11話 鯖の味噌煮
落胆に
「けど、思っていただけで本当に離婚しようなんて思ってなかったわよ。確かにお父さんは愛情表現が下手くそで、不器用だから気配りなんてできなかったけど……わたしと恵美を大事にしてくれてるのは分かってたから」
「直子……」
嬉しさに体が震えた。
「表情や言葉には出さないけど、ずっと恵美のことも気に掛けてくれてたの」
「そうかな。わたしのこと興味ないって感じだったけどな」
「娘に無関心だったら、毎回学校の運動会とか文化祭に来たりしないわよ。運動会なんてわたしより先に家出て最前列に場所取りしてたし、文化祭もカメラ構えて泣くの我慢してたのよ。あの顔、恵美に見せてあげたかったわよ!」
直子の笑い声が再度部屋に響き渡る。
「それに、わたしが出す料理を美味しいなんて言ったことないけど……逆に不味いとも言ったことないの。何出しても残さず食べてくれたし、スーパーで買ってきたお総菜出しても文句なんて言わなかったしね」
「ええ? それってお総菜だって気付いてなかっただけじゃないの?」
まさかと笑う直子。だが、そのまさかだった。
(どれがスーパーの惣菜だったんだ!?)
俺は考える限りの範囲で直子の料理の数々を思い出してはみたが、全くどれが買ってきたものだったのか分からない。直子が出してきた料理はどれも美味しかったし、それが実は買ってきた惣菜ですと言われたところで別に文句などはない。毎日俺のために考えてくれた料理なのだから、文句なんて言ったら男として廃るってものだ。
「そうだ、お総菜と言えば……恵美、鯖の味噌煮持っていかない?」
「え!? いつものやつ? それなら持っていこうかな」
鯖の味噌煮と聞いて、俺はすかさず立ち上がり部屋へと突入する。
「ばあばの鯖の味噌煮食べたい!!」
俺の好物。直子の出す料理の中で一番好きだった。
「あら、颯太くんも鯖の味噌煮が好きなの? なかなか渋いわね」
「颯太に鯖の味噌煮なんた食べさせたかな?」
ふたりはお互い別の反応を示す。
「食べてないけど食べてみたかったの!!」
俺は誤魔化しながら、自分の好物が食べれることに心が踊っていた。あの鯖にとろっとまとわりついた味噌だれが堪らなく、白米がひときわ美味しく感じてしまう。思い出しただけで口の中が唾液でいっぱいになる。
(いかんいかん、汚い表現だ)
「颯太も食べたいみたいだし貰っていこうかな」
「そうしなさい。ちゃんと人数分買ってあるから……今日の晩御飯にでもしてちょうだい」
「ありがとう、お母さん。今日の献立まだ決めてなかったから助かるー」
何気ない会話。俺はまた衝撃を受けていた。
(今……
冷蔵庫から透明なプラスチック容器に入った鯖の味噌煮が姿を現す。しっかりと値札が貼られた、スーパーのお総菜。しかし、中身はいつも美味しいと食べていたあの鯖の味噌煮が入っていた。
(それが惣菜だったのか!!!!)
自分の好物が実は惣菜コーナーに並ぶ商品だったなんて、あまり知りたくなかった真実。
(いや、美味いのは確かなんだ……別に惣菜だったとしてもいいじゃないか)
だけど、直子の手料理と信じ込んでいた分、この事実だけは正直知らないままの方が幸せだった気がする。
「この鯖の味噌煮、お父さんも気に入っててね。これ食べてる時いつもより満足そうな顔になってたのよ……買ってきたお総菜だって気付いてたのかは今となっては分からないけど」
「そうなんだ。でもさ……やっぱり美味しいって言葉聞きたかったんじゃないの?」
「まあね」
直子が少しだけ切なそうな表情で微笑む。
俺は胸が締め付けられるような感覚になり、咄嗟に俯いた。きっと、今はひどい顔をしているだろう。
「すまなかった、直子」
誰にも聞こえない程度の小声で密かに謝罪を口にする。
夫婦だから、感謝も謝罪も言わずとも伝わっているとどこかで思っていた。だが、そんなの大きな勘違いだったんだ。言わなければ伝わらないし、会話がなければお互いのことを知ることなんて出来ない。
もっと妻のことを知ろうとすれば良かった。些細なことも伝える努力をすれば良かった。
(こんな後悔も今となっては手遅れか……)
そこで思い付く。
(なら言葉じゃない方法で伝えればいいんだ!!)
颯太の姿ではもう言葉では伝えられなくても、この気持ちを残すことはできる。
言えないなら書けばいい。この身体の中にいる内に、直子と恵美に手紙を書こう。
そう考えた瞬間、暗い気持ちがどんどん晴れやかになっていく。
(やることが増えたが全部やってやるさ)
そうと決まれば切り替えは早い。
「ママ、お家に帰ろう!」
「ん? そうだね、もうそろそろで帰らないとね」
俺は直子を見上げる。
「ばあば、また遊びに来るからね」
笑顔で告げると、直子は嬉しそうに目を細め、俺の頭を優しく撫でた。
「うん、待ってるね」
「ばあば、今日はありがとう!!」
俺は精一杯の気持ちを言葉で伝えた。
もう二度と後悔はしたくない。同じ過ちを繰り返したくない。
だから、思ったことをこれからは言葉で伝えていこう。そう決意した。
「ねえ、お母さん」
玄関で靴を履き終えた恵美が躊躇ったように口を開く。
「なに?」
「……ううん。やっぱりなんでもない。じゃあね」
「またいつでもおいで」
(恵美……もしかして、あいつのことを相談したかったんじゃ)
恵美の後ろを付いて、実家を後にした。
去り際、俺は自分の家を改め見つめる。
「颯太、行くよ」
「うん!!」
(大丈夫だ、恵美……お前のことも俺が何とかしてやる!!)
俺は元気つけるように小さな手で恵美の細い指をぎゅっと握り締めた。
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