第4話 おかえり心太郎

「それにしても……良い所だね、ここ」

 ひとしきり笑い合った後、僕と真弓さんはそのまま草原の上に腰掛けていた。

 真弓さんの能力のインパクト故に眼に入っていなかったが、彼女の『秘密の場所』は、とても素敵な場所だった。どうやら崖からせり出す形に出来た地形らしく、広さは端から端までで、五十メートルもないぐらい。地面は背丈の低い雑草で埋め尽くされ、見上げれば何も妨げる物のない青空が広がっている。鳴る音といえば、風に揺れた草の音だけ。喧噪とは無縁の、手付かずの自然がそこにあった。

「でしょ? アタシのお気に入り」

「場所的にも、人が来れるとは思えないしね。僕が来るまで、ここを独り占めしてたんだね」

「そっ。誰にも見られず、巻き込むものも何もない場所なんてここぐらいしか無いし」

「巻き込む? って事は、範囲に入ったら何でも浮いちゃうって事?」

「そうだよ。だから部屋とか家で使ったらタイヘンなんだよね~」

 ハァッと一つ息を吐き、真弓さんは後ろに倒れこんだ。

「でも、何でも浮くワケじゃないよ? あんまり重い物は全然浮かないし」

「ああ、そっか。だから今朝、真弓さんの前の自販機は浮かなかったんだね」

 確かにあの時、真弓さん自身とサイダー、それに自転車は浮いていたけれど、自販機は地面に根を下ろしたままだった。まあ、あんな重い物が浮いたら落下時の音で騒ぎになっていたかもしれないけれど。

「成る程、何処かで限界点があるみたいだね。それも知りたいな」

「良いよ良いよ、協力するって言ったもんね」

 真弓さんは「よっ」っと声を出しながら身を起こし、スマホを取り出した。

「そうそう、それでだけどさ、遠前クン。SIGNのID交換しない?」

「SIGN? ……えっ、何で?」

「いや何でも何もないっしょ? 遠前クン、アタシの事知りたいんでしょ? じゃあさ、アタシがここに来る時分かんないとダメっしょ?」

「ああ……確かに」

 そこまで頭が回っていなかった。確かに彼女無しには、そもそもこの場所に来ることさえ不可能だ。納得した僕は、深月と太陽だけが友達登録されたメッセージアプリ『SIGN』を起動した。そこからは真弓さんの言う通りに操作し、友達リストに『一果』という名前が登録されたのを確認した。

「アタシは大体、週三回か四回ぐらい来るから。行く日は声掛けるから、来れるなら今日自転車停めたトコまで来て」

「うん、分かった」

「ちなみにココ、一応歩きでも来れるっちゃあ来れるんだけど……やたら高い草とめっちゃ寄ってくる虫を延々かき分けなきゃ来れないから、落ちた方がずっと楽なんだよね」

「そ、そうなんだ……」

 確かにそんな道を通って此処に来る人はまずいないだろう。この場所が明確に分かってて、その上もの凄く根性のある人じゃない限りは。

「あれ? じゃあさ、真弓さんはどうやってここから帰ってるの?」

「ん? そんなの、決まってるじゃん」

 真弓さんは立ち上がると、僕の前を通り過ぎて歩いていく。地面が途絶えているところまで来ると、僕にちょいちょいと手招きをした。それに従って近づくと、真弓さんは真下を指差す。

「落ちるの」

「うげっ……」

 下は、この草原に来るより遥かに遠かった。無策で落ちれば、間違いなく死ぬ高さだ。さっきみたいにギリギリの高さで能力を使うとしても、落下速度は比較にならない。一つタイミングが遅れれば、即人生終了だ。

「真弓さんを疑う訳じゃないけど……本当に大丈夫なの、この高さ」

「ヘーキヘーキ。というか実際、行けたからアタシはここにいるワケで」

「でも、またさっきみたいにギリギリで止めるんでしょ? 怖くないの?」

「いやいや、流石にここでそんなことする度胸は無いって。早めにするに決まってるじゃん」

 冷や汗を流す僕に、真弓さんは友達の馬鹿話に突っ込む程度の軽さを崩さない。あれ? というか、早めにする?

