第5話 彼女の趣味

天文部室を出てから、僕と深月は最寄りの駅近くの書店『古橋書店』に来ていた。

 何もないとよく言われ、僕自身電車の利用以外で訪れる事の少ない駅前。その中で唯一、この古橋書店はその為だけに来る価値のある場所だった。その理由は、取り扱う書籍の多さ。二階建てになっていて店内が広いため、新刊・話題書は当然として、少しニッチな専門書まで取り揃えている。一階には文具店も併設されているので、それを目当てに来る学生なんかも多い。

 深月は『心太郎復活記念』と言ってここで僕に合うモノを買ってくれると言った。しかし、どちらかといえば、お礼をするのは僕の方だ。今日まで、宇宙から離れて勉強ばかりするようになった僕に文句一つ言わないでいてくれたのだから。そう言って拒否すると、『選んだ本が気に入ったら、折半して買う』という形に落ち着いた。

 そうして、二階の専門書コーナーに来ていた。その中から、深月は中段辺りの一冊を取り出した。

「心太郎が今興味持ってるのは、多分ブラックホール関連だろ? 重力の本読んでたし」

「まあ、うん。そんなところ……」

 実際には重力を操る超能力なのだが、そんな事は断じて言えない。とはいえ、ブラックホールに興味が無いかといえば全くそんな事はない。近年も撮影に成功するなど、勢いのある分野なのは確かだからだ。

「ふむ……これとかどうよ? 著者は結構名前知られてる人だし、チラッと見た感じも悪くなさげ」

「そっか。じゃあそれにしよう」

「いや、軽くない?」

「深月の選択に外れは無いから」

「むっ。そ、そうか……」

 ほんのり頬を染めながら、深月は照れくさそうに視線を逸らした。普段は『女子力なんざ知らねえ! そんな事より夜空観ようぜ!』と言って憚らない彼女だが、ふとした時に見せる動作はしっかり女子らしく、可愛らしい。

「でも、本当に良いの? この本、四千円以上するけど……。深月もバイトしてないなら、結構な出費じゃない」

「だから気にするなっての。そもそも中学の時だって、二人で金出して専門書買って、それで回し読みしてたじゃん。やる事は一緒だよ。心太郎が読み終わったら、私も読みたいってやつ選んでるし」

「……そうだね、それだから深月セレクトに外れは無いんだ」

「待て心太郎。それじゃあ私が純粋にあんたの為に選んだら外れる、みたいじゃないか?」

「僕と深月は感性が似てるから大丈夫って意味だよ」

 若干被害妄想気味になった深月を宥めつつ、会計を済ませるべくレジに向かっていると、深月がふと足を止めた。

「……ごめん心太郎。ちょっとトイレ行ってくるから、会計して外出といて」

 財布から丁度半分の額を取り出すと、深月はお手洗いの方に歩いて行った。言われた通りに会計を済ませ、書店の外に出る。

 時間は大体、五時半ぐらい。昨日真弓さんと別れたのもこのぐらいの時間だった。彼女は部活に所属していないらしいので、今日は真っ直ぐ帰ったのだろう。

 そう思った時――正面から、真弓さんが歩いてきた。一人ではない。友達であろう女子と談笑しながらだ。恐らく文房具を買いに来たのだろう。

 真弓さんは僕に気が付き、互いにすれ違うまでの間、目線を交わしたものの――

「どしたの? 一果」

「ううん? 何でもないよ」

 彼女は何事も無かったかのように、通り過ぎて行った。

 まあ、下手に知り合いであることを周囲に明かすのはリスクがあるから、正しい選択だろう。僕は一体、何を期待していたのか。

「ゴメン心太郎、待たせた」

 直後、深月が店から出て来た。

「いや、いいよ深月。じゃ、途中まで一緒に帰ろうか」

 僕と深月は、自転車を押しながら途中まで歩いて帰った。深月と別れた後、SIGNにメッセージが届いていたことに気が付く。送り主は深月――じゃない。

『明日だけど、本当に来るよね? 予定変わったとかあったら教えて』

 真弓さんだった。前日に再確認を入れて来るなんて、マメな娘だ。『行けるから大丈夫』とだけ返信し、マンションの駐輪場に自転車を停めた。





 翌日。曇り空の下、僕は真弓さんとの約束通り、浅木山の麓まで来ていた。来る途中、一応誰か見ていないか見渡したけれど、少なくとも緑心寺の制服は見なかった。

 既に通りから死角となる場所に、真弓さんの自転車が停められていた。その横には、当然持ち主もいた。

「あっ……よ、よっす」

 軽い調子に見せているが、やはり何処かぎこちない。

 まずいな。やっぱり、一昨日のメッセージで警戒してしまったのだろうか。火に油を注ぐかもしれないけど、『そんなつもりじゃ無かった』と弁解し、謝罪した方がいいだろうか。

