第8話 深月の友達

「えっと……」

 どうしよう。本当にどうしよう。

 手足の汚れなどお構いなしに、深月はその場で項垂れて地面に両の手と膝を着いていた。僕も真弓さんも、深月に掛ける言葉――というか言い訳が見つからない。そもそも深月がどうしてここに来たのか気になるんだけど、それを聞いた所でまず答えは帰って来ないだろう。

真弓さんの超能力の話をする訳にはいかないし、かといってそれ抜きに彼女とこの場所で、二人で会っていたことを上手く誤魔化せる嘘が思いつかない。助けを求めてチラリと真弓さんを見たが、彼女も『どうしよう』という感じで困り笑いを浮かべているだけだった。

「フッ……フフフ……」

 そうして困りあぐねていると、不意に深月がフラフラと立ち上がった。前髪に隠れて目元は見えないが、その口元は怪しげに三日月を描いていた。

「そうか……そういう事か。全部分かった」

「えっと……何が?」

 朧気に『分かった』と呟く深月に、嫌な予感を全身で感じながら、僕は尋ねた。直後――

「お前がいきなり天文熱を取り戻した理由に決まってんだろうがアァァ!!!」

 半泣きの深月が、いきなり僕の胸倉を掴んでガクガクと揺らしてきた。

「まさか真弓さんとお近づきになる為の手段だったとは、流石に予想出来ねぇわ! クソォ、同志が再び帰って来たと本気で喜んだ私は何だったんだ!!」

「ちょ、深月……落ち着いて……制服が汚れ……」

 対格差があるため首が揺れはしないけど、それはそれとして首が軽く締まって苦しい。何より絶叫が至近距離から響くので、耳が痛い。加えてさっきまで地に着けていた手を拭かず、そのまま掴みかかって来たので、首元に泥の手形をべったりとつけられた。だが、完全に取り乱している深月は、一通り感情を吐き出すまで止まらない。

「何がそんなに気に入ったんだ! 胸か!? 乳だな!? おっぱいなのかよこのムッツリ野郎!! 私の喜びを返せ!! あとついでに二千円も返せ!!」

「ちょいちょいミヅキ! 遠前クンが死にそうになってるからやめたげなって!」

「太陽のアホとは違ってお前だけは絶対に裏切らないと信じていたのに――グホッ! ゲホッ!」

 喉を痛めたか、今度は深月が死にそうになった。ここだけを切り取れば結核患者と言われても信じられそうな咳をする深月の背中を呆れながらさすってやる。

 ん? ちょっと待って。

 深月が息を吹き返したところで、小さな違和感に気が付く。今真弓さん、何て言った?

「真弓さん。深月のこと知ってるの?」

「友達だよ。けど、遠前クンは何処で知り合ったの?」

「僕と深月は小学校からの付き合いだからね。むしろ、真弓さんの方は?」

「アタシはホラ、去年同じクラスだったから」

 思い返してみれば、確かにそうだった。去年も今と同じで、深月が僕の教室に来る事が多かった為、逆はあまり無かったけれど。

「ってそんなこと言ってる場合じゃなかった!!」

「え? ……あっ、確かに!!」

 能力を使っていなかった時に見つかったのは不幸中の幸いだったが、怪しまれる状況にあるのは間違いない。

「あのさ、ミヅキ」

「ひぃ!」

 真弓さんの声を聞いた深月は、即座に僕の身体に隠れるように真弓さんから離れた。

「……友達じゃないの?」

 僕の腕をがっちり掴む深月を見ると、青い顔で残像が映る程に首を横に振る。

「いやいやいやいやいやそんな友達だなんて畏れ多い!! ただクラスのグループワークで一回だけ同じ班になっただけでございまして――」

「いやいや、一つの事一緒にやったなら友達っしょ? ミヅキも話に加わってくれてたし」

「えっ、深月と真弓さんが話し合った?」

 この様子を見るととてもそうとは思えないが。いや、待て。

「その……一緒になったグループワークって、どんな内容だったの?」

「太陽系の惑星について一つ調べてまとめるってやつ」

 納得した。それは深月の得意分野だから、人見知りよりオタクの性が出たんだろう。だから真弓さん相手でもまだちゃんと話せた、と。

「あ、ああアレは本当に話に夢中になっただけででで……。そそ、それに途中からは結局あんまり話せなくなってぇ……。いやそれよりだ、心太郎」

「喋り方の切り替え凄いね」

 身体の震えが僕に視線を移すなり止み、泳いでいた目線も真っ直ぐになる。

「そもそもあんた、何でここを知ってんの?」

「どっちかと言うと、それは僕のセリフなんだけど」

「あんたも知ってるだろうけど、ここ来るの、かなり面倒だぞ? 今日はまだ雨だったから虫はアレだけど、代わりに草木に付いてた水で結構濡れたし。……ん? 待て」

 あっ、まずい。確かに深月は今、制服の一部が肌に張り付いているし、髪も湿り気を帯びて、くせ毛が更に強くなっている。しかし、彼女が通った道を行っていない僕達は、髪も制服もしっかり乾燥している。深月は僕と真弓さんを交互に見比べて、その事に気が付いたようだ。

