第2話 太陽と新月

 昼休み。それは学生にとって、食事と共に、友達と心置きなく過ごせる大切な時間。

 いつもなら、教室には幾つものグループが形成され、それぞれの話題で、会話に花を咲かせる。

 しかし、今日は話が違う。何故なら、今日のロングホームルームでは、生徒一人一人にある物が手渡される。今日に限っては、普段は部活や趣味に打ち込む生徒であっても、意識せざるを得ない。今僕の目の前にいる二人の男女も、例外じゃなかった。

「とりあえず、補習さえ掛からなけりゃあどうとでもなる。補習はマズイ、大会近いってのに洒落にならねえ」

「だから私言ってるじゃん。赤点回避確実ってぐらいまでしとけばいいって。太陽もそろそろ学習しろよ」

「深月、お前と一緒にすんなよ。椅子に座って本やノートと戦うなんざ、俺の性に合わねえって。つーか、お前も得意な科目以外はやりたくないって言ってたし」

「へっ、私の好きじゃない科目は基本暗記だからなぁ。授業聞いてノートとってりゃあ、後はちょいちょい見直してればオーケーなのよ」

「クッソ、何か腹立つな……」

 僕の両隣りに座る、長身の男子と小柄な女子が軽い調子で談笑している。

 所々が跳ねている黒髪と、赤縁の眼鏡が特徴の女子は、新堂深月(しんどうみづき)。短く切り揃えられた金髪と、モデルのような長い脚が特徴の男子は、寺島太陽(てらしまたいよう)。そして、寝ぐせだけ直した焦げ茶色の髪と真っ黒な瞳の、あまり特徴が無い僕、心太郎。この三人で昼食を取るのが、僕の昼休みの最も多い過ごし方だ。

今二人が話しているのは、先日の中間テストの成績のことだ。ここ、緑心寺高校はテストの返却形式がやや特殊で、全教科の採点が終わり次第、一人一人に纏めて返却するというシステムになっている。補習のラインは赤点の教科が四つ以上。太陽は常にそのギリギリのラインにいるから、こうして焦っているのだ。

「そもそも太陽、そんなに赤点が怖いなら、心太郎を頼れば良かっただろ? 勉強に関しちゃ、心太郎はトップレベルだし」

「それは俺も考えたんだけどよぉ……流石にレベルが違い過ぎるというか……邪魔になるというか……」

 ばつが悪そうに、伏し目気味に僕を見る太陽。基本大雑把な彼にしては、少し意外な考えに、僕はおかしく思った。それが、少しだけ上がった口角という形で表に出る。

「いや、別に今更太陽の事を迷惑だって言うつもりはないよ? 付き合いは長いんだし、むしろ遠慮しない方が有難いよ」

僕たち三人は、小学校以来の付き合い――いわゆる幼馴染というやつだ。お互いの性格や得意不得意は知り尽くしているから、遠慮も何もないと思っていた。だから正直、太陽の言動に、内心僕は結構驚いていた。この表情筋の硬さゆえに、口元以外はまるで動かなかったが、それはもう今更どうしようもない。何しろ、もう三年はこの調子だ。

 そして当の太陽はと言うと、持っていた焼きそばパンを机に置き、僕の前で拝むように手を合わせていた。

「神だ……」

「僕は心太郎だよ」

「すげぇな心太郎。マジトーンで返してるじゃん。いや、前からそうだけど」

「冗談はあまり得意じゃないんだ」

 確かに今のは、『もっと崇め奉ってくれ』ぐらい言っても良かったかもしれない。我ながら、ユーモアというものが脳から見事に抜け落ちているものだと呆れさえ感じる。これでも僕に辛抱強く構ってくれるのだから、二人には感謝しかない。

「最近は……特にそうだな。まっ、いいよ。くそ真面目で勉強一筋なのが、心太郎だもんな」

 そう言って深月は、ニヒヒと歯を見せて笑う。ちょっと言い方が引っかかるけど、小動物のような人懐っこい笑顔に免じて許そう。

「そうそう、心太郎。話変わるけど……」

 深月は食べ終わった弁当を机に置くと、膝の上に手を置いた。

「今日私ちょっと早く帰る。活動は無しでいい?」

「いいけど、何かあるの? お祖父さんの命日はもう少し先だったような……」

「違うよ。……ハァ、仕方ないなぁ」

 深月はやれやれと言った様子で、スマホを手にした。スイスイと慣れた手つきで暫く操作すると、僕に向かってビシッと画面を突き付けた。

「今日はみずがめ座流星群が見頃だ! 庭にカメラ仕掛けて、バッチリ記録してやるんだ!」

「あっ、そうか。そういえばそんな時期だったね。忘れてた……」

「オイオイ。半分籍置いてるだけとはいえ、あんただって『天文部』の一員なんだぞ。こういうビッグイベントは覚えておけよ」

 額に手を当て、大げさに息を吐く深月。『天文部員』ということを持ちだされると、少し申し訳なくなってしまう。

「ま、部員は深月と心太郎だけだがな」

 長い脚を組みながら、太陽はケラケラと笑う。

 彼の言う通り、天文部の部員は僕と深月だけ。入部当初は三年生がいたものの、二年生が居なかった為、彼らが引退した後は僕たちだけになった。そして新入生も誰も入らず、今でも部員は二人だけだ。

