第46話 幽霊船(4)
◆◆◆
アハーバックはこの海域で鳴らした海賊だった。この男に襲われた商船は数知れず、沈められた軍艦は百に上るという伝説が残っている。
数々の王国や海軍が彼の命を狙ったが、アハーバックはずる賢く、冷酷無比で、常に追手の裏をかいて生き延びていた。
だが、諸行無常は世の常だ。名うての海賊も連合国で形成された大規模討伐部隊に包囲されて最期のときを迎えた。
しかし稀代の悪党は往生際も悪かった。アハーバックは自らの肉体を差し出して悪魔と契約を結んだのだ。
「足りねえ……、まだぜんっぜん遊び足りねえっ! 悪魔よ、この体をくれてやる。そのかわり俺の魂を解放しろ。永遠にこの世界をさまよい続け、世に混乱をもたらす存在にしてくれええええええっ!」
こうしてアハーバックは幽体となり、適性のある者に憑りつくことで蘇ることができるようになってしまった。
ただ、アハーバックに憑りつかれた者の寿命は短くなり、半年ほどで肉体は朽ちてしまう。ゆえに、アハーバックはその都度、適合する体を探さなければならなかった。
アハーバックは財宝を餌にとある商船の船長をおびき出し、彼に憑りついていたが、その体も半年前に朽ちてしまった。
飼っていたゾンビもすべて腐り、なすすべもなくロックの産卵場所に漂っていたのだが、そこへアキトがやってきたというわけだった。
アキトの肉体を乗っ取ったアハーバックは満足げに笑った。
「こいつはしっくりと馴染む体だ。保有魔力量も多い。悪くねえ……」
入念にアキトの体をチェックしたアハーバックはほくそ笑んだ。
「よしよし、これだけの魔力があれば一日に五体のゾンビを召喚できるぞ」
悪魔との契約時にアハーバックはアンデッドモンスターを呼び出せるようになっている。この船を操作するには最低でも二十人の乗組員がいればよい。四日もあればことは足りる。
「さっそく五体ほど召喚するか。はぁ~、こんなところはさっさと離れて、久しぶりに略奪行為に耽りたいねぇ。人を殺すのもいいなぁ……」
邪悪な笑みをたたえながらアハーバックはゾンビたちを召喚した。
◇◇◇
息せき切って走ってきたトビーを見てタマとブチはびっくりした。アシカンは二足歩行ができるのだが、それは非常に恥ずべき行為とされている。陸地の奥深くには入らないのが分別のあるアシカンだというのが彼らの主張だ。
トビーは真面目なアシカンである。それが、ミニャンの集落まで走ってきたのでタマたちは驚いたのだ。
「どうしたニャ? イワツバメの巣でも見つけてタマに持ってきてくれたニャか?」
「ちがうっ! ハアハア……、アキトは?」
「アキト?」
「アキトは戻ってる!?」
「いや、ここには来てないニャ。ベースキャンプとやらにいるんじゃニャイか?」
「ベースキャンプにはいなかったんだ!」
トビーはタマたちに状況を説明した。
「オイラはアキトの声が聞こえた瞬間に海に潜ったんだ。そこから必死に泳いでいま戻ってきたところだよ。アキトは移動魔法で先に戻ったと思っていたんだけど、どこにもいないんだ!」
興奮するトビーを冷静なブチがなだめた。
「落ち着くニャ。とにかくオリヴィアにも知らせに行こう。あのこはまだ浜にいるはずニャ」
三人は連れ立ってオリヴィアのいる浜を目指した。
オリヴィアはボートに運び込まれる積み荷をぼんやりと眺めていた。
あれから何度も説得を試みたが、船長はついに乗船許可をくれなかった。次の船は早くても二十日後になるそうだ。
自分が戻ってニッサル皇子の結納金を貰わなくては、実家が破産してしまう。そう考えると気もそぞろだった。
なんとか密航する手立てはないか、そんなことまで考えてしまうオリヴィアである。そこにトビーたちが駆け込んできた。
「オリヴィア、大変だ。アキトが! アキトが!」
アキトの名前を聞いて物思いに沈んでいたオリヴィアの脳は覚醒した。
「アキトさんがどうしたのですか?」
「アキトがゾンビにされてしまったニャ!」
