第13話 二人だけの親睦会③
ゲームセンターでひとしきり遊んだ後、僕達は予定通り、喫茶店を訪れていた。
その店は、僕と深月のお気に入りの店。駅から十分程歩いた所の路地にある為、週末でも満席にはならない。店に入ると、五十歳ぐらいの男性店主が、『お好きなお席にどうぞ』とにこやかに声を掛けてくれた。
「おお~~何か天井でグルグル回ってるんだけど……アレ何?」
「天球儀だよ。太陽系の惑星の動きが再現されているんだ。だから内側の電球程速くて、外側の電球程遅い。あれが、この店の照明でもあるんだよ」
昨日深月も言っていたけれど、最後に訪れた時から、何も変わっていなかった。
天井だけじゃない。カウンターには小さな地球儀が、観葉植物の代わりと言わんばかりに望遠鏡が置かれている。ここは、とにかくあらゆるインテリアが天文関連に統一されているのだ。それは天井の天球儀を目立たせる為、遮光カーテンで日光の量を調整までしているこだわりっぷり。それが、僕と深月がこの店『コスモ珈琲』を好きな理由の一つだ。
「それでそれで、遠前クン。確かプリンが食べたいんだっけ? どれどれ?」
テーブル脇のメニューを手に取り、真弓さんが僕に手渡す。それを受け取って彼女の向きになるよう、開いた。どうせ僕は、目当ての品が何処に書いているか分かっている。
「この店でプリンと言ったら、これ一択だよ」
そう言って、一ページ丸ごと使って、大きく写真が載せられたページを開いた。そこには、カラメルソースがたっぷり掛かった卵色のプリンの上に、丸いバニラアイスがどっかりと乗ったプリンが、煽情的なアングルで撮られていた。
「『コスモプリン』……!? 何コレメッチャ美味しそう! こんなのズルじゃん!」
写真を見た真弓さんは目をキラキラ輝かせて、ドリンクメニューのページを開いた。そこを一瞥すると、チラリと僕を見た。その視線の意図を何となく察した僕が無言で頷くと、彼女はよく通る声で店主を呼んだ。
「すみませ~~ん! コスモプリン二つと、メロンソーダと……」
「ダージリンをお願いします」
注文をメモに取ると、店主は皺の刻まれた目元を細め、『少々お待ちください』と、穏やかに告げて、キッチンに入っていった。
「こんなお店があったなんて、アタシ全然知らなかったよ」
「少し駅から離れているし、立地も目立たないからね。僕も深月に連れて来られたのが、最初だったし」
「深月もスイーツ好きなの?」
「そうだよ。彼女は僕より此処に来てるから、コスモプリンだけじゃなくて、全部のスイーツを制覇してるよ」
「おお~~アタシもスイーツ食べ歩きとかするけど、一個のお店を制覇するとかはやったコトないんだよね」
真弓さんは水の入ったコップを両手で握りながら微笑んだ。
「で、それはそうと……さっきの勝負の結果、覚えてるよね?」
「……それは勿論」
ゲームセンターで、『負けたらカフェ奢り』という条件で勝負をして、負けた。約束を反故にする気は一切ない。だからこのティータイムの料金は僕持ちだ。まあ、二人合わせても二千円程度だから、全然大丈夫なんだけど。
「それにしても、ちょっと遊び過ぎたね」
「まあ、良いんじゃないかな。二人だし」
「まあ、そうだね」
時計を見ると、四時前だ。実に三時間以上ゲームをしていた事になる。リズムゲームの他には、ガンシューティングにメダルゲーム。クレーンゲームもやった。取得したぬいぐるみは、真弓さんの鞄の中に入っている。最後にはプリクラも撮った。プリクラは初めてだったけど、真弓さんが設定してくれたので、撮影自体はスムーズだった。
「ところで真弓さん。スイーツ食べ歩きって言ったけど、ここ良かったよってお店ある?」
「あるよ~~。この辺だとね……」
プリンとドリンクが着くまでの間、僕達は何てことのない会話の応酬をした。何の実りも無い、他愛もない話題ばかり。だけど、その『意味のない会話』を彼女と交わす事が、妙に心が躍った。だから、お待ちかねだった筈のスイーツが届いた時、少し水を差された気分になってしまった。とはいえ、そんな思いは、はしゃぎながらスマホでプリンを撮る彼女の姿を見て、すぐに霧散した。
