第40話 ヤバい奴、家に行く

「———…………は?」

「ゆ、維斗……?」


 椿さんに頭を鷲掴みにされた秋原が間抜けた声を上げる。

 そして俺の横から、レインが今の言葉の真実を確認しようと問い掛けて来る。

 ただ、俺が口を開く前に秋原が引き攣った表情で笑った。


「は、ははっ……う、嘘でしょう!? こんな少年が……あ、あの冷酷無残な吉乃家一の鬼才である貴女の婚約者? あ、ありえません……!!」

「ほう……私が嘘を語ったと言うのか?」

「いやいやめちゃくちゃ嘘ですやん。俺は貴女の婚約者じゃないですし」

 

 俺が思わず反射的に反対すると、椿さんがジト目で睨んでくる。


「維斗……まだそんなことを言っているのかお前は。この私のプロポーズを断るのはお前だけだぞ」

「他の奴らは頭がおかしいんですよ。普通嫌ですよ。吉乃家当主の夫とか絶対面倒じゃないですか」


 将来折檻されるのが容易に想像出来るぞ?


 俺がそんな意図を込めて椿さんを睨み返すと、椿さんが心外とばかりに言った。


「折檻などしなくとも、私1人で吉乃家の仕事は務まる。維斗は私の癒し係兼外交の際の護衛だ。その他はやらなくていい。金も使い放題だぞ?」

「わーい、人生勝ち組だぁ」

「そうだろう? じゃあ18になったら私と結婚すると誓え」

「遠慮しておきます」

「さてはお前、助けてもらう気ないな?」


 俺達が軽口(軽口に見えて将来が決まってしまう重大な決断)を叩き合っていると、レインが椿さんの下に駆け寄って緊張した面持ちで挨拶する。


「つ、椿様!」

「ん? お前は……あぁ、私の子会社のエノテーカ家の娘か」

「は、はいっ! レイン・エノテーカと申しますわ! お、お会い出来て光栄ですわ」


 尊敬半分、緊張半分といった感じのレインを椿さんは少し眺めた後、突然俺の方を向く。


「ほう……おい維斗、コイツについてどう思う?」

「コイツ呼ばわりはやめてあげてくださいよ……貴女大人でしょう? あと普通に良い子ですよ」

「そうか。将来吉乃家に尽くしてくれることを期待しているぞ、レイン」

「あ、ありがとうございますわ……!」


 レインは尽くして平静を装うが、誰がみても嬉しそうに口元をニマニマさせて頭を下げる。

 そんなレインに優しげな視線を向けていた椿さんだったが、思い出したかのように秋原を此方に向けた。

 

「さて……維斗。コイツはどうする? お前が願えば社会的に抹殺してやるぞ」

「ひっ!?」

「いや怖っ。普通に返してやってくださいよ……彼だって仕事でしょ……」

「……ふむ、良かったな、貴様。私の婚約者が「婚約者じゃないです」……私の維斗が許してくれるらしいぞ。さっさと帰れ」


 椿さんがそう言って手を離すと、地面に尻餅を付いた秋原は逃げるように出ていった。

 か、可哀想に……。

  

「さて……俺はもう行こうかな」

「まて、維斗。一体何処に行く気だ? お前は私と共に来て貰うぞ」

「……………彰が怖がる理由が良く分かります」


 俺は仕方なく椿さんに着いていくことにした。







「「「「「「「「———お帰りなさいませ、椿様、維斗様、レイン様」」」」」」」」

「趣味悪っ」

「何か言ったか?」

「何でもないです」


 俺は、あの後超高そうな車に乗せられて椿さんの豪邸に連れて行かれた。

 そして現在、車を降りた瞬間にメイド姿の女性達が俺達に一斉に頭を下げる光景を見ながら呟いた。

 因みにレインは俺の隣で終始無言のまま着いて来ている。


 そんな中、1人のメイドさんが前に出て来てレインに優しく声を掛ける。


「レイン様、衣服が汚れておりますのでお風呂に入りましょうか」

「あ、は、はい……」


 おい、俺へのあの当たりの強さは何処に?


 そんなこんなでメイドさんにレインは何処かに連れて行かれて俺とクロ、椿さんの2人と1匹になった。

 俺と寝ているクロは椿さんの案内の下、リビングのような所に連れて来られた。


「適当に座っていいぞ。将来のお前と私の家だからな」

「それは嫌ですけど、寛がせて貰います」


 俺はソファーに沈み込む。

 文字通り沈み込む。

 同時にクロが驚いたように目を覚ました。


「きゅう!?」

「お前もびっくりしたか? ヤバいよな」

「当たり前だ。それ1つで家が買える」

「なんて言うもの置いてるんですか」


 俺は即座にソファーから……起きるのは勿体無いので、どうせなら使ってやることにした。

 

「それで、俺に何の用なんですか? どうせ貴女のことだからただ助けに来ただけじゃないんでしょう?」


 彼女、吉乃椿は非常に打算的な人間だ。

 正直愛とかいう人間の感情を持ち合わせているのか不明なほどだ。

 

 俺が懐疑的な視線を椿さんに向けると、椿さんがキッチンのワインセラーからワインを取り出してグラスに注ぐ。

 そして一口飲むと……スッと目を逸らして言った。


「…………ない」

「は? 嘘ですよね?」

「本当だ。今回は愛弟のお願いなのと捕まっていたのが維斗だったからな。全ての会議を中断して来た。まぁ強いて言えば……お前に婚約の催促をしに来たくらいだ。父が早く結婚しろと五月蝿いからな」

「まぁ椿さん、もう26ですしね」

「……」


 睨まれた。

 どうやら椿さんでも年齢を言われたらキレるみたいだ。


 そんな彼女だったが……ワイングラスを置いて無言で此方に向かって来る。

 何事かと身構えるも……俺の隣に座るだけで何をしないし何も言わない。


 え……な、何だ……? 

 何がしたいんだ……?

 

 俺が本気で椿さんの考えていることが分からず困惑していると……。



「———なぁ、私の何がダメなんだ?」

「え……?」


 

 椿さんが俺に顔を近付けて真剣な表情で告げると、ふわっと爽やかな柑橘系の香りが俺の鼻腔をかすめる。

 俺は驚いて少し距離を取ろうとするが、とった距離を直ぐに詰めて来る椿さん。


「つ、椿さん……?」

「私は確かに歳は食ってるが……ウチの家系は40くらいまでは20代と大して変わらん美貌をキープ出来るぞ?」

「いやそういうことじゃ……」


 俺がソファーから逃げようとすると、まさかの椿さんが俺の身体を押し倒す。

 あ、あれ……力強い……?


「ふっ、私も一応プレイヤーだ」

「完璧人間ですか貴女は……」


 本当に末恐ろしい人じゃん……と思っている俺に椿さんが険しい顔で言った。



 

「お前は今も私を完璧だと言うが……私は決して完璧じゃない。私も歴とした人間だ。恋をすることも誰かを愛することもある。私はお前以外に誰かを婿に迎えることはない。なぁ、何がダメなんだ? 私が吉乃家の者だからか? 教えてくれ、維斗」


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