て貰わなくてもいいから」

 途端に普段の軽さを消し、目を鋭く尖らせた真弓さん。

「アタシ一人で……やり切るから」

「……いきなり何を?」

「遠前クンの力を借りなくてもやらなくちゃダメって。今思ったから」

 真弓さんの意図がいまいち掴めない。ただ、彼女の目に宿る意志は、本物だった。それこそ、僕一人の説得なんて、絶対に効かないと確信出来る程に。

「だから忘れないでね。約束」

 真弓さんは鞄を手に取り、扉に向かう。

「何処に行くの?」

「帰って勉強するに決まってるじゃん」

 重々しささえ感じさせる凛とした声で、背を向けたまま返す真弓さん。でも一つだけ、気になる事があった。

「待って真弓さん。さっき能力を使ったけど……下の教室がどうなってるか分からないし、後片付けだけでもしに行った方が良いと思う」

 僕の言葉に、真弓さんは小さく笑って、顔だけこっちに向けた。

「ヘーキだよ。この下は空き教室だし、今回は重くする方だったから。それに、アタシの力の範囲は、大体三メートルだから、三階より下には届かないし」

「ああ……そうか」

 確かにせいぜい重さが倍になった程度じゃ、動いたり床が抜けたりはしないだろう。物品が動く心配は無さそうだ。

 扉を開けて部室を出る直前、真弓さんはもう一度僕を見て――いつものような、明るい微笑を浮かべた。

「遠前クンがいたから……分かったんだよ」

 真弓さんが帰った後、僕もすぐに帰路に着いた。空は相変わらずの曇天だけど、雨はもう止んでいた。





 そうしてテスト期間、テスト当日と、月日はすぐに過ぎて行った。

 僕が驚いたのは、この期間中、真弓さんが僕どころか深月とすら口を利かなかった、という点だ。一度廊下ですれ違った事があったけれど、その時はいつも通りに見えた。友達と談笑する彼女は、普段通りノリの軽い、明るい少女だった。ただ天文部ぼくたちとの関係だけが、二か月前に戻ったようだった。それに寂しさを覚えるのが、中途半端だと言われたらそうかもしれない。このまま父さんと母さんの為に海技士を目指す方に行けば、彼女と僕は、多分疎遠になるだろう。だけど、それを受け入れないという事は、責任放棄に繋がる。

 どうすればいいのか、僕はもう何も分からない。ただ一つ確かだったのは、目の前のテストは真剣に受ける必要があるという事だけだった。

 そうして迎えた、テスト返却日。先生が一人ずつ、出席番号順に呼び、答案と点数一覧の書かれた紙が入った封筒を手渡す。その後はクラス中が点数についての話題で持ち切りになる。その中で、僕は静かに自分の順位に目を通した。『学年四位』。中間よりは落ちたけど、五位以内なら許容範囲だろう。

 ただそれだけの感想を胸に帰ろうとした時――

「クソォ!!」

 初めて、喧しく頭を抱える太陽の存在に気が付いた。

「……駄目だったの?」

「生物の解答欄が途中でズレて、それで丁度赤点四つだよ畜生!!」

「ああ……」

 太陽の点数一覧を見ると、確かに生物の点数だけが飛び抜けて低かった。つまり彼はこの夏休み、補習に出る必要が出てしまったという事だ。

「ちょっと待てよ……?」

 太陽は突然、悪そうな顔を浮かべた。

「俺は夏休み中はインターハイ出場するから、その期間の補習は免除になるんじゃねえの?」

「さあ……どうだろう」

 そう、太陽の所属する緑心寺高校バスケ部は、公立高校としては珍しいことに、全国大会インターハイへの切符を手にしていたのだ。それ自体はおめでたい事だけど、それを補習を抜ける言い訳にしようとするのが、実に太陽らしい。

「とりあえずちょっと、先生に聞いて来るわ」

 そう言って太陽が立ち上がった時――教室中に、一際大きな女子の声が響いた。

「遠前心太郎ク~~ン!! いる~~?」

 その声に、教室中の視線が声の発信源――扉へと集まる。そこにいたのは、あの娘だった。

「心太郎、弟子がお呼びみたいだぜ」

 そうか、太陽は彼女が、勉強を教えた僕に成果報告をしに来たのだと思っているんだ。まあ、多分間違っていないだろうけど。

 僕は頷いて、彼女――真弓一果さんの元へと歩いて行った。

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