第15話 ビデオ通話

 あの真弓さんとの懇親会という名のデートから、一週間後の日曜日。マンションの外では、二日連続となる雨が窓を叩いていた。どうやら今日は、風も強いらしい。外出は控えた方が良さそうだけど、僕は机の上で参考書とノートを広げていたので、関係ない。

恋愛感情を自覚すると相手の顔も見られない、と聞いた事があったけど、僕の場合は全然そんな事は無かった。普通に顔を合わせられるし、『よっす』という彼女のいつもの挨拶にも、ちゃんと返す事が出来た。今週は二回、浅木山の例の草原で、真弓さんの能力について検証を行った。その結果分かったのは、以下の三つ。


①無重力になった時、、地面から約六十センチより低い位置にあるものは、その高さまで自動で浮かび上がる。

②重さをゼロに出来る(宙に浮かせられる)最大の重量は、百キロ弱(この強さになる理由は教えて貰えなかった。『体重掛ける』とか何とか聞こえた気がした)

③彼女の能力の作用は、あくまで個々の物体の質量に依存する(五十キロの人間が二人いても、二人とも問題なく浮かぶ)


 改めて見ても、本当に彼女の超能力は不思議で一杯だ。既存の物理法則とは異なる何かが働いていると言われても、納得出来る程に。真弓さんという人間は勿論として、彼女の能力についても知りたい事は幾つもある。

 そんな事を思い、明日からの学校を楽しみにしていると、ベッドの上のスマホから、着信音が鳴った。

『遠前ク~~ン。課題全然分かんないんだけど助けてぇ~~』

 噂、いや思考をすれば影。真弓さんからのメッセージが届いていた。そういえば、補習課題が分からなければ教える、と約束していた。今週一切その話題を出さなかったから大丈夫かと思っていたが、ひょっとして無理をしていたのだろうか。少し心配になりながら快諾の報を飛ばすと、一分もしないうちに返信が来た。が、その返信を前に、思わず僕は心臓を大きく跳ねさせた。

『問題共有したいから、ビデオ通話掛けていい?』

 ビデオ通話。それは深月と太陽とすらやったことの無い、未知の領域。その驚きに、問題共有なら写真で問題を撮ればいいという当たり前の発想すら抜け落ちた。

カメラでお互いを映しあうという事はすなわち――休日の真弓さんの顔が見られるということだ。しかし、それは同時に休日の僕の姿を見られる事も意味する。『準備出来たら言うよ』とだけ送ると、すぐさま洗面所へと直行。鏡を見ると、鳥に襲われたのかという程、激しく寝ぐせが付いていた。急いで寝ぐせ直しと櫛を手に取り、平日と同じ髪型になるよう整える。別段凝ったセットなどしていない為、ものの一分もあれば、普段通りだ。意を決して『いいよ』とだけ返すと、すぐにスマホが、僕の身体より大袈裟に震え出した。『応答』ボタンをタップすると、画面一杯に真弓さんの顔が映し出された。

『よっす、遠前クン! アタシのこと、見えてる?』

「う、うん……見えてるし、聞こえてるよ」

 カメラの向こうで、見慣れた人好きする笑顔で、真弓さんが手を振っていた。ただし一点だけ、いつもと違う点があるけど。

「えっと、真弓さん……」

『ん? どうかした?』

「その……髪型が……」

 今まで僕が見てきた真弓さんは、例外なく同じ髪型をしていた。重力に逆らうように、濃藍の髪を結い上げたスタイルだ。しかし、今日の彼女は真逆。重力に従い、髪を真っ直ぐ降ろしていた。言ってしまえば特に整えていない、自然なままの状態。しかし、髪型一つ変わっただけで、新しい彼女の一面を見た気がして、心臓が高鳴る。

『ああ、これ? 予定ない日なんかは、いつもこうだよ。家から出ないのに髪整えても、仕方ないし。……人に見せるのは、ちょっと恥ずかしいけど』

 前髪を指に巻き付けつつ、苦笑する真弓さん。これ以上直視していると勉強どころでは無くなりそうなので、そちらに話を持って行く。

「そ、そうなんだ。それで、課題で分からない所があったって言ってたよね。何処?」

『そうそう、それがさ~~……』

 真弓さんはカメラを机の上のプリントに移した。補習課題は、右上をホッチキスで止めた、何枚かのプリントで構成されているようだ。最初に彼女が見せたのは、数学Ⅱだった。確か彼女が赤点を取った教科は五つだったから、同じものがあと四枚あるということか。大変そうだ。ただ、やはり分かりそうな所は自力で解いた痕跡があり、彼女が僕に解法を聞きに来たのは、やや難しめの応用問題ばかりだった。

「思ったより自分で頑張ってる。これなら、一から全部はやらなくて良さそうだ」

『むぅ。遠前クン、さてはアタシが、キミにおんぶにだっこになると思ってた?』

「正直に言うと……うん」

『ひどい! アタシだってやる時はやるし! というか……』

 三角関数のグラフを映しながら、真弓さんは照れたように言う。

『遠前クンに、その……あんまりバカな娘だって思われたくなかったし……。手遅れかもしんないけどさ……』

 思わずスマホを置いて、手で顔を覆ってしまった。『遠前クンにあんまり迷惑掛けたくなかった』辺りかと予想していたら、全く違うアプローチから来た。どうして僕にそんな見栄を張ろうとするんだ。勘違いしそうだから本当に止めて欲しい。