「待って、真弓さん。真弓さんって、自分とその周りを無重力にするんだよね?」

「そうだよ?」

「僕の考えだと、無重力になったら、そこで停止するんじゃないかって思ってたんだけど……もしかして、違った?」

「それが違うんだよね。例えば地面でやったら大体……五十センチぐらい? のトコまで上がって、そこから止まっちゃうかな。それ以上の高さでやったら、停止するんじゃなくって、ゆっくり下に落ちて行って、それぐらいで止まるんだよね。ちなみにこれは立ってる時の話で、膝抱えてたらもうちょい上にいる感じにはなるよ」

 どうやら際限なく上昇していく心配は無いようだ。となると、彼女の力による無重力状態が、宇宙空間の物とは異なるのだろうか。

 しかし、それを知った事で一つ、新たな疑問が浮かんだ。

「……あれ? じゃあさ、ここに来る時にギリギリまでやらなかったのは、どうして?」

 あの時彼女は、目の前まで地面が迫っていた時になって、漸く能力を使っていた。僕はそれを、あまり高い位置から使うとそこで停止してしまうから、と考えていた。この仮定が間違いとなると、どうして彼女はあんな危険なことをしたのだろうか。

「あ~~、あれはね~~……」

 少し言いづらそうに目線を逸らしつつ、真弓さんは人差し指に前髪を巻き付けた。

「だって、フワフワ降りるのってまどろっこしいじゃん……」

「そのせっかちさのお陰で、僕はあんな怖い思いをした訳だね」

「いや、それはゴメンって! 次からはもっと早めにするからさ!」

「そうしてくれると助かるよ」

 両手を合わせる真弓さん。

 やはり彼女にとって重力制御の力は、それこそ手足と同じで、『あって当然』の物らしい。使い方に一切の躊躇いがなく、昔から慣れ親しんでいるのがよく分かる。

 そうなると、彼女にとって映画やアニメの超能力はどう映っているのだろうか。あれは僕らにとっては単なる空想の出来事に過ぎないが、彼女にはまた違った見え方があるのかもしれない。

 生まれついて超能力と共に生きて来た彼女の世界は、僕のそれとはまた違う形をしていてもおかしくない。

「ま、連絡先も交換したし……。今日はもう、解散でいい?」

「あっ、うん。いいよ」

「オッケー。じゃ、落ちるよ」

「う、うん……」

 僕は再び真弓さんと手を繋ぐと、思い切って麓へ飛び込んだ。落下時間、速度、何方を取っても本能が『死ぬ』と告げるに充分な高さ。しかし、隣で微笑む真弓さんを見ると、恐怖心はすぐに和らいだ。宣言通りに高めの位置で能力を使ってくれたお陰で、地面に降りた時には心臓の鼓動は落ち着いていた。

「っと……とうちゃ~~く。で、どうだった、遠前クン? ゆっくり空から降りる感覚は」

「スカイダイビングが趣味な人の気持ちが分かった気がするよ」

「あ~~、スカイダイビング。確かにそうかも! まあ、パラシュート無しだけどさ」

 傍から聞けば、到底正気とは思えない発言。だけど、それを正気でやれる力を彼女は持っている。

「遠前クン、家どの辺?」

「普段は正門を出てすぐ右に行くよ。だから一回、学校まで戻る感じかな」

「マジ? アタシは割とこの近くだから、逆方向かな?」

「みたいだね。それじゃあ、気を付けて」

「アハハ、アタシはずっと住んでるからヘーキ。じゃあね~~」

 軽く手を振ってから、自転車に跨り真弓さんは帰って行った。時刻は五時半頃。五月末の空はまだ明るいものの、帰り道には部活帰りと思しき学生の姿もちらほら見えた。

 自転車に乗り、風を浴びていると、今日あった出来事がぼんやりと思い出される。あの娘が生み出した無重力空間で、確かに僕は浮いていた。あの浮遊感が、思い出すと何処か夢のように心地よかった。浮かんでいた当時は、そんな事を考える余裕も無かったが。

 浅木山から二十分程掛けて、自宅の前に着いた。

 五階建ての学生向け賃貸。実家から高校まで電車で二時間ほど掛かるため、此処で進学を機に一人暮らしを始めたのだ。母さんも僕が勉強をサボらなければ何でも良かったのか、特に反対はしなかった。本音を言えば、あまり実家には居たくなかったし、丁度良かった。

