第19話 島での生活(6)


 ブチさんに貝を分けてあげたら、お礼にとバターを少しくれた。


「これがあればマテ貝のバター炒めができますよ」


 俺は大喜びだ。さっそくベースキャンプに戻って料理を開始した。

 まず塩水で貝の砂抜きをしなければならないので、俺は「下処理のプロ」を獲得した。これにより魔法で砂を吐かせることだってできるのだ。

 本来なら一晩くらいかかるのだけど、俺の指先から放たれる魔力を受けて、マテ貝はどんどん砂を吐きだし、一分もかからないで砂抜きは終わった。


「さっそく貝を炒めていきますよ」

「料理をするところを近くで見るのは初めてですわ!」


 オリヴィアさんは目をキラキラさせている。


「見たことがないの?」

「厨房に入ることは禁止されていましたの。食堂で給仕されるのを待つだけでしたわ」

「そうなんだ……。じゃあさ、料理をしてみる?」

「えええええええっ!」


 そこまで驚くことじゃないだろうに。ドリルを逆立ててオリヴィアさんはのけぞっている。


「わ、わたくしにできますでしょうか?」

「簡単だよ。炒めるだけだもん」


 オリヴィアさんは左右に目を配り、人がいないことを確かめた。誰も見ていないのに心配性だなぁ。侯爵家の御令嬢が料理をするのはそんなに外聞が悪いかね?


「実はわたくし、ずっと料理に憧れていましたの。やらせてもらってもよろしいでしょうか?」

「どうぞどうぞ」


 俺はクッカーセットに入っていたフライ返しを渡した。


「じゃあ、まずフライパンを火にかけて温めて」

「フライパンとはどれですか?」


 そこからわからないのね。


「これです」


 ゴクリ……。オリヴィアさんの喉が大きく鳴った。そしておもむらに手を伸ばしフライパンの柄を掴む。


「肩の力を抜いて、あまり力み過ぎないように」


 じゃないと柄が潰れてしまいそうなんだよ。聖戦士の怪力は侮れない。


「承知しました。剣を振るときと一緒ですね」

「ま、まあそんなとこかな……」 


 ぎこちないながらもオリヴィアさんはフライパンを炉の上においた。


「フライパンが暖まってきたらマテ貝を入れよう」


 さらに美味しくするためには少量のオリーブオイル、ニンニク、タカノツメが欲しいところだ。それから忘れてならないのが白ワインである。


 残念ながら食料はガチャでしか手に入れることができない。任意の製品を手に入れられたら便利なんだけどね。今日はバターだけで我慢するとしよう。


「きゃっ、貝が動いていますわ! うはっ、これ、本当に食べられるんですの?」

「見た目はアレだけど、美味しい貝なんだよ。あ、フライ返しだけじゃなくて、フライパンの方も細かく揺すって均一に火が通るようにしてね」

「均一に火でございますね。フンッ!」


 ぎこちないながらもオリヴィアさんは炒め物をこなしている。


「うん、とっても上手だよ」

「あ、貝の殻が開いてまいりました!」

「殻が開いたのなら火が通った証拠だよ。ここでバターを投入しよう」

「承知! いざ!!」


 気合と共に大匙のバターがフライパンに入った。溶け出す脂が貝の香りと合わさって芳醇な香りを放つ。


「ほぉおおおおっ! アキトさん、いい匂いがいたしますわ。とてもいい匂い!」

「うん、これで完成だ」


 半分ずつに分けて、お椀に盛りつけた。


「じゃあ、さっそく食べようよ。いただきます!」

「いただきます……」


 緊張した面持ちで貝を口に運んだオリヴィアさんが頬を押さえて涙ぐんでいる。


「美味しい……」

「自分で作ると感動もひとしおだろ?」

「はい。私に料理ができなんて思ってもみませんでした」

「でも、泣くのは大袈裟だよ」

「だって感動で涙が……。アキトさんはわたくしに数えきれないほどの初めてをくださいますね……」

「それは、こんな状況だからね……」


 こんな場所で出会わなかったら俺たちに接点なんてなかっただろう。街ですれ違っても視線を合わせることさえなかったかもしれない。

 それが一緒に火を焚き、料理までしているのだ。運命の不思議と言うものを感じずにはいられない。

 彼女が漂流して、俺が異世界転移して、聖獣の集う島で出会って……。偶然と呼ぶにはドラマチックすぎるとは思う。

 でもさ、オリヴィアさんには婚約者がいるんだよなあ……。

 運命なんてしょせん、巧妙に仕掛けられた罠なのか?

 島の夜は早い。夕飯を食べて歯を磨けば、もうやることはなかった。


「おやすみなさいませ」


 テントに潜り込むオリヴィアさんを見送ると、俺はタープの明かるさを最低にした。

 光量は減ったけど、地面の様子は何とか判別がつく。これくらい明るければオリヴィアさんが怖がることもないだろう。

 視線を浜の方へ向けると海上の星が揺らめいて見えた。水蒸気のせいだろうか、細かく動く光の粒は落ち着きがない。滲む光が自分の心と重なって見えた。

 これ以上オリヴィアさんとの距離が縮まるのは危険かもしれないな。別れが辛くなってしまうだろう。でも……。

 寄せては返す冷静と情熱の波に漂いながら、俺は漫然と星を眺め続けた。


   オリヴィア 4



 今思い返しても顔から火が出そうです。いくら闇が怖いからといってアキトさんの腕にしがみついていたなんて……。婚姻を間近に控えたわたくしが、あんなはしたない真似をするとは、つくづく自分が嫌になります。この島にゾンビやアンデッドがいないことは確認したというのに……。

 アキトさんは何もなかったふりをしてくださっていますけど、心の中では呆れているかもしれません。そのせいか、少しだけよそよそしくなった気がします。いえ、以前と変わらず優しいのですが……。

 キャンパーの力は本当に不思議です。昨晩はランタンを出してくれましたし、今日はタープとテントをご用意してくださいました。

 これで安心して着替えができますわ。私も狩りをして何とか役立とうと思うのですが、出会う獣がすべて聖獣です。さすがにあれは狩れませんものね……。


 本日は潮干狩りと言うものへ行ってまいりました。塩をかけると砂浜の穴から貝が頭を出すのがおもしろかったです。

 途中で塩が尽きてしまいましたが、手刀で砂をつくことで貝をつかみ取ることができましたわ! これは大発見ですね。

 ひょっとしたら私は貝獲りの才能に恵まれているのかもしれません。アキトさんも「オリヴィアさんは特別だ」とおっしゃってくださいました。張り切って山ほど貝を集めてしまいましたわ。

 少し褒められたくらいで調子に乗って、今思い返すと恥ずかしいです。でも、誰かが喜んでくれるというのは嬉しいものですね。それが大切な人ならなおさら……。

 ベースキャンプに戻って、生まれて初めて、このわたくしが料理をしましたの! 自分にお料理ができるなんて想像もしてみませんでしたわ。

 アキトさんも私がつくったバターソテーを「美味しい、美味しい」と言ってたくさん食べてくださいました。その姿を見ているだけで心が温かくなって、不思議な気持ちになりました。

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