第47話 幽霊船


 右手に枝を持った美女が甲板に飛び込んできたのでアハーバックは面食らった。だが、よく見ればむしゃぶりつきたいようないい女である。警戒も忘れ、相好をくずして近づいた。


「この船になんか用かい、お嬢ちゃん」

「アキトさん、お助けに参りました。ご無事でなによりれす」


 顔は真っ赤だし、目はとろんとしていることから見て、目の前の女は酒を飲んでいるらしい。この酔っぱらいは俺が体を乗っ取った男の仲間のようだとアハーバックは理解した。


(だったら少しからかってやるかな。存分に遊んでから犯して、それから殺してしまおう)


 存在自体がゲスなアハーバックはそう考えて、にこやかに話しかけた。


「ありがてえ、ちょうど帰ろうと思ってたんだ。そっちから来てくれて助かったぜ」

「…………」

「どうしたんだい?」


 目の前の酔っ払いは疑うような目つきでアハーバックを眺めた。


「おかしいれす。アキトさんはそのようなぞんざいな喋り方はしません……」


 アハーバックは慌てたが、表面は何もなかったかのように取り繕う。


「し、失礼。ちょっと別人になり切るという遊びをしておりました。さあ、元の私にもどりましたよ」

「……それもおかしいれす。アキトさんはそこまで他人行儀じゃございませんわ。あなた、本当にアキトさんれすか?」


 オリヴィアがいっこうに騙されないのでアハーバックはだんだん白けてしまった。


「ああもういいや! そうだよ、俺はお前の仲間なんかじゃねえぜ。伝説の海賊アハーバック様だ」

「アハーバックれすって!? お尋ね者のゴーストじゃないれすか!」


 アハーバックは嬉しそうに顔を歪めた。


「こんな嬢ちゃんまで知っているとは、俺の悪名も天下に轟くようになったもんだぜ」

「さてはアキトさんの肉体に憑依しましたね。許せない! アハーバック、覚悟しなしゃい。このオリヴィア・ハッフルパイモンが成敗いたしましゅ!」


 威勢よく啖呵を切ったオリヴィアを見て、アハーバックは腹を抱えて笑い出した。


「お嬢ちゃんが? その棒きれで? あーはっはっはっはっ! お前たち出てこい!」


 アハーバックが呼びかけると船内から五体のゾンビが現れた。無論、アキトの魔力を使って召喚したゾンビである。


「ひっ!」

「ゾンビを見てちびっちまったかい、お嬢ちゃん? 安心しな、まだ殺さないから」


 ゆっくりと迫るゾンビにオリヴィアは硬直してしまっている。


「久しぶりに若い肉体を手に入れたんだ。お嬢ちゃんにはたっぷりと楽しませてもらわないとな。ゾンビども、嬢ちゃんを押さえつけろ!」


 これからされることに思いが及び、オリヴィアの中でムラムラと怒りの炎が燃え上がった。


「ふざけないで! 誰がお前となど……ヒックッ!」

「そう冷たいことを言うなよ。だいたいこの肉体はお前の恋人なんだろう? だったら別にいいじゃねえか」

「ア、アキトさんは恋人ではありましぇん。た、ただ、た、た、た、大切な人であって、そういう関係では……」

「ふーん、でも好きなんだろう? だったらいいじゃねーか。俺様とやろうぜ」

「屁理屈を並べないで! それにわらくしとアキトさんが結ばれるのは許されないことなのれす」

「別にいいじゃねえかよ。難しく考えるなって。好き同士の男と女だぜ、やることはひとつじゃねえか」

「バカ、バカ、バカ、アハーバックの大バカ! そうできれば苦労はないのれす。わらくしだってアキトさんと結ばれたいんでしゅ! れも、人生は自分の意志だけでどうこうできるほど単純じゃないんれすよ! 私は愛戦士で哀戦士なんれす!」


 アハーバックはきょとんとした顔でオリヴィアを見た。


「愛戦士? それがお前のジョブか?」

「そう、わらくしは哀戦士れすよ」

「ふ~ん、なんだかわからねえが、戦士の一種ってことだな。道理で威勢がいいわけだ。酔っぱらっているとはいえ、単身乗り込んでくると思ったら戦闘系のジョブ持ちかい」

「とにかく、アキトさんから出て行きなさい!」

「けっ、そうはいかないぜ。お遊びはここまでだ。ここからは楽しい残虐行為の時間だぜ。さあ、ゾンビども、仕事に取り掛かれ!」


 迫りくるゾンビがオリヴィアの正気を狂わせる。だが、ここでオリヴィアが倒れればアキトが助かる道はなくなってしまうのだ。


「もう同じ過ちは繰り返しません!」


 武器強化でマジックコーティングされた枝が次々とゾンビを打ち倒していく。聖剣・乱舞ホーリーラッシュと呼ばれるオリヴィアの得意技だ。常人の目では剣の軌道を追うことさえ不可能な神速の技であった。


「な、なんだと!?」


 オリヴィアの剣の冴えを見てアハーバックは慌てふためいた。これほどの遣い手を見るのは伝説の海賊といえども初めてだったのだ。

 組織戦や謀略を使えばオリヴィアを討ち果たすことは可能だったかもしれない。だが、ここにいるのはオリヴィアとアハーバックだけである。正々堂々、一対一の戦いではアハーバックに勝ち目がないことは明らかだった。

 だが、まだ絶望的とまではいかない状態である。アハーバックは気を取り直して叫んだ。


「おいおい、いいのかい? その危ねえ枝を振り回せば、お嬢ちゃんの大事なアキトさんも死んでしまうんだぜ!」

「肉体を斬ればそうでしょう……。ならば、その穢れた魂を斬るまで。くらえ、破魔のエクソシズム・ソード

「な、それは聖なる者が使う技! ぎゃあああああああっ!」


 閃光がアキトの体を貫き、アハーバックがのたうち回る。


「なんなんだよぉ! おめえのジョブは愛戦士じゃなかったのか? なんでこんな技が使えるんだよぉ!?」

「はっ? わらくしのジョブは聖戦士ですよ……ヒック!」

「なんだと!? さっき愛戦士って言ってただろうがっ!」

「それは気持ちの問題で、本業は聖戦士でございましゅわ」

「それを早く言えってんだ……。クソ……が……」


 こうして邪悪な魂は聖戦士(自称:哀戦士)によって滅ぼされたのだった。

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