部屋に入り、電気を付けたところで、スマホに通知が来ていた事に気が付いた。SIGNからの通知は、真弓さんからだった。

『よっす、遠前クン! 今日はありがとね~~正直バレた時は終わったかもって思ったけど、遠前クンで良かったよ! アタシの超能力が凄いって言ってくれたのも、嬉しかった! とりあえず次は金曜日に行く予定だけど、どうする? 何か調べるのに、用意して欲しいモノがあるなら、持っていくよ?(ただフツーに駄弁りたい、とかでも全然オッケーだからね!)』

 彼女のメッセージは、最近流行りらしい、熊のゆるキャラが『よろしくお願いします』と頭を下げているスタンプで締められていた。

「真弓さん、意外と長文で話すタイプなんだ……」

 勝手なイメージだったが、僕としては送られてくる挨拶は、せいぜい一~二文程度のものかと思っていた。しかし、実際に送られてきたのは、絵文字やスタンプも交えて目にも鮮やかなだが、お礼と自分の気持ちとこちらの予定確認と、内容をしっかりと詰め込んでいる文章だ。もしかすると、僕が思っているより根はしっかり者なのかもしれない。

「って駄目だな……」

 僕はここで、自分が見た目の印象だけで彼女を測っていたことに気が付いた。これじゃあ、バスケ部の部長さんを笑えない(顔しか知らない人を悪く言うのも気が引けるけど)。

 僕自身の興味感心に過ぎない、能力の調査。彼女はそれを快諾してくれたのだ。それなのに外見だけで知った気になるのは、彼女に対して失礼過ぎる。可憐な容姿と超能力だけが、真弓さんの全てなんかじゃないんだ。

 僕は暫く考えてから、自分の正直な気持ちを、なるべく簡潔に書く事に決めた。そうして実際に送った文章がこれだ。

『こちらこそありがとう。金曜日は特に予定も無いので、よろしく。能力の調べ方はまた考えておくけど、今の所用意して貰うモノは無さそう。もし良かったら、能力の事だけじゃなくて、もっと普通の話もしたいです(ベタなところだと、趣味とか好きな食べ物とか)』

 とりあえず、伝えるべきことは伝えた。送信後すぐに既読が付いたものの、これ以上会話が広がりはしないだろうと思った僕は、シャワーを浴びた。

 シャワーの後、部屋に入ったところで、スマホが通知音を鳴らした。既読が付いて十分以上経ってたけど、もしかしてまた長い言葉で返してくれたのだろうか。そう思ってアプリを開いたが、返信は意外にシンプルだった。

『うん。遠前クンの事も教えてね』

「……しまったな」

 そのメッセージを見て、言葉選びを間違えた可能性に気付いた。

 数多くの男子の視線を集め、好意を受けている彼女にとって、『普通の話もしたい』というのは、『お近づきになりたい』という下心と取られてもおかしくない。その辺りの考えが足りなかっただろうか。

 しかし、今からそれを文章で弁明しても、墓穴を掘ってしまう恐れがある。仕方ない。金曜日――明後日会った時に態度がよそよそしかったとしても、甘んじて受け入れよう。





 次の日、僕は昨日言った通り、放課後に深月を訪ねて天文部室にいた。部室とは言っても、旧校舎四階の地学準備室を借りている形だが。とはいえ、室内には地球儀だったり望遠鏡だったり、本棚には宇宙関連の本もそれなりにある為、天文部室と言い張っても文句は出ないだろう。まあ、二人しか部員がいないので、他に使いたいという部活動が出てくれば、早々に明け渡さなくてはならないだろうし、そもそも部活動の基準を考えると、あと一人は今年中に入部しないと同好会に格下げになる。深月はあんまり気にしてないようだけど。

「ま、色々見せたが……特に上手く撮れたのはこの三つだな」

「おお~~凄い。夜空が綺麗に映ってるのに、しっかり流星がどれか分かる」

「お下がりとはいえ、学生には過ぎたレベルのカメラだからな。勿論動画も撮ってるから、また見よう」

「楽しみにしてるよ」

 流れ星の撮影は僕もデジカメで試した事があったけど、本当に一瞬だから綺麗に撮るのは難しい。カメラの性能もあるだろうけど、深月自身が写真について一家言ある身だ。確か、写真はお父さんの趣味だったはず。