 僕たちは無言のまま山道を歩き、手を繋いで草原に飛び降りた。

 この時、真弓さんは最初の時より早めに能力を使ってくれた。一昨日僕が言った事を、守ってくれたのだ。やっぱり優しい人だ。だからこそ、ぎこちない思いをさせたくはない。そんなつもりでは無くても、相手が思った事に対して、発言主として責任を果たすべきだろう。

 昨日よりずっと長い間宙を漂ってから、僕たちは地面に足を降ろした。

真弓さんが気まずそうに眼を合わせた時、僕は意を決して口を開いた。

「……真弓さん。その……実は、言いたい事が――」

「遠前クン、アタシちょっと言わなきゃいけない事があって……」

 僕たちは同時に言葉を発していた。しかし、『早く謝らないと』という気持ちが先行し、僕はそれに気付けなかった。結果――

「一昨日、変な事を言ってごめん!」

「昨日、無視しちゃってゴメン!」

 僕たちは、同時に別の理由で謝罪し合った。

「「……え?」」

 僕は下げた頭を上げつつ、真弓さんは両手を顔の前で合わせたまま、疑問の声を発しあった。

「真弓さん? 昨日って確か、古橋書店の前の……」

「え、えっとね……アタシも声掛けようかなって思ったんだけれど……。友達もいたし、アタシ隠し事苦手だから……あんま追及されたら隠し切れる自信無かったし……。とかそんなこと考えてたら通り過ぎちゃって!! 遠前クンも気づいてたのに……ホントゴメン!」

「いやいや、あの場じゃ真弓さんの行動は正しかったよ。僕たちはクラスも違えば部活動が一緒って訳でも無い。友……知り合いだって分かれば、何処で知り合ったか、友達の娘も気になった筈だよ。だからアレで良いんだ。気に病む必要なんて全然ないよ。それより、僕の方こそ……」

 どうやら真弓さんがぎこちなかったのは、僕を無視した事に罪悪感を持っていたからのようだ。確かにあの時、彼女に「よっす」とでもすれ違いざまに声を掛けられるかと思った。だけど彼女の超能力という秘密で出来た縁なら、その繋がりは隠し通すのが正解だ。真弓さんにそのつもりは無かったとしても、咄嗟に正しい行動が取れたと、むしろ誇って欲しい。

 そしてその真弓さんは、僕の謝罪の理由に合点が行っていないらしい。

「遠前クンこそ、何で謝るの? 一昨日って何かあったっけ?」

「いや、ほら。超能力だけじゃなくて、君の事も知りたいって言ったでしょ? 何か共通の趣味があって知り合ったとかでも無いのに、馴れ馴れし過ぎて嫌な思いさせたなって……」

「えっアレ!? いやいや、謝るなんて全然!! 馴れ馴れしいとか嫌とか全然そんなこと無かったって! というか、むしろ嬉しかったよ!?」

「嬉しかった……?」

「遠前クンがアタシの能力にしか興味ないとしたら、ちょっと寂しいと思ってたからね。折角こうして知り合った訳だから、さ……」

 真弓さんは少し頬を紅潮させ、はにかみながら笑った。

「そうか……僕の思い過ごしだったんだ……」

 安堵と共に、思わず笑みがこぼれた。

「何かアタシたち……お互い全然気にしてないこと気にしてたんだね」

 おかしそうに歯を見せて、真弓さんは笑っている。可愛らしい八重歯が覗く、人懐っこい笑顔だ。

「そうみたいだね。まあ、そういう訳だから――」

「うん。遠前クンに布教出来るね!」

「……ん? 布教?」

 いざ真弓さんの能力について、考えていた質問をしようと思っていたら、彼女がニヤニヤしながら近づいてきた。

「うん。だって言ってたっしょ? アタシの趣味とか知りたいって。それでさ、アタシの趣味は漫画と音楽なんだけどね……漫画は持って来ると重いから、音楽の方が良いかなって。だからさ……」