「何であんたと真弓さんは濡れてないんだ? ……まさか、私の知らない抜け道が何かあるのか?」

 深月が睨むように僕を見つめる。正直、八方塞がりだ。

 彼女は僕達が裏道を使ってここまで来たと思っている。まあ、裏道といえば裏道だけど、その絡繰りを話す事は出来ない。では陸路での道がさっき深月が来た方以外にあるかと言うと、間違いなくない。そもそもこの草原は山から飛び出す形で出来た地形であり、そこに接する箇所からしか来れない。『深月よりかなり前に来たから乾いた』事にしようにも、時刻はまだ四時にもなっていない。今の深月の濡れようを見るに、一時間かそこらで完全に乾き切るとは思えない。

 どうしたものか、と頭を悩ませていると――

「あのねミヅキ。アタシと遠前クンが一緒だったのは――」

 チョンチョンと深月の肩を突くと、真弓さんは僕たちの周りから重力を消し去り、浮かび上がらせた。

「え!? ちょっと、真弓さん!?」

「う、うおおお!?!?」

 突然の事態に手足をバタバタさせる深月を、真弓さんは軽やかに近付いてその身を後ろから支えた。

「はえぇぇ!? ななな、何が――」

「驚かせてゴメンね。でもさ、アタシと遠前クンのコト知ってもらうには、これが一番良いかと思って」

 同性だとしても近過ぎる距離から可憐にウィンクを決めた真弓さんに、深月はただアワアワと口を痙攣させることしか出来ない。果たして今、何か言われても聞く耳を持てるだろうか。

「まあ、こんな感じで。アタシは自分の周りの重力を重くしたり軽くしたり、そういう超能力? 的なのがあるの。で、遠前クンには先週それがバレて、それで二人だけの秘密って事にしてたんだよね」

 まあ、重力は本当は『強い・弱い』なんだけど。深月はその辺りを気にするだろうが、今は大丈夫そうだ。

「ここは元々真弓さんの隠れ場所というか、自由に能力が使える場所だったんだ。彼女の好意でここに連れて来て貰って、それで色々調べさせて貰う感じかな」

「違うっしょ。それもあるけど、もうフツーに友達じゃん」

 そう言って貰えるのは嬉しい。けど、今は僕の心にある懸念が邪魔して、素直に喜べない。僕は眉が下がっているのを感じつつ、尋ねる。

「真弓さん。……良かったの?」

「ん? 何が?」

「能力の事、僕以外に話しても良かったのかなって。だって、今回は僕の時と違って、直接使う現場を見られた訳じゃない。確かにそれ以外で深月を納得させる方法は無かったかもしれないけれど、君にとって能力の事はそんな軽く明かせる事じゃないと思うんだけど」

「重力……制御……超能力……」

 真弓さんはガタガタ震えっぱなしの深月から手を離すと、少し目線を上にやって思考を巡らせた。やがて彼女は、いつもと変わらぬ軽いノリと笑顔で言い放つ。

「ま、ミヅキだし良いっしょ?」

「どうしてそんなに軽く……」

「だって、遠前クンの友達っしょ?」

「え? 僕の?」

「さっき言ってたじゃん、小学校からの付き合いって。それだけ長い事付き合えるって事はさ、それだけ遠前クンとも相性バツグンって事でしょ? なら良いじゃん。遠前クンが信じる人なら、アタシは信じる」

 天に輝く太陽の如き眩しい笑顔は、彼女の底抜けに明るい精神性を如実に現わしていた。まだ知り合って一週間も経っていない僕をここまで信じてくれる事は勿論、それが親友みづきを見る目にも影響出来たのが、尚更嬉しかった。だからか、胸の奥から喜びが押し出されたように、笑みが零れた。

