第9話 ミニャン(1)


 夜明け前に目が覚めた。

まだ周囲は暗かったけど、たくさん寝たから頭ははっきりしている。

海は少しだけ明るく、白く泡立っている潮が見えた。


「スー……、スー……」


 オリヴィアさんはこちらに背を向けてまだ寝ている。

昨晩は遅くまで起きていたみたいだからこのまま寝かせておこう。


「お夕飯を食べずに寝るなんて初めての経験ですわ!」

「お風呂も入らずに寝るなんて許されるのでしょうか!?」

「着替えもしないで寝るなんて不良になったみたいですわ!」

「こうなったら夜のお祈りもしませんわよ。ああ、背徳的っ!」


 初めてづくしでかなり興奮していたようだ。普段はどんなに縛られた生活をしているんだろうね? 

 侯爵家だなんて聞くと、親も躾とかに厳しそうだ。そう考えると、はしゃいでいるオリビアさんの気持ちもなんとなくわかる気がした。

 そういえば気になることが一つあった。寝る前に焚き火を消そうとしたらオリヴィアさんが嫌がったんだよね。嘘みたいに強い聖戦士も暗闇は怖いのかな?

 案外お化けが苦手だったりしてね。といっても魔物が相手でも平気な顔をしていたからそんなことないか。

 物音を立てないようにステータスボードを開いた。お、『天賦の才』のおかげでポイントが4に増えているぞ。とにかく腹が減ってかなわない。スキルは後回しにして今日こそ食料ガチャを引いてみよう。


「おはようございます……」


 寝ぼけまなこのオリヴィアさんが起き出してきた。まだ、髪を結んでいないので全体がふんわりと海風にたなびいている。これはこれでかわいいけど、ドリルがないのはやっぱり寂しい。

 これじゃあ生クリームの載っていないウィンナコーヒーだ。つまり、ブラックでも美味しいけど、アイデンティティーとしては間違っているというか、なんというか……。


「身支度をする前の女をじっと見るのはマナー違反ですよ」


 ぼんやりとくだらないことを考えていたらたしなめられてしまった。


「ごめん。タンクの水は補充されているから自由に使ってね。俺はその辺を見回ってくるから」


 挨拶もそこそこに、その場を立ち去った。



 食べられる貝でも見つからないかと波打ち際に行ってみたけど、そのようなものは落ちていなかった。俺が知っているゲームではホタテやアサリなどがこういう場所で採れたのだが、現実は甘くないようだ。

