第16話 凍りつく

「……おかしなトコ、何処も無いよね。……よしっ!」

 月曜日。四階の女子トイレで入念な髪型チェックを終えたアタシは、地学準備室の扉を開けた。

「よっす! ……ってアレ? ミヅキだけ?」

 そこにいたのはミヅキだけで、遠前クンはまだ来ていなかった。

「掃除当番と日直がかち合ったって言ってたでしょ。多分、それで遅れてる」

 ミヅキは何やら難しそうな本を読んでいた。湿った髪の彼女は、素足に上履きを履いている。六時間目が水泳だったみたいだ。

「そっか。そういえばミヅキ、アタシ期末で赤点ゼロだったら、遠前クンにご褒美貰うんだ」

「へえ。そんな話したの? 何頼むつもり?」

「そ、それはまだ、内緒……」

 ミヅキはもう、すっかり遠前クンのそれと同じ調子で、アタシに話してくれるようになった。それが嬉しくて、大した事ない話だとしても、色々話してしまう。

「まさかとは思うけど……『彼女にして』なんて頼む気じゃないよな?」

「は、はあっ!? いやいやいや、そんな事しないって! それはもっとこう、別の機会に!ただ名前で呼んでもらえたら、とかそんなことにするつもりで――」

「いや……マジか。冗談のつもりだったんだけど……一果、心太郎が好きなの?」

 本から顔を上げたミヅキは、目を皿のようにしてアタシを見つめていた。その言葉に、一瞬『違う』と言いかけてしまう。だけど、それは駄目だ。あの『デート』の後、決めた。アタシは、自分を誤魔化さないって。

「うん。好きだよ」

 決めてしまえば、案外すんなり口を突いて出た。

 そうだ。アタシは、遠前クンに完璧に恋をした。休みの日でも何でも、気が付けば彼の顔ばかり浮かんでくる。寝る前には、『アタシが想う理想の将来』として、彼との将来を妄想して寝ている。とりあえず世田谷の一軒家で、子供三人と住む所まで決まった。

「えぇ~~マジで。もうちょいガツガツしたタイプが好きかと思った」

「どうだろ? ショージキ初めてだし、その辺は分かんないや。ミヅキ的には、ナシかもしんないけど」

「いやいや、そうは言わないって。ただアイツ、クソが付くほど真面目で、割と融通効かないから……多少の強引さは求められると思うよ。いや、一果なら平気か?」

 ミヅキは椅子の上で胡坐をかいて、頬を緩ませる。それで彼女が、アタシの初恋を嬉しく見ている事が分かった。

「ホント真面目だよね、遠前クン。期末の勉強も前言ったからって、見てくれるみたいだし。

あっ、週末にね、補習課題見て貰って、いっぱい勉強教えて貰ったんだ!」

「伊達に学年一位取ってないからね」

「うん。でも意外だったのは、遠前クンが宇宙だけじゃなくて、海も好きってコトかなあ」

「……え? 海?」

 それまで微笑んでいた深月の表情が、途端に怪訝な顔に変わった。まるで触れてはいけない部分に触れたかのように。

「それ……心太郎が言ってた?」

「え、うん。ビデオ通話したんだけど……その時にチラッと本棚見えてさ。そういう方面の本が多かったからそうなのか聞いたら、そうだって……」

「……成程。まあ、そうか」

「ミヅキ? もしかして何かアタシ、変なコト言った?」

「ああ、いや。気にしなくていいよ、私が忘れてただけだから」

 ミヅキの言い方は引っかかったけど、話したくないコトを聞き出すのは良くないから、流す事にした。

「けどアイツ、一果には特に甘いように見えるね。……脈ありかもよ」

「ちょ、ちょっとやめてよミヅキ~~! そりゃあ遠前クンとは今すぐ恋人になりたいし、ご両親に挨拶もしたいけどさ~~! でもでも、まだまだ親密さが足りないというか、友達としてもっともっとお互いを知っていかなくちゃいけないっていうか~~」