「そっか……それなら良いか」

 僕に合わせるように、真弓さんも改めて笑顔を見せてくれた。しかし、それは次の瞬間、少しばつが悪そうな苦笑いに変化した。

「まあ、でもミヅキ結局怯えちゃったし……正解かどうかは分かんないけど」

 彼女が視線を落とした先には、地面に座り込んだまま俯いて震える深月の姿があった。

「いや、多分それは大丈夫」

「ん?」

「僕の知る限り、深月は今……」

 確かに一見、体躯も相まって恐怖に縮こまっているように見える。しかし、僕は彼女の人格を知っているから断言出来る。

彼女の震えが感動によるものだと。

「凄え……こんな事が現実にあるなんて……」

 深月は泥塗れの右手をグッと握り込み、顔を上げた。その表情は、感動に困惑を少しブレンドしたような顔だった。深月は眼鏡の奥の瞳を輝かせながら立ち上がり、僕の両肩をガッシリと掴んだ。制服にまたしても泥の手形が着くが、もう突っ込まない。

「今何処まで分かってる!? さっき言ってたろ!? 調べてるって!」

「えっと……まだ上方向の範囲だけ……」

「よっし、それだけなら許す! 原理まで解けてたら嫉妬で焼き払ってたけどな! ハハハハハ!!」

 物騒な事を付け加えてから、深月は本当に嬉しそうに天へと笑い声を響かせた。

「ふ~~ん、ミヅキにとってもアタシの能力はそんなに良いモノなんだ?」

 真弓さんがニコニコ笑いながら、深月の目線に割り込んでくる。そんな彼女に対して、深月は普段の人見知りが嘘のように饒舌になった。

「そりゃあそうでしょ! そもそも私達は普通に生きていたら、地球の重力圏内から脱出出来ないから無重力、より正確に言えば『無重量状態』そのものがまず有り得ない。遊園地の絶叫マシンなら体験は出来るけど、アレも単に重力加速度以下の速度で落下するが故の、演出みたいなものでしかないから、0Gで浮遊し続けるのとはわ、訳が……ちが……あっ、あああああ」

「……駄目だったかぁ」

 途中までは良かったんだけれど。少し話して冷静になったせいか、深月は顔を真っ赤にしながらそっぽを向いてしまった。

「ご、ごめん……その、気持ち悪い話し方して……」

「良いじゃん別に、もっと話して。アタシはミヅキの話聞きたいんだけど?」

 だが、真弓さんはその点流石だ。深月の話に興味を示し、自己嫌悪している彼女を優しく受容している。いつも通りの軽いノリを崩さないのは、何かと重く考えがちな深月の性格を察して、『気にしてないよ』とアピールしてくれているのだろう。

