第2話 陽翔のこと





一旦キリのいいところで切り上げよう。


仕事用のパソコンを閉じる。


只今9:00を少し過ぎたころ。


部屋を出てリビングにいくけどそこには誰もいなかった。





あれ。






陽翔の部屋まで行く。


先ほどとは違って、暗い表情だ。




「はーると。」




できるだけ軽い口調で、彼の名前を呼んだ。

すると、こちらを向きぎこちなく目を細めた。




「いっくん、、ごめん。笑」


「んー?」


「もうこんな時間だった?

へへ、気づかなかった。笑」




そんなはずは無い。

陽翔は何事も、目標を叶えるために、

しっかりとそれまでの過程を考えることができる子だ。

今まで集合時間を間違えたこともない。

陸や俺なんかよりしっかりとスケジュール管理ができる子。

はるかに年下の陽翔だけど、

そういうところはとても尊敬している。


そんな陽翔が、病院の時間を間違えるはずがない。

きっとまた弱い心を強く見せるためについた嘘だ。


だから、俺も、



「早めに一段落着いたから陽翔のところに来ただけ。笑」



少しだけ嘘をつかせてもらう。



そんな嘘も君はわかっているけど。

お互い様だね。



「……横座っていい?」



陽翔の左側を指差しそう尋ねた。

すると、小さくうなずいたから、

ゆっくりと腰掛ける。



「……病院行けそう?」



そう聞くと陽翔はベッドの上で体育座りをして小さくなった。

肯定も否定もしないことを思えば、

今日は気持ちが追いついていない日なのかな。



「……だい、じょうぶ…」



小さく震える声でそう言った。



「しんどい時に大丈夫っていう言葉は使わなくていいんだよ」



そう言って、彼の背中を擦った。

手から伝わるのは、体の震え。


「……怖くなっちゃった?」


「うん…。カウンセリングが………っ」






陽翔が通うのは、心療内科。





陽翔は昔から心が弱かった。


とても繊細な子供だった。


少食で人よりも体が小さくてよく熱を出す子供だった。






┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




「ごめん、樹。陽翔が熱出してて……。どうしても仕事が休めないんだ。」


「あーいいよ。今日俺在宅だし。全然見るよ。」





新卒で入職してから、ずっと今と同じ働き方の俺はよく陸の子供たちを見ることが多かった。






「ゴホッ、ゴホッ、、」


「はるー、大丈夫?」


「ゴホッ、、はる、よわくって、ごめんなさい、、ゴホッ、」


「そんなこと言わないの。大丈夫。いっくんと一緒に寝よっか。」




自分の両親や俺に心配をかけないように、喜んでもらえるように、




「……はる?そんなに食べて大丈夫?」


「おいしいよ!お腹いっぱい空いてるから!

はる、いっぱい食べれるよ!!」



……頑張って頑張って、無理に食べ物を飲み込むような子だった。





「ん………っ、、」


「はる?」


「うっ…オエッ、、」


「ほらー。やっぱり無理だったんじゃん。」


「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、はる、だめな子でごめんなさい…っ」







……がんばりすぎる子だった。





両親も、俺もそんな陽翔が怖かった。


いつか頑張れなくなる日が来るんじゃないかと心配でならなかったんだ。



 











そんな恐れていたことが起きてしまったのは、中学2年生の時。



ある出来事をきっかけに、心が完全に崩れてしまったんだ。



「ハアッハアッハアッハアッハアッハアッ…」


「ど、…どうした…?陽翔?」


「ハアッハアッ…僕が…ママを………殺しちゃった……ハアッハアッハアッハアッ」





何度もそう言って、過呼吸を起こした。


家族がどんなに暗い状況になって、辛くても毎日ニコニコしていた陽翔。


そんな陽翔が別人のように変わってしまって、固く心を閉ざした。



………疲れ切っちゃったんだと思う。


弱い心を強く見せるために頑張りすぎたんだと思う。




元々、失敗を恐れる子ではあったけど、

あの出来事以降、些細な失敗でもいつも怯えるように何度も謝った。





ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。





何度も何度も俺らに頭を下げた。

泣きながら、荒い呼吸を繰り返しながら。

ずっと。



昔から好きだった勉強に取り憑かれるようにのめり込んで、そんな弱い心を隠そうとした。


俺らの制止なんて、耳から入って、頭にとどまることもなく、ただ教科書とノートとずっと向かい合って戦い続けた。


問題で成功すると言うことが、彼の精神安定剤だった。


できない問題があると、また取り憑かれるように勉強する。


結局、そんな努力が身を結んで、この辺で1番賢い公立高校に行った。


そして、入学テストは首席だった。



順風満帆に見えた陽翔の学生ライフは1年生の時に崩れてしまった。


誤った回答してしまう自分が許せなかったんだ。



「ねぇ、陽翔?……俺だって問題を間違える事はあるよ?

そんなに自分を責める事は無いんじゃないかな」


「ほらね?樹もそういってるからやめない?

