第35話 ノッティンガム墓地の悲劇


 神殿騎士団の中核をなす聖十字槍騎士団の駐屯所は街の東の森の中にあった。

 ここは騎士団が常駐するのではなく、演習をする部隊が寝泊まりするのに使われるだけの施設である。今日は訓練をする部隊もなく、当直の中隊が一つ詰めているだけであった。

 外はすっかり暗くなっていて、時刻は夕飯になる頃だった。足早に食堂へ向かう騎士ボッツェに同僚騎士のガルンが話しかけた。


「どうした、ボッツェ? やけに急いでいるじゃないか」

「いや、別にそんなことは……」


 言い淀んで足を止めたボッツェは忌々しそうにガルンに向き直った。


「ふふふ、隠してもわかるさ。どうせ麗しの中隊長殿の近くで夕飯を食べようという魂胆だろう?」


 図星をつかれてボッツェは顔を赤らめる。


「別に俺は……」

「隠さなくてもいいさ。オリヴィア・ハフルパイモン殿を狙う男は多い。だから、今から急いでも無駄というものだぞ」

「どういうことだ?」

「オリヴィア嬢の近くの席はすでにほかの騎士たちで埋め尽くされているってことさ」

「なに?」

「この目で確かめたのだから間違いない。もう中隊長殿の周りには親衛隊よろしく騎士たちがびっちりと詰めかけているよ。俺もやむなく撤退してきたところさ」

「そうか……」


 がっくりと肩を落としたボッツェにガルンは皮肉な笑みを浮かべた。


「そう気落ちするなって」

「気落ちなどしておらん」

「嘘をつくな、見え見えだぞ」


 ガルンはボッツェの肩を抱く。


「お前の気持ちはよくわかる」

「なんのことだ……?」

「とぼけるなよ。王都でいちばんの美貌の持ち主でありながら性格もいい。おまけにスタイルだって抜群ときている。あれだけ立派な胸をしているんだ、きっと閨の中でも……」

「おい、失礼なことを言うな!」


 好色な笑みを浮かべたガルンをボッツェはたしなめた。


「ふんっ、どうせお前だって同じことを考えているのだろう? 隠さなくたっていいじゃないか」

「わ、私はそんなこと考えておらん……」


 明らかな嘘であったがゆえに、ボッツェは口ごもった。そんなボッツェをみてガルンは相好を崩す。


「みんな考えていることだ、照れるなよ。どんな高位聖職者だってあの魅力には抗えんさ」

「それは……」

「まあ、お前もせいぜい励めばいい。あんなご令嬢を妻にできるのなら、悪魔に魂を売ってもいいくらいだからな」


 ガルンの言うことももっともだと思ったが、ボッツェは肯定しなかった。


「どうせ私とは身分違いだ。ハッフルパイモンは侯爵家だぞ」

「それがそうでもないらしい」

「どういうことだ」


 ガルンは周囲を見回してから声を落とした。


「ハッフルパイモン侯爵だがな、あちらこちらに借金があって首が回らない状態らしいぞ」

「なんと!?」

「侯爵が所有していた貿易船が立て続けに難破して首が回らなくなっているらしいんだ。なんでも領地を抵当にして作らせた新鋭船まで波に飲まれたとのことだ」

「それじゃあ……」

「ああ、結納金さえはずめば、侯爵は大事な娘を輿入れさせるだろうな。そういったわけで、金持ち貴公子はこぞってハッフルパイモン家へ出入りしているらしいぞ。噂ではレングマン王国のニッサル王子までもがオリヴィア嬢に入れあげているそうだ。金ならいくらでも出すと息巻いているってよ」

「なんと! あの銀山をいくつも所有しているというニッサル王子が?」

「ああ、彼が結納金を出せば借金問題は一気に片づくだろうな」


 それを聞いてボッツェはさらに肩を落とした。


「どうした?」

「どのみち我らでは太刀打ちできんではないか」

「そうだな。貧乏貴族の子せがれでは無理というものだ。我々騎士はおそばについて、あの美貌を堪能するくらいしかないというわけさ」


 ボッツェが更なるため息をつくと同時に、通路の扉が乱暴に開かれた。そして、伝令兵が足早に駆けていく。


「なにがあった?」


 ガルンの問いに伝令は悲鳴のような声をあげた。


「ノッティンガム墓地にゾンビが溢れた。地獄のふたが開いたんだっ!」


 伝令はわめきながら二人の横を駆け抜けていく。ボッツェとガルンは真面目な騎士の顔に戻って伝令の後を追った。



 急報を受けたオリヴィアは騎士たちを食堂に集めた。現在、この駐屯地での最上官は中隊長であるオリヴィアだ。


「原因不明ではあるがノッティンガム墓地に埋葬された死体がゾンビ化している。その数は現時点でおよそ三百。さらに増え続けているそうだ」


 オリヴィアの副官である老騎士グレン・オットーが立ち上がった。彼はハッフルパイモン家の直臣で、オリヴィアのお目付け役として騎士団に出向しているのだ。


「ゾンビが三百ですか」

「他にもスケルトンやリッチが数体目撃されているそうだ」

「それに対してこちらは騎士が七十六名……。少々厄介ですな」

「うむ、だがノッティンガム墓地には女修道院が併設されており、そこには孤児院もある。彼女たちは修道院に立てこもって救援を待っている。一刻も早く向かわなくてはならない」

「伝令は街の本部にも向かっているのしょう? 部隊を待った方がよろしいのではありませんか?」

「オットー、それでは手遅れになってしまう。なんとか我々だけでも修道院に合流するのだ」


 オリヴィアは孤児院に何度か寄付へ行っている。顔見知りとなった孤児たちと遊ぶこともあり、特別な思いもある。子どもたちを見捨てることなどできるはずがなかった。

 幼い頃から面倒を見てきたグレンはオリヴィアの性格を知り抜いている。しかも彼女に騎士道の何たるかを説いてきたのは武術教師でもあったグレン自身なのだ。

 これ以上の説得は無理と判断したグレンは騎士たちに号令をかけた。


「全員出撃準備だ。十分後に中庭に集合!」


 どうせ出撃するのならゾンビが増える前がいい。軽装にはなるだろうが、状況的に拙速を選択するしかなかった。

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