「頂きま~~す! ……おお、これは……」
「口に合ったかな?」
「うん。何というかこれは……宇宙感じるわ」
ちょっと深月みたいなことを言う真弓さんに、小さく笑いが漏れた。
突き動かされるようにスプーンを進める彼女を見て、僕もバニラアイスとプリンを同時に匙に乗せて、口に運んだ。
「うん、この味だ」
本当に久しぶりに食したコスモプリンの味は、記憶の中のそれと相違なかった。
バニラアイスとプリンの組み合わせは、一見すると甘ったるくなりそうに思える。しかし、コスモプリンは違う。口に入れると、アイスとプリンの強大な、甘露なハーモニーが口の中で響く。が、呑み込む時には甘ったるさ等を微塵も残さないため、驚くほど後味がサッパリしているのだ。その秘密が、アイスとプリンを覆うカラメルソース。実はこれ、単体で舐めるとかなり苦い。だからこそ、その苦さを以て甘ったるい後味を消し去ってくれるのだ。僕がドリンクに珈琲ではなく紅茶を選んだのは、苦さで甘さをリセットする必要が無いからである。
あまりの美味しさに、僕達は言葉を忘れて食べ進めた。
「っふぅ~~! いや凄いわコレ! アタシの人生最強プリン更新した!」
心から満足そうに笑いつつ、ソファに背中を預ける真弓さん。自分にとって好きな場所を気に入って貰えるのは、素直に嬉しい。
「……ねえ、遠前クン」
真弓さんは、身体を起こして、半分程残ったメロンソーダをストローでかき回すと、満面の笑みを向けた。
「また来ようね!」
「……うん」
底抜けに明るいその顔を、僕は何度も見てきた筈だった。だけど、今日は何かが違う気がした。例えるなら、今までの笑顔が月明りなら、今の彼女は太陽。どうしてかは分からないけれど、彼女が前より綺麗に、輝いて見えたんだ。
猫舌じゃない筈なのに、口に含んだダージリンが、妙に熱く感じた。
*
再び駅に戻ると、今度はさっきの反対方向に向かって歩き出す。向かう先は、駅からも見える、ランドマークタワーだ。
「あそこってさ、視界には入っても実際行くのは初めてなんだよね」
「そうなんだ。結構綺麗だよ。夜景というには、まだ時間が早いけど……」
「まあまあ、逆に夜は混みそうだし、丁度良いじゃん」
僕の右手側で、ぶつかりそうな程寄って、真弓さんは歩いていた。僕達の身長は同じぐらいだから、横を向けばそこに彼女の横顔がある、ということになる。エクステを付けてよりパッチリした目元、薄ピンク色の口紅を塗られた、瑞々しい唇。最近意識しないようにしていたけれど、改めて見ると、やはり真弓さんは飛び抜けて美人だ。これだけ綺麗な女性が自分のすぐ隣を歩いているというのが、何かの間違いという気さえしてくる。
「どうしたの、遠前クン? ……あっ」
距離の近さに気が付いたらしく、真弓さんはサッと距離を空けた。
「……ゴメン。意識してなかった……」
「……いや、大丈夫」
意識していない、か。無意識にあれだけパーソナルスペースを詰められたとなれば、逆に僕が意識せざるを得なくなってしまいそうだ。
しかし、その心配はとりあえず問題無かった。その後すぐに、お目当てのタワーに着く事が出来たからだ。直ぐに入場料を払って、直通エレベーターで展望台に到着した。
「へえ~~なかなか良いじゃん」
景色を視界に入れるなり、真弓さんは小走りで案内板へ向かって行く。景色を三百六十度見渡せる展望台には、僕達の他に何組かの男女ペアがいた。見るからに学生カップルの二人もいれば、何十年の付き合いであろう老夫婦もいた。真弓さんが立っている案内板の横には、備え付けの双眼鏡が置かれている。
「う~~ん、流石に浅木山は見えないよねぇ」
「あそこは標高低いからね」
案内板に目を通す。今いる位置から見える山や建物の名前が表記されているものの、あまり遊びに出ない僕には、名前だけではイマイチピンと来ない。だから、何処に何があるか、ではなくどの辺りが綺麗か、で覚えている。
「あっ、ウエストビルじゃん」
真弓さんが指差した先には、一際高いビルがあった。
「何がある所なの?」