今日はもう勉強終わりにしよ?」


「だめ……これじゃダメなんだ……」



前に増して自分を追い込むようになった。


そして、身体的不調に現れるようになり、俺らも無視せざるを得なくなった。


「だめ。……もう休もう。陽翔」


そう、何度も何度も陸が陽翔を止めている姿を見た。


「…パパ…やめて…!!休まない!!」



今まで一切反抗してこなかった彼が、あの時は誰の言うことも聞かなかった。



そして、不眠やストレス、食欲不良によって倒れた陽翔。


満足に勉強ができるはずもなく、成績は徐々に落ちていった。


落ちていたと言ったって、全クラスの順位で一桁台だ。全教科ね。


でも、彼は、それが許せなかった。


陸は、悩みに悩んだ結果、高校を辞めさせることにした。


「……命の方が大切だから。」


強引に陸が辞めさせた結果に彼は大泣きだったけど、俺もその時の彼を見て、それが最善だと思った。


そこから療養を第一優先としながら、通信制の高校へと編入した。


今は何か好きなことを見つけるために、いろんなことを経験したり、感じたりするように家族でサポートしているところだ。



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈






だいぶ良くなったとは言え、陽翔が崩れるきっかけとなったある出来事は、

もう過去のことであり、原因を取り除くことはできない。



だからこそ、こうやっていまだに自分を責めたり、これによって苦しんだりしている。



カウンセリングはに触れるような話であったり、嫌でも思い出すような話になるから、よく途中で過呼吸を起こしてしまう。



カウンセリングは任意だし、嫌ならしなくても良いとは思うけど、彼自身が、その出来事を乗り越えれるように、この先に思い出したときに、また同じように過呼吸起こさないようにするために続けていることだ。



本人が本当に苦痛なら辞めるつもりでいるけど。






歳を重ねていって、申し訳ないから1人で受診に行く、

そう言って、送り出した日。


カウンセリング後、不安定になってしまって帰ってこないことがあった。


それはそれはもう大事件で、結局、暗い場所にうずくまって、怯えるようにして身を固めていた。



頭の良い陽翔が病院から帰って来ずに、その場所にいることが何の解決にもならない事はわかっているはずだ。


なのに、そうなってしまったのは、頭で考える以上に、心はコントロールできないものなんだとそう思わされた。



だから、こうして毎回付き添っている。




┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




『高橋 陽翔くーん』




そんなアナウンスがあって、診察室に入った。





「こんにちは!陽翔くん!」




主治医は村上先生と言って若い青年だ。


初めて診察をしてくれた時に、とても親身に聞いてくれた人。


実は、はじめての担当が陽翔だったとか。


まだまだ若い先生だけど、良くなってほしいと言う気持ちが伝わってくるから、俺らはとても信頼している。




「今日は来れたね!すごいよっ!」


「うん…」



行く前よりも、はるかに暗い表情の陽翔に元気に話しかける村上先生。



「朝ご飯食べたー?」


「うん…」


「え!かしこ!」


「先生、食べてない…?」


「えっと……これ…?」


そうおどけて見せたのはマルチビタミンと大きく書かれた栄養ドリンク。


「あっ、先生、また栄養ドリンクでご飯済ませてる。笑

昨日のご飯は?」


「同じシリーズの鉄分!」


「え、順番に回してるってこと?笑

ダメってこの前テレビで言ってたよー」



「あ、俺ってもしかして〜〜っていう番組?」


「あ、うん!みた?」


「見た見たー笑」


そんな話をしていくと徐々に肩の力が抜けてくるのがわかる。


「この前教えてくれたクイズ番組あるじゃん?

あれさぁ、最後の問題が俺わかんなかったよ…陽翔くんは全問正解?」


「うん。笑」


「くそーーーー!負けた!」


「でも最後は難しかったよね、その前にたまたま見てたから答えれたんだよ、笑」


「慰められるほど虚しいものはないよ?」



笑い声が診察室に響く。



「俺に負けたくないからとか言って徹夜とかしてない?」


「へへ」


「だめだよー?ちゃんとお薬飲んで寝なきゃー」


「徹夜しようにもすぐにパパにばれるからできないよ、笑」


「それは良いことだね。引き続きパパへの監視をお願いしといてくださいね。樹くん。」


「はーい。笑」



「……苦しくなっちゃう事は?」


「……少しだけ。寝れなかった日は多いかな…」



「そっか―、…お薬どうしよっか」


「とりあえずこのままがいい」


「うん、わかった。じゃあこのまま様子を見よう。

またしんどいのが続くようなら会いに来てね?」


「はーい」


「今日カウンセリングどうする?」


「……」


「嫌なら行かなくていいよ?」


「……んーん、頑張ってくる」


「いやぁー、すごいなぁ、じゃぁファイトだよ!いってらっしゃい!」




そのまま陽翔はカウンセリング室まで行った。




「先生も上手くなったよなぁ笑」


「本当ですか!!それは嬉しい!」


「まぁもう5年だもんね笑」


「はいっ、こんなに大きく育ちました!!」


「ははは」




「最近おうちではどうですか?」


「不安なことも結構多いかなぁ」


「やっぱり…あのことですか?」


「……そうだねー…何かのきっかけでそっちに引っ張られちゃうって感じかなぁ」


「そっか、…薬このままでもいいですかね」


「まぁ本人がああいってるし、このままで。また続くようなら来るね」


「わかりました!いつでも待ってますね!」




先生にお礼を伝えて、カウンセリング室の前に行く。


もう少ししたら出てくるかなぁ、なんて思って携帯を触っていたら、




「すいません……陽翔君が過呼吸を起こしていまして……」




そう言われて、すぐに中に入った。


陽翔は下に座り込んで胸をぎゅっと手で握って荒々しく呼吸をしていた。


ずっと何かに謝っていて、目からは涙が落ちていた。


――――――


ごめんなさい。ごめんなさい。僕がママを殺したごめんなさい。ごめんなさい。


――――――



ずっとそんな声が聞こえてきた。



「はーるー。」



「ハアッハアッハアッハアッ…」


「そんなに謝ったら、ママが悲しむよ?もう謝るのは終わりにしよう?」



そんな言葉だけじゃ落ち着きそうになかったので、頓服薬を服用させ落ち着くまで待った。




疲れちゃったから、カウンセリングはここで終わり。




だいぶ体力を使い果たしたのか、

家へ連れて帰るとフラフラだったので、

そのままベッドで寝かせた。

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