19話 幸せな夕食

 瞼に日差しが当たるのを感じる。俺はうっすらと目を開けた。

 懐かしいにおい。見慣れた部屋。寝心地のいい布団の上で俺は寝ぼけ眼の状態で確認する。


(やっぱり我が家は落ち着くな)


 恵美と暮らす家ではベッドで寝ていたが、やはり今まで慣れてきた布団が一番居心地がいい。微かに感じる畳のにおいが心を和ましてくれる。

 昨夜は夜遅くに直子の住む実家へと行き、子供の体力は限界を越えてしまったのかそこからの記憶はほぼない。先に事情を聞いていたのか、直子は俺を心配した様子で出迎えて、仏間に敷いた布団へと直ぐ様案内してくれた。俺はそこで気絶するように意識を失った。


(恵美もちゃんと休めただろうか?)


 不意に心配が過り、布団から慌てて飛び出す。


「めっ……ママ!」


 寝起きから危うく恵美と叫びそうになってしまった。


「おはよう、颯太くん」


 仏間から出て直ぐに目に映ったのは直子ひとりだけ。恵美の姿は見当たらない。


「ばあば、ママは?」


「もうお仕事へ行ったよ」


 あんなことがあったのに仕事へとも思ったが、社会とはそういうものだ。私生活で何があっても仕事は仕事。俺もそうだった。


「昨日はだいぶ疲れてたんだね。たくさん寝たね」


 直子に言われて時計に目をやると、すでに10時を差していた。

 俺は先に寝てしまったが、恵美はきっとあまり寝れなかったに違いない。


(恵美が帰ってきたら、今日はゆっくりと休ませてやろう)


 そう心に決める。


「颯太くん、今日はばあばと何してようか? 何かやりたいことはある?」


「ママに美味しいものを作ってあげたい!!」


「あら、颯太くんは優しいね。なら朝御飯を食べたらばあばとお買い物へ行こうか」


「うん!」


 久しぶりに直子の作った朝食を摂る。甘い卵焼き、焼きたての鮭の塩焼き、豆腐の入ったお味噌汁、どれもが食べ慣れてきた直子の手料理でとても美味しかった。恵美の料理も美味しいが、やはり何十年も味わってきた直子の味は俺にとっては特別だ。

 だが、それに気付けたのが死んだ後というのが心苦しく感じる。生きているうちに気が付いていたら、直子がもう言わなくていいと思うほど毎日褒めていただろう。


「ばあば、全部美味しいよ。すごく美味しい」


 気が付けば、俺の目には涙が溢れていた。颯太の精神年齢が影響しているのか、それとも俺の年が関係しているのか分からないが、最近はやたら涙もろくていけない。だが、どうにも感情が言うことを聞いてくれないのだ。


「あらあら、そんなに泣くほど美味しいの? ありがとう」


 直子は昨夜の出来事で颯太が情緒不安定になっていると勘違いしたのだろう。慰めるように優しく頭を撫でて、泣き止むまで見守ってくれた。

 俺は一度も料理について感想も言ってこなかったし、作ってくれたことに感謝を述べたことなどない。そんな不器用な俺を見捨てずにいてくれた直子を今になって尊敬した。もしかしたら、智貴と恵美のようになっていたかもしれない。そう思うとなかなか涙が止まらなかった。

 それから俺と直子はふたりで買い物へ行き、いろいろ話し合いながら今夜は餃子を作ろうと決めた。


「颯太くんも手伝ってくれる?」


「うん!」


 きっと手伝いらしいことはできないかもしれないが、恵美のために何もしてあげられなかった過去を少しでも償いたい一心で俺は頷く。


「颯太くん、本当に見ないうちに大人になったね」


 直子は嬉しそうに俺の手を握る。改めて見る直子の手はしわしわで、水仕事を長くしてきた手をしていた。その手は弱々しくも映るが、それ以上に暖かな愛情に溢れている。恵美が生まれてからは手を握るなんて行為は記憶にも残っていない。何をしても常に俺には後悔がまとわりつく。


(颯太の中にいられるのはいつまでかは分からないが……成仏するならこの世に未練がないようにしたいものだな)


 俺はぎゅっと直子の手を握り返す。


「ばあば、ぼくたくさんおてつだいするね。それからたくさんばあばのよろこぶことするからね!」


「あらまー、嬉しいこと言ってくれるんだね。ありがとう」


 笑顔をこぼす直子を見て、俺は照れ臭さに俯いた。ありがとうと言われる度に心が満たされていくようで、自然と口許が緩む。颯太に対して言ってくれているとは分かっていても、自分に向けられた言葉のようで嬉しかった。

 帰宅後、直子は少しだけ休憩しようかと居間で寛ぐ。遅い朝食を摂ったので、昼食は小さなおにぎりをひとつ食べた。いつもなら昼食後にお昼寝をするのだが、さすがに今日は眠気がない。だが、直子は疲れていたのだろう。テレビを見ながらうたた寝を始めた。


(よし、こんな時ぐらいしかひとりで行動できないからな……久しぶりに俺についての調査を再開するか)


 前に見つけた俺の携帯電話は今も充電できていない。俺の使っていた充電器がもしかしたら家のどこかにしまってあるかもしれないと思い、探索し始める。直子の部屋や、階段下の物置、視界に入った収納場所は一通り探ってはみたが、充電器らしいものは見当たらなかった。

 俺はガッカリしながら再び今へと戻る。ちょうどのタイミングで直子は目を覚ました。


「あら、いけない……ごめんね、颯太くん」


 小さい子を放って寝てしまったことに慌てた様子だったが、変わらず居間に居た俺を見て安堵しつつ、申し訳なさそうに謝る。


「ぼくはだいじょうぶだよ」


「本当に颯太くんはしっかりしてて偉いね」


 そりゃ中身は俺だからなと思いながらも、何も分からないふりをして笑った。

 その後は直子と一緒に餃子を作り、帰宅した恵美も加わって、久しぶりに家族揃っての夕食。こうやって家族団欒だんらんの時間を過ごすのはいつぶりだろうと懐かしさに浸った。


「颯太くん、たくさんお手伝いしてくれて偉かったんだよ~」


 切った具を混ぜて、包むのを少しだけ手伝った俺を盛大に褒め続ける直子。俺の作った見た目の悪い餃子を美味しいと何度も言う恵美。

 なんだか褒められ過ぎて背中がむず痒く感じる。そんな夜だった。

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