「いや重い。一果、色々重い」

 ミヅキがドン引きした顔でアタシを見ている。うーん、将来のコト考えたら早いうちに挨拶に伺うのが確実だと思うんだけどなあ。

「お父さんもお母さんも、遠前クンとは仲良くなれると思うし。ミヅキは、遠前クンのご両親がどんな人か、知ってる?」

「……心太郎の……」

 アタシの質問に、ミヅキの表情は完全に凍り付いた。さっきの怪訝な顔よりも、もっと何かを押し殺したような顔。その表情のまま、ミヅキは俯いて何やらブツブツと呟く。

「ミヅキ……?」

 そこでアタシは、思い出した。この前のデートの際、遠前クンが両親の話をした時、少し言いづらそうにしていたコト。そして、『とても仲が良かった』と、何故か過去形だったコト。

「まぁ……先に行きたいなら、そのうち知るか……」

 ミヅキは視線をアタシに向けた。眼鏡の奥の瞳が小さく揺れている。

「心太郎の両親だけど……お母さんに関しては、私からは話せない。いつか心太郎から、直接聞いて。で、お父さんの方だけど……」

 ミヅキはスマホを取り出すと、メモアプリに何かを書き込んで、アタシに見せた。

「『遠前勇気』……」

「心太郎のお父さんの名前。調べたら分かる。後はまあ……自己責任でお願い」

 ミヅキはそれだけ告げると、鞄の中からニーソックスを取り出して履き始める。アタシは少し迷った末に、廊下に出て、誰もいないのを確認してからスマホを開いた。震える指でさっき見た名前を打ち、検索すると――

「……は?」

 ヒットした三年ほど前の幾つかのニュース記事。それらを見て、アタシは言葉を失くした。

『ISSより帰還の宇宙船、墜落――遠前勇気さんら三名不明』

『宇宙船墜落事故――海中からの回収は困難』

『原因は『プログラムミス』――疑問多く残る公式発表』

 宇宙船、墜落……。それらの単語を繋ぎ合わせて分かったのは、『遠前クンのお父さんは元宇宙飛行士で、三年前の事故で亡くなった』ということ。

 動画で検索すると、墜落事故直前の、宇宙からの中継映像が残っていた。イヤホンを持って来ていないので、そのまま再生する。

『地球の皆さんこんにちは! 遠前勇気です!』

画面に映し出されたのは、遠前クンによく似た、だけど快活に笑う中年男性。その笑顔は、歳は離れていても、心から楽しい時に彼が見せる笑顔を更に顔全体で笑わせるようにした感じだった。

『遠前さん、帰還までもうすぐという事ですが、帰ったら一番にやりたいことはありますか?』

 インタビューしているアナウンサーの質問に、その人は何処までも爽やかな笑顔で即答した。

『妻と息子に会いに行って、力一杯抱き締めたいです!』

 映像が終了した時、アタシは泣いていた。この人の望みが叶わなかったんだと思うと、悲しくてたまらなかった。そしてきっとアタシ以上に悲しかったのが、遠前クンなんだ。

 結局アタシはその後、すぐに帰ることにした。頭の中がグチャグチャして、誰とも会いたくなくなったから。引ったくるように鞄を取って帰るアタシを、ミヅキは無言で見送ってくれた。





「やっと終わった……」

 放課後。掃除当番と日直が同時に来た僕は、両方の仕事を終え、職員室を出た。日直は最後に今日の授業内容とその日の所管を『日直日誌』に書き、放課後担任に提出する必要がある。面倒なので昼休みに予め書いてしまう人も多いのだが、その日の最後に出す以上、僕としてはちゃんと一日を終えてから書きたかったのだ。

「真弓さんと深月はもう来てるだろうな……ちょっと急ごう」

 そうして気持ち早めに歩き出した。

 二階の階段を上ろうとした時――スマホが着信音を鳴らした。メッセージアプリの着信じゃない。普通電話での着信だ。僕は嫌な予感を抑えられないまま、送信元の番号を確認する。その明らかに固定電話の番号は――僕の実家の番号だった。

「……もしもし」

 気分の沈みがそのまま出たような声音で応答した。

『もしもし、心太郎。一か月振りかしら』

 聞こえて来たのは、お淑やかで知的な女性の声。だが、それはあくまで声の印象だけでしかない。彼女とこれからの会話を想像すると、辟易せざるを得なかった。

「……母さん」

 通話相手の名前は、遠前千鶴とおまえちづる。僕の母親だ。最後に電話したのは、中間テストの結果報告以来だろう。

『あと二週間で期末考査よね。まあ、心配はしてないわ。この間の中間で一位だったなら、油断しなかったら五位以内には入れるでしょうし。それより心太郎、聞いて欲しいんだけれど――』