「……つまり、知りたいのは応用問題の解き方って事でいい? その方向で話すけど」

『うん、いいよ。よろしくお願いします、先生』

「……うん」

 悪戯っぽく『先生』なんて呼ばれたせいで、また心臓がむずがゆくなる。どうにかそれを振り切って、僕は授業を始めた。





「……化学の問題はこれで最後かな? ちょっと休憩する?」

『おねがい~~』

 聞くからに疲労困憊と言った声で、真弓さんは応えた。あれから二時間程勉強を続けて、ちょうど三時頃。数Ⅱと化学が終わり、残りは三教科。提出日は来週土日を挟んでの月曜日らしいので、今日急いでやる必要はない為、今日はこれで終わってもいいぐらいだろう。

『けど、やっぱ遠前クンは凄いね。初見の問題なのに、すぐ解き方理解して解説まで出来ちゃうんだもん。流石学年一位だよ』

「解法の引き出しが増えれば、真弓さんも出来るよ。基礎的な事はちゃんと押さえてたから、後は反復学習すれば、期末までにはかなりモノになる筈だよ」

 今日真弓さんに教えていて思ったのが、教え甲斐のある娘だって事だ。五つも赤点を取ったとは思えない程、基礎が身についているし、理解も早かった。彼女の成績の悪さは、やる気の問題だった可能性が高い。

『ああ~~疲れたぁ。甘いモノ食べよっと。ねえ、アタシが言うのも何だけどさ……今日アタシ、結構頑張ったくない?』

「そうだね。それは僕も思うよ」

『ヘヘン、でしょでしょ?』

 電話の向こうではしゃぎ声を上げる真弓さん。率直に言って、とても可愛い。

「次の期末は、赤点ゼロを目指せそうだね」

『むぅ……重い事言わないでよ。アタシだって取りたくて赤点取ってるワケじゃないけどさ……いきなりゼロは、ハードル高いっしょ。……まぁ、その……達成したら何かあるって言うなら、頑張れるかも、だけど』

 躊躇いがちな声と共に、画面に眉を八の字にした真弓さんの顔が映る。最初の頃と比べて、真弓さんはこうした表情を見せる事が多くなった。普段の軽いノリの印象が強く、何事にも動じなさそうな娘だと思っていたけど、本当は意外と照れ屋なんじゃないだろうか。けど、今は別に照れるような状況でない様に思えるけれど。

「つまり、ご褒美が欲しいって事? それは構わないけど……何か僕にして欲しい事ある?」

『あるよ。けど……言うのは実際達成してからでいい?』

「いいよ」

『えっ、そんなアッサリ?』

 真弓さんが驚いた声を上げた。何をお願いされるか分からないというのは、怖いと言えば怖いけど、まあ真弓さんに限ってそんな無茶な事は言わないだろう。そういう日頃の信頼があるから、大丈夫だ。

「何にせよ、真弓さんが欲しいモノがあるなら……僕も頑張って教えないとね」

『て、手伝ってくれるんだ』

「え? そのつもりだと思ってたんだけど……違った?」

『……ホントに良いの?』

「期末は赤点ゼロを目指そうかって、僕も言ったし」

 真弓さんの成績を見た時、確かそう言った筈だ。軽い日常会話だとしても、言った以上行動はする。

 いや、今の僕からすれば、それはあくまで建前だ。本音はただ、真弓さんと顔を合わせる口実にしたかっただけだ。

『……もう。そうなったらアタシ……ホントのホントに全力出さなきゃじゃん。……アリガト、遠前クン』

 そうとは知らず、真弓さんはただ純粋に礼を述べていた。

「よし、じゃあ……あっ、待って。その前にちょっと、トイレに行ってくるよ」

 僕は背面カメラを映してから、尿意を感じてスマホを机の脇に置き、トイレに向かった。純粋に用を足しただけだけど、真弓さんと長く会話した事で騒ぎ始めた心臓を落ち着かせる、クールタイムにもなった。

「お待たせ、真弓さん。じゃあ、そろそろ再開しようか」

『ゴメン、遠前クン。ちょっと気になったんだけど……さっき、遠前クンの本棚が見えたんだけど……』

 本棚。それを聞いて、僕は机にカメラを伏せてトイレに行っていたことを思い出した。その上で脇に寄せたせいで、背面のカメラが天井まで続く高い本棚を映していたのだ。

『遠前クン……『海』にも、興味あるの?』

 丁度カメラが映した先には、『海技士資格』の本が置かれていた。

 そうか。真弓さんは、僕が宇宙好きだから、そっちの本ばかりあると思っていたんだ。それなのに、宇宙とは真逆の位置にある海に関する『海技士』という職業の参考書。気にならない訳がない。

「……まあ、最近ちょっとね。それより、ホラ。次は、何の教科をするの?」

 少し強引にでも、話を切り上げるしか無かった。これ以上追及されれば、どうしても『あの事故』の事を話さなくてはいけなくなるから。

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