 そうして僕は、深月の交友関係に一つの希望を見出した。それが実現するかどうかは、他ならぬ深月自身に掛かっている。

「どうしてもって言うなら、僕が代わりに伝えようか?」

 僕は深月に、手を差し伸べる。だが、深月に真弓さんと仲良くなりたい気持ちがあるなら、きっと――

「いや……いい。私が自分で言う」

 深月は首を横に振ると、改めて真弓さんと向き合う。

「つまりわ、私が言いたいのは……私にとって今のは……しょ、正直生きてて良かったってレベル……というか……」

 深月は真っ直ぐ真弓さんを見つめて、僕や太陽と話す時と変わらぬ声量でハッキリと伝えた。

「当てたことは、無いけど……た、宝くじの一等より嬉しい」

 途切れ途切れでも、彼女はしっかり自分の気持ちを伝えられた。彼女にとって間違いなく、大きな進歩だ。

 僕と真弓さんは、同時に声を出して笑った。

「フフッ、ミヅキ、遠前クンと同じこと言ってる」

「ちゃんと自分で言えたね、深月」

 それぞれ別々の理由ではあるけれど、僕と真弓さんは深月に向けて、確かに笑顔を向けていた。それにつられたか、深月も真弓さんに比べて、ちょっと不器用に笑った。

「へへっ……どっちに対して笑えば良いんだこれ……」





「うおおおお!!! やっぱ夢じゃない! 私浮いてる! 無重量状態!! ってことはアレさえあればあの現象をリアルに……うおおおおお!!!」

 あの後、水筒のお茶で深月の手を洗ってから、僕達は再び真弓さんと共に無重力空間に浮かんでいた。深月は手足をバタバタと動かしながら、大はしゃぎしている。

「アハハ、ミヅキ。嬉しいのは分かるけどさ、そんなにバタバタしたら飛んでっちゃうよ?」

「い、いやいやそんな事言われてもあわわわわヤバいヤバいヤバい」

「ちょ、ちょっと一回切るね!?」

 深月が勢いよく縦に回転し出すと、真弓さんは彼女に近寄って抱えた。そのまま能力を解除し、深月をお姫様抱っこしつつ、フワリと着陸する。

「っと。ミヅキ軽いね~~羨まし~~」

「あ、あばばばば……」

 涼しい顔で降ろした真弓さんに、深月は顔を真っ赤にしてワナワナと震えていた。正直気持ちは分かる。今の真弓さん、男子より男らしかった気がする。

「……ふぅ。よし落ち着いた。それで心太郎。あんた今、真弓さんの超能力について何が知りたい?」

 一度呼吸を整えた後、深月は僕に話を促す。ここから、僕と深月は彼女の能力について談義を交わす事となる。

「……という訳だから僕としては、無重力に出来る重さ――つまり限界値について調べたいと思うんだ」

「おお、良いね。だが私としては、もうちょい根本的な原理について解き明かしたい気持ちがあるんだよなぁ。一口に重力制御って言ってもさ、実際にどうやって実現してるかでその本質は大きく違ってくるわけだし……」

「まあ、それは確かに」

 二人で『これから知りたい事とその実験方法』について意見を交換し合った。真弓さんの能力のスペックについて知りたがる僕に対し、深月はより根源的な疑問を解消するべく考えを巡らせている。ほんの十数分前に知ったばかりなのに、ここまで考えが付くのは、流石と言うべきか。深月は僕が止まっていた三年間、一人で宇宙と物理の興味を追及していたのだから。

「アハハ、二人ともチョー真剣じゃん」

 隣で笑っていた真弓さんの存在に気付き、暫く彼女を蚊帳の外にしていたことに気が付いた。

「あっ、ごめん。つい、夢中になって……」

「すすすすみません! 何か勝手に調べようとしちゃって……」

「いやいやいいって! というか、アタシはせっかくだからミヅキも、遠前クンと一緒にここで一緒に遊んで欲しいなって思って話したワケだから」

「……へ? 良いの?」

 深月は眼鏡で大きく見える瞳を、更に大きく見開いた。

「モチロン。アタシ的にはね、力のコト隠さなくていい人がいると楽だから。それに、どうせなら、集まって何か出来る友達は多い方がいいっしょ? あっ、モチロン周りに言いふらしちゃあダメだけど……そこは大丈夫だと思ってるし」

「そ、そう……かな?」

 それでも躊躇いが消えない深月に、僕は小さく右手を挙げる。

「僕も真弓さんに賛成。深月の協力があると、研究でも心強いし。それに……二人よりは安心というか……メンタル的に」

「心太郎……」

「ミヅキがヤダっていうなら、無理にとは言わないけど――」

「いやいやいやそんなそんな!! ひひ非常に有難い話だと思いまして、それで……」

深月は右手をおずおずと差し出し、蚊の鳴くような声で言う。

「私も……心太郎共々お友達として頂ければ……」

 その小さいながらも確かな言葉を聞いた時、真弓さんは満面の笑みで深月の手を取り、ブンブンと上下に激しく降り始めた。

「イエーイ、これでアタシとミヅキは、両想いの友達! これからは一果でいいよ!」

「あわわわわそんな振り回さないででででで……」

 心から嬉しそうな真弓さんと、耳まで顔を真っ赤にする深月。深月に僕と太陽以外に友達が出来た事は、僕にとっても喜ばしい事だった。

「でさでさ、友達になったついでに聞きたいんだけど……二人ってさ、普段もそんな感じ?」

「そうだね。基本、僕と深月が何かしら議題を持ち寄って、それについて議論したり共感しあったりとかが多かったね。まあ、僕は最近まで宇宙や物理とは距離を置いてたんだけど」

 記憶を辿り、僕がまだ宇宙や物理の事ばかり考えていた頃を思い返す。その頃は、日常会話も少なからずあったものの、多くは一つのニュースに対する話し合いが主だった。今朝の新聞記事だとか、図書館で見つけた本だとか。ニュートリノのノーベル賞受賞なんかは、ノリで太陽まで巻き込んで乾杯したっけ――ファミレスで。

「まぁ……いつもと同じ感じで、話して、た……」

「ふんふん……。確かミヅキは部活入ってるんだっけ? 天文部で合ってる?」

「う、うん……。ぶ、部員はその……私と心太郎だけだけど……」

「ってことは、二人!? めっちゃいいじゃんそれ! チョー青春って感じ!!」

「そ、そうかな……?」

 グイグイ迫る真弓さんに引っぱられてか、たどたどしくもどうにか会話を成立させる深月。少しだけど進歩が見えるなあ。

「そ~~そ~~! 完全に『トラキン』の『迷い星』じゃん!」

「とら……え?」

 耳慣れない言葉を聞いたせいか、深月の意識が宇宙に飛んで行った。まずい。彼女は僕以上に流行や芸能に疎いから、トラキンと聞いても何の事かすぐには思い出せないのだ。けど、折角いい感じで続いているんだ。ここで会話の流れを切らせたくはない。