「あんまり知らない。けど、上の方に高~~いレストランがあるってさ」
「少なくとも、僕達にはまだ縁が無さそうだ」
「アハハ、だね」
社会人ならともかく、学生の身で高級レストランなんて、デートでだって行ける場所じゃない。そもそも行く相手すらいないし。
ふと無意識に、真弓さんに視線が行った。彼女は口の端を緩めながら、じっと遠くを見ている。
デート。考えてみれば、僕と真弓さんが今日やっている事は、一般的にはデートと呼称するものなのではないか。映画を観て、ゲームセンターに行って、展望台まで来ている。本来なら深月がいた筈だが、病欠だったので二人で、だ。だとしたら僕は、今日人生初のデートを経験しているのではないか。それも、こんなに素敵な人と。まあ、深月と二人で出掛ける事は何度もあったので、アレをデートと呼称するのなら、そうではなくなるけど。
「遠前クン、あっちの方も見てみない?」
「えっ? ああ、うん……」
真弓さんが急に首を僕に向け、後ろを指差した。景色ではなく彼女を見ていたことは気付かれなかったらしく、少しだけ安心した。
逆方向に行っても、真弓さんは相変わらず楽しそうにしている。初夏のこの時間では、夜景はおろか夕焼けにも早い。つまり、単なる街の風景に過ぎない。つまらない訳じゃないけど、女子の心を動かすには、どうしても弱いと思える。それなのに真弓さんは、ずっとニコニコしている。禄に笑顔も作れない僕と一緒なのに、だ。
「凄いなぁ、真弓さんは……」
「えっ? 何が?」
思わず心の声が漏れてしまった。突然褒められた真弓さんは、キョトンとした顔で僕を見つめている。聞かれてしまったからには仕方がない。
「いつだって、そんな風に楽しそうに笑えるところが、だよ」
「そんな事ないよ。アタシ結構カオに出るタイプだから、嫌な時は嫌って顔するし、つまんなかったらそれも出るし」
「確かに喜怒哀楽は出るけど……それにしても、笑ってない人と一緒でもずっと笑えるのは、本当に凄いよ」
「……笑ってない? 誰が?」
本当に言っている事が分からないらしく、小首を傾げる。
「いや、僕だけど」
「笑ってるじゃん」
「……えぇ?」
当たり前の事を当たり前に答えるように、真弓さんは平然と言ってのけた。
「顔全体でニマ~~って感じじゃないけどさ、ちゃんと見てたら『今笑ってる』って、何となく分かるよ。何というか……雰囲気で!」
「雰囲気……で?」
「そっ。表情はあんまり変わんなくてもさ、心では笑ってるって、アタシにはちゃんと伝わってるから」
心で笑っている。そんな事、初めて言われた。笑うのが苦手な僕が笑っているって、気付いてくれていた。そんな事を言われれば、また僕は――君に引きつけられてしまう。
「アハハ……何かアタシ、恥ずかしいコト言っちゃったね」
「そんな事ないよ。……ありがとう」
「……うん。どういたしまして」
少し恥ずかし気に、真弓さんは笑った。でも、僕はもう少しちゃんと伝えたくて、少し付け足しをした。
「僕が少しでも笑えるようになったのは、真弓さんのお陰だから。気付いてくれて……ありがとう」
「……うえっ!?」
急に真弓さんの顔が夕日みたいに真っ赤になり、両手で口元を覆った。
「あ、あの……遠前クン……その……」
僕から一歩後ずさりしてから、少し視線を横にずらしつつ、消え入るような声で言った。
「そんな恥ずかしいコト……言わないで」
どうやら、言葉のチョイスが悪かったらしい。照れているだけだと信じたいけれど、、万が一嫌がっていたら大変だ。
「えっと……ごめん。忘れて」
「ううん、忘れないよ」
僕の言葉を即座に拒否すると、真弓さんは口元から手を外し、頬を紅くしたまま微笑んだ。
「すっごく嬉しいから……一生忘れない」
宝物を受け取ったような、そんな喜びが滲み出た表情。そして『一生』という少し重い言葉。それらが何を意味しているか、僕は敢えて考えなかった。考えたら、勘違いをしてしまいそうだから。
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