オリヴィアはゾンビという単語に弱い。その上、アキトがゾンビにされたと聞いてほとんど気を失いそうになってしまった。
「ど、どういうことですの? ま、まさか……アキトさんが……」
崩れ落ちそうになるオリヴィアをブチが励ました。
「タマはおっちょこちょいニャ。まだ、アキトがゾンビになったとは限らないニャ!」
「でも状況を鑑みればだニャ……」
「ニャにが鑑みればニャ。難しい言葉を使って誤魔化すニャ!」
「にゃぁ~……」
ブチは腕を組んで思案する。
「とりあえずアルバトに様子を見てきてもらうかニャ。空からなら安全だろう」
トビーは心配そうだ。
「アイツらがオイラたちの願いをきいてくれるかな?」
「コロッケを十個も包んでやれば大丈夫ニャ。あいつらはコロッケには弱いからニャ」
「でも、アキトは船室の中に入っていったんだ。空からじゃ何も見えないかもしれないよ」
「う~む、それは困ったニャ。となると救出隊を編成するしかニャいか……」
叱られてしょげていたタマがトビーに訊いた。
「そもそもなんでアキトは幽霊船になんて行ったニャ? 一人でいくなんて無茶ニャンよ」
「アキトはオリヴィアのために船を手に入れたかったんだ。船があればオリヴィアを故郷まで送り届けることができるって言ってた」
それまで無言のままで俯いていたオリヴィアが顔を上げた。
「わたくしのために……? あの人はどこまで……」
オリヴィアは立ち上がってトビーに頼む。
「トビーさん、私をその船まで連れていってください」
「それはいいけど、オリヴィアはアンデッドが苦手なんだろう? アキトがそう言ってたよ」
アンデッドと聞いてオリヴィアは再びガクガクと震え出した。脳裏によぎるのはゾンビ化した子どもたちとかつての部下の面影だ。
それでも、恐怖を振り払うようにオリヴィアは髪をかきむしる。整えられた髪はくしゃくしゃに乱れたが、二本のドリルは凛として尚、そのままに威厳を保っていた。
「それでもわたくしは行かなければなりません!」
「無理ニャ! 流行病に罹ったみたいに体が震えてるニャ。ブチが救出隊を編成するから任せるニャ」
止めようとするブチをオリヴィアは押しのけた。
「いいえ、わたくしは行かなければならないのです。なにか武器になるものは……」
自分の荷物を探ったオリヴィアの手に硬いものが触れた。それはアキトから贈られたベーレン・アウテックの瓶だった。透明な瓶の中には琥珀色の液体が揺らめいている。
オリヴィアの手が輝き、斬手刀が瓶の首を斬り落とした。
「な、何をするニャ? 空き瓶で戦うニャンか?」
タマの質問には答えず、オリヴィアはゆっくりと瓶に口を近づける。そして――。
「ゴク……ゴク……ゴク……、ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク」
「にゃぁ!」
「……ぷはあああああああっ!」
瓶の中身を一気に飲み干したオリヴィアの目は座っていた。
「……」
「オ、オリヴィア……大丈夫ニャンか?」
「……ゾンビでもリッチでも連れて来い! でございますわっ!!」
豹変したオリヴィアを見てトビーもミニャンたちも腰を抜かした。
「愛する人を守れずに何が聖戦士か! わらくしがアキトしゃんをお助けするのれす。今日からわらくしは聖戦士を辞して愛戦士になりますわ! そうですとも!! トビー、わたくしを島に!」
「わ、わかったけど、動けるの? フラフラみたいだけど……」
「たとえどんな状態でも愛戦士は戦うのれす! さあ、わたくしをあの方のもとへ運んでくらさいまし……ヒック!」
愛用の枝を手にトビーの背中に乗ったオリヴィアが水平線の彼方へ遠ざかっていく。
「ブチたちも救出隊を組織するニャ。タマはボートの用意を」
「わかったニャ」
マーベル島はいつになく騒がしかった。
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