13話 離婚は簡単じゃない

 また新たな朝を迎える。智貴は平然と恵美の作った朝食を食べ、手作りの弁当を当たり前のように持って仕事へと向かった。

 昨日の態度を謝ることもなければ、弁当を作ってもらった感謝すらない。

 俺はイラつきながら恵美の作った朝食を食べた。


「今日は何して過ごそうか?」


 恵美は健気に笑顔で颯太に接する。


(お前は母親としてとても立派だ)


 我が娘の成長を実感した。だが、俺の娘には変わらない。どんなに大人になっても恵美は俺の子供だ。

 俺は意を決して恵美に提案を述べる。


「ママ、ぼく保育園行きたい」


「え?」


 昨夜、俺はどうすれば恵美を離婚しやすい環境にできるかを考えた。見たところ颯太は幼稚園や保育園には通っていないようだ。昨日も今日も平日だが、俺をどこかへ預ける素振りがない。智貴も恵美を専業主婦と言っていたから、今は颯太のために働いていないのだろう。

 それならば、俺が保育園に行けば自動的に恵美は働くようになる。社会復帰すれば離婚後の生活への不安もなくなり、離婚という選択がしやすくなると考えたのだ。


「颯太、どこで保育園なんて覚えたの?」


「テレビで見たの!! すっごい楽しそうだったから、ぼくも保育園に行きたい!!」


 恵美はかなり驚いた顔をしていた。


「保育園か」


 恵美はなんだか戸惑っていたが、数秒もしないで笑顔に戻る。


「颯太もいろんなお友だちと遊んだりしたいよね。だったら今日はお散歩がてら保育園の見学にでも行ってみようか」


「うん!!!!」


 俺と恵美はさっそく近所の保育園へと出掛けた。


「すみません、見学をしたいんですけどいいでしょうか?」


「ええ、構いませんよ」


 一番近くにある保育園は新しくできたばかりなのか遊具も真新しく、建物の中も綺麗だった。その中ではしゃぎ走り回る子供達。


(65歳にもなってまさか保育園へ通うはめになるとはな……ん? 4年経ってるから、生きてれば俺も69歳か)


 70歳手前で保育園デビュー。なんとも言えない展開だ。


(しかし、今の保育園は綺麗なもんだ。子供も出掛けるときのような小綺麗な格好をしている……どうせ汚すんだからもう少し適当な服装でも良さそうだが)


 時代のギャップに俺は半分呆れた目線を送る。


「登園に通うことをご希望ですか?」


 中を案内してくれている年配の女性が丁寧な口調で恵美に訪ねた。どうやらこの保育園の園長らしい。


「まだ仕事をしていないので直ぐにとは考えてはいないのですが……できれば家から近いここに通いたいと考えています」


「そうでしたか……実は年々児童の希望者が増えていまして、今も待機してもらっている方も多くて……もしかしたら、お仕事が決まっても入園は難しいかもしれません。何かしら事情があれば優先順位も早まりますが」


「そうですか」


 恵美は残念そうに肩を落とす。


(やはりそう甘くはなかったか……)


 ニュース番組でも時折取り上げられるワード。待機児童という単語を聞いた時には恵美ももう大人になっていたから、耳にしても他人事のように流していた。だが、ここに来てその問題にぶち当たってしまう。

 両親が揃っていて、母親が働かずに生活できている場合は希望してもなかなか順番が回ってこない。最優先されるのはやはり母子家庭だ。今の恵美の状況では順番はまず回ってこないだろう。

 しかも仕事が見付かってなければ保育園へ行く許可はでない。


(これはなかなか厳しい状況だな)


 仕事が決まっても預ける場所がなければ働くに働けない。

 これでは一向に話が進まない。


(どうしたらいいんだ)


「分かりました。見学させていただきありがとうございました」


 恵美に手を引かれながら、再び目の前に立ち塞がった壁をどう壊したらいいのかと考え込んだ。


(直子に預けるという選択しもあるが……昨日の様子を見る限り、恵美は直子に夫のことを話せずにいる。恵美の意識が離婚に向かなければこの状況は突破できないのか)


 買い物をしてから帰宅し、恵美は家の仕事を黙々とこなす。

 部屋の掃除、颯太のお昼ご飯におやつ、夫の服のアイロン掛け、夕飯の支度。これが恵美の一日。


 ーー俺もかつて直子にこんな孤独な生活をさせていたのかもしれない。


 そう思うと、当事者として心が痛んだ。


(俺は恵美の子育てに何も関わってこなかった。オムツだって交換したことがない。お風呂だって直子が体調不良の時ぐらいしかやらなかった……人のことをとやかく言える資格なんてない)


 それでも気が付いた。直子の人生はもう取り戻してやれないが、恵美の人生はまだまだこれからなのだ。やり直しのできるうちに俺が何とかしてやりたい。


(よし、今は情報を得ることが何よりも重要だ)


 俺は恵美が世話しなく動き回る中、リモコンを握る。電源が入ったテレビからは賑やかな情報番組が流れ出した。お昼の番組ということもあって、主婦向けの情報に溢れている。節約料理にお部屋の整理整頓術など、家事中心の情報を楽しげに説明していくコメンテーター。

 すると、コーナーが変わり、再現ドラマが流れ出した。それは浮気に悩む主婦がスカッとする方法で夫に復讐するというものだった。


(これはなかなかいいかもしれない)


 俺は食い入るように画面を見つめる。

 その主婦は夫の浮気に気が付き、自分で証拠集めをして夫に叩きつけるというものだった。


(やはり浮気の証拠は大事だな。言い逃れ出来ないぐらいの証拠を集めれば慰謝料請求もできるようだし……浮気相手のことも調べてみる必要があるな)


 俺はこっそり子供部屋から持ってきたらくがき帳を開く。ボールペンが見当たらず、仕方なくクレヨンを一緒に持ってきた。


(今は暴力だけじゃなく暴言も離婚理由になるのか。日記を付けるとDVの証拠になるんだな……なるほど! 勉強になるな~)


 深く納得しながらメモを取る。画用紙にでかでかと書かれた“モラハラ”の文字に俺は満足の笑みを漏らした。

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