 音楽サブスクアプリの画面を映したスマホと無線イヤホンをそれぞれの手に、抜群の笑顔でイヤホンの片方を差し出してきた。

「とりあえずアタシのプレイリスト。十曲ぐらい一緒に聴こっか」

「うえっ……!?」

 音楽を聴くのは良いけど一つのイヤホンを共有し合うとなると、必然的に二人の物理的距離が近くなってしまう。流石にそれは、音楽どころではなくなりそうだ。

「いや、それは良いんだけど、スピーカーは……無いの?」

「ん? 遠前クンそっち派? でもゴメン、アタシスピーカー持ってないんだよね。昔はあったんだけど、部屋で使ってたら妹が『うるさい』って言ってくるからさぁ」

「へえ、妹さんがいるんだ」

「そうだよ。三つ下で、今中二」

 真弓さんは何となく一人っ子のイメージがあったけど、積極性や時折見せるマメさなんかは、確かに長女っぽい。

「むぅ……遠前クンも、意外って顔してる」

「えっ? いや、そんな事は――」

「い~もん。妹いるって言ったら皆そう言うし。『むしろアンタが妹じゃね?』とか『一人っ子だと思ってた』とか。こう見えて家じゃ、アタシ頼れるお姉ちゃんだし」

 「誰も信じてくんないけど」と口を尖らせる真弓さん。全くそう見えないって訳じゃないけど、友達からは満場一致でそう扱われているようだ。

「って、それより遠前クン! ホラ、イヤホン付けたげるから!」

 真弓さんがイヤホンを僕に近付ける。それと同時に、彼女の顔も近くに来た。

「あっ、いや、それは――って、あれ?」

 僕が抵抗しようとすると、真弓さんはもう一方の手に持っていたイヤホンの耳まで僕に着けた。つまり僕は今、彼女のイヤホンを両耳に装着した状態である。

「あれ? 真弓さんは聴かないの?」

「アタシはもう何十回もリピートしてるからね~~。それに片耳だと聞こえない音もあるからさ。初めてだし、百パー良さが分かる聴き方して欲しいじゃん」

 あくまで布教が目的だ、と主張する真弓さん。彼女のイヤホンは耳の表面に引っ掛けるタイプなので、着けていても彼女の声がちゃんと聞こえる。

 二人でイヤホンを共有する、というのは僕の早とちりだった。

「それに何より――えいっ」

「わっ!?」

 イヤホンがセットされたのを確認した真弓さんは、能力を使って二人の身体を宙に浮かせた。

「わわっ、ちょっと、これじゃ聴くどころじゃ……」

「あ~~動いちゃダメ。姿勢直したげるから」

「直すって――ちょっと!?」

 真弓さんは僕に近付いたかと思うと、上を向いていた僕に優しく触れつつ、姿勢を正面に向けるようにしてくれた。その間、真弓さんの顔も間近にあり、正直とても心臓に悪かった。が、彼女は至って真剣に僕の姿勢が安定するように手伝ってくれている。それを自分に言い聞かせ、彼女の手で動かされたように、振るというより揺らす感覚でゆっくりと手足を動かしていく。すると、一分も経たない内に、僕の身体は草原の端の方向――空と下界と草原を一望出来る絶景に向いた。

「おおっ……!」

「凄いっしょ? 自然の中で浮かびながら、お気に入りの曲聴きまくる。これがアタシだけの『秘密の趣味』! 無重力に興味津々な遠前クンにも、是非やって貰いたいなって思って!」

 確かにこれは、言葉では言い表せない感動が胸に押し寄せて来る。

 無重力という体験だけでも最高なのに、手付かずの自然まで。何という贅沢だろう。

「アタシのプレイリストには、この景色と合うやつだけ入れてるから。後悔はさせないよ?」

 真弓さんは小悪魔的な笑いと共に、スマホをタップした。すると、スローテンポなドラムとギターの音が耳朶を打った。成程、風景に調和するように、激し過ぎない曲が入っているようだ。

 僕は隣で親指を立てる真弓さんに微笑んでから、じっくり音楽と風景、そして無重力空間を堪能した。

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