指摘の声に「あぁ?」という、凡そ女の子らしくない声と共に、深月は太陽を睨んだ。

「何だ太陽、私と心太郎の秘密基地に入れなくて拗ねてんのか? 呪うなら、私の誘いを『バスケ部入るから無理だわ~~』って無碍にした過去の己を呪うんだな」

「誰が拗ねてるって? そもそも俺は、お前ら程宇宙大好き人間じゃねえし。ま、流星群はちょっと見ようと思うけどな。拗ねてるってならどっちかっつーと、お前だろ深月?」

「なっ!? 何で私が!?」

「だって深月、俺がバスケ部入るって聞いた時、『幼馴染の絆とバスケ、どっちが大事だ!?』って涙目になってたろ」

「んなっ……!!」

 太陽に指を差され、深月の頬が真っ赤に染まっていく。確かにその言葉は、僕も当時聞いた。涙目になっていたかはともかく、深月の中では僕たち三人で天文部に入るのは確定だったようだ。

「あっ、あれは――」

 前のめりになりながら反論しようとした深月だったが――

「ごめんなさい。そこ、ワタシの席なんだけど」

「ひぇっ!? す、すすすみません……」

 彼女が腰掛けていた椅子の持ち主が現れ、ガタリと大きな音を立てて深月は立ち上がった。そのまま激しく動揺しつつ、頭を九十度の角度で下げた。

 さっきまでの口は何処へやら。深月は名前も知らない女子との接触に、すっかり口を閉ざしてしまった。

 見ての通り、新堂深月という少女はかなりの人見知りかつ内弁慶だ。彼女がまともに会話が出来るのは、家族を除けば僕や太陽ぐらいで、それ以外の人と話す時は盛大に緊張し、しどろもどろになってしまう。

「い……いつもは予鈴まで戻って来ない筈なのに……」

「こういう日もあるだろ。というか、ほら……もう鳴るし」

 黒板の上にある時計が丁度十二時五十五分を指し、校内に予鈴のチャイムが鳴り響いた。

 僕と太陽は同じクラスだからいいけど、深月だけは違うので、予鈴と共に自分の教室に戻るのだ。

「くっ……太陽。この借りは今度絶対返してやるからな」

「おうおう、愉しみにしてやるよ」

 終始余裕を崩さなかった太陽は、勝ち誇るように右手を振る。

 僕はまだ少し顔の赤い深月を宥めるため、背中を向けた深月に声を掛ける。

「深月、明日は僕も部室に行くよ。今日撮る流星群の写真、見せて欲しいな」

 僕だって、本来は宇宙や天体にロマンを感じる男の子だ。最近は勉強ばかりだけど、たまにはこういうのも良いだろう。

 僕の言葉に、深月は最高に嬉しそうな顔で振り向いた。

「言ったな、心太郎? ため息出る程良いモン見せてやるから、絶対来いよ!」

 そのまま軽い足取りで、彼女は教室を出て行った。途中、入って来た男子に軽く接触し、大慌てで頭を下げていったが。

「心太郎、お前が今思ってること当ててやるよ。『あの顔をもっと周りに見せれば、友達も沢山出来るだろうに』だろ?」

「何だ、君も同じこと考えてたんだ」

 僕と太陽は、顔を見合わせて笑い合った。太陽はニッカリと、僕は口の端に不格好な三日月を描いて。





 日直の号令と共に、LHR(ロングホームルーム)が終わった。それは同時に放課後の始まりも意味しており、多くの学生は部活に行ったり、真っ直ぐ帰宅したりと、この教室からは直ぐに出ていく。

 しかし今日は、テストの返却日。友達と結果を共有し、共に喜んだり、悔しがる光景が随所で見られる。

 斯く言う僕も、上機嫌な太陽にテスト結果を見せられていた。

「フハハハハ!! やったぜ心太郎! どうやら俺は、やれば出来る男だったらしい」

 全教科の点数と学年順位が書かれた紙を手に、前髪をかき上げる太陽。結果は赤点の教科はゼロで、順位も真ん中より上。太陽にしてはかなりのものだ。

「自信なさげだったけど、結果が出て良かったじゃないか。これで大会に向けて、心置きなく練習出来るね」

「おうよ! 緑心寺高校バスケ部が誇る名SG(シューティング・ガード)寺島太陽様の活躍、しっかり見せてやるぜ!」

 高笑いをする太陽に、思わず頬が緩む。彼に限らず、好きな事に夢中になる人というものは、見ていてこちらも楽しくなってくる。

「それで、だ。心太郎の結果は……?」

「僕かい? ほら」

「どれど――アァッ!?」

 手渡した僕の結果を一目見ると、太陽は奇声と共に後ずさりした。

「ば、化け物……」

「君と同じ人間だよ」

 フルフルと小鹿のように震える太陽の手から、僕の学年順位が覗く。

 結果は、学年一位。順位的にもこれ以上ない結果なので、母さんにも良い報告が出来そうだ。しかし、彼が大袈裟なのは今に始まったことじゃないけど、化け物呼ばわりは少々心外だ。

