17話 反撃開始
俺はゆっくりと恵美の前に立つ。そして、目の前の智貴を睨み付けた。
「なんだよ、その目は! 恵美、お前がろくな躾をしないから颯太がこうやって父親に歯向かうようになったんだ!!」
「それは違う!! なんでもかんでも恵美のせいにするのはやめろ!!」
俺は大声で叫ぶ。子供らしくない言動に些か驚いたような顔をしたが、智貴は怒りでそれどころではないようだった。
「恵美!! お前が変なことを颯太に吹き込んだのか!? ふたりで俺をバカにしてんだろ!?」
「そんなことしてない!! わたしはいつだってあなたを思って頑張ってきた……でも、そんなわたしを馬鹿にしてきたのはあなたじゃない!!」
智貴の目付きがより一層キツくなる。
「さっきから生意気なことばっか言いやがって!!」
智貴の右手が大きく振り上げられた。このままでは恵美が殴られてしまうと、俺は勢いよく智貴の足に飛び付いた。不意を付いたおかげで智貴の体勢は崩れ、その場で尻餅をつく。
「いってー、くそっ!! なんなんだよ!!」
いっそのこと、自分の妻に手を上げるなんて、お前は最低の人間だと言い返してやりたかった。だが、その言葉を俺は飲み込む。ここで俺が強く言い返して、もし颯太が怪我を負うようなことが起これば恵美はショックを受けるだろう。颯太に何かあれば、今度は違う後悔を俺はすることになる。
「パパ、もうやめて。ママはパパのためにまいにちがんばってるんだよ」
怒りを抑え、俺は懸命に颯太として智貴に語りかけた。
「まいにちパパのためにおべんとうもごはんも、家のおそうじもがんばってるんだよ。そんなママにひどいこといわないで!」
実の子供に諭されれば、智貴もなにかしら感じるかもしれない。
颯太は血を分けた実の息子だ。いくら性根が腐っていようが、父親としての情は少なからずあるに違いない。
だが、その考えは甘かった。
「ガキが偉そうに父親に指図するな!!!!」
智貴の目の色が変わり、俺の目の前で手を振りかざす。このままでは殴られる。
なんとか颯太を守るために両手で頭部を守った。
数秒、部屋の中が静まり返る。殴られる気配を感じなかった俺はそっと腕を下ろした。視界が広がると、そこには驚きの光景が広がっていた。
智貴の振りかざした手は俺の方へ行き着く前に、恵美の手で止められていた。ぎゅっと強く握られた智貴の右手はピクリとも動かない。
「なんだよ!! 離せ!!!!」
大の男が喚きながら振りほどこうと腕を動かすが、恵美の手からなかなか逃れることができないでいた。
(おいおい、なかなかやるじゃないか!)
驚きから、我が娘の強さに感心してしまう。
「これ以上俺に歯向かっていいのか!? どうなるか知らないぞ! 俺が居ないと路頭に迷う羽目になるんだからな!!」
若干動揺しながらも、智貴の口からは胸糞悪い言動ばかりが発せられる。それでも恵美は微動だにせず、ただ智貴の手首を握りながら俯いていた。沈黙し続ける娘がなんだか一番恐ろしいように俺は感じて、思わず息を飲む。
(これは……まずいんじゃないだろうか)
俺の脳裏に遠い昔の記憶が過る。一度だけ直子が激怒したことがあった。
重い沈黙が終わったあと、山が噴火したような勢いで怒り出した直子の姿を思い出すと今でも身の毛がよだつ。恵美は俺よりも直子に性格が似ている。だから、この沈黙は怒りが頂点に達したという合図だ。
「路頭に迷うのはあんただよ!!!!」
始まってしまった。俺は恐怖から両手で顔を覆う。
顔を上げた恵美は握っていた手首を捻り上げ、華麗な動きで智貴を床に叩き倒した。何が起きたのか分からない智貴の視点は意味もなく宙をさ迷っている。
(恵美……あんな技、どこで覚えてきたんだ?)
合気道か護身術の技なのだろうが、そんなもの習っていたなんて直子からも聞いていない。しかし、それでもこれで立場は逆転した。
「智貴さ、結婚する前は子供ができたら家と俺を支えるために専業主婦になって欲しいって頼んできたよね? 共働きの時は家事も分担してくれて、わたしのことも気遣ってくれてたのに……妊娠したって分かった途端、俺が稼ぎ頭で偉いんですみたいな態度取るようになったよね。
床に倒れ込んだままの智貴の近くまで寄ると、恵美はその場に座り込む。そして、目を合わせるさせるために智貴の顎を持ち上げた。
「なのに何? 今の智貴はこの家でどんな立場になろうとしてるの? 子供には関心がない。妻のわたしには家政婦以下の対応。なら、あなたはこの家の何? ご主人様? 王様? どう見ても、夫や父親じゃなかったよね?」
「そ、そんなことない!! 俺は外で頑張って仕事してお前たちを養ってたんだ!! 家のことも子供のことも、お前を信用して任してたんだよ!」
「ねぇ? 外で頑張ってたのって本当に仕事だけだった?」
恵美が笑顔で告げる。
「知ってるよ。智貴さ……ずっと浮気してたよね」
智貴の顔が一気に青ざめていく様を俺は指の隙間から見つめた。
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