「そういえば今、深月のお父さんって何処にいるの?」

「名前は忘れたけど、九州以南の島。七月まで帰らないってさ」

「この間は北の方だったのに、真逆かあ」

「フィールドワーカーだからね。生態研究だから、私の興味からは外れるけど」

 深月は写真をしまった後、椅子の上にあぐらをかきながら読書を始めた。制服でその恰好は女子として大変宜しくないのだが、僕しかいないし、ハーフパンツを履いているようなので何も言わない事にした。

深月のお父さんは生物学者で、実際に自然に赴いて生態研究する為、あまり帰って来ないらしい。帰って来た後も論文作成などで籠り切りらしく、僕も殆ど顔を合わせた事がない。

「でも、深月のお母さんは寂しいだろうね。深月もいない実家に一人でしょ?」

 深月は高校進学時、僕同様実家を出ている。しかし、彼女の場合祖母の家が近かったので、其処に住まわせて貰っているらしい。

「大丈夫でしょ。それも織り込み済みで結婚したんだろうし、そもそもお母さんも結構仕事人間だから」

 深月のお母さんは確か、翻訳家だったはずだ。まあ、仕事が好きなら確かに一人の方が落ち着けるかもしれないけど。

話題がひと段落し、僕も自分の読書に移行する。部室の本棚にあった『重力とは』というそのまんまなタイトルの文庫文だ。

内容はまさに初心者向けといった感じで、万有引力発見の経緯やその不思議な性質などが、初心者にも分かりやすく書かれている。

これに目を通していると、昨日の事を思い出さずにはいられない。明日は何をするか、まだ決められていないけど、一応この本を持って行ってもいいかもしれない。

そんな風に、明日の真弓さんとの時間に想像を巡らせていると――

「重力とはって……これ初心者向けのやつじゃん」

 いつの間にか、深月が肩口から僕の手元を覗き込んでいた。いきなり真横に深月の顔があったせいで、驚いて椅子をガタリと鳴らしてしまう。

「うおっ!? そ、そんなビックリしたら私がビックリするだろ!?」

「いや、本当に音も無くいたから……どうしたの?」

「どうしたも何も、気になったし。気付いてないかもしれないけど、あんたにしては珍しいぐらい、ニヤついてた」

「ニヤついてた? そうかな?」

「私と話してる時でもそうそう見ないぐらいにはね。で、何でそれ読んで笑ってたの?」

 深月の表情には、困惑の色が満ちていた。

当然といえば当然か。深月からすれば、昨日まで殆ど笑わなかった幼馴染が、いきなり読書中に笑っていたのだ。何かあったかと思うのが自然だろう。しかし、たとえ八歳の頃からの付き合いでも、深月に真弓さんの事は話せない。

だが、それとは違う理由なら、言える。

「また知りたくなったんだよ。宇宙や物理の事」

 真弓さんの超能力を知った事で、僕は思い出した。僕は元々、宇宙や物理が大好きで、それらの知識を仕入れる事に喜びを感じる人間だったことを。心から楽しいと思える物を、心のままに楽しむ幸せを。成績さえ落とさなければ問題は無いと信じて、可能な限り趣味に打ち込みたい。

「これから、部室にも出来るだけ来るよ。『昔みたいに』、また色々語り合おう」

「心……太郎……」

 僕の言葉に、瞠目して震える深月。彼女なら喜んでくれると思った。深月は僕にとって、宇宙や物理の面白さを教えてくれた、師匠のような人物だ。彼女から天体図鑑を借りなければ、今日の僕は無かったと断言出来る。そんな深月は、僕に向かって手を伸ばし――額に手を当てた。

「熱でもあるのか……?」

「至って平熱だよ」

 眼鏡の奥の瞳を潤ませていたのは、そっちの心配か。

「いやいや、流石に冗談だって」

「あっ、そうだったんだ」

「冗談通じないのは変わんないか……まあいっか。久々に心太郎の笑顔が見れたんだ、もう大丈夫って事だな」

「あっ、今も僕笑ってた?」

 特に意識したつもりは無かった。それでも昨日に続き今日も笑えたという事は、やはり僕は明確に笑い方を思い出せたようだ。

「『あの時』から待つって決めてたんだ。あんたがまた、私と一緒に星を眺められるようになるまで。随分待ったけど――」

 深月は拳を突き出しながら、夜空のどんな星にも負けない、輝く笑顔を見せた。

「おかえり、心太郎」

「……うん。ただいま、深月」

 僕と深月は、互いの拳をぶつけ合った。

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