「つっても一位ってお前……。何やったらそんな出来んだよ」

「何って言われても……僕は勉強(それ)しか出来る事が無いし」

「俺だったら二十四時間やっても無理ゲーだぜ……」

「平日三時間、休日八時間が目安だよ」

「があぁぁ!! 今はそのクソ真面目な回答は聞きたくねぇ!」

 頭を抱えて絶叫する太陽の手からテスト結果を取り戻すと、教室の外から快活な女子の声が聞こえて来た。

「ヒナ~~! 教科書返しに来たよ~~!」

 その明るい声に、僕は思わず身を震わせた。何故なら僕は、その声を『今朝聞いている』。

「おっ、真弓だ」

 目の前の太陽は、友達と思しき女子と談笑している彼女――真弓一果さんを一瞥した。

 彼女は有名人だから、太陽も知っていて当然だろう。が、僕は彼女を見た瞬間、朝の不思議な光景を思い出し、視線を釘付けにされた。

「そういやアイツ、朝倉と仲良かったっけ。……どうした、心太郎?」

「えっ!? いや、別に何も……」

 しまった。じっと見過ぎた。ニヤニヤ笑いを浮かべながら、太陽が肘で小突いてくる。

「ふうん。何だよ心太郎、お前も真弓狙いかよ?」

「違うよ。というかお前もって何さ」

「バスケ部にもガチ恋勢がいるからな。心太郎も知ってんだろ? 真弓がどんだけ男子に人気か」

 勿論知っている。彼女はその優れた容姿と明るい性格で、学年はおろか学校で一番と言っていい程モテる。一方で、彼氏がいるという話は一切聞かない。それがまた、彼女に対して希望を持つ男子を生み出しているとか何とか。

「ま、気持ちは分かるがね。まつ毛は長いし、唇は瑞々しいピンクで、肩こりなんかが大変そうな胸元。本人にその気が無いとはいえ……十代の男子には眩しすぎる」

「太陽……君、自分が最悪なセクハラしてるって自覚はある?」

「そ、その部分は俺の感想じゃねぇよ。だからその、無表情で真っ直ぐ見るのを止めてくれ……」

「じゃあ、誰の感想なんだい?」

「ウチのバスケ部の部長だよ。この前告って見事に玉砕した、な」

 部長さん、大会近いのに何してるんだ。

「でも実際……真弓の男子のタイプって、どうなってんだろうな」

 太陽は不思議そうな目で真弓さんに視線を向ける。彼女は今、朝倉さんという女子と談笑していた。本当に楽しそうな、素敵な笑顔だ。

「アイツに告った男子の中には、イケメンだったり家が金持ちだったり、普通の女子高生なら思わずイエスと言っちまいそうな奴もいた。けど、そんな奴らの告白に対して、真弓の返事はいつもノーだったとか。だからまぁ……」

 太陽はため息と共に、僕の肩をポンと叩いた。

「悪い事は言わねえ。諦めとけ」

「さっき僕が違うと言ったのが聞こえなかった?」

「今アイツが話してる朝倉はバスケ部のマネージャーだが……その伝手で心太郎と繋げた所でなぁ……」

「今日は本当に話を聞かないね」

 もう太陽の事は無視しようと決めて、真弓さんの方を見た。

 彼女を見ると、やはり今朝の事が頭に浮かぶ。

 目の錯覚や夢じゃないと、断言出来る。あの時確かに、彼女は宙に浮いていた。地球の重力を、彼女とその周辺だけが無視していたように。

 だけど、その理屈が分からない。どうしてあの人の周りだけ、重力が失せたのか。あの時彼女が言っていた、『こんなトコで使っちゃった』というのは、何の事なのか。それを確認したくてたまらない。

だけど多分、正直に聞いても、今朝のように逃げられるだけだろう。宙に浮かぶ姿は、それだけ見られてまずいものだったのだ。話した事もない男子に、そう軽々に秘密を話す筈がない。

そんな事を思っていたからか――彼女と目が合ってしまった。

 思わず一瞬、呼吸が止まった。一方で真弓さんも、身体を強張らせて目を見開いていた。何方も一瞬の反応だったけれど、彼女も僕の様子が変わった事に気が付いたはず。彼女は友達に顔を近付けて、小声で話し始めた。僕の方を見ながら。

「あれ、気のせいか? 真弓、こっち見てないか?」

 太陽もそれに気づいたらしい。マズイ、下手な事を言えばまた弄られる。

「そ、そう、かな……? も、もしかして太陽のファン、とか?」

「えっ、マジ? いやでもそれは困るな~~俺のタイプは清楚な文学女子なんだがな~~」

 無理がある出まかせだと思ったけど、太陽は真に受けてくれた。

そうして弄られずに済んでホッとしていたら、彼女はもう居なくなっていた。

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