「……えっ? ああ、うん……」

 最初にテストの話になり、『やっぱりか』と身構えたものの、話はすぐ別の方向に行った。これは僕にとっては想定外の事態だった。普段ならテスト範囲から勉強の進捗確認等、細かなチェックが入る筈だった。だが、今日はその話は殆どなく、とりとめのない雑談に移行したのだ。こんな事は、今まで無かった。どうやら今日は、相当機嫌が良いらしい。何があったかは知らないけれど、ラッキーな事だった。

 そうして母さんの話に適当に相槌を打つ。話の内容は本当に大したものじゃなかった。仕事で見かけたおかしな客の話や、今年の空梅雨で、四国の水不足がどうとか、そんな世間話。いつ振りだろう。母さんとこんな話をするのは。妙な感慨を覚えながら、会話を交わすこと十分。

『期末考査がもう少しという事は、『進路調査表』も提出しなきゃいけないわね』

 進路調査。学年問わず、一学期末に提出する物だ。テスト期間の直前に配布され、テスト明けに提出する。進路は第一希望から第三希望まで欄があるものの、第一希望だけ書いても問題ない。意識的に忘れていたそれを思い出して、再び心臓が冷えるのを感じた。

『心太郎、第一希望は何かしら?』

 先程までの安心が、その質問で一気に吹き飛んだ。ここでもし下手な事を言えばどうなるか。今までの経験から言えば、激怒して怒鳴り散らすだろう。だから僕は、彼女が最も望む答えを、望むままに返した。

「それはもちろん……『海技士』だよ。僕が……『父さんを見つけるから』」

 口を開くのに、少し時間が掛かった。前までなら、もっとすんなりと口に出来た筈なのに。それを聞いた母さんは、暫く逡巡するように沈黙した後、

『そうね。良いと思うわ』

 と、少しだけ悲しそうな声で言った。

 通話を切ると、やはり母さんの様子が変だった事が気になった。あの人はもっと、僕が海技士を目指すことを喜んでくれていた筈だった。なのに今日は、何処か迷っていたような。けど、考えても仕方がない。階段に預けていた腰を上げ、視線を前に向ける。誰もいないと思っていたそこに――良く見知った濃藍の髪の少女がいた。

「……真弓さん?」

 鞄を背負い、まさに帰るところと言った彼女は、何故か赤くなっている眼を瞠目させて僕を見ていた。

 いつからいたのか、何処から聞いていたのか。聞こうと思ったけれど、それよりもここから去りたい気持ちが勝った。鞄を持ち、無言で彼女の横を通り過ぎようとした。自分でも無理な行動だと思った。案の定、真弓さんに右手を掴まれる。顔を身体の向く方に固定したままの僕に、真弓さんが口を開いた。

「……ゴメン。殆ど最初から聞いちゃってたんだけど……お母さん、だよね」

 僕は未だ、彼女の顔を見れなかった。先の会話を聞かれたという事は、きっと知られたのだろう。

「その……カイギシって仕事が何なのか、アタシはよく知らないけど……お父さんを見つけるって……宇宙飛行士だったお父さんのコトだよね」

「知ってたの……!?」

 思わず振り向くと、そこには今にも泣き出しそうな顔で唇をきつく結ぶ真弓さんの顔があった。

「乗ってた宇宙船が海に落ちて……今でも何処にあるか分かんないって聞いた。ねえ、遠前クンはもしかして、それを見つける為に――」

「そうだよ。僕が……」

 僕は真弓さんの手を振り払うと、何の感情も写さない顔で言った。

「僕が母さんに『見つける』って言ったから」

 真弓さんに顔を見せたくなくて、すぐに身体ごと彼女に背を向けた。

「ごめん。一人で帰らせて欲しい」

 何か言いたげな真弓さんの先手を打つ形で、突き放すように言った。心が冷え、表情筋が凍り付いているように感じた。だけど同時に、つい最近までこれが普通だった事も思い出した。

早歩きで階段を降りて下足室へ向かった。外に出ると、土砂降りの雨だった。

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