 あるのは名前も知らない海藻ばかりだが、これは食べられるのだろうか? 『ベースキャンプの祝福』を習得したので、次に会得できるスキルは『キャンプ飯』(3)だ。

 このスキルがあれば、これらの海草も美味しく料理できるのかな? でも、いきなり3ポイントを消費するのも考え物だ。もう少しよく考えないと。

 けっきょく手ぶらのままでベースキャンプへと戻って来ると、オリヴィアさんのドリルができあがっていた。どうしてだろう、ピンクのドリルを見てホッとするなんて……。

 見ればドリルお嬢様の手にブラシが握られている。


「それをどこで?」

「脱出するときに小さな旅行鞄だけは持ち出しましたの。海岸に隠しておいたのを先ほど取ってきましたのよ」

「よく鞄を持ったまま海上を走れたね」


 聖戦士のパワーがなければ不可能だっただろう。


淑女レディーのたしなみですわ」


 そう言って自慢した令嬢のお腹が大きく鳴った。


「グルルルッルル……キュッキュルキュグウウウウウウウ!」


 オリヴィアさんのお腹は自己主張が強めなようだ。


「ゲフンッ、ゲフンッ! 今のは何でもありませんわ! 少し喉が痛くて……」


 まったくと言っていいほどごまかしきれていなかったけど、何も聞かなかったことにするのが紳士のたしなみというものだろう。俺は話題をぶった切った。


「さて、どうしよう? ここで救助を待つというのが基本方針だとは思うけど、漫然と待つのは性に合わないな」

「どうするおつもりですの?」

「狼煙を上げようと考えているんだ」


 要は火を焚いて煙を上げ、近くを通る船に俺たちがいることをアピールするのだ。


「すばらしいアイデアですわ。それでは燃やすものを集めなくてはなりませんわね!」


 お嬢様の瞳が爛々と輝きだした。


「焚き火のことならお任せあれ。私、もうすっかり慣れましてよ!」


 よほど焚き火が気に入ったんだな。


「それから食料も探そう。水だけじゃ力が出ないからね」

「ええ、私たちには食料や食べ物が必要ですわ。すぐに出かけましょう!」


 お腹の音が主張するとおり限界が近いらしい。食料と食べ物って同義語を無意識に繰り返しているぞ。このままではちょっとかわいそうすぎる。

 いそいそと出かけようとするお嬢様を呼び止めた。


「待って。その前に朝食にしよう」

「朝食でございますか!」


 嬉しそうな顔になったオリヴィアさんだったが、その顔はすぐに悲しみに沈んでしまった。


「そうはいいましても、食べ物は何もないのです」

「安心して、俺が何とかするから」

「アキトさんが?」

「一晩立ってステータスポイントが貯まりました。これを使って食料を調達します」


 ステータスボードを操作して食料ガチャのボタンを押した。ポイントを1消費すると、たちまち目の前にクリーム色の箱が現れるではないか。見た感じはプラスチック製のコンテナみたいだ。


「これは……?」

「この中に食料が入っています。開けてみるまで何が入っているかはわかりませんが……」


 サンドイッチみたいに、すぐに食べられるものならありがたいな。ジャガイモとか魚の切り身みたいな原材料だと料理が面倒だ。


「グギュルグゴオアアギュウウウウウ! ゲフン、ゲフン!」


 ひときわ大きくオリヴィアさんのお腹が鳴った。もう悲鳴といってもいいくらいの音量だ。俺も限界が近い。さっさと開けてしまおう。

 箱から出てきたのは二個のコンビニオニギリだった。具は鮭とツナマヨである。


「な、なんですの、これは? まさか、爆裂岩!?」


 棒切れを構える聖戦士を慌てて止めた。


「待つんだドリル!」

「ドリル?」


 やべっ、慌てて心の声がダダ洩れだ。


「それは危険なものではありません。食べ物です」

「これが食べ物? 小型の爆裂岩に似ているのですが……」


 なにやら危険生物と間違えているようだな。


「違います。ほら、こうやってパッケージを外して……。見てください」


 海苔を巻いたおにぎりをドリル令嬢の眼前に突き出した。


「スンスン……不思議な匂いがいたしますわ。嗅いだことはございませんが、食欲をそそる香り……ギュルルルルルーン、ギュオーーンンンンッ!」


 スロットル全開の腹音ですな……。


「量が少なくて申し訳ないが、キャンパーの力で用意しました。分けて食べるとしましょう」

「え、ええ……。それではありがたく……」


 オリヴィアさんはおずおずとツナマヨに手を出した。ツナマヨは好き嫌いが別れるけど大丈夫かな?


「それでは……ハムッ!」

「いかがですか、苦手なようならこちらの鮭と替えますけど?」

「とってもおいしゅうございますわ! 不思議、お米にはこのような食べ方もあるのですね」


 よかった、日本食でも忌避はないようだ。お上品にではあるが、オリヴィアさんは夢中でおにぎりを食べている。


「普段はどんなふうに米を食べるんです?」

「食卓に上がることは少ないですわね。たまにスープに入っていたり、炒め物やサラダに入っていたりするくらいですわ」


 オリヴィアさんの国ではメジャーな穀物は小麦で、主食はパンだそうだ。

 お腹が空いていた俺たちはあっという間にオニギリを完食してしまった。


「オニギリ……ぜひまた食べてみたいですわ」


 かなり気に入ってくれたようだ。だけど、俺が使うのは食料ガチャである。次に何が出るかはわからない。俺としてはもう少し食いでのあるものが出てきてほしい。


 オニギリ一個ではぜんぜん足りなかったけど、腹ごしらえをした俺たちは今日の活動を開始した。

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