「あぁ、確かにそれっぽいね。アレって二人だけの天文部で、夜まで残って教室で夜空を見上げるって歌だったから」

「そっ! アタシ、トラキンの中でアレが一番好きまであるから!」

 『迷い星』は十六番目のシングル曲で、ドラマの主題歌になって、その年の年末歌合戦でも歌われた有名な曲だ。元々知ってる曲だったけど、週末に何度も聞いた事で、今はフルで歌えるぐらい僕も気に入っている。

「あっ、ああ~~。私もそれ、聞いた事ある……」

 どうにか深月に理解させて、会話を繋げる事が出来た。

「そっかそっか。いいなあ~~天文部か~~」

 唸りながら、真弓さんは伸びをするように、背中を後ろに逸らした。その直後、バネでも使ったのかという程勢いよく身体を僕らの方に戻すと、深月と握手した時以上の満面の笑みで、軽く言った。

「アタシも入ろっと」

 白く綺麗な歯を見せる彼女の言葉の意味が、一瞬呑み込めなかった。

「……何が?」

「アタシも入る、天文部」

 再び沈黙が走り、風の音がよく響いた。真弓さんは口をあけっぱなしの僕らに小首を傾げる。

「えっ、アタシそんな変なこと言った?」

「「言った」」

 幼馴染特有の息ピッタリさで、同時に言葉を発しつつ頷く僕と深月。僕らに頷かれた真弓さんは、頬を膨らませた。

「なに二人とも。そんなにアタシが部活に入りたいってのが意外なワケ?」

「まあ、軽音部の話も聞いたし……」

「アレはセンパイにムカついたからだし!」

「そ、そもそも真……い、一果は……宇宙、好き?」

「星座とかなら、結構キョーミあるよ? というか、もし好きじゃなかったら、入っちゃダメ?」

 ちょっと珍しいぐらい、真弓さんは食い下がる。けど、彼女の言う事は正しい。別に天文部を、僕達二人だけの部活動って決めてた訳じゃない。高校、特に強い所があまりない緑心寺うちの部活動なら、好きじゃないどころか『モテそう』『格好いい』なんて軽い理由で部活を決める人も多い筈だ。

「ごめん、真弓さん。気を悪くさせたよね。駄目だって言いたいんじゃなくて、少し驚いただけだよ。現に、僕は真弓さんが入ってくれるなら嬉しいし」

「いやいや、別に怒ってないから! でも、遠前クンは良いとして、ミヅキは?」

「うえっ……! わ、私……?」

 視線を向けられて、身体をビクリと震わせる深月。しかし、意を決したように一度逸らした目線を、彼女に向けた。

「私も……し、心太郎が良いならいいよ。それに、その……」

 もじもじと手を組みながら、それでも深月は真弓さんを真っ直ぐに見る。

「わ、私も……もっと一果……のこと、知りたい訳だし。それに……と……」

「と?」

 顔を赤くしながら、深月が真弓さんの手を自ら取る。そして――。

「友達が部室に増えるのは嬉しい。だから、入って欲しい」

「ミヅキ……」

「お、おお……」

 僕は思わず言葉を失った。あの人見知りの深月が、僕と太陽以外で――一言とはいえ――どもらずに話せたのを見たのは初めてだったからだ。これも彼女の魅力の成せる技か、それとも深月自身の成長か。どちらにせよ、それは僕を猛烈に感動させ、二人の手の上から自分の手を重ねさせた。

「ちょ、遠前クン!?」

「おおっ、心太郎!? 何して……というかあんた、何か涙目になっとる!?」

「真弓さん、どうか深月と仲良くしてあげて欲しい。人見知りで空気が読めないこともあるけど、根は素直で純粋な娘だから……」

「ちょっ、おい心太郎! 親みたいなこと言うなって! 正気に戻れ正気に! つーかこんな事で無駄に良い笑顔すんな!!」

「ホントだ! 遠前クン、めっちゃ嬉しそうじゃん!」

「えっ!? ……あっ、そうだね! アハハッ」

 二人に指摘されて、また僕は意識せずにちゃんと笑えていた事に気が付いた。

 気付かなかったな。心から笑顔になれることが、こんなに気分の良い事だったなんて。それを思い出せたのも、今これ程愉快な気持ちになれているのも、真弓さんのお陰だ。

 『重力制御』の超能力を持つ彼女との出会い。それは僕だけでなく、深月にとっても運命の出会いだった。この時僕は、何となく、そう確信していた。

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