12話 夫の裏切り

 テーブルに並んだ鯖の味噌煮。

 俺は待っていましたとばかりに手に持ったフォークを伸ばす。


「なんだよこれ」


 だが、智貴の言葉がその場の雰囲気をぶち壊した。


「え? 鯖の味噌煮だよ?」


 恵美が引き攣った笑顔で返す。俺は伸ばしかけたフォークを一度引っ込めた。


「これ、どう見ても買ってきた惣菜だろ」


(よく分かったな……俺は気付かなかったのに)


 智貴は苛立ったように箸をテーブルに戻す。


「夫が頑張って働いて帰ってきて出された料理がスーパーで買ってきた惣菜ってどんな仕打ちだよ。俺を労う気ないんだろ?」


「そんなことないよ!」


 確かに鯖の味噌煮は買ってきたもので、直子から渡されたものだ。しかし、鯖の味噌煮だけがテーブルに並んでいるわけではない。買い物をして帰宅後、恵美は豚汁とほうれん草のおひたしを作った。

 今まで直子が料理をしている行程を見たことがなかったから、料理というものに関心などなかった。だが、恵美が料理している様子を観察してとても感動したのだ。こんなに料理は手間隙がかかることを俺は知らなかった。ただ具材を切って炒めたり、煮たりするだけの単純なものだと考えていた俺を恥じたぐらい。

 だから、智貴の言葉が余計に許せなかった。


「お前の作る料理ってさ……いっつもワンパターンっていうか地味なんだよ。世の中の専業主婦はさ、もっと夫のことを考えて彩りとか栄養とかしっかり考えた料理をしてると思うよ?」


「わたしだって考えてるよ」


「これのどこがだよ。もっとさ、いろいろあるじゃん……昨日だってお子様メニューのハンバーグ……俺はガキじゃないんだ」


 もう限界を越えそうだった。喉元まで怒りの言葉が出掛かる。

 恵美は俯いたまま黙り込んでしまった。長い髪が顔を隠し、俺の位置からではどんな表情なのか分からない。


(もう我慢できない!!!!)


 一発怒鳴ってやろうと椅子の上に片足を乗っけた矢先、智貴が先に椅子から立ち上がった。


「俺、外で食べるわ」


 そう言って、財布とスマホを持って家から出ていってしまう。ドアの閉まる音がやけに響いた。


「めっ……ママ?」


 椅子に座ったまま、ただ座って俯いている恵美にそっと声をかける。

 泣いているのか、怒りを堪えているのか、表情が分からないから判断が出来ない。


「ママ」


「ごめんね、颯太。ご飯食べよう」


 顔を上げた恵美は笑顔だった。その笑顔はあまりに痛々しい。


「うん」


 何も言えず、ただ恵美に従った。颯太のことを不安にさせないために笑顔を保とうとしている恵美に余計なことは言ってはいけない。俺も笑顔をつくり、何事もなかったかのように振る舞う。

 やっと口にした鯖の味噌煮。冷えてしまった上に、味がしなかった。


 夜を迎え、眠りにつく。恵美はなかなか寝付けなかったようだったが、日付が変わる頃には寝息を立てていた。それを見計らったように智貴が帰宅し、そのままベッドへと潜り込む。何事もなかったように智貴は鼾をかきだした。俺は寝たふりをしながら、その様子を一部始終見つめる。


(こいつは恵美の夫として失格だ!! 何としてでも恵美と離婚させてやる!!)


 目的は定まった。

 俺はそっとベッドから抜け出し、智貴のベッドへと近付く。相手を起こさないようそっと手を伸ばす。そして、物音を立てないように目的の物を回収した。


(やはり顔認証か)


 手に掴んだのは智貴のスマホ。画面には“face ID”と表示されている。前ならこんな画面が出たら、なんの事だかさっぱり分からなかっただろう。しかし、昨夜スマホのことを学ぶために検索したのが功を奏した。


(頼むから起きるなよ)


 スマホの画面を智貴の顔へと近付ける。智貴に近寄るとつんっと酒の臭いに混ざって、甘ったるい香水の匂いが漂ってきた。


(昨夜言ってた名前の女と会っていたんだな。スマホの中にあるお前の浮気の証拠を見つけてやる)


 スマホは智貴の顔を認識して、すんなりとホーム画面に変わる。俺はそれを確認すると、あの書斎の部屋へと逃げ込んだ。


「どれどれ」


 今はメールや電話ではなく、SNSでのやり取りが主流らしい。それも調べ済みだ。

 目についたSNSを開き、怪しい人物を探す。


(寝言で言ってたのは“まり”だったよな)


 だが、俺は誤解していた。相手の名前は“まり”ではなかった。


真凜まりん……これだ」


 俺は即座に真凜と智貴とのやり取りを見る。そこには吐き気を及ぼしそうな甘ったるいやり取りが繰り広げられていた。嗚咽を覚えながらなんとか全てのやり取りに目を通していく。

 どうやら真凜は飲み屋で働くまだ20代前半の若い女性のようだ。智貴が偶然店へ行き知り合い、その日に連絡先を交換したらしい。一週間も経たないうちにふたりきりで食事をし、一ヶ月も経つ頃には深い関係になってしまったようだ。


(なんてやつだ……妻というものがありながら、影でこんなことをしてるなんて。夫としてではなく、男としても失格だ!!)


 また怒りが吹き上がる。しかも、彼女との関係が始まったのは恵美が颯太を身籠った時期だった。


(許せない!!!! 子供の体じゃなければ今すぐにでも殴りかかってやりたい!!)


 力一杯何かを叩き壊したくなる。だが、まだそれをやる時ではない。

 今は俺の怒りよりも、恵美と智貴をどうやって別れさせるかが問題だ。


(これを見付けたところでどうしたらいい。恵美に教える? いや、だめだ……傷付くかもしれない)


 今でも十分傷付いている恵美に、更なる追い討ちをかけてしまうのは正直気が進まない。

 そもそも、離婚だって恵美の意思が必要だ。


(俺は何をしてやれるだろうか?)


 3才の身体ではやることは限られる。

 俺は完全に